「美と崩壊 〜フランス人が探るジャポニズムの今〜」2025-12-29

2025年12月29日 當山日出夫

「美と崩壊 〜フランス人が探るジャポニズムの今〜」

フランスとNHKの共同制作。

これは、面白かった。

NHKスペシャルで、「新ジャポニズム」として、特集企画で番組がいくつかあって、それは、たぶん全部を見たと思うのだが、はっきりいって、文化とか芸術というものについての理解の深さという観点では、こちらの番組の方が、格段に上である。NHKスペシャルの「新ジャポニズム」は、ただ、日本のすごいものを羅列しただけで終わっていて、それが、異なる文化において、どう受容され、感じられ、また、普遍性を持つとしたらどういうことなのか、考えることに繋がっていなかった。

『AKIRA』や『攻殻機動隊』などの日本のアニメ作品のことからスタートしていた。これは、定番の日本のサブカルチャーである。「弥助」は、近年、日本でも話題になった……その歴史としての考え方は別にして……それを、西欧の目、特に黒人である人の目では、どう見えるのかということは、考えるべきことだろう。

往年の日本映画としては、黒澤明の名前は出てきていた。黒澤明の『用心棒』『七人の侍』……これらは、今の我が家のテレビのHDに録画が残してある……は、たしかに名作である。これらを、異なる文化の人たちが、どう見たかは、あるいは、これからもどう見ることになるか、面白いことである。

(黒澤明は名前が出てきていたが、小津安二郎や成瀬巳喜男や溝口健二などは、名前が出てきていなかった。)

ラップが、もともとは苦しみを表現した抵抗の音楽であった部分が、日本ではそうなっていない。エンタテイメントの音楽になっている。この指摘は、そうだろうかと思う。(他にも、ジャズやロックも、そういう傾向があるとは思うが。)

インタビューで登場していたのは、以下のひとたち。

田中泯
河瀬直美
久野遙子
宮城聰
是枝裕和
石内都
デイヴィッド・ピース
黒沢清

日本の文化として、いろんな言い方はできるが、生きものや自然に霊を感じる、ということは、多くの人が語ったことである。その一つの現れとしては、「ゴジラ」のことが出てきていた。(「ゴジラ」については、さまざまに語られることが多い。)

このようなことを、私なりに言いかえるならば、いわゆる天台本覚思想……山川草木のすべてに仏性がやどっている……の基底にながれている、日本的なアニミズムの感覚、とでもいうことができるだろうか。(このような延長に、現代で、もっとも華麗に論じたのが、井筒俊彦である。)

家族、ということも言及があった。ただ、私としては、家族、ということを考えるとき、どこまで普遍的なものとして考えることができるか、疑問に思うところがないではない。母である、父であるということは、これはこれとして、人間にとって普遍的なテーマかとは思うが、具体的に、どういう表現をとるのか、人びとにとって、家族とは何であり、母とは、父とは、どんな存在であるのかは、時代や地域や文化によって異なることを、考えておくべきかと思う。(強いていえば、エマニエル・トッドの歴史人口学、地域による家族の形態の違いの知見を持ってきてもいいかと思うが。)

この番組の趣旨とはあまりかかわらないことかとも思うが、広島の原爆の遺品を見ると、戦前の日用品が手仕事で丁寧に作られていることが分かるという。これは、とても興味深い。原爆の遺品としてそのまま残されてきているからこそ分かることといえる。昭和の戦前の人びとの普通の日用品をきちんと保存して残しているところは、日本ではどこがあるだろうか。

黒沢清が、こういうことを言っていたのが印象に残る。何かメッセージを主張したいときには、そのことを、アカデミックに(と言っていたが、ジャーナリスティックと言ってもいいかもしれない)語るのではなく、エンタテイメントの作品の中に、そっとしのばせておいた方が、見るものの心に長く残るものである、と。これは、そのとおりだと私は思うところである。

こういうことを自覚していないからこそ、現代の「正しさ」を前面に出した作品は、一部の人に高評価かもしれないが、逆に、反発も生むし、結果的に、人のこころにのこっていくものにならない、ということはいえるだろう。

結局、最後まで見て、今のフランスの人の目から見て、日本の文化といっても、よく分からない、断定的に言いきることのできない部分があるというのは、それはそういうものだろうと思うことになる。文化とは、歴史の蓄積の上にあるものであり、その歴史の中には、いろんな多様で重層的なものがつみかさなっている。

地球温暖化対策の知恵が、日本の文化にある……というような問いかけは、そもそも無意味かもしれない。(私の思うところでは、まったく無いというわけではないだろうが、それは、人類の歴史と文化の全体を見わたしてから、考えることになるだろう。)

2025年12月28日記

BS世界ドキュメンタリー「されどクリスマス アイルランド それぞれの特別な日」2025-12-29

2025年12月29日 當山日出夫

BS世界のドキュメンタリー 「されどクリスマス アイルランド それぞれの特別な日」

2024年、アイルランド。

これは面白かった。

特に、感動的なエピソードがあるという内容ではない。アイルランドの、おそらくは普通の人びとの生活の感情が、どんなものかということが、なんとなく見ていて伝わってくる。ことさら悲劇的な人生をあゆむことになって人を選んだということではなさそうである。

アイルランドだから、たぶんカトリックの信仰がメインということかと思う。クリスマスは、社会の人びとにとっては、重要な行事であることだろうと思う。

摂食障害の女性が、ジャガイモを食べなくなったと言っていた。アイルランドというと、どうしてもジャガイモを連想してしまうのだが(ほとんど世界史の教科書レベルの知識しか持っていない)、ごく身近な食べ物を食べられなくなるというのは、よほどのことなのだろう。

子どもが二人いる父親。奥さんは、死んでしまったらしい。サンタクロースとは、ちゃんと連絡がとれていて(?)、プレゼントをもらうことができたようだ。2024年の制作だから、せいぜい2023年のクリスマスになるので、ゲーム機が欲しいといった場合、古いスイッチということかなと思って見ていた。今だったら、新しいスイッチ2が欲しいということになるだろう。

一人で暮らしている高齢の女性。一人でいても孤独を感じない。孤独を感じるのは、街中にいるときである。という意味のことを言っていたが、人間というのは、そういうものだろう。

人間よりも、犬の方が、人間の気持ちによりそってくれる、と感じることもある。

街の中は、クリスマスの飾り付けで花やかであるが、それぞれの家の中は、ひとそれぞれの事情で、いろんなクリスマスのすごしかたがある。ほとんど何もしないという人をふくめて、ということになる。

2025年12月26日記

芸能きわみ堂「放送100年 歌舞伎の襲名」2025-12-29

2025年12月29日 當山日出夫

芸能きわみ堂 放送100年 歌舞伎の襲名

若い時に、慶應義塾大学の国文科で勉強したということがあるので、その後、学生に日本語の歴史を教えるようになったとき、次のようなことを話すことがあった。

『古事記』は、稗田阿礼が暗記していたことを、太安万侶が文字(漢字だけ)で書いたものである……さて、これは本当か。日本語の表記史における『古事記』のことはいろいろ難しい。その前の、稗田阿礼は、どんな人物か。普通の注釈書などでは、そのような特異な能力のある人物とする。場合によっては、女性とすることもある。

ここを大胆に解釈すると、次のように見ることもできる。稗田阿礼は、一人の人間だったのだろうか。それとも、代々、稗田阿礼を名乗る人物がいて、神話を憶えることを職掌として受け継いできたということかもしれない。さらには、これは、一人の人間だけの名前ではなくて、複数の人間の集団につけられた名前であったのかもしれない。(学生に教えていたころだから、例えば、AKB48、のようなものだったのかもしれない、と言ったりした。)

かなり大胆な考え方ではある。しかし、折口信夫の考えた芸能史の流れとしては、このように考えてみることも、まったく荒唐無稽なことでもない。

芸能史という視点から見るならば、芸能における襲名ということは、注目すべきことであるし、また、日本ではごく普通のことでもある。

例えば、引田天功、といって、私ぐらいの世代なら、男性を思い浮かべるはずだが、これも、その後の世代では変わってきている。

伝統工芸の世界でも、襲名、ということはある。先日放送の「新ジャポニズム」で、千家十職、をとりあげていたが、このような伝統工芸の店では、当主が、歴代同じ名前を名乗って継承していく。同じ名前であるから、先代と同じもの、コピーが作れるということでもある。

歌舞伎の襲名は、たしかに、大名跡を引き継ぎ、その家で守ってきた芸を継承するという意味で、重要なものである。だが、襲名、ということは、別に歌舞伎だけにあることではない。番組に登場してきていた、神田伯山も、まさにそうである。他に、落語家などにおいて、何代目と指定しないと、特定の人物を支持できない。

襲名、ということがあるということは、いいかえれば、コピー、ということである。芸能にたずさわるものの芸は、そのまま、次の後継者に受け継ぐことができるものである、という含意がある。

一方で、その芸能において、その人物なりの個性、オリジナリティ、ということもある。厳しい修行の結果おのずからにじみ出るものであるし、また、時代に合わせた創意工夫ということもある。

まあ、歌舞伎の名門の家に生まれたことが、その人にとって、良かったことになるのか、あるいは、不運だったと思うことになるのか。どちらになるかも、また、運命であるのかもしれない。

歌舞伎の襲名公演には、祝祭感があるというのは、もともと、芸能というものが、ある種の宗教性をおびるものである、という歴史と文化をおもえば、そうだろうと思う。

褒められたら敵だと思え……芸の世界は、そういうものかと感じるところである。これは、芸術の領域において、一般的にいえることでもあろうが。

2025年12月27日記

ドキュメント72時間「路地裏ラッピング物語」2025-12-29

2025年12月29日 當山日出夫

ドキュメント72時間 路地裏ラッピング物語

こういう商売がなりたつのも、東京ならではのことかなと思ってみていた。

登場した中で多かったのは、個人でオンラインのお店を開いていて、商品の包装などにつかう資材を選んでいるという事例が多かったことである。このような需要というのは、これから、増えるにちがいない。

お弁当の入れ物を選んでいた人が、器で料理の見え方がまったくちがってくる、と言っていたのは、そのとおりだと思う。たぶん、お弁当の容器などは、ネット通販などで買うことは可能であるはずだが、実際に料理を入れてどう見えるか、大きさや材質の感覚はどうなのか、これは、実物を手にとって見ないと分からないだろう。こういうのは、都市部においては、これから需要が増えることかもしれないと思うが、どうだろうか。

死んだネコを火葬にするため、そのための段ボール箱を買いに来ていた女性が言っていたことばが衝撃的である。私の目の前には、ネコが落ちているのよ。

アスクルが、サイバー攻撃でダウンしてしまって、しかたなしに、このお店にやってきたという人がいたが、世の中、いつどういうことが起こるかわからない、実際の店舗で、実物を見て商品を買えるということは、あった方がいいことの一つであるとは、いえるにちがいない。

2025年12月27日記