100分de名著「アトウッド“侍女の物語”“誓願” (4)闘う女たち」 ― 2025-07-04
2025年7月4日 當山日出夫
100分de名著 アトウッド“侍女の物語”“誓願” (4)闘う女たち
世の中を二分して考える考え方はいろいろとある。資本家と労働者に分けることもあるし、賢者とそうでないものと分けることもある。自民族と他民族、自分たちとそうではない外部の人と分けることもある。支配者層と被支配者層もあるだろう。多数派と少数派に分けることもある。人間を男性と女性に分けて考えるのも、その一つということになる。
このような作品を理解するうえで重要なのは、二分して考えることで、どういうことが見えてくるのか、そして、同時にどういうことが見えないのか、ということについての俯瞰的な視点を持つことだろうと思っている。
こんなふうに思うことの理由としては、人間を資本家と労働者に分ける考え方が、かつては「科学」であった時代のことを、覚えているからである。今の若い人には、とても信じられないことかもしれないが。そして、さらにたちの悪いことには、その考え方が教条化してしまったことがある。
そういう意味において、人間を男性と女性に分けて考えることで、何が言えるのかということについて、そのことによって見えることと、見えないこと、これに自覚的であるかどうか。また、別の視点から見ればどうなるのか……ということがあるのか、こういうことが重要であると、思うのである。人間を、男性と女性に分けて、支配者と被支配者に分ける、これは一つの考え方であるが、だからといって、それがすぐに真理である、とは限らないだろう。しかし、間違っているというのでは、もちろんない。
それから、アメリカにおける図書館の禁書の問題は、もうちょっと丁寧に論じた方がいいと思う。禁書をふくめて、情報や出版の制限や検閲がある国は、世界中にたくさんある。
2025年7月1日記
100分de名著 アトウッド“侍女の物語”“誓願” (4)闘う女たち
世の中を二分して考える考え方はいろいろとある。資本家と労働者に分けることもあるし、賢者とそうでないものと分けることもある。自民族と他民族、自分たちとそうではない外部の人と分けることもある。支配者層と被支配者層もあるだろう。多数派と少数派に分けることもある。人間を男性と女性に分けて考えるのも、その一つということになる。
このような作品を理解するうえで重要なのは、二分して考えることで、どういうことが見えてくるのか、そして、同時にどういうことが見えないのか、ということについての俯瞰的な視点を持つことだろうと思っている。
こんなふうに思うことの理由としては、人間を資本家と労働者に分ける考え方が、かつては「科学」であった時代のことを、覚えているからである。今の若い人には、とても信じられないことかもしれないが。そして、さらにたちの悪いことには、その考え方が教条化してしまったことがある。
そういう意味において、人間を男性と女性に分けて考えることで、何が言えるのかということについて、そのことによって見えることと、見えないこと、これに自覚的であるかどうか。また、別の視点から見ればどうなるのか……ということがあるのか、こういうことが重要であると、思うのである。人間を、男性と女性に分けて、支配者と被支配者に分ける、これは一つの考え方であるが、だからといって、それがすぐに真理である、とは限らないだろう。しかし、間違っているというのでは、もちろんない。
それから、アメリカにおける図書館の禁書の問題は、もうちょっと丁寧に論じた方がいいと思う。禁書をふくめて、情報や出版の制限や検閲がある国は、世界中にたくさんある。
2025年7月1日記
映像の世紀バタフライエフェクト「激動 アジアの隣人たち 台湾 130年の傷痕」 ― 2025-07-04
2025年7月4日 當山日出夫
映像の世紀バタフライエフェクト 激動 アジアの隣人たち 台湾 130年の傷痕
台湾については、個人的には、まったくの感傷なしに思うことができない。大学生のころ、キャンパスには台湾からの留学生が幾人かいた。その人たちのことを、どうしても思ってしまう。
NHKで台湾の歴史のことを、このような形で大きくとりあつかうということは、珍しいことかと思う。今の台湾の政治や経済のことは大きくニュースになる。あるいは、昔の日本の統治時代のことが、否定的なニュアンスで語られることがある。
国共内戦で敗れた蒋介石がやってきて(外省人)、台湾にもとからいた人びと(本省人)を、暴力的に支配した……ということが、はっきりと語られたということは、希なことかと思う。また、近年になって、その蒋介石の銅像が撤去されているということは、これは、日本では大きく報道されることはなかったかと思っている。
台湾のことは、総統選挙のたびには大きく報道されるのだが、普段は、あまりニュースになることがない。まあ、これは、中国に遠慮してということもあるのかもしれないとは思うが。
国連の代表が、台湾に代わって中国になったときのことは覚えている。国連の議場を去る台湾の代表の姿を見て、かつて、国際連盟を脱退したときの松岡洋右の姿を思った人は、かなりいたのではなかったろうか。
もし、中国が台湾を自国領として、この地域には高度な自治を約束する、一国二制度をおこなう……などということは、とても信じられないことなので(香港やチベットのことなどを思ってみれば)、台湾としては、今のままの現状維持路線で、経済的な存在感を強めていく方向しかないのかと思う。
ハイブリッド戦争、認知戦、情報戦、という視点から見れば、常に、中国と台湾は戦争状態にある。無論、日本もそのなかにふくまれる。ただ、実際に、ミサイルが飛び交うような状態にならないように、なんとかこらえているだけのことだと、私は思っている。
ところで、TSMCの半導体は、中国のEVにどれぐらい使われているのだろうか。別に、秘密にするようなことではないと思うのだが。(危惧としては、中国のEV産業がこけると、台湾の半導体産業にも影響があるだろう、ということである。)
2025年7月3日記
映像の世紀バタフライエフェクト 激動 アジアの隣人たち 台湾 130年の傷痕
台湾については、個人的には、まったくの感傷なしに思うことができない。大学生のころ、キャンパスには台湾からの留学生が幾人かいた。その人たちのことを、どうしても思ってしまう。
NHKで台湾の歴史のことを、このような形で大きくとりあつかうということは、珍しいことかと思う。今の台湾の政治や経済のことは大きくニュースになる。あるいは、昔の日本の統治時代のことが、否定的なニュアンスで語られることがある。
国共内戦で敗れた蒋介石がやってきて(外省人)、台湾にもとからいた人びと(本省人)を、暴力的に支配した……ということが、はっきりと語られたということは、希なことかと思う。また、近年になって、その蒋介石の銅像が撤去されているということは、これは、日本では大きく報道されることはなかったかと思っている。
台湾のことは、総統選挙のたびには大きく報道されるのだが、普段は、あまりニュースになることがない。まあ、これは、中国に遠慮してということもあるのかもしれないとは思うが。
国連の代表が、台湾に代わって中国になったときのことは覚えている。国連の議場を去る台湾の代表の姿を見て、かつて、国際連盟を脱退したときの松岡洋右の姿を思った人は、かなりいたのではなかったろうか。
もし、中国が台湾を自国領として、この地域には高度な自治を約束する、一国二制度をおこなう……などということは、とても信じられないことなので(香港やチベットのことなどを思ってみれば)、台湾としては、今のままの現状維持路線で、経済的な存在感を強めていく方向しかないのかと思う。
ハイブリッド戦争、認知戦、情報戦、という視点から見れば、常に、中国と台湾は戦争状態にある。無論、日本もそのなかにふくまれる。ただ、実際に、ミサイルが飛び交うような状態にならないように、なんとかこらえているだけのことだと、私は思っている。
ところで、TSMCの半導体は、中国のEVにどれぐらい使われているのだろうか。別に、秘密にするようなことではないと思うのだが。(危惧としては、中国のEV産業がこけると、台湾の半導体産業にも影響があるだろう、ということである。)
2025年7月3日記
NHKスペシャル「“モノ言う株主”と日本企業 攻防の舞台裏」 ― 2025-07-04
2025年7月4日 當山日出夫
NHKスペシャル “モノ言う株主”と日本企業 攻防の舞台裏
会社は誰のもので、何のためにあるのか、いろいろと見方はある。その一つが、株主の利益となるため、ということもある。株の配当であったり、株価が上昇した時点での売却であったり、ということが具体的なことになるだろうが。
ただ、フジテレビの問題については、これはあまり報道などで触れられることはないが重要なこととして、報道機関としてどういう報道をするか、そこに株主が影響力を行使することの是非、ということは絶対に必要だろう。あるいは、当たり前すぎることで、誰も言わないことなのかもしれないが。
フジテレビは、傾向としては、いわゆる保守的な立場の報道機関ということになる。そのせいか、フジテレビでおこった不祥事については、いわゆるリベラルの側から非常に強く攻撃することになる。それはそれでいいとしても、最終的に報道機関としてどうあるべきなのか、という視点は持っておくべきだと、私は思っている。(自分たちとは異なる立場の報道をするようなテレビ局は、つぶれてもかまわない、いや、つぶすべきだ、と考えるようなら、これこそ、非常に危険というべきだろう。ネット上にはこのような意見があふれているが。)
医薬品事業などは儲からないかもしれないが、それだけの理由で、その事業を止めてしまうという判断はどうなのかなと思う。そこに必要なのは、そこで生み出される製品を、どのような人たちが必要としているのか、ということである。もし、社会的に必要なものであるなら、その事業を継続するために、会社全体としてどうあるべきか、儲かる部門でさらに利益を出すようにすべきか、という方向で、議論されるべきかと、私は思う。
利益といって、10年先のことは考えることはなくて、短期的に、四半期ごとの利益を見ていく……だが、私は、10年でも短いと思う。医薬品に限らず新しい製品の研究開発に10年で結果が出ることは、期待しない方がいい。もっと長く、具体的には子どもの世代、孫の世代に、どうなるだろうか、というぐらいの時間軸で考えることも、必要かと思う。
会社は誰のために存在しているのか、という考え方のなかに、人間の未来への責任という視点があってもいいと、私は思うのである。
2025年7月1日記
NHKスペシャル “モノ言う株主”と日本企業 攻防の舞台裏
会社は誰のもので、何のためにあるのか、いろいろと見方はある。その一つが、株主の利益となるため、ということもある。株の配当であったり、株価が上昇した時点での売却であったり、ということが具体的なことになるだろうが。
ただ、フジテレビの問題については、これはあまり報道などで触れられることはないが重要なこととして、報道機関としてどういう報道をするか、そこに株主が影響力を行使することの是非、ということは絶対に必要だろう。あるいは、当たり前すぎることで、誰も言わないことなのかもしれないが。
フジテレビは、傾向としては、いわゆる保守的な立場の報道機関ということになる。そのせいか、フジテレビでおこった不祥事については、いわゆるリベラルの側から非常に強く攻撃することになる。それはそれでいいとしても、最終的に報道機関としてどうあるべきなのか、という視点は持っておくべきだと、私は思っている。(自分たちとは異なる立場の報道をするようなテレビ局は、つぶれてもかまわない、いや、つぶすべきだ、と考えるようなら、これこそ、非常に危険というべきだろう。ネット上にはこのような意見があふれているが。)
医薬品事業などは儲からないかもしれないが、それだけの理由で、その事業を止めてしまうという判断はどうなのかなと思う。そこに必要なのは、そこで生み出される製品を、どのような人たちが必要としているのか、ということである。もし、社会的に必要なものであるなら、その事業を継続するために、会社全体としてどうあるべきか、儲かる部門でさらに利益を出すようにすべきか、という方向で、議論されるべきかと、私は思う。
利益といって、10年先のことは考えることはなくて、短期的に、四半期ごとの利益を見ていく……だが、私は、10年でも短いと思う。医薬品に限らず新しい製品の研究開発に10年で結果が出ることは、期待しない方がいい。もっと長く、具体的には子どもの世代、孫の世代に、どうなるだろうか、というぐらいの時間軸で考えることも、必要かと思う。
会社は誰のために存在しているのか、という考え方のなかに、人間の未来への責任という視点があってもいいと、私は思うのである。
2025年7月1日記
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