英雄たちの選択「シリーズ 関税交渉 後編 関税自主権を獲得せよ!」 ― 2025-08-27
2025年8月27日 當山日出夫
英雄たちの選択 シリーズ 関税交渉 後編 関税自主権を獲得せよ!
小村寿太郎というと、『坂の上の雲』のイメージが強く残っている。NHKのドラマは見ているし、原作は二回読んでいる。それから、『ポーツマスの旗』(吉村昭)は読んだ。
条約改正についての二回目である。日本が、日露戦争に勝って(ということになって)、一等国になったことをうけて、イギリスとどう交渉するか、ということがポイントである。
見ていて思うこととしては、「対等」ということの意味をどうとらえるか、ということになると思ったことになる。一等国として、あるいは、近代の国民国家としてということもあるが、国と国が対等につきあうということの意味である。
関税自主権をめぐる交渉については、名目的に対等である(完全におたがいに同じ)ことを目指すか、あるいは、すこしぐらいはそこのところに目をつむっても、実質的に対等とみなしてよいことで妥協するか……ということになる。日本とイギリスとの場合は、実質的に対等であると考えられるのならばいいだろうというところで決着を見た、と理解できる。
私は、こういう現実主義ということについては、賛成である。(世の中には、理念的に理想的でなければならないと、かたくなに主張する人たちもいるのだが。)
外交ということについては、世の常として、世論(輿論ではなくといっておきたいが)は、対外強行主義であることが多い。強いていえば、外交については、ポピュリズムにかたむきがちである。
この意味では、世論をまったく気にしなかった小村寿太郎と、世論としては高評価になったが(実質的に国策を誤ったことになる)松岡洋右が、対照的に語られることになる。まあ、国際連盟で最後のスピーチをする松岡洋右の映像はおなじみである。たしかに、これは、とてもかっこいい。
気になったこととしては、小村寿太郎の外交の時代には、電信がつかわれていたことである。電信記録が残っているから、確かに、通信がおこなわれたことになる。だが、これが、まさか平文であったとは思えないのだが、暗号が使われていたとして、それはいったいどんなものだったのだろうか。(その後、昭和になってからの外交電報などは、暗号がアメリカに解読されていたことは、広く言われていることである。)
ただ、この時代……日露戦争から第一次世界大戦のころ……世界の流れとしては、帝国主義の時代であったことは確かである。今の価値観からすれば、帝国主義、植民地主義は、否定的に見ることになる。あるいは、否定的に見なければならない、ということになっている。
歴史の流れとしては、日本の選択肢として、他にどのようないきかたがあったのかということも考えられはする。一方、石橋湛山のような、小日本主義という考え方があったことも事実である。
その後の歴史としては、日英同盟が国際的、特に、軍事的にどういう意味を持っていたのかということもあるし、それと同時に、世界の貿易体制がどういう方向にむかっていたのか、ということにもなるだろう。このあたりのことについては、外交史と経済史とにまたがった分野のことになるかと思う。日露戦争が終わってから、日本は何をどこに輸出し、何をどこから輸入していたのだろうか。その大きな流れが分かると(専門家にとっては、当たり前の知識かもしれないが)、こういうことの一般的な理解がより分かりやすいものになるだろう。
外交において、現在では、「国民国家」としてお互いに「対等」に、ということが原則で外交はなされていると思う。ただ、問題は、その「対等」とは非常に主観的なものである、ということかもしれない。それぞれの国の世論に大きく左右される。日本とアメリカが、それぞれに思う「対等」は違うかもしれない(いや違うだろう)、無論、日本と韓国との関係においても、日本と中国との関係においても、「対等」と双方の国の世論がどう反応するかは、非常に難しい。難しいからこそ、外交問題は、同時に、国内問題でもあることになる。
2025年8月26日記
英雄たちの選択 シリーズ 関税交渉 後編 関税自主権を獲得せよ!
小村寿太郎というと、『坂の上の雲』のイメージが強く残っている。NHKのドラマは見ているし、原作は二回読んでいる。それから、『ポーツマスの旗』(吉村昭)は読んだ。
条約改正についての二回目である。日本が、日露戦争に勝って(ということになって)、一等国になったことをうけて、イギリスとどう交渉するか、ということがポイントである。
見ていて思うこととしては、「対等」ということの意味をどうとらえるか、ということになると思ったことになる。一等国として、あるいは、近代の国民国家としてということもあるが、国と国が対等につきあうということの意味である。
関税自主権をめぐる交渉については、名目的に対等である(完全におたがいに同じ)ことを目指すか、あるいは、すこしぐらいはそこのところに目をつむっても、実質的に対等とみなしてよいことで妥協するか……ということになる。日本とイギリスとの場合は、実質的に対等であると考えられるのならばいいだろうというところで決着を見た、と理解できる。
私は、こういう現実主義ということについては、賛成である。(世の中には、理念的に理想的でなければならないと、かたくなに主張する人たちもいるのだが。)
外交ということについては、世の常として、世論(輿論ではなくといっておきたいが)は、対外強行主義であることが多い。強いていえば、外交については、ポピュリズムにかたむきがちである。
この意味では、世論をまったく気にしなかった小村寿太郎と、世論としては高評価になったが(実質的に国策を誤ったことになる)松岡洋右が、対照的に語られることになる。まあ、国際連盟で最後のスピーチをする松岡洋右の映像はおなじみである。たしかに、これは、とてもかっこいい。
気になったこととしては、小村寿太郎の外交の時代には、電信がつかわれていたことである。電信記録が残っているから、確かに、通信がおこなわれたことになる。だが、これが、まさか平文であったとは思えないのだが、暗号が使われていたとして、それはいったいどんなものだったのだろうか。(その後、昭和になってからの外交電報などは、暗号がアメリカに解読されていたことは、広く言われていることである。)
ただ、この時代……日露戦争から第一次世界大戦のころ……世界の流れとしては、帝国主義の時代であったことは確かである。今の価値観からすれば、帝国主義、植民地主義は、否定的に見ることになる。あるいは、否定的に見なければならない、ということになっている。
歴史の流れとしては、日本の選択肢として、他にどのようないきかたがあったのかということも考えられはする。一方、石橋湛山のような、小日本主義という考え方があったことも事実である。
その後の歴史としては、日英同盟が国際的、特に、軍事的にどういう意味を持っていたのかということもあるし、それと同時に、世界の貿易体制がどういう方向にむかっていたのか、ということにもなるだろう。このあたりのことについては、外交史と経済史とにまたがった分野のことになるかと思う。日露戦争が終わってから、日本は何をどこに輸出し、何をどこから輸入していたのだろうか。その大きな流れが分かると(専門家にとっては、当たり前の知識かもしれないが)、こういうことの一般的な理解がより分かりやすいものになるだろう。
外交において、現在では、「国民国家」としてお互いに「対等」に、ということが原則で外交はなされていると思う。ただ、問題は、その「対等」とは非常に主観的なものである、ということかもしれない。それぞれの国の世論に大きく左右される。日本とアメリカが、それぞれに思う「対等」は違うかもしれない(いや違うだろう)、無論、日本と韓国との関係においても、日本と中国との関係においても、「対等」と双方の国の世論がどう反応するかは、非常に難しい。難しいからこそ、外交問題は、同時に、国内問題でもあることになる。
2025年8月26日記
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