100年後も、旅に出る。「大阪編1」2025-09-03

2025年9月3日 當山日出夫

100年後も、旅に出る。「大阪編1」

テレビの番組表を見ていて、たまたま目にとまったので録画しておいた。かなり面白かったのだが、こういう内容なら、「小さな旅」でやってもいいだろうし、新世界とか通天閣あたりのことなら、「ドキュメント72時間」でも面白いものがつくれるかもしれない(もう、とりあげたのかとも思うが。)

大阪の新世界、それから、天王寺公園のあたりが、昔の博覧会の跡地利用であった。(さて、日本で近代になってから、いっぱい博覧会が開かれてきたのだが、それがその後の跡地利用としては、どうなったかという研究とか調査はあるのだろうか。これは、たぶん、とても面白いと思う。1970年の大阪万博の跡地には、公園と国立民族学博物館ができているし、愛地球博の跡地には公園とジブリパークがある。明治の京都の博覧会の跡地は、平安神宮になったはずである。)

健全な娯楽とか、庶民の歓楽街、ということで作ったことになるが、しかし、時代のことを考えると、その一歩裏には、かなりいかがわしい商売があったとしてもおかしくはない。いや、昔は、娯楽とか遊びの範囲が、現代とは違っていたということで考えなければならないだろう。

新世界の商店街に、100年以上つづく店が数軒残っているのは、たくさん残っているというべきか、これだけしか残らないというべきか。だが、残っている店は、それなりに面白い。

店の天井からザルがさげてあって、中にお金がいれてあって、それで会計をしていた。こんなのは、私の子どものころであれば、普通のことだったが、いつのまにか姿を消した。今では、多くの店が、商品のバーコードを読みとっての決済になっている。この方が、商品の管理がやりやすいことはたしかである。それにキャッシュレス決済になれば、面倒なことははぶける。合理的になるとはいえるだろうが、昔ながらのザル方式も、ある意味では、便利である。ごまかしやミスさえなければ、ザルの中の現金がすべてということになる。

コロッケを買って、店頭で立ちながら食べる、このような光景は、今では珍しいものではなくなっているが、これも、新しい日本の生活のスタイルの一つかもしれない。(私の記憶としては、立ちながら、歩きながら、ものを食べるというのは、お行儀の悪いことの一つだった。)

下駄を買っていくのが、外国人が多いというのは、今の時代である。

澤野工房JAZZのCDは、今では、(当然ながら)オンラインで買うことができる。店内の机の上にあったのは、Bang & Olufsen かなと思って見ていたのだが、とっても音に凝っていることは分かる。

ヨーロッパの洗練されたジャズと、大坂の新世界の下駄屋さんが、同居しているというのは、なんとも奇妙な感じがしなくはないが、しかし、世の中とはこんなものだという気もする。

柏原が葡萄の産地(デラウェア)であり、それを使ってのワイン造りというのは、面白い。地場産業として、やっていけるのだろう。ただ、葡萄の栽培のコストが問題かもしれないが。

それよりも、番組のなかで少しだけ言っていたこととして、この柏原のあたりが、江戸時代には、木綿産地として栄えた地域であった。河内木綿ということばで残っている。明治になって輸入品におされて姿を消したということだが、これは、おそらくは英国製品なのだろうか。大英帝国の世界貿易の支配が、大坂のこの地域の人びとのくらしに影響していたことになる。

2025年8月29日記

コメント

コメントをどうぞ

※メールアドレスとURLの入力は必須ではありません。 入力されたメールアドレスは記事に反映されず、ブログの管理者のみが参照できます。

※なお、送られたコメントはブログの管理者が確認するまで公開されません。

※投稿には管理者が設定した質問に答える必要があります。

名前:
メールアドレス:
URL:
次の質問に答えてください:
このブログの名称の平仮名4文字を記入してください。

コメント:

トラックバック

このエントリのトラックバックURL: http://yamamomo.asablo.jp/blog/2025/09/03/9800505/tb

※なお、送られたトラックバックはブログの管理者が確認するまで公開されません。