100年後も、旅に出る。「大阪編2」2025-09-11

2025年9月11日 當山日出夫

100年後も、旅に出る。「大阪編2」

二回目も録画しておいて、後で見た。

こういう話題だと、NHKなら「美の壺」あたりであつかってもいいようなことかとも思うが、全体としてわりと面白かった。

一番興味深かったのは、堺のお茶屋さん。戦争中に空襲で焼けてしまい、隣の町で店をだした。すると、ものすごくもうかった。お茶というのは、日常生活の必需品ではあるが、しかし、一種の嗜好品である。無いなら無い、ということで、別に困ることはない。水が飲めれば、人間は死にはしない。だが、戦後の窮乏生活のなかにあっても、人間がもとめるものとして、お茶というようなものが大事にされた、ということは、非常に興味深い。まさに、日常生活の嗜好品というのは、こういうものである。

私が育ったのは京都の宇治である。家のすぐ近くに茶畑があった。京阪の宇治線の沿線も茶畑があった。今では、もう住宅地に変わってしまっている。(強いていえば、宇治茶は、宇治で栽培するものではなくなってしまっている。)

お茶をブレンドする、ということは、初めて見たような気がする。コーヒーでもブレンドするし、お酒でも、日本酒やウイスキーなどは、ブレンドすることが多い。だから、お茶のブレンドということもあることは納得できる。

かき氷は、もうこの年齢になると、食べてみたいと思わなくなった。

和菓子店の主人のことばが印象に残る。この商売は、もうけようと思ってはいけない、お客さんが美味しいと言ってくれればよいのである……もう今では、このような価値観、職業倫理など、消えてなくなってしまっているごとくである。

丹波大納言の小豆を使うので、一度に一升しか作らない。こういうところをきちんと守るのも、今となっては価値がある。工場で大量生産してコスト削減ということが至上命題のような時代に、こういう店が街の中に残っているというのは、安心できることである。

大阪ガスのガスビルの食堂。以前、何かで見たような気はする。しかし、入ったことはない。今の時代だから、メニューも検索すると分かる。カレーの値段は、そう高いものではない。昔ながらの街の洋食屋さんというのも、今では貴重なところになってしまっている。

堺の鋏屋さんも、いい仕事をする。たぶん、値段は高いのだろうが、プロが使うものとしては、いいものを使いたいと思うにちがいない。こういう職人の仕事が残っていくといいと思う。

2025年9月5日記

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