BS世界のドキュメンタリー「ヒトラーの本棚 ナチズムの源を読み解く」2025-08-27

2025年8月27日 當山日出夫

BS世界のドキュメンタリー 「ヒトラーの本棚 ナチズムの源を読み解く」

2023、ドイツの制作。

これは面白かった。

大きな流れとして、ヒトラーだけを特別の悪人として敵視していればいいという時代が終わりつつある、ということを感じる。(今でも、気に入らない政治家がいれば……安倍晋三でも参政党でも……すぐにヒトラーになぞらえるむきがある。特に、日本における、いわゆるリベラルといわれる人たちがそうである。)

ヒトラーがきわだっているのは、その思想ではなく、その合理性・組織性、ということで、大規模に思うことをやってのけた、ということになるだろう。(こういう言い方を気にくわないと思う人もいるだろうが。)

番組のなかで、触れていたことで重要なことは、残っているヒトラーの映像の多くは、検閲済みのものだということである。現代のわれわれの感覚からは、絶叫するヒトラーの演説に歓喜の声で答える市民の姿は、異様なものとして映ることになるが、しかし、この時代にあっては、きわめて計算しつくされた演出によって作られたものである……こういう認識で見ることが必要だろう。それを、多くの場合、プロパガンダ、としてヒトラーの悪魔の発明のように言うのは、おかしい。プロパガンダというならば、リップマンの『世論』ぐらいまではさかのぼって議論した方がいい。1922年にアメリカで刊行された書物である。(私は専門知識はないが)おそらくメディア史の常識であろう。

白人の優越主義、反ユダヤ主義、こういうものの考え方には、歴史がある。白人の優越ということについては、番組では、マディソン・グラントの本をとりあげて、これがヒトラーに影響を与えた、ということであった。これも、さらに考えてみるならば、その背景にあるヨーロッパにおける思想史ということを論じる必要がある。いきなり、マディソン・グラントが登場してきたということではないはずである。反ユダヤ主義は、古代まで、ユダヤ人の歴史にまでさかのぼって考えるべきことになるだろう。

そして、日本から見れば、黄禍論ということは、考えてみるべきことになる。現代からは、批判的に見ることになるが、その時代にあっては、欧米では普通に語られたことであったことも、事実である。(いろいろと見方はあると思うが、黄禍論によるアメリカの日本移民排斥、世界恐慌、農村の疲弊、これらの打開策として、どういう選択肢が日本にありえたのか、ということも考える必用があると思っている。それは、結果的には、中国大陸への侵略として、今日からは否定的に見ることになるのだが。)

少しだけ出てきていたが、中国人の労働者(苦力)のことがある。このことについて、少なくとも日本ではあまり言及されることがない。苦力について、現代の中国や台湾などで、どのように認識されているのだろうか、これは改めて考えるべきことだと思っている。

グレート・リプレイスメントは、短期間的に見れば、脅威である。これを、欧米の白人の側から見れば、特にそうである。だが、非常に長い時間の流れで見れば、ホモ・サピエンスがアフリカから出て、地球上に居住地をひろげ、文明・文化をきづいていく過程においては、はるかに壮大で複雑なリプレイスメントがいっぱいあっただろうことは、容易に想像できる。ヨーロッパの地域に限っても、はるか昔から、独占的に白人の居住地であったということはないはずである。

多文化共生こそが望ましい……ということにはなるのだろうが、その実現はかなり困難であるということも現実である。一般的にいえばであるが、平等の理念をかかげることは理想主義として正しいのだが、では、具体的にどのような状態になればそれで平等が達成されたといえるのか、ということになると、とても難しい。ある人びと(それは現在の社会においては、マイノリティであるとして)が満足する状態になったとしても、それが、他の人びとの不満を引き起こすことが絶対に無い、とはいいきれない。はてしなく、新たなマイノリティを探し続けなければならないことになる。だからといって、不満の声をあげることが無意味だとは思わない。少なくとも、平等の理想を実現するというのは、どういうことなのかについて、現実に即した冷静な議論が長期的に(あえていえば永遠に)必用である、ということだと思っている。その永遠に耐えるのが、人間の知性である。

それを性急に実現しようとすると、リベラルによるファシズムになる。ファシズムは右翼だけのものではない。リベラリズムは、リベラリスト独裁によってしか実現できず、それは新たな抑圧を生む。だが、これは、リベラリズムの理想がまちがっているということではない。主義とはそういうものだ、ということである。

ともあれ、ヒトラーの思想は、突然生まれたものでもないし、また、現代においても消え去ったものでもない。おそらく、その考え方の基底にあるものは、人類の歴史とともにある。

2025年8月22日記

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