3か月でマスターする人体「(9)眠りの本質を理解する」 ― 2026-03-20

2026年3月20日 當山日出夫

3か月でマスターする人体「(9)眠りの本質を理解する」

生命の進化の歴史をさかのぼるならば、意識がある……覚醒といっていいのだろうか……状態が何故発生したのか、どういう意味があったのか、ということはあるとしても、それ以前の段階の生命としては、眠っている状態が当たり前だったというのは、そうだろうと思う。

しかし、人間が眠っている間に、脳がどんな状態であるのかということから見るならば、まったく意識のない状態といっていいのかどうか、という気はする。(番組では言っていなかったことだが、麻酔で意識がない状態、あるいは、ケガや重篤な病気などで、意識がない状態というのは、眠っているときと、どう違うのか/同じなのか、ということが気になることである。)

睡眠とは、脳をリセットして整理するためのものである、ということでいいのだろうか。おそらく、脳以外の他の臓器のとの関係もあるにちがいないが。眠っている間もきちんと動く必要のある臓器もあれば、かならずしもそうではない臓器もあるだろう。

体内時計というのは、面白い。生殖細胞以外のすべてにこの機能があるということだったが、どういうメカニズムになっているのだろうか。

体内時計が、(太陽の)光に反応しているというのは、そうかなと思うが、地球上で人間の住んでいる地域で、日中の時間は、土地によってまちまちである。また、季節によっても変わる。これは、どういうメカニズムで適応していることになるのだろうか。

地球上の生物、哺乳類や鳥類、爬虫類、魚類、などにおいても、睡眠ということはあると思うが、それぞれの生物は、どうやって眠っているのだろうか。

私の今の生活として、リタイアして世捨て人と思うようになってからのこととして、目覚まし時計のアラームを鳴らさなくなった。それから、腕時計をしなくなった。

2026年3月18日記

ねほりんぱほりん「姻族関係終了届に救われた人」 ― 2026-03-20

2026年3月20日 當山日出夫

ねほりんぱほりん「姻族関係終了届に救われた人」

こういう制度があることは知らなかった。

家族のあり方というのは、時代や地域によって変わるものなので、一律にこうであるべきだ、ということはいえない。古い(と意識される)家族のあり方も、意外と新しいものであることもあるし、一方で、新しく理想的であるとされる家族についても、いつまでもそれが支持されるものであるとは限らない。家族という単位を、なにがしか社会生活の基盤におくことを認めて、それをどうするか、法的な制度としてどう考えるかということもあるが、究極的には、家族などということで人間を束縛すること自体が、理不尽な制度であるという考え方もあるだろう。

家族のあり方というのが、ただそれだけにとどまるものではなく、子どもの教育や、介護、福祉ということと、無関係ではありえない。だから、家族というようなものは、全否定されるべきだという発想も生まれるのだが。

ただ、歴史的にさかのぼれば、家族や家庭ということが、前近代の社会……家を中心としたといっていいかと思うが……から離れて、近代的な人間のあり方としてとらえられてきたということは、ふまえておいた方がいいだろう。愛情でむすばれた夫婦を基本とするということを全面的に否定することもできるが、そうなると、『すばらしい新世界』(ハクスリー)のようなことを考えることになる。

こういう制度があるということは、広く知られていいと思うが、そのときの感情で濫用することは避けるべきかもしれない。

非常に形式的な手続きであるが、それで、人の気持ちが変わるということも、また、人間というものである。

2026年3月18日記

偉人の年収 How much? 「作家 小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)」 ― 2026-03-20

2026年3月20日 當山日出夫

偉人の年収 How much? 「作家 小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)」

そんなに目新しい内容があるということではなかった。すべて知っていることばかりだったが、的確にまとめてあったかと思う。

松江の中学校のときに、月給が100円。当時の県知事と同じぐらいだった。それが熊本の第五高等中学校で、倍の200円。東京で、東京帝国大学で、さらにその倍の400円。

著作の印税もかなりあったが、それは、妻のセツが、管理していた。

ボナー・フェラーズが小泉八雲の著作を読んでいて、マッカーサーの日本占領政策に影響を与えた……ということは、いわれていることだが、確かなこととしていえることではないかと思っている。進駐軍の占領政策は、いろんな要素があって決まったことだろう。

考えてみれば、小泉八雲の著作が書かれて出版されたのは、明治の20年代から30年代にかけてであり、昭和20年ごろまで、半世紀たったかどうかということぐらいである。1940年代ごろの人にとっては、小泉八雲は、ほとんど同時代のイギリス人作家で日本のことを書いた、という認識だっただろうか。

2026年3月17日記

英雄たちの選択「豊臣秀吉 出世の鍵は美濃にあり」 ― 2026-03-20

2026年3月20日 當山日出夫

英雄たちの選択「豊臣秀吉 出世の鍵は美濃にあり」

この回は、わりと面白かった。

あつかっていた内容がどうこうというよりも、その考え方である。史料にもとづいて研究するという実証史学の方法論では、史料がないことについては、考えることができない。これは、触れない、考えない、ということになる。だから、何にも無かったということではないのだが。

秀吉については、農民出身で、信長につかえて、確実に史料が残るのは、侍大将になってからのことである。それまでの間、何をしていたか分からない。では、どうするか。

研究者としては、沈黙するしかない。

だが、歴史の興味としては、そう無理のない範囲で考えてみる、あるいは、想像してみることは、あってもよい。

その想像の出発点として、秀吉が農民出身であったということに注目する。信長としては、農民出身の秀吉だったからこそ、歴代の家臣である武士とは違った発想をすることのできる部下として重宝したのではないか。それが、秀吉の出世に繋がったのではないか。このあたりの想像は、妥当なところかとも思える。しかし、史料の裏付けはないことである。つまり、論文にはならない。(ただ、秀吉が農民出身というのは、どういう史料によっているのだろうか。)

墨俣一夜城については、諸説あるとして、なんらかの方法で、砦を作ったことは確からしい。そして、それには、木曽川の水運を利用することにたけた、蜂須賀小六の存在が重要な意味を持っていただろう。これぐらいは、想像してもいいだろう。しかし、具体的にどうしたかということは、史料がないので分からない。

美濃を治めることが、農業地帯であり、また、木曽川などの水運を利用するとして、流通の要衝である……これは、確かなことだろう。この観点では、信長・秀吉・家康が、この地域から出ていることは、無視できないことといっていいだろう。(同時に、他の地域、畿内や東国などから見れば、信長の動きはどう見えたかということも、重要にちがいないが。)

信長にしてみれば、農民出身の秀吉だからこそ、調略ということができたと、見こんで、それが成功したことになる。(これはこれで、一つの見方だろうと思う。秀吉は、武士として失うものを持っていなかった。)

しかし、よく分からないのが、調略ということである。言いかえれば、主君を裏切るということである。『太平記』を読むと、忠義の感覚が、江戸時代以降(現代にいたるまで)の忠誠心の感覚と、かなり違っていたことが分かる。戦国時代の大名、その家臣、また、国衆、地侍などにとって、主君への忠誠心は、はたしてどんなものだったのだろうか。

常識的に考えればであるが……調略して寝返った武将を、そのまま信用し続けていいのだろうか。こんどは、逆に自分が裏切られることになるかもしれない。こういう不安は、絶対にあっただろう。

秀吉としては、いわゆる人たらしとして、人の心をつかむことはできたということであっても、それが、将来的な豊臣家への忠誠心……主従関係の絶対的な継続性とでもいえようか……になっていったかとなると、必ずしもそうではない、ということにもなるだろう。そのような武将もいたが、そうでもない武将もいた。

ともあれ、史料がないことについて、妥当な想像力……まともな歴史観にもとづいて……をめぐらすということは、歴史学研究において必要なことであると、私は思う。論文に書くことは、考えたことの10分の1、目にした史料の100分の1、これでもきわめて多いことだろう。

2026年3月15日記