3か月でマスターするアインシュタイン「第4回 月もりんごも落ちている?」 ― 2025-07-30
2025年7月30日 當山日出夫
3か月でマスターするアインシュタイン 第4回 月もりんごも落ちている?
面白かったのは、月で、鳥の羽とハンマーを落とす実験の映像。たぶん、これは、初めて見たかと思う。空気抵抗さえなければ、軽くても重くても(質量が違っていてもというべきだろうが)、同じ速さで落ちる。
だが、これが経験的な感覚で受け入れられないというのは、軽いものとして思い浮かべるのが、鳥の羽のように、風船のように、空気抵抗を非常に大きく受けるものが多い、ということによるのだろう。
ガリレオ、ブラーエ、ケプラーと続く天文学の発展は、なるほどそういうものかと思う。
だが、それよりも私に興味があるのは、地球が丸くて、三次元空間のなかで、その周りを他の天体が回っている(天動説)が、どうして生まれてきたのか、ということがある。普通に地上で生活していれば、地球が丸いということは感じることはない。水平線を見ることがあれば、違うかとも思うが。どういう過程で、人間は、地球が丸いということを、知るようになったのだろうか。そして、それが、ぽっかりと空間に浮かんでいる(それが中心であるとして)というイメージで、三次元空間の宇宙というものを考えるようになったのだろうか。ここの思考の飛躍に比べると、天動説から地動説への進歩は、観測データをより整合的に説明できる、よりシンプルな理論とは何であるのか、ということであったように思える。
ケプラーの法則は、昔、学校で習ったのを覚えているが……では、なぜ、楕円軌道になっているのだろうか、真円にならなかったのはなぜか、ここのところの説明が聞きたい。データを解析した結果として、楕円であることを発見したということと、なぜ楕円であるのかということの理由が分かることとは、別のことだろう。
2025年7月29日記
3か月でマスターするアインシュタイン 第4回 月もりんごも落ちている?
面白かったのは、月で、鳥の羽とハンマーを落とす実験の映像。たぶん、これは、初めて見たかと思う。空気抵抗さえなければ、軽くても重くても(質量が違っていてもというべきだろうが)、同じ速さで落ちる。
だが、これが経験的な感覚で受け入れられないというのは、軽いものとして思い浮かべるのが、鳥の羽のように、風船のように、空気抵抗を非常に大きく受けるものが多い、ということによるのだろう。
ガリレオ、ブラーエ、ケプラーと続く天文学の発展は、なるほどそういうものかと思う。
だが、それよりも私に興味があるのは、地球が丸くて、三次元空間のなかで、その周りを他の天体が回っている(天動説)が、どうして生まれてきたのか、ということがある。普通に地上で生活していれば、地球が丸いということは感じることはない。水平線を見ることがあれば、違うかとも思うが。どういう過程で、人間は、地球が丸いということを、知るようになったのだろうか。そして、それが、ぽっかりと空間に浮かんでいる(それが中心であるとして)というイメージで、三次元空間の宇宙というものを考えるようになったのだろうか。ここの思考の飛躍に比べると、天動説から地動説への進歩は、観測データをより整合的に説明できる、よりシンプルな理論とは何であるのか、ということであったように思える。
ケプラーの法則は、昔、学校で習ったのを覚えているが……では、なぜ、楕円軌道になっているのだろうか、真円にならなかったのはなぜか、ここのところの説明が聞きたい。データを解析した結果として、楕円であることを発見したということと、なぜ楕円であるのかということの理由が分かることとは、別のことだろう。
2025年7月29日記
新日本風土記「北海道 日高」 ― 2025-07-30
2025年7月30日 當山日出夫
新日本風土記 北海道 日高
再放送である。最初は、2022年11月4日。
日高といわれて、すぐにこのあたりと分かるかとなると微妙である。襟裳岬は分かるけれど。
馬を放牧するところ(昼夜)は、珍しいという。馬でも牛でも、夜は自分の家に帰って寝る、というのが普通の動物の暮らしということであろうか。
サラブレッドを飼育する高校がある。これも日高ならではのことである。映っていたのを見ると、学食の食事がとてもいいように思えたのだが、どんなメニューだったのだろうか。馬に限らないが、生きものを産まれるところから目にして育てるというのは、教育的には意味のあることである。(生物学などの勉強のために、マウスを育てて最終的には解剖することになる、ということをふくめて。)
映画館が残っているのだが、映画を見るというのは、現代では都市部での生活において、ちょっとした贅沢という雰囲気になってしまっている。維持コストを考えれば、さっさとたたんでしまった方がいいかと思えるが、そうしたくないのも、また人情である。
林業は、もうどうしようもないかもしれない。ごく一部の超高級木材を除いては、普通に日本の山間部で、林業が人の生活としてなりたつ社会や経済ではなくなってしまっている。林業という仕事は、木を植えても、その木が商品になるのは、自分の生きているときではなく、子どもの世代になってから、という時間のサイクルが非常に長い。これからの世の中で、林業はどうなっていくだろうか。少なくとも国土の保全、あるいは、自然環境保護、というような観点から、改めて考えなおさなければならないことだろう。それに投資してすぐもうかる、というビジネスの論理だけでは、無理だと思うが、さて、これからどうなるだろうか。
日高の昆布漁のために森林の再生が必要であった、という話しは知っている。これも、地域全体の自然の生態系を考えないと、漁業などもなりたっていかないことになる。見ていて、海に出ての昆布の収穫は、もうちょっと合理的な方法がないものかと思うのだが、現在のように小型の漁船がいいということなのだろうか。これも、いろんな権利関係があって、新しい方法に切り替えるということが難しいのかもしれないと思ったりする。
夏イチゴの農家は、昔は田圃でお米を作っていたという。減反政策で、転業をせまられたが牧場にできるほどの広さがなかったのので、ビニールハウスを建てて夏イチゴの栽培を始めた。今、北海道の米農家の実情はどうなっているのだろうか。
夏イチゴだけでなく、牧場、昆布漁、林業、それぞれの風景には、歴史がある。そこに生活してきた人びとの歴史がある……こういう視点で見ることができるのが、日本の風景ということになるだろう。
アイヌについては、いろいろと思うが、少なくとも、現時点で亡んでしまった民族ということではないけれど、しかし、その存在はきわめて形骸化していることはたしかだろう。だからこそ、逆説的に、アイヌという存在が観念的に先鋭化してくる。
その言語で日常生活がおくれるか、また、宗教や生活習慣、文化的価値を共有する共同体意識があるかとなると、はたしてこれからどうなっていくだろうか。
現在、地球上でホモ・サピエンスがどのような経路で、アフリカから出て世界に住むところを広げていったか、明らかになりつつある。このなかでは、民族、という概念も、改めて考えなおす必要があるだろう。DNA解析によって遺伝的に系統が同じ、違う、ということがあったとしても、それと、民族の文化の独立性、ということがどう関係するのか、これからの人類学、歴史学の大きな課題であるにちがいない。「想像の共同体」ということを、あらためて考えるべきかと思う。
2025年7月24日記
新日本風土記 北海道 日高
再放送である。最初は、2022年11月4日。
日高といわれて、すぐにこのあたりと分かるかとなると微妙である。襟裳岬は分かるけれど。
馬を放牧するところ(昼夜)は、珍しいという。馬でも牛でも、夜は自分の家に帰って寝る、というのが普通の動物の暮らしということであろうか。
サラブレッドを飼育する高校がある。これも日高ならではのことである。映っていたのを見ると、学食の食事がとてもいいように思えたのだが、どんなメニューだったのだろうか。馬に限らないが、生きものを産まれるところから目にして育てるというのは、教育的には意味のあることである。(生物学などの勉強のために、マウスを育てて最終的には解剖することになる、ということをふくめて。)
映画館が残っているのだが、映画を見るというのは、現代では都市部での生活において、ちょっとした贅沢という雰囲気になってしまっている。維持コストを考えれば、さっさとたたんでしまった方がいいかと思えるが、そうしたくないのも、また人情である。
林業は、もうどうしようもないかもしれない。ごく一部の超高級木材を除いては、普通に日本の山間部で、林業が人の生活としてなりたつ社会や経済ではなくなってしまっている。林業という仕事は、木を植えても、その木が商品になるのは、自分の生きているときではなく、子どもの世代になってから、という時間のサイクルが非常に長い。これからの世の中で、林業はどうなっていくだろうか。少なくとも国土の保全、あるいは、自然環境保護、というような観点から、改めて考えなおさなければならないことだろう。それに投資してすぐもうかる、というビジネスの論理だけでは、無理だと思うが、さて、これからどうなるだろうか。
日高の昆布漁のために森林の再生が必要であった、という話しは知っている。これも、地域全体の自然の生態系を考えないと、漁業などもなりたっていかないことになる。見ていて、海に出ての昆布の収穫は、もうちょっと合理的な方法がないものかと思うのだが、現在のように小型の漁船がいいということなのだろうか。これも、いろんな権利関係があって、新しい方法に切り替えるということが難しいのかもしれないと思ったりする。
夏イチゴの農家は、昔は田圃でお米を作っていたという。減反政策で、転業をせまられたが牧場にできるほどの広さがなかったのので、ビニールハウスを建てて夏イチゴの栽培を始めた。今、北海道の米農家の実情はどうなっているのだろうか。
夏イチゴだけでなく、牧場、昆布漁、林業、それぞれの風景には、歴史がある。そこに生活してきた人びとの歴史がある……こういう視点で見ることができるのが、日本の風景ということになるだろう。
アイヌについては、いろいろと思うが、少なくとも、現時点で亡んでしまった民族ということではないけれど、しかし、その存在はきわめて形骸化していることはたしかだろう。だからこそ、逆説的に、アイヌという存在が観念的に先鋭化してくる。
その言語で日常生活がおくれるか、また、宗教や生活習慣、文化的価値を共有する共同体意識があるかとなると、はたしてこれからどうなっていくだろうか。
現在、地球上でホモ・サピエンスがどのような経路で、アフリカから出て世界に住むところを広げていったか、明らかになりつつある。このなかでは、民族、という概念も、改めて考えなおす必要があるだろう。DNA解析によって遺伝的に系統が同じ、違う、ということがあったとしても、それと、民族の文化の独立性、ということがどう関係するのか、これからの人類学、歴史学の大きな課題であるにちがいない。「想像の共同体」ということを、あらためて考えるべきかと思う。
2025年7月24日記
ドキュメント72時間「名古屋 新幹線ホームのきしめん店」 ― 2025-07-30
2025年7月30日 當山日出夫
ドキュメント72時間 名古屋 新幹線ホームのきしめん店
きしめんというと、今から半世紀ほど前、大学生になって東京でくらしはじめたとき、目黒に下宿したのだが、山手線の目黒駅のビルのなかに、きしめんの専門店があって、ときどき食べたことを思い出す。東京で、きしめんの専門のお店というのは、この時代としては珍しい。
新幹線の名護や駅は、たいていは通過するばかりで、降りたことは数えるほどである。
そこに行くと、それが食べたくなる……こういう気持ちは、そういうものなのだろうと思う。特に贅沢とか名産品とかではなく、普通のお店なのだが、その場所とふかく結びついた味の記憶というものがある。
新幹線のホームのお店だから、早く安く、ということになるが、味はたしかなものらしい。毎週、三重から、わざわざやってきて、新幹線ホームに入場券で入って、この店のきしめんをたべるという男性……こういう人がいても別におかしくはないが、三日間で、よく見つけたものだと思う。(あるいは、事前にリサーチして、この男性の来る日を待っていたのだろうか。)
それにしても、いろんな人が新幹線に乗っている。そのなかで、たまたま、ホームのきしめん屋さんで食べている人を取材しただけのことである。新幹線は、いや、新幹線にかぎらず、いろんな鉄道で、いろんな人の思いをのせて、列車は走っているのだろうと思うことになる。
2025年7月27日記
ドキュメント72時間 名古屋 新幹線ホームのきしめん店
きしめんというと、今から半世紀ほど前、大学生になって東京でくらしはじめたとき、目黒に下宿したのだが、山手線の目黒駅のビルのなかに、きしめんの専門店があって、ときどき食べたことを思い出す。東京で、きしめんの専門のお店というのは、この時代としては珍しい。
新幹線の名護や駅は、たいていは通過するばかりで、降りたことは数えるほどである。
そこに行くと、それが食べたくなる……こういう気持ちは、そういうものなのだろうと思う。特に贅沢とか名産品とかではなく、普通のお店なのだが、その場所とふかく結びついた味の記憶というものがある。
新幹線のホームのお店だから、早く安く、ということになるが、味はたしかなものらしい。毎週、三重から、わざわざやってきて、新幹線ホームに入場券で入って、この店のきしめんをたべるという男性……こういう人がいても別におかしくはないが、三日間で、よく見つけたものだと思う。(あるいは、事前にリサーチして、この男性の来る日を待っていたのだろうか。)
それにしても、いろんな人が新幹線に乗っている。そのなかで、たまたま、ホームのきしめん屋さんで食べている人を取材しただけのことである。新幹線は、いや、新幹線にかぎらず、いろんな鉄道で、いろんな人の思いをのせて、列車は走っているのだろうと思うことになる。
2025年7月27日記
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