『とと姉ちゃん』「常子、仕事と家庭の両立に悩む」「常子、小さな幸せを大事にする」 ― 2025-11-23
2025年11月23日 當山日出夫
『とと姉ちゃん』「常子、仕事と家庭の両立に悩む」「常子、小さな幸せを大事にする」
実際に「暮しの手帖」の商品試験が、どのようにおこなわれたのかということにも関係することかと思うのだが、ドラマを見ているかぎりでは、現在の視点や価値観から見て、常子たちの商品試験は、問題がある。
対象の電化製品を買ってくるのはいいとしても、工業製品としての、個体差のばらつきを考慮する必要がある。また、一般の家庭での普通の使用ということを考えると、かなり無理なテストをしているかとも思える。
トースターや洗濯機が、その目的とした機能を十分にはたすかということも大事だが、一方で、家電製品としては、安全に作ってあるか、出火して火事になったりしないか、という観点もある。これは、試験の方向性として、分けてあつかった方がいいはずである。現代なら、安全性を確保した上で、機能としてどうなのか、ということになるだろう。
それから、アカバネ電気の描き方が、いかにもという感じなのであるが、これで、ドラマとして面白くなっているかというと、私には、どうもそうは感じられない。最終のところで、こういう展開に持ってくるということなら、戦時中から戦後にかけての、人びとの生活だけでなく、町工場の仕事がどんなだったのか、ということを、少しなりとも描いておくべきだったかと思える。
家電製品(洗濯機や炊飯器など)が登場して、家庭の主婦の仕事が大きく変わったことは確かなのだが、その調査を、キッチン森田屋に頼むのは、粗雑である。サンプリングとして、説得力を持つものではない。
また、前にも書いたが、この時代(昭和30年代のはじめ)、都市部と農村部との生活の格差ということもあった。こういうことにまったく触れないでいるというのも、見ていてなんだかかなあ、という印象を持つ。
2025年11月21日記
『とと姉ちゃん』「常子、仕事と家庭の両立に悩む」「常子、小さな幸せを大事にする」
実際に「暮しの手帖」の商品試験が、どのようにおこなわれたのかということにも関係することかと思うのだが、ドラマを見ているかぎりでは、現在の視点や価値観から見て、常子たちの商品試験は、問題がある。
対象の電化製品を買ってくるのはいいとしても、工業製品としての、個体差のばらつきを考慮する必要がある。また、一般の家庭での普通の使用ということを考えると、かなり無理なテストをしているかとも思える。
トースターや洗濯機が、その目的とした機能を十分にはたすかということも大事だが、一方で、家電製品としては、安全に作ってあるか、出火して火事になったりしないか、という観点もある。これは、試験の方向性として、分けてあつかった方がいいはずである。現代なら、安全性を確保した上で、機能としてどうなのか、ということになるだろう。
それから、アカバネ電気の描き方が、いかにもという感じなのであるが、これで、ドラマとして面白くなっているかというと、私には、どうもそうは感じられない。最終のところで、こういう展開に持ってくるということなら、戦時中から戦後にかけての、人びとの生活だけでなく、町工場の仕事がどんなだったのか、ということを、少しなりとも描いておくべきだったかと思える。
家電製品(洗濯機や炊飯器など)が登場して、家庭の主婦の仕事が大きく変わったことは確かなのだが、その調査を、キッチン森田屋に頼むのは、粗雑である。サンプリングとして、説得力を持つものではない。
また、前にも書いたが、この時代(昭和30年代のはじめ)、都市部と農村部との生活の格差ということもあった。こういうことにまったく触れないでいるというのも、見ていてなんだかかなあ、という印象を持つ。
2025年11月21日記
『どんど晴れ』「浅倉家ご一行様」 ― 2025-11-23
2025年11月23日 當山日出夫
『どんど晴れ』「浅倉家ご一行様」
一週間ごとに話題が変わって、土曜日に完結する。こういうスタイルは、かつての朝ドラの定番だった。これはこれで、安心して見ていられる。
この週では、夏美の横浜の家族(父親と母親と弟)が、加賀美屋に泊まりに来る。いきなり思いたって加賀美屋に行こうという浅倉の家族もどうかなと思うが、それに対応する加賀美屋の人たちも、それぞれの役回りどおりの反応である。
なんとか夏美を追い出したい女将(環)たち、夏美が女将としての素養を感じとっている大女将(カツノ)、そして、イーハトーブの面々。
設定として疑問に思うところがいくつかある。
加賀美屋に行こうとして、お父さんが横浜の家で時刻表を見ていたが、もうこの時代だったら、インターネットで見るだろう。スマホで何でもできるという時代にはなっていないとしても。それに、横浜から盛岡だったら、まずは東京駅まで行って切符を買えばなんとかなるかと思える。(私の個人的経験としても、過去20年以上は、時刻表というものを見たことがないと思う。)
夏美は、庭の植木の植え替えの仕事をさせられる。大女将のカツノの考えとしては、これも女将修行の一つということになる。この理由は、土曜日に、明らかになる。ただ、老舗旅館で、庭の造作に気を配るということであるならば、その手入れに職人などが仕事をしている様子は、お客さんに絶対に見せないようにするかとおもうがどうなのだろうか。
まあ、有名な庭園として、金沢の兼六園のようなところは、庭の維持管理の様子も、観光客に見せるものとしている。だが、これと、地方の老舗旅館とは、違うだろうと思う。
2025年11月22日記
『どんど晴れ』「浅倉家ご一行様」
一週間ごとに話題が変わって、土曜日に完結する。こういうスタイルは、かつての朝ドラの定番だった。これはこれで、安心して見ていられる。
この週では、夏美の横浜の家族(父親と母親と弟)が、加賀美屋に泊まりに来る。いきなり思いたって加賀美屋に行こうという浅倉の家族もどうかなと思うが、それに対応する加賀美屋の人たちも、それぞれの役回りどおりの反応である。
なんとか夏美を追い出したい女将(環)たち、夏美が女将としての素養を感じとっている大女将(カツノ)、そして、イーハトーブの面々。
設定として疑問に思うところがいくつかある。
加賀美屋に行こうとして、お父さんが横浜の家で時刻表を見ていたが、もうこの時代だったら、インターネットで見るだろう。スマホで何でもできるという時代にはなっていないとしても。それに、横浜から盛岡だったら、まずは東京駅まで行って切符を買えばなんとかなるかと思える。(私の個人的経験としても、過去20年以上は、時刻表というものを見たことがないと思う。)
夏美は、庭の植木の植え替えの仕事をさせられる。大女将のカツノの考えとしては、これも女将修行の一つということになる。この理由は、土曜日に、明らかになる。ただ、老舗旅館で、庭の造作に気を配るということであるならば、その手入れに職人などが仕事をしている様子は、お客さんに絶対に見せないようにするかとおもうがどうなのだろうか。
まあ、有名な庭園として、金沢の兼六園のようなところは、庭の維持管理の様子も、観光客に見せるものとしている。だが、これと、地方の老舗旅館とは、違うだろうと思う。
2025年11月22日記
『ばけばけ』「クビノ、カワ、イチマイ。」 ― 2025-11-23
2025年11月23日 當山日出夫
『ばけばけ』 「クビノ、カワ、イチマイ。」
この週は面白かった。特に事件が起こったということではないが、松江でのヘブン先生の生活と、その人柄が印象的に描かれていた。
ヘブン先生は、おトキに、ビアがほしいという。おトキは、英語がわからない以前に、ビールなど見たこともない。明治のこのころ、日本の松江で、そんなにビールが普及していたとも思えない。
おトキは、ビア、ということばから、いろんなものをかきあつめてくる。中には、どう考えてもおかしいだろうというものまである。いくらなんでも、ビアと、サワは、ちがうだろう。
結局、錦織にきいて、薬屋さんで売っていることが分かり、おトキは買うことができる。この薬屋さんが、いかにも、いかがわしい。あやしげである。まあ、明治のころの薬屋さんというのは、なんだかあやしげなものだったかと思うが。
はじめてのビールであるから、そのコップへの注ぎ方も知らない。ビールが、ビンから吹き出してしまう。おそらく、明治の人たちも、こんなことだったのだろうかと思う。
ヘブン先生は、スキップをする。登場人物が、みんな、独特の(?)スキップをする。スキップという身体動作は、とても特殊で、西洋式の運動や踊りなどを知らないとできないと思うが、それを、いきなり明治の日本人に要求するのは、無理難題である。その下手なスキップを、下駄をはいて、登場する人たちがそれぞれにやっているのを見ているだけで、面白かった。
勘右衛門だけが見事にスキップをこなしたのは、さすがラストサムライというべきだろうか。
パイナップルが登場してきたが、おトキは、その切り方、食べ方を知らない。おタエ様にききにいくのだが、おタエ様は、三枚におろしては、という。魚ではないのだから、三枚におろすはないはずである。これは、おタエさまが、ようやく憶えた台所の知識だったのだろうか。
おトキは、おタエ様のところでパイナップルを食べ、それを、松野の家でも、家族みんなで食べることになる。初めて食べる、ということになっていた。松野の家族で初めてのパイナップルを食べるというシーンは、この家族のようすが上手に表現されていたと感じる。
ヘブン先生は、おトキを人力車に載せて、初めてのものは楽しいでしょう、ということを言うが、実は、おトキは、東京で銀二郎の人力車に乗っている。初めてではない。そのことを錦織が言おうとしたとき、ヘブン先生が、人は過去のことをべらべらとしゃべるものではない、という意味のことを言ってさえぎる。
中学校で、ヘブン先生の出身のことが話題になり、ヘブン先生は、生徒たちと錦織を自分の家にまねいて、クイズ形式で、出自を語る。ギリシャ生まれのアイルランド人、である。このことは、小泉八雲のことを、なぞっている。
このクイズの景品として、ビアらしきものとして、おトキが集めた品々が、使われていた。こういう使い方で、ビアのことと、金曜日のクイズのこととが、きれいにつながっている。
また、おトキが銀二郎と結婚していたこと、東京に行ったことなど、あるいは、これらは余計な脱線かと思っていたことが、この週になって、伏線として生きてきている。こういうあたりは、非常に脚本としてたくみなところだと思う。
錦織が、ヘブン先生の写真の女性(イライザ)について問おうとすると、おトキはそれをとどめる。ヘブン先生にとって、大事な人であるのだろうから、という。このとき、ヘブン先生は、おトキのことばを聞いて、その意図を理解することになる。ことばは通じなくても、誰しも大事なものがある、そして、それはべらべらとしゃべることではない、という気持ちが伝わる。
こういう脚本を見ると、これまでの朝ドラで、あまり評判のよくなかった作品のことが思い出される。自分の気持ちを、感情をこめて、役者さんが語ればそれでみんな理解して納得する、という、安易な作り方をしていたことが、あらためて強く感じることになる。(こういう人間の感情についての説明的な科白や描写が、それでよいという視聴者もいることはたしかなのだが。)
アイロンで服を焦がしてしまったおトキのことを、ヘブン先生は叱らない。ケガはなかったかと、心配している。こういうところを見ると、ヘブン先生は、心の優しい人なのだということが、実感される。
夜、執筆しているときは物音をたててはいけないし、気難しい性格でもある。糸こんにゃくが大嫌いでもある。だが、その人の気持ちを思いやる心は、ことばが通じなくても、お互いに理解できることになる。
殺生はいけないといって、ヘブン先生は、蚊も殺さない。こういうところは、小泉八雲の日本のアニミズムへの理解とつながることかもしれない。そのヘブン先生のために、おトキは、部屋の中に蚊帳をつる。もう今の日本では、蚊帳というものが忘れられてしまっている、しかし、私の子どものころ、昭和30年代ぐらいまでは、普通に使われていた。そして、クイズの場面で、背景にたたんで長押からつるしてある蚊帳が映っていた。昼間使わないときに、蚊帳を部屋のすみに、こんおようにたたんでつるしてあった。こういう所作を憶えている人も、今では少数になってしまったかもしれない。だが、このようなところを見ると、このドラマは、よく考えて作ってあるということを感じる。
この週まで、おトキのことを、ヘブン先生は、シジミさんと呼んでいる。おトキは、まだシジミ汁を作っていない。ヘブン先生が、おトキの名前をどう呼ぶことになるだろうかと、期待している。
朝ドラを見ていて、単純なことなのだが、よく出来たドラマは、画面に映っているものがたくさんある。この週では、薬屋さんのお店の中が、いろんな品物がおいてあって、見ているだけで興味深かった。
2025年11月21日記
『ばけばけ』 「クビノ、カワ、イチマイ。」
この週は面白かった。特に事件が起こったということではないが、松江でのヘブン先生の生活と、その人柄が印象的に描かれていた。
ヘブン先生は、おトキに、ビアがほしいという。おトキは、英語がわからない以前に、ビールなど見たこともない。明治のこのころ、日本の松江で、そんなにビールが普及していたとも思えない。
おトキは、ビア、ということばから、いろんなものをかきあつめてくる。中には、どう考えてもおかしいだろうというものまである。いくらなんでも、ビアと、サワは、ちがうだろう。
結局、錦織にきいて、薬屋さんで売っていることが分かり、おトキは買うことができる。この薬屋さんが、いかにも、いかがわしい。あやしげである。まあ、明治のころの薬屋さんというのは、なんだかあやしげなものだったかと思うが。
はじめてのビールであるから、そのコップへの注ぎ方も知らない。ビールが、ビンから吹き出してしまう。おそらく、明治の人たちも、こんなことだったのだろうかと思う。
ヘブン先生は、スキップをする。登場人物が、みんな、独特の(?)スキップをする。スキップという身体動作は、とても特殊で、西洋式の運動や踊りなどを知らないとできないと思うが、それを、いきなり明治の日本人に要求するのは、無理難題である。その下手なスキップを、下駄をはいて、登場する人たちがそれぞれにやっているのを見ているだけで、面白かった。
勘右衛門だけが見事にスキップをこなしたのは、さすがラストサムライというべきだろうか。
パイナップルが登場してきたが、おトキは、その切り方、食べ方を知らない。おタエ様にききにいくのだが、おタエ様は、三枚におろしては、という。魚ではないのだから、三枚におろすはないはずである。これは、おタエさまが、ようやく憶えた台所の知識だったのだろうか。
おトキは、おタエ様のところでパイナップルを食べ、それを、松野の家でも、家族みんなで食べることになる。初めて食べる、ということになっていた。松野の家族で初めてのパイナップルを食べるというシーンは、この家族のようすが上手に表現されていたと感じる。
ヘブン先生は、おトキを人力車に載せて、初めてのものは楽しいでしょう、ということを言うが、実は、おトキは、東京で銀二郎の人力車に乗っている。初めてではない。そのことを錦織が言おうとしたとき、ヘブン先生が、人は過去のことをべらべらとしゃべるものではない、という意味のことを言ってさえぎる。
中学校で、ヘブン先生の出身のことが話題になり、ヘブン先生は、生徒たちと錦織を自分の家にまねいて、クイズ形式で、出自を語る。ギリシャ生まれのアイルランド人、である。このことは、小泉八雲のことを、なぞっている。
このクイズの景品として、ビアらしきものとして、おトキが集めた品々が、使われていた。こういう使い方で、ビアのことと、金曜日のクイズのこととが、きれいにつながっている。
また、おトキが銀二郎と結婚していたこと、東京に行ったことなど、あるいは、これらは余計な脱線かと思っていたことが、この週になって、伏線として生きてきている。こういうあたりは、非常に脚本としてたくみなところだと思う。
錦織が、ヘブン先生の写真の女性(イライザ)について問おうとすると、おトキはそれをとどめる。ヘブン先生にとって、大事な人であるのだろうから、という。このとき、ヘブン先生は、おトキのことばを聞いて、その意図を理解することになる。ことばは通じなくても、誰しも大事なものがある、そして、それはべらべらとしゃべることではない、という気持ちが伝わる。
こういう脚本を見ると、これまでの朝ドラで、あまり評判のよくなかった作品のことが思い出される。自分の気持ちを、感情をこめて、役者さんが語ればそれでみんな理解して納得する、という、安易な作り方をしていたことが、あらためて強く感じることになる。(こういう人間の感情についての説明的な科白や描写が、それでよいという視聴者もいることはたしかなのだが。)
アイロンで服を焦がしてしまったおトキのことを、ヘブン先生は叱らない。ケガはなかったかと、心配している。こういうところを見ると、ヘブン先生は、心の優しい人なのだということが、実感される。
夜、執筆しているときは物音をたててはいけないし、気難しい性格でもある。糸こんにゃくが大嫌いでもある。だが、その人の気持ちを思いやる心は、ことばが通じなくても、お互いに理解できることになる。
殺生はいけないといって、ヘブン先生は、蚊も殺さない。こういうところは、小泉八雲の日本のアニミズムへの理解とつながることかもしれない。そのヘブン先生のために、おトキは、部屋の中に蚊帳をつる。もう今の日本では、蚊帳というものが忘れられてしまっている、しかし、私の子どものころ、昭和30年代ぐらいまでは、普通に使われていた。そして、クイズの場面で、背景にたたんで長押からつるしてある蚊帳が映っていた。昼間使わないときに、蚊帳を部屋のすみに、こんおようにたたんでつるしてあった。こういう所作を憶えている人も、今では少数になってしまったかもしれない。だが、このようなところを見ると、このドラマは、よく考えて作ってあるということを感じる。
この週まで、おトキのことを、ヘブン先生は、シジミさんと呼んでいる。おトキは、まだシジミ汁を作っていない。ヘブン先生が、おトキの名前をどう呼ぶことになるだろうかと、期待している。
朝ドラを見ていて、単純なことなのだが、よく出来たドラマは、画面に映っているものがたくさんある。この週では、薬屋さんのお店の中が、いろんな品物がおいてあって、見ているだけで興味深かった。
2025年11月21日記
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