『若き友人たちへ』2009-10-24

2009-10-24 當山日出夫

自分で使ってみたいと思いながら、使えないでいることばの一つ、「若い友人」。

おそらく、このことばをどのように受け止めるかは、育った、学んだ、時代や環境によるだろう。私の知見の範囲では、この「若い友人」は、ある東洋学者の好んで使ったことばである。

その意図はわかる、つもり。いわゆる教え子なのであるが、弟子とはいいたくない。ここまでいい。だが、同時に、同じ学問領域を共有している仲間どうし、という身内意識も、なにがしか感じる。

個人的経験をいえば、若いとき(学生のころ)、「若い友人」という表現には、共感すると同時に、なにがしかの反発を感じたことも確かである。しかし、よわい、知命をすぎると(次の年齢の節目まで数年以上あるが)、自分がしてきたことを、どのようにして、次の世代に継承するか、ということを考えるようになる。「若い友人」ということばが、自分が若かったときとは、また、逆の立場で、気になる。

その「若い友人」を書名につかった本。

筑紫哲也.『若き友人たちへ-筑紫哲也ラスト・メッセージ-』(集英社新書).集英社.2009
http://books.shueisha.co.jp/CGI/search/syousai_put.cgi?isbn_cd=978-4-08-720515-2&mode=1

この本、読み始めて付箋をつけた箇所。

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「近ごろの若い者は……」と大人たちがあげつらっていることのほとんどは的外れか、しばしば逆ではないかと私は思っています。

私が心配なのは、にもかかわらず、「近ごろの若い者」があまりにも優しくてナイーブなために、そういう評価にふり回され、自分を見失いかねないことです。

p.26

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當山日出夫(とうやまひでお)