「明恵上人の“夢” 「あるべきようは」を生きる」 ― 2024-06-04
2024年6月4日 當山日出夫
こころの時代 明恵上人の“夢” 「あるべきようは」を生きる
国語学、そのなかでも訓点語にかかわる勉強をしてきたので、高山寺のことは、知らなければならない存在ということになる。だが、そのことはわきにおいておいて、明恵上人という僧のひととなりについて、考えるところのある番組になっていたと思う。
明恵上人の「夢記」は有名である。もっとも手軽には、岩波文庫の『明恵上人集』であろうか。
「100分de名著」でフロイトをあつかっていたときにも思ったことなのだが、どうして夢を憶えているのだろうか。これが、私には不思議でならない。私の場合、夢を憶えているということが、ほとんどない。夢を見ているときにははっきりとしたイメージであるのだが、起きると忘れてしまっている。夢を見たという記憶はあるのだが、内容については憶えていない。これは、何故なのだろう。夢についての記憶は、いち早く忘却するようなシステムが、こころのうちのどこかにあるのかもしれない。
明恵上人の残した資料は、私の勉強してきた領域からいえば、漢字カタカナ交じり文の成立、というあたりの資料として見ることになる。
番組の作り方なのだが、鎌倉時代にあっての他の仏教の動きということを、語ってはいなかった。これは、ある意味でいたしかたないことかとも思う。いわゆる鎌倉新仏教というものに対して、きわめて批判的であったのが明恵であるということは、一般的な知識だろう。それを否定するということは語っていなかった。だが、他の仏教(ここでは宗派ということばはあまりふさわしくないかと思うが)の動向のなかで、明恵が自分の宗教観をどう育てていったのか、ということは、やはり気になるところではある。
時代、歴史ということを抜きにして、この時代の仏教思想を語ることは難しいと思う。
明恵の信仰を、華厳と真言が融合したものとしていたが、これは、汎神論的仏性論とでも言いかえることができるだろうか(やや安易な解釈かもしれないが。)私には、このような感覚が一番なじむ。
登場していた人たちが、「明恵」「明恵さん」「明惠上人」とそれぞれに違う言い方をしていたのが、印象的でもあった。
映っていた人たちの何人かは、知り合いというか、まあ、学会の後の懇親会で一緒に酒を飲んだりしたことのあるようなメンバーであった。このところ、学会も出ていないので、会う機会はなくなってしまったが。
「あるべきやうは」というのは、現実を肯定すると同時に、非常に厳しく自己を律することばである。このような仏教のあり方というのは、今日においてかえりみられるべきことの一つであることは確かである。
それから、番組では触れていなかったことだが、高山寺の継続的な維持管理は大変なのである。
2024年5月30日記
こころの時代 明恵上人の“夢” 「あるべきようは」を生きる
国語学、そのなかでも訓点語にかかわる勉強をしてきたので、高山寺のことは、知らなければならない存在ということになる。だが、そのことはわきにおいておいて、明恵上人という僧のひととなりについて、考えるところのある番組になっていたと思う。
明恵上人の「夢記」は有名である。もっとも手軽には、岩波文庫の『明恵上人集』であろうか。
「100分de名著」でフロイトをあつかっていたときにも思ったことなのだが、どうして夢を憶えているのだろうか。これが、私には不思議でならない。私の場合、夢を憶えているということが、ほとんどない。夢を見ているときにははっきりとしたイメージであるのだが、起きると忘れてしまっている。夢を見たという記憶はあるのだが、内容については憶えていない。これは、何故なのだろう。夢についての記憶は、いち早く忘却するようなシステムが、こころのうちのどこかにあるのかもしれない。
明恵上人の残した資料は、私の勉強してきた領域からいえば、漢字カタカナ交じり文の成立、というあたりの資料として見ることになる。
番組の作り方なのだが、鎌倉時代にあっての他の仏教の動きということを、語ってはいなかった。これは、ある意味でいたしかたないことかとも思う。いわゆる鎌倉新仏教というものに対して、きわめて批判的であったのが明恵であるということは、一般的な知識だろう。それを否定するということは語っていなかった。だが、他の仏教(ここでは宗派ということばはあまりふさわしくないかと思うが)の動向のなかで、明恵が自分の宗教観をどう育てていったのか、ということは、やはり気になるところではある。
時代、歴史ということを抜きにして、この時代の仏教思想を語ることは難しいと思う。
明恵の信仰を、華厳と真言が融合したものとしていたが、これは、汎神論的仏性論とでも言いかえることができるだろうか(やや安易な解釈かもしれないが。)私には、このような感覚が一番なじむ。
登場していた人たちが、「明恵」「明恵さん」「明惠上人」とそれぞれに違う言い方をしていたのが、印象的でもあった。
映っていた人たちの何人かは、知り合いというか、まあ、学会の後の懇親会で一緒に酒を飲んだりしたことのあるようなメンバーであった。このところ、学会も出ていないので、会う機会はなくなってしまったが。
「あるべきやうは」というのは、現実を肯定すると同時に、非常に厳しく自己を律することばである。このような仏教のあり方というのは、今日においてかえりみられるべきことの一つであることは確かである。
それから、番組では触れていなかったことだが、高山寺の継続的な維持管理は大変なのである。
2024年5月30日記
コメント
_ コンコン物語(大和民族) ― 2024-11-17 21時13分33秒
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≪…日本文化の面影を見つける…≫で、数学の基となる自然数(数の言葉ヒフミヨ(1234))を大和言葉の【ひ・ふ・み・よ・い・む・な・や・こ・と】に託す。
「初めて語られた科学と生命と言語の秘密」に出てくる用語【ヴィークル】に[絵本]と[歌謡の本歌取り]を捧げる。
もろはのつるぎ (有田川町ウエブライブラリー)
「愛のさざなみ」の本歌取りで
[ i のさざなみ ]
この世にヒフミヨが本当にいるなら
〇に抱かれて△は点になる
ああ〇に△がただ一つ
ひとしくひとしくくちずけしてね
くり返すくり返すさざ波のように
〇が△をきらいになったら
静かに静かに点になってほしい
ああ〇に△がただ一つ
別れを思うと曲線ができる
くり返すくり返すさざ波のように
どのように点が離れていても
点のふるさとは〇 一つなの
ああ〇に△がただ一つ
いつでもいつでもヒフミヨしてね
くり返すくり返すさざ波のように
さざ波のように
[ヒフミヨ体上の離散関数の束は、[1](連接)である。]
(複素多様体上の正則函数の層は、連接である。)
数学の基となる自然数(数の言葉ヒフミヨ(1234))を大和言葉の【ひ・ふ・み・よ・い・む・な・や・こ・と】の平面・2次元からの送りモノとして眺めると、[岡潔の連接定理]の風景が、多くの歌手がカバーしている「愛のさざなみ」に隠されていてそっと岡潔数学体験館で、謳いタイ・・・
「八木節」(江利チエミ)の本歌取りで
[ ヒフミヨは△廻し□なる ]
アー
ちょうと出ました 三角野郎が
四角四面の櫓の上で
音頭取るとは 恐れながら
しばし御免を こうむりまして
何か一言 読みあげまする
稽古不足で覚束ないが
平にその儀は お許しなされ
許しなされば ヒフミヨかかるで
オーイサネ
大和言葉のヒフミヨは
度胸すぐれた△野郎
〇泣かせの回転体で
取っておさえて三点ふかせ
今宵かぎりと〇から消える
ここにあわれはπと一よ
〇の形見のnを背負い
ひふみよいむなやこと
オーイサネ
聞いておくれよのろけじゃないが
逢うた初めはひと目で惚れて
思い込んでる〇の一
昼はまぼろし夜は夜で夢に
見ると云うても覚めればπ
一生他人にならないように
早いところで都合をつけて
そわせたまえや 〇と△
オーイサネ
「北空港」の本歌取りで
[ 円周率 ]
〇の一 □に逢えて
カオスな一に 灯りがともる
〇と▢は一緒だよ もう引っ付いている
なぞり逢おうよ
カオスを捨てて 時間さえ捨てて
i(アイ)が飛び立つ 一のi(アイ)
〇の一 □に惚れて
ヒフミヨ渦に πが見える
信じてもいいですね ヒフミヨ放射だけ
数え尽くすわ
カオスを捨てて 時間さえ捨てて
i(アイ)が飛び立つ 一のi(アイ)
〇の一 舞い散る数も
ヒ(〇・π)とヨ(□・i⁴)で 咲く花になる
どこまでも一緒だよ もう離れずに
夢(√・平面)を探そう
カオスを捨てて 時間さえ捨てて
i(アイ)が飛び立つ 一のi(アイ)
大和言葉の【ひ・ふ・み・よ・い・む・な・や・こ・と】へのエールとしタイ・・・
自然数(数の言葉ヒフミヨ(1234))のキュレーション的な催しがあるときの[応援歌]になるといいなぁ~
Posted by 「比叡おろし」(汚れちっまた悲しみに…)