3か月でマスターする古代文明「(5)インダス 王も武器もない文明」2025-11-01

2025年11月1日 當山日出夫

3か月でマスターする古代文明 (5)インダス 王も武器もない文明

人間が集まって暮らして、住居が密集していて、街路があったり、城壁があったりすれば、それを都市と言っていいのかと思うのだが、そもそも都市とは、考古学者は、どう定義しているのだろうか。住居の形態ではなく、そこに、なにがしかの秩序があったことが必要かもしれない。それは、非常に強大な権力による支配、ということで表現されることもあるだろう。宮殿や祭祀の場所は、必須と考えているのだろうか。

古代インダス文明では、その都市の秩序というのは、どのようなものであったのか、それは、どのようなシステムで保たれていたのか。これは、人間の文化や政治ということにかかわる。遺跡や遺物から考える考古学の範囲外のことであるといわれれば、それまでなのだが、こういうことがどうしても気になる。

王様のような権力がなくても、人間は集まって、都市の建物を設計して造ることができて、そこで、仲よく暮らすことができた。このような人間の生活もありえた、こういうことは理解できなくもない。そういうこともあったのだろうと思う。

ただ、言語とか宗教とかはどうだろうか。古代インダス文明は文字を使用していたことは確かであっても、解読はできていない。どうせ、あまりたいしたことは書かれていないだろうと言っていたが、はたして、こういう解釈でいいだろうか。文字を持つということは、それでどのような言語をどのように表記したのか、ということにつながる。そして、言語というものは、一般に人間の共同体の基盤となりうるものである。(こういう観点では、東アジアにおける、漢字、漢文というのは、やっかいな問題をかかえることになるのであるが。)

宗教がなかった、と言っていいのだろうか。宗教は、言語とともに、人間の文化の根幹にかかわることである。おそらく学問的に厳密に言うならば、祭祀遺跡や遺物は発見されていないが、それが必ずしも宗教の不存在を意味するものではない。祭祀の遺跡や遺物を必要としない宗教であった可能性を否定することはできない。このようにいうべきところである。

現在の人類は、基本的に宗教を持つものであり、そこには、祭祀遺跡や遺物があるはずである、こういうことについて、現代の民族学の知見としては、どう考えることになるのだろうか。宗教を持たない民族や文化というのが、確認されているということなのだろうか。このことについて、せっかく民博の館長という人が隣にいながら、話しが発展しなかったというのは、惜しい。

秤の重りがたくさん出てきている。ということは、これで何かの重さをはかったということ、実用的なものだったと考えることになるだろうか。その場合、はかったのは何の重さだったのか。また、その重りの重さはどれぐらいで、ばらつきはどの程度なのだろうか。度量衡の統一が成されていたとするならば、それを可能にする、共同体の秩序についての意識の成立が不可欠であるように思える。あるいは、重りは、実用的なものではなく、一種の象徴……それを持っていることになんらかの意味がある……であったのだろうか。

人間の生活にとって、都市というのは、必ずしも必要なものではない。これは、都市というものを作らなかった古代文明もあったはずだ、ということになる。都市、国家、宗教、権力、というようなことについて、あまりにも近代的なものの考え方をしていることは、あらためて反省してみる必要がある。

少なくとも、西の方のメソポタミアの文明と接触があったことは確認できている。それに対して、自分たちは異なる方向の文明をきづいたということであるとするならば、そこには、他の人たちとは異なっている自分たち、という意識……共同体意識といってもいいだろうが……が、あったはずだと思うのだが、考古学としては、こういうことをどう考えるのだろうか。

2025年10月31日記

よみがえる新日本紀行「奥信濃・千曲の渡し〜長野県野沢温泉村〜」2025-11-01

2025年11月1日 當山日出夫

よみがえる新日本紀行 「奥信濃・千曲の渡し〜長野県野沢温泉村〜」

再放送である。番組HPでは、2023年。オリジナルは、昭和51年(1976年)。番組の中での現在の部分の取材は、2019年とあった。

この番組を見て一番おどろいたのは、現代の部分での回想。昔の、渡し船でやってきた行商のおじさんについて、代金をお米ではらっていた、と言っていたこと。昭和50年ごろまで、お米をお金の代わりに使う経済というのが、地方には残っていたということの証言である。こういうことは、日本という国のGDPには繁栄されないことかと思うし、もし計算できたとしてもごく微細なものにすぎない。しかし、日本で生活してきた人々の感覚、特に金銭とか商売とかにかかわる生活史という観点からは、非常に重要なことであると、私は思う。商品の代金をお米でもらった行商のおじさんは、重い荷物をかついで帰って行ったことになる。そのもらったお米は、どうしたのだろうか。一部は自分で食べたかもしれないが、換金するか、あるいは、そのお米で次の商品の仕入れになったかもしれない。こういうことの実際は、どうだったのだろうか。こういうことの研究は、どれぐらいなされているのだろうかと思う。

正直に言って、番組に出てきた村落が絶滅していなかったということに、おどろいたということがある。橋ができて、国道ができて、生活は格段に便利になった。現代では、交通、通信、それから上水道などの、生活インフラの整っていない限りは、普通に人びとの生活がなりたたなくなっている。だが、一方では、これらが整備されて、維持されるということなら、なんとか人間の生活できる土地として、残っていくことになる。

さりげないことかもしれないが、渡し船の船頭さんの家の中。晩酌をしているところが映っていたが、家の中の簞笥に懐中電灯がひっかけてあった。おそらく、豪雪地帯であるこの土地では、この時代では、停電するということが日常的にあたのかと思う。電気が途絶えて照明が消えたとき、すぐに家の中で手のとどくところに懐中電灯があった。これは、昭和30年代から40年代ぐらいまで、(私の体験的な記憶になるが)ごく普通の生活の様子であった。電気が安定的に供給されるようになったのは、昭和50年代以降のことかと憶えている。

渡し船は、ワイヤーを伝わって動かす。人力であり、船に動力はついていない。川の流れがゆるやかで、距離もそう離れていないということのようだから、これが、合理的な方法だったことになる。ワイヤーは、吊り橋構造になっていた。距離があるので、直接、一本のワイヤーを張るということはできない。これも、物理的に合理的なことである。

雪下ろしをしていたおじいさん。かんじきなど自分でわらから作っていた。こういうものを作る技能というのは、今では、どれぐらい受け継がれているのだろうか。強いていえば、民芸品であるし、民俗学的な資料でもある。私は、見ながら、『北越雪譜』のことを思い出した。

川をわたった集落には、タバコ屋と酒屋があるだけだという。逆にいえば、タバコ屋と酒屋は、ビジネスになったということである。現代では、おそらくタバコ屋は無理だろう。酒屋は、豪雪の地域としては、やはりなくてはならないものかもしれないと思う。

調べてみると、飯山線は、廃線にならず今でも存続している。地元の人の生活に必要だろうし、また、観光などの需要もあるということかと思う。

2025年10月29日記

ドキュメント72時間「新橋 明日に向かってひとり焼き肉」2025-11-01

2025年11月1日 當山日出夫

ドキュメント72時間 新橋 明日に向かってひとり焼き肉

一人で黙って食事をするというのは、これはあっていいことだと思っている。

番組の趣旨とは関係ないことかと思うのだが、COVID-19パンデミックのとき、学校の給食の時間に、生徒が一人で黙って食べることになったことを、ニュースなどでは、非常に否定的なイメージで報じていたのが、私にとっては、印象に残っていることである。(私が小学生のころの給食の時間は、それぞれに個別に黙って食べるということが基本だった。)

日本の昔からの食事の習慣として、大勢で話しながら一緒に食事をする、飲食をともにする、というのは、一つの儀礼としてはあったことだとは思うが、日常的にはどうだったのだろうか。特に、寺院などの修行の場では、食事のときは、黙って食べるのが普通である。いや、絶対に物音を立ててはいけないのが、ルールである。こういうのは、特殊なことだともいえるかとも思うが、一般の人びとの生活として、一人で食事をするということ、黙って食べるということ、こういうことを総合的に考えるといろいろと思うところはある。

一人で食べるということは、民俗的には、別火、ということでもある。一方で、祭礼のときなどは、みんなで一緒に飲食をともにすることに意味があった、ということもある。

ところで、この番組についていえば、都市において、このような一人焼き肉の店というのは、それなりに需要があることだとは思う。そして、一人で食事をすることが、必ずしもネガティブなイメージで考えるべきではないともいえるだろう。

一緒に食事をする相手がいない孤独な生活、ということもあるだろうけれど。

銀座で働く接客業の女性……たぶんホステスで夜はどうだったのだろうかと思うことになるが……など、銀座から少し離れて新橋で、一人で焼き肉を食べるというのは、今の東京の街ならではのことだろう。

トラック運転手の男性が、ドライバーの働き方改革で、かえって仕事が増えたことになった、と言っていたが、こういうことは、事前に予見できたことなのだろうか。過労を防ぐ意味では効果があったことだが、その結果として、走った分だけかせげるという状況ではなくなったことになる。

弁理士になるのは、かなり難しいとは思うが、損な時代に巡り合わせたということである。いわゆる就職氷河期世代のこれからの人生をどうすればいいのか、社会的には大きな課題である。これは、指摘されていることではあるが、具体的には動き始めてはいないかと思っている。

他にも、登場していた人たちの生活は、まさに今の時代の東京だなあ、と感じるところが多くあった。いろいろな人がいて、いろいろな生活があるものである。

2025年10月25日記