『べらぼう』「地本問屋仲間事之始」 ― 2025-10-06
2025年10月6日 當山日出夫
『べらぼう』「地本問屋仲間事之始」
ドラマとして見ていると、それなりに面白く作ってある。(何度も同じことを書いていることになるが)江戸時代の出版ということを背景にしていると見ると、とてももの足りない。
この時代の出版が、戯作と錦絵、ほぼこれだけだったはずはない。こんなことは、分かっていることとして、とりあえず、戯作の世界のことでドラマを作っています、ということで見るなら、こういう描き方もあっていいだろうとは思う。
しかし、そうであるならば、その戯作や戯作者というのが、どういう作品であり、どんな人が作者であったのか、ということが、あまり説得力があるように描けているとは思えない。
文学史の常識としては、戯作者が、それだけで生計をたてていたということはない。本業が別にあった。それは武士であったり、商人であったり、である。武士であることについては、恋川春町、大田南畝で、いくぶんふれるところがあった。山東京伝は、煙草屋であったということは、当たり前すぎることだと思っているのだが、その商売にかかわることがまったく出てこない。別に、ドラマとして、煙草屋でなくてもいいのだが、戯作が本業といえるものであったかどうか、他に生計の道を持っていたかどうか、ということは、戯作とは何かについていうためには、まず必須のことであるだろう。こういうことが描いてあって、次の時代の戯作者である、曲亭馬琴などがどうであったか、ということに繋がると思っているのだが。
もし、戯作を蔦重のいうように抵抗であるとしたいなら、それができるのは、どういう立場だからだったのか、あるいは、できなかったのか、というあたりのことが、もうすこし説明的に描いてあってもいいと思う。まあ、ここのところにふみこむと、戯作とは何かという本格的な議論になるのだが。
前回、本居宣長が名前だけの登場だった。本居宣長について見るならば、この時代、その学問をささえることになった、日本の古典のみならず、歴史書や漢籍など、非常に多くの書物が、伊勢の松阪の地にいても、入手できるものであり、また、全国に国学を学ぶ人的なネットワークがあったことが分かる。このような江戸時代の出版の世界のことが、これまでのドラマの中では、まるっきり無かったかのようになっている。
日本国内での書物のこともあるが、中国(清)や朝鮮などからも、書物は日本にもたらされていた。
であるにもかかわらず、この回になって、蔦重が、上方の本屋と手を組み、さらには、全国的な書物の販売にまで乗り出そうとする……という展開にもってくるのは、とても無理があると思うことになる。
戯作として確実に考証ができる範囲、黄表紙や吉原の細見に限定して描いてきた……考証にかかわるとして、研究者としては、はっきり責任を持って分かる範囲以外のことについては、ものを言いたくない……ということもあったのかもしれないが、蔦重を主人公としたドラマの作り方としては、かなり無理があったのではないかと思えてならない。
戯作者については、どちらかといえば、常識的な社会人という側面を出した人物造形になっているのだが、歌麿については、まったく真逆の方向で、人物を描いている。天才絵師の狂気、ということになるかもしれないが、江戸時代のクリエイタとしては、その対比がうまくいっているとは思えない。それぞれに見れば、そういう人間であったかも、とは思うのだが。他に、俳諧や、漢詩文などの、創作の世界も広がっていた時代である。全体として、江戸時代の各種の文芸の雰囲気ということが、もう少し感じられる作り方であってもいいかと思うところである。
2025年10月5日記
『べらぼう』「地本問屋仲間事之始」
ドラマとして見ていると、それなりに面白く作ってある。(何度も同じことを書いていることになるが)江戸時代の出版ということを背景にしていると見ると、とてももの足りない。
この時代の出版が、戯作と錦絵、ほぼこれだけだったはずはない。こんなことは、分かっていることとして、とりあえず、戯作の世界のことでドラマを作っています、ということで見るなら、こういう描き方もあっていいだろうとは思う。
しかし、そうであるならば、その戯作や戯作者というのが、どういう作品であり、どんな人が作者であったのか、ということが、あまり説得力があるように描けているとは思えない。
文学史の常識としては、戯作者が、それだけで生計をたてていたということはない。本業が別にあった。それは武士であったり、商人であったり、である。武士であることについては、恋川春町、大田南畝で、いくぶんふれるところがあった。山東京伝は、煙草屋であったということは、当たり前すぎることだと思っているのだが、その商売にかかわることがまったく出てこない。別に、ドラマとして、煙草屋でなくてもいいのだが、戯作が本業といえるものであったかどうか、他に生計の道を持っていたかどうか、ということは、戯作とは何かについていうためには、まず必須のことであるだろう。こういうことが描いてあって、次の時代の戯作者である、曲亭馬琴などがどうであったか、ということに繋がると思っているのだが。
もし、戯作を蔦重のいうように抵抗であるとしたいなら、それができるのは、どういう立場だからだったのか、あるいは、できなかったのか、というあたりのことが、もうすこし説明的に描いてあってもいいと思う。まあ、ここのところにふみこむと、戯作とは何かという本格的な議論になるのだが。
前回、本居宣長が名前だけの登場だった。本居宣長について見るならば、この時代、その学問をささえることになった、日本の古典のみならず、歴史書や漢籍など、非常に多くの書物が、伊勢の松阪の地にいても、入手できるものであり、また、全国に国学を学ぶ人的なネットワークがあったことが分かる。このような江戸時代の出版の世界のことが、これまでのドラマの中では、まるっきり無かったかのようになっている。
日本国内での書物のこともあるが、中国(清)や朝鮮などからも、書物は日本にもたらされていた。
であるにもかかわらず、この回になって、蔦重が、上方の本屋と手を組み、さらには、全国的な書物の販売にまで乗り出そうとする……という展開にもってくるのは、とても無理があると思うことになる。
戯作として確実に考証ができる範囲、黄表紙や吉原の細見に限定して描いてきた……考証にかかわるとして、研究者としては、はっきり責任を持って分かる範囲以外のことについては、ものを言いたくない……ということもあったのかもしれないが、蔦重を主人公としたドラマの作り方としては、かなり無理があったのではないかと思えてならない。
戯作者については、どちらかといえば、常識的な社会人という側面を出した人物造形になっているのだが、歌麿については、まったく真逆の方向で、人物を描いている。天才絵師の狂気、ということになるかもしれないが、江戸時代のクリエイタとしては、その対比がうまくいっているとは思えない。それぞれに見れば、そういう人間であったかも、とは思うのだが。他に、俳諧や、漢詩文などの、創作の世界も広がっていた時代である。全体として、江戸時代の各種の文芸の雰囲気ということが、もう少し感じられる作り方であってもいいかと思うところである。
2025年10月5日記
コメント
_ 轟亭 ― 2025-10-06 13時28分51秒
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