時をかけるテレビ「人間は何を食べてきたか サバンナの移動漁民」 ― 2026-03-28
2026年3月28日 當山日出夫
時をかけるテレビ「人間は何を食べてきたか サバンナの移動漁民」
BSP4Kの番組表を見ていて、たまたま見つけたので録画しておいて見た。
「人間は何を食べてきたか」のシリーズは、しばらく前に、再放送をしていた。興味深い内容だったので、気のつくかぎりは見ていた。この番組も見た記憶がある。オリジナルは、1992年である。
アフリカのマリの内陸部の、河川の漁民の生活である。川で漁をすることで生きている。仕事としては、川の漁師である。食べるものは、お米を炊いて、その上に煮た魚を載せたもの、毎食、これである。
内陸のマリでは、川の魚が貴重な食べ物である。市場では、魚が売られている。
ニジェール川の沿岸に住むボゾ族は、氾濫原がおさまって川で漁ができる季節になると、漁の旅に出る。家から離れたところまで航海して、キャンプを設営して、漁をする。その漁のたくわえで、その一年の稼ぎを得ている。
「人間は何を食べてきたか」という観点では、川の漁民の生活として見ることになる。川の魚をメインとする生活である。穀物としては、米がある。
番組の中では、アフリカも、米の原産地である、という意味のことを言っていたが、これは、今ではどう考えられているのだろうか。現在では、栽培穀物のDNA解析から、その原産地からの分布や栽培の広がっていったルートをたどることができるようになっている。
この地域の人たちも稲作をしている。映っていたかぎりでは、水面から穂先を出している稲があって、そのお米の実っている穂先の部分だけを刈り取っている。この栽培は、どうやっているのだろうか。
川の魚とお米だけで生活していける、これはそうなのだろうと思うことになる。(これも、民族学などの研究としては、さらに詳しいことが分かっているだろうと思うが。)
食べるということに特化した内容の番組だからそうなるのだろうが、商業や経済という観点から見ると、どうなるのだろうか。川の魚は、市場で売られる。それで、ボゾの人びとは、お米を買っている(らしい)。たぶん、家を建てたり、船を作ったりというお金も、川の魚を売ったことで得ているのだろう。
旅に出た先のキャンプでは、それを目当てに、お米農家(?)の人たちがやってくる。お米とお魚の物々交換が成立する。
貨幣経済も浸透している一方で、昔ながらの、物々交換でなりたつ生活ということもある。
ちょっと気になったのは、漁のためのお守りとして、コーランを書いた紙を使っている(らしい)。信仰としては、イスラムの信仰の人びとなのだろうか。そうであるとして、コーランをお守りに使うということは、許されることなのだろうか。(番組の中では、宗教にかかわることは紹介されていなかった。)
川に住む人びとだから、魚の料理は手慣れたものといえば、そうなのだが、見ていて違和感を感じるのは、日本と違って、まな板を使っていないこと。いや、料理のときに、まな板を使うということの方が、世界的に見れば、特殊なのかもしれない。(こういうことも、民族学などで、明らかになっていることだろうとは思うが。)
今の番組の中で言っていたが(池上彰)、現在では、河川の汚染がすすんで(流域の排水の処理ができていない)、川での漁を止めて定住する生活に変わっているらしい。
ゲストのコウケンテツが言っていた、フィリピンの棚田と、その料理も、興味深い。お米とキャベツだけの料理が毎食なのだが、それが、とても美味しい。
人間が何を食べてきたか、何を美味しいと感じてきたか、あらためて深く考えるべき時代になってきていると思う。
それから、食事をするとき、手でお米とお魚を一緒にして口にはこんでいる。このとき、右手で食べる。左手はつかってはいけない、という。食事、あるいは、広く文化における、右と左、このことは、民族学などの研究においてどう考えられているのだろうか。自然界、生物における右と左ということも気になることだが、人間における右と左も、いろいろと考えることがありそうである。
2026年3月26日記
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