100分de名著「サン=テグジュペリ“人間の大地” (2)惑星視点で見る」 ― 2025-08-15
2025年8月15日 當山日出夫
100分de名著 サン=テグジュペリ“人間の大地” (2)惑星視点で見る
前回も書いたことだが、「宇宙からの帰還」をどうしても思うことになる。(そういえば、この「100分de名著」シリーズでは、立花隆の著作はまだとりあげていないと思うが、もう故人でもあるし、あつかってもいいかもしれない。だが、今でも政治的な議論になるテーマも多いかと思うが。)
初期の飛行機で、北アフリカや南アメリカの空……その下には、「未開」の大地がひろがっている……からこそ、感じるところがあったにちがいない。これが、ヨーロッパの都会の空を飛んでいるのだったら、また違ったことを思うことになっただろう。番組の中でも指摘があったように、帝国主義、植民地主義の時代であったことは確かであるが、必ずしも、西欧文明の優位性ということに凝り固まっていたということではないようだ。
初期の飛行機であるから、ダイレクトに外気を感じ、また、エンジンの動き、翼にあたる風……それは、揚力になる……を感じることが出来ただろう。強いて思い浮かべるとすると、「紅の豚」のイメージに近いだろうか。(こう書いて思うことだが、宮崎駿が空を飛ぶ物語を多く作っているののだが、サン=テグジュペリについては、どう思っていたのだろうか。調べれば、分かることかとも思うが。)
飛行機に乗って宇宙を感じるというのは、今の時代のジェット機ではどうなのだろうか。密閉されたコックピットのなかで、宇宙を肌で感じるというようなことがあるだろうか。
2025年8月14日記
100分de名著 サン=テグジュペリ“人間の大地” (2)惑星視点で見る
前回も書いたことだが、「宇宙からの帰還」をどうしても思うことになる。(そういえば、この「100分de名著」シリーズでは、立花隆の著作はまだとりあげていないと思うが、もう故人でもあるし、あつかってもいいかもしれない。だが、今でも政治的な議論になるテーマも多いかと思うが。)
初期の飛行機で、北アフリカや南アメリカの空……その下には、「未開」の大地がひろがっている……からこそ、感じるところがあったにちがいない。これが、ヨーロッパの都会の空を飛んでいるのだったら、また違ったことを思うことになっただろう。番組の中でも指摘があったように、帝国主義、植民地主義の時代であったことは確かであるが、必ずしも、西欧文明の優位性ということに凝り固まっていたということではないようだ。
初期の飛行機であるから、ダイレクトに外気を感じ、また、エンジンの動き、翼にあたる風……それは、揚力になる……を感じることが出来ただろう。強いて思い浮かべるとすると、「紅の豚」のイメージに近いだろうか。(こう書いて思うことだが、宮崎駿が空を飛ぶ物語を多く作っているののだが、サン=テグジュペリについては、どう思っていたのだろうか。調べれば、分かることかとも思うが。)
飛行機に乗って宇宙を感じるというのは、今の時代のジェット機ではどうなのだろうか。密閉されたコックピットのなかで、宇宙を肌で感じるというようなことがあるだろうか。
2025年8月14日記
昭和の選択 原爆と平和のはざまで 〜長崎の鐘 80年目の真実〜 ― 2025-08-15
2025年8月15日 當山日出夫
昭和の選択 原爆と平和のはざまで 〜長崎の鐘 80年目の真実〜
『この子を残して』は持っている。(この作品のことは、番組の中では出てこなかったが。)学生のころ、神保町を歩いていて、ある古書店で見つけた買った。200~300円ぐらいだっただろうか。無造作に積み重ねられている本のなかにあった。
永井隆の名前を知ったのは、高校生のときだっただろうか。修学旅行が九州だった。そのときに、憶えたかと思う。
核兵器反対の平和主義は、欺瞞に満ちたものではある。だが、そうであっても、それを言い続けることの価値はある。これを、欺瞞として退けるか(絶対平和主義の立場にたつか)、あるいは、少しでも現実的な方向へと向かうべきと考えるか、これは、語る人によって別れるところかと思う。
『長崎の鐘』という書物の成り立ちのことについて、興味深いのは、これの出版について、GHQが2年かけて検閲していたということ。いったい何があったのか、ここのところが知りたいところである。当時、GHQは、原爆のことについては、かなり注視していたことなのだが、かといって、全面的に禁じられていたわけではない。では、なぜ、『長崎の鐘』の検閲に時間がかかったのか。その間、いったい何を問題視していたのだろうか。
GHQの統治下にあった日本がどんなであったか、研究は進んでいる分野だと思っているが、実感としてはよく分からないところがある。この時代、普通の一般人の書簡でも開封されて検閲されていたのだが、こういうことは、もう忘れられてことになっている。川端康成の『山の音』のなかには、はっきりと書いてある。(GHQ統治下で、いつまでも続くわけではなくいずれいなくなるだろうと思っていた人びとがいたことは確かなことだろう。が、その結果、歴史の表舞台に再登場したのが岸信介であったのは、なんとも皮肉な感じがすることになる。)
永井隆は、原爆について、燔祭、であると言った。これは、絶対平和主義的な核兵器反対論からは、異論があることになる。ここで思い出すのは、近年の、東日本大震災において、これを、天災・天罰、と言った発言があって、それが、非常に批判されたことである。
巨大な災害や戦争の犠牲者について、その死に、何か意味を見出そうとする……ということは、人間とはそういうものであると思うことがあっていいと思っている。だれから悪いやつがいて、そいつのせいで死んだのだ、ということにはしたくない気持ちがある。その一方で、ただ理不尽な死をそのまま受け入れることも難しい。(これと、責任を負うべき人間や組織のことをきちんと考えて検証することは、また別であるが。)
『長崎の鐘』の受容史という視点で見ると、昭和の戦後から現代にいたるまでの、いろんな問題がうかびあがってくるかと思う。反戦平和核兵器反対が正義であるとしても、その正義には、また歴史がある。
高橋源一郎が言っていたように、戦後になって『長崎の鐘』を受け入れたのは民衆であるが、その民衆が、その前の時代には、戦争を賛美していた。この意味では、世論(せろん、佐藤卓己のいう意味で)ではなく、輿論(よろん、佐藤卓己のいう意味で)の形成にかかわるべきなのが、歴史家(磯田道史の言い方)であることになるが、これは、ひろく人文学一般に広げてもいいことだろう。
ただ、最後に磯田道史が言っていたこととして、人間の一人としてどう判断するかが重要であるかは、そのとおりなのだが、しかし、実際には、国民国家の意思決定がどうであるかということにならざるをえない。それが、民主的な国家であるか、独裁的な国家であるか、ということも問題であるが、国民の一人一人が思っていることの総和が、国家の意思決定に結びつくわけではないことも、また、たしかなことである。せっかく山本昭宏をゲストに呼んでいる回なのだから、もう少し語るべきことがあってもいいかと思うのだが、それを非常に一般的な言い方でしめくくらざるをえないことが、戦争について語ることの難しさである。
どうせ欺瞞であるならば……日本は、核兵器禁止条約に加わってもいい。国際政治のなかで、これぐらいのしたたかさはあってもしかるべきであると、私は思っている。
2025年8月14日記
昭和の選択 原爆と平和のはざまで 〜長崎の鐘 80年目の真実〜
『この子を残して』は持っている。(この作品のことは、番組の中では出てこなかったが。)学生のころ、神保町を歩いていて、ある古書店で見つけた買った。200~300円ぐらいだっただろうか。無造作に積み重ねられている本のなかにあった。
永井隆の名前を知ったのは、高校生のときだっただろうか。修学旅行が九州だった。そのときに、憶えたかと思う。
核兵器反対の平和主義は、欺瞞に満ちたものではある。だが、そうであっても、それを言い続けることの価値はある。これを、欺瞞として退けるか(絶対平和主義の立場にたつか)、あるいは、少しでも現実的な方向へと向かうべきと考えるか、これは、語る人によって別れるところかと思う。
『長崎の鐘』という書物の成り立ちのことについて、興味深いのは、これの出版について、GHQが2年かけて検閲していたということ。いったい何があったのか、ここのところが知りたいところである。当時、GHQは、原爆のことについては、かなり注視していたことなのだが、かといって、全面的に禁じられていたわけではない。では、なぜ、『長崎の鐘』の検閲に時間がかかったのか。その間、いったい何を問題視していたのだろうか。
GHQの統治下にあった日本がどんなであったか、研究は進んでいる分野だと思っているが、実感としてはよく分からないところがある。この時代、普通の一般人の書簡でも開封されて検閲されていたのだが、こういうことは、もう忘れられてことになっている。川端康成の『山の音』のなかには、はっきりと書いてある。(GHQ統治下で、いつまでも続くわけではなくいずれいなくなるだろうと思っていた人びとがいたことは確かなことだろう。が、その結果、歴史の表舞台に再登場したのが岸信介であったのは、なんとも皮肉な感じがすることになる。)
永井隆は、原爆について、燔祭、であると言った。これは、絶対平和主義的な核兵器反対論からは、異論があることになる。ここで思い出すのは、近年の、東日本大震災において、これを、天災・天罰、と言った発言があって、それが、非常に批判されたことである。
巨大な災害や戦争の犠牲者について、その死に、何か意味を見出そうとする……ということは、人間とはそういうものであると思うことがあっていいと思っている。だれから悪いやつがいて、そいつのせいで死んだのだ、ということにはしたくない気持ちがある。その一方で、ただ理不尽な死をそのまま受け入れることも難しい。(これと、責任を負うべき人間や組織のことをきちんと考えて検証することは、また別であるが。)
『長崎の鐘』の受容史という視点で見ると、昭和の戦後から現代にいたるまでの、いろんな問題がうかびあがってくるかと思う。反戦平和核兵器反対が正義であるとしても、その正義には、また歴史がある。
高橋源一郎が言っていたように、戦後になって『長崎の鐘』を受け入れたのは民衆であるが、その民衆が、その前の時代には、戦争を賛美していた。この意味では、世論(せろん、佐藤卓己のいう意味で)ではなく、輿論(よろん、佐藤卓己のいう意味で)の形成にかかわるべきなのが、歴史家(磯田道史の言い方)であることになるが、これは、ひろく人文学一般に広げてもいいことだろう。
ただ、最後に磯田道史が言っていたこととして、人間の一人としてどう判断するかが重要であるかは、そのとおりなのだが、しかし、実際には、国民国家の意思決定がどうであるかということにならざるをえない。それが、民主的な国家であるか、独裁的な国家であるか、ということも問題であるが、国民の一人一人が思っていることの総和が、国家の意思決定に結びつくわけではないことも、また、たしかなことである。せっかく山本昭宏をゲストに呼んでいる回なのだから、もう少し語るべきことがあってもいいかと思うのだが、それを非常に一般的な言い方でしめくくらざるをえないことが、戦争について語ることの難しさである。
どうせ欺瞞であるならば……日本は、核兵器禁止条約に加わってもいい。国際政治のなかで、これぐらいのしたたかさはあってもしかるべきであると、私は思っている。
2025年8月14日記
最近のコメント