『われら闇より天を見る』クリス・ウィタカー/鈴木恵(訳)2022-12-27

2022年12月27日 當山日出夫

われら闇より天を見る

クリス・ウィタカー.鈴木恵(訳).『われた闇より天を見る』.早川書房.2022
https://www.hayakawa-online.co.jp/shopdetail/000000015188/

今年のミステリ(海外)のベストと言っていい作品である。

すぐれたミステリというのは、読み終えてから冒頭を読みなおしてみたくなる。そして、この作品は、最後まで読んでから、冒頭を読みなおすと……ああ、こんなことが書いてあったのかと、驚く。

それにしても、このような作品を何と言えばいいのだろうか。広義にはミステリ、犯罪小説というジャンルに収まるかなとは思うのだが、それだけではない何かがある。いいことばが思いつかないのだが、文学的重厚さとしか言いようのない何かである。

この作品は、文学としてすぐれている。人間の生き方、苦悩、挫折、そして、希望……ある境遇におかれることになった人間たちの、人生が克明に描かれる。描かれる内容は、決して明るいものではない。ミステリであるから、当然のことながら事件はおこる。だが、ただその事件の謎解きに終わっていない。事件がおこった背景、その事件に巻きこまれることになった人びと、これを複数の視点を交錯させながら、重層的に描いていく。ミステリだが、読後感は暗い感じはしない。人間の未来への希望を感じさせるつくりになっている。これは巧みである。

ちょっと分量のある作品である。読むのに少し時間がかかった。だいたい一つの章を読むのに一日というペースで読んだだろうか。その間に、学校の授業があったりした。あるいは、一気に読み切ってしまったら、より感銘が深かった作品であるのかもしれないとも思う。

ともあれ、この作品が、ミステリのベストに選ばれるのは納得である。

2022年12月24日記

『殺しへのライン』アンソニー・ホロヴィッツ/山田蘭(訳)2022-09-19

2022年9月19日 當山日出夫

殺しへのライン

アンソニー・ホロヴィッツ.山田蘭(訳).『殺しへのライン』(創元推理文庫).東京創元社.2022
http://www.tsogen.co.jp/np/isbn/9784488265137

たぶん、この作品は、例年のように今年のベストにはいるだろう。出るのを待って買って読んだ。

ミステリとしてのこの作品については、散々書かれているだろうから、特に繰り返すこともないと思う。ただ、読んで思ったことなど書いておく。

第一には、やはり設定のうまさだろう。

場所は島。絶海の孤島、嵐の山荘、というわけではないのだが、限られた場所における事件ということは魅力的である。この作品のストーリー、トリックは、例えばどこかのリゾート地でもなりたつのだが、島という設定になっていることで、より魅力を増していることになる。

第二には、小説としての面白さ。

アンソニー・ホロヴィッツの作品のいくつか……年間のベストに入るような作品については、これまでに出るたびごとに読んできている。ミステリとしてよく出来ているというよりも、小説として面白いのである。これは、ミステリを支える読者層というか、文学の社会的基盤というか、基層となっている部分が日本とは違っているということかとも思う。といって、日本のミステリが、文学として劣っているとはおわないのであるが。

ざっと以上のようなことを思ってみる。

それにしても、今の時代において、このようなフーダニットを書けるということは見事としかいいようがないし、また、同時代にこのような作品を読める読者としては、幸運であると言うべきだろう。ミステリを読む醍醐味を感じさせてくれる一冊である。

2022年9月15日記

『ガラスの鍵』ハメット/池田真紀子(訳)2022-08-12

2022年8月12日 當山日出夫

ガラスの鍵

ハメット.池田真紀子(訳).『ガラスの鍵』(光文社古典新訳文庫).光文社.2010
https://www.kobunsha.com/shelf/book/isbn/9784334752101

ハードボイルドを読んでいる、というよりも、光文社古典新訳文庫で池田真紀子の訳で出ているので読んでみようかと思った。

解説を書いているのは、諏訪部浩一。これがよく書けている。なるほど、アメリカにおけるハードボイルドの成立とは、このようなものなのかといろいろうなづくところがある。

だが、今一つよくわからない、あるいは、私がハードボイルドについて思うことがいくつかある。

ハードボイルドの作品は、アメリカで、パルプマガジンに発表された。読み捨ての娯楽雑誌である。その発表の当時から、(アメリカでこのような言い方をしているのかどうか知らないが)「文学」……日本で言えば純文学……とは遠いところに成立している。また、どのような媒体に書かれたかということと、その作品の文学的価値は関係ないと言ってしまえばそれまでである。しかし、文学とメディアということを考えるならば、パルプマガジンに発表された小説ということは、憶えておいてもいいことなであろう。

読み捨ての娯楽雑誌というようなメディアに発表されたとはいえ、決して分かりやすい作品ではない。とにかく、心理描写がほとんどない。

一九世紀の文学、例えば、『居酒屋』(ゾラ)、『谷間の百合』(バルザック).『アンナ・カレーニナ』(トルストイ)……などのような作品を考えると、文学の歴史のなかで、神の視点からの登場人物の心理描写、これこそ、今日的な文学の手法である。だが、ハードボイルドは、これを拒否している。いや、二〇世紀文学のながれが、大きくみれば、このような方向……神の視点から心理描写……から離れるということなのかもしれない。

何故、パルプマガジンに発表の娯楽作品で、このような分かりにくい記述のスタイルが好まれるということになったのだろうか。(このあたり、もう深く考えみようという気にはなれないでいる。ただ、そのように思うだけである。楽しみの読書である。このような読み方もあっていいだろう。)

このようなことを思ってみる。ともあれ、ハメットに始まるような、ハードボイルドの流れが、現代の文学のあり方に大きく影響を与えていることは確かなことだろう。

2022年6月18日記

『郵便配達は二度ベルを鳴らす』ケイン/池田真紀子(訳)2022-06-18

2022年6月18日 當山日出夫(とうやまひでお)

郵便配達は二度ベルを鳴らす

ケイン.池田真紀子(訳).『郵便配達は二度ベルを鳴らす』(光文社古典新訳文庫).光文社.2014
https://www.kotensinyaku.jp/books/book194/

読んでいない、あるいは、遠い昔に読んだ本の再読、ということで、あれこれと読んでいる。さて、この作品はどうだったろうか。若いときに手にしたような記憶はあるのだが、はっきりと憶えていない。

池田真紀子の訳ということで、光文社古典新訳文庫版で読んでみることにした。解説によると、ノワール、あるいは、ハードボイルドの傑作という位置づけになるようだが、たしかに読んで面白い。

あるいは、この作品については、映画が有名かもしれないのだが、私は見ていない。

ストーリー、状況設定は、比較的単純である。一九三〇年代、不況のころのアメリカである。流れ者の主人公。ふと立ち寄ったレストラン。そこにいるギリシャ人の夫と妻。結局のところは、その夫を殺すという犯罪小説として展開することになるのだが、それが、男の視点から描かれる。

解説を書いているのが、諏訪部浩一。これが良く書けている。アメリカ文学史における、ハードボイルド論、ノワール論、である。読んで、なるほど、ハードボイルドをそのように考えることができるのかと、興味深い。

私が読んで感じるところとしては、次の二点ぐらいがある。

第一に、ダメ男の物語。

この小説の主人公は、ダメ男である。たしかに、ある意味ではタフといえるかもしれないのだが、読んでいてなんとなく歯がゆい。さっさと女とどこかに行ってしまえばいいのにと思ってしまう。

この主人公に共感するところはあまりないし、また、その行動や思考を肯定的にとらえることはないのであるが、しかし、読んでいて、こういう男もいるのかと、ついつい読みつづけることになる。まあ、このあたりは、人物造形のうまさと、小説としてのたくみさある。

第二に、犯罪小説。

文学史としては、犯罪小説のなかに位置づけることになる。そう巧妙な犯罪計画ということではないが、事件がおこり裁判がある。この作品は、犯罪小説の系譜における傑作である。今の視点から、犯罪小説として読んで面白い。

以上のことを思ってみる。

そう長くない作品であるが、印象に残る。特に犯罪小説の歴史ということを考えてみるとき、やはりこの作品は重要な位置をしめることになるのだろう。

2022年6月2日記

『死亡告示』ジェフリー・ディーヴァー/池田真紀子(訳)2022-06-03

2022年6月3日 當山日出夫(とうやまひでお)

死亡告示

ジェフリー・ディーヴァー.池田真紀子(訳).『死亡告示-トラブル・イン・マインドⅡ-』(文春文庫).文藝春秋.2022
https://books.bunshun.jp/ud/book/num/9784167918842

『フルスロットル』のつづきの短篇集である。どれもジェフリー・ディーヴァーならではの作品という印象がある。上質のエンタテインメントのミステリ(広義の)である。

印象にのこるのは、「永遠」。短篇というよりも中編といった方がいいか。文庫本の半分ほどがこの作品になっている。

登場する警察官がいい。数学が得意で統計でものを考える若い警察官。一方、昔ながらの流儀で直感的に行動する先輩。この二人のコンビは魅力的である。(だが、これも最後まで読むと、さらに裏がある。)

そして、題材とされていることが興味深い。現代の社会の課題の一つである、生命倫理にかかわるテーマをあつかっている。ジェフリー・ディーヴァーという作家は、きわめて現代的な作家である。今、この社会で問題になっている最先端の出来事や事件を、題材に選んでいる。この作品もその一つといってよい。技術的に可能かどうかということもあるが、この作品に出てきたようなことが、まさに今の社会で問題になることである、これは確かなことであろう。

また、タイトルにもなっている「死亡告示」。これは、読めばすぐに結末がわかるつくりなのだが、面白いのは、おそらく、これまでのリンカーン・ライムのシリーズを読んでいるであろう読者を念頭に書いてあることである。犯人の設定もそうであるし、また、中にでてくるリンカーン・ライムの経歴についての記述も、読んでなるほどと思うところがある。

2022年5月17日記

『長い別れ』レイモンド・チャンドラー/田口俊樹(訳)2022-05-27

2022年5月27日 當山日出夫(とうやまひでお)

長い別れ

レイモンド・チャンドラー.田口俊樹(訳).『長い別れ』(創元推理文庫).東京創元社.2022
http://www.tsogen.co.jp/np/isbn/9784488131074

新しい訳である。言うまでもないことと思うが、この作品は、『長いお別れ』として、清水俊二の訳があり、『ロング・グッドバイ』として、村上春樹の訳がある。このうち村上春樹の訳は最近になって読んで書いている。

やまもも書斎記 2019年7月5日
『ロング・グッドバイ』村上春樹訳
http://yamamomo.m.asablo.jp/blog/2019/07/05/9111495

この作品自体についての考え方は、村上春樹の訳を読んだときとそう大きく変わるものではない。ただ、すでに、二種類の翻訳があるところに、新しく訳本を出すというのは、それなりの意味があってのことであると思う。

この作品について、村上春樹は「準古典」という言い方をしている。そして、大きく影響を受けた作品でもあると述べていた。なるほど、今となっては、この作品を「古典」のなかにふくめて考えてもいのだろう。これは、ある意味では、「古典」とは何か、改めて考えることにもつながる。

そこに立ちかえって考えることのできるテキスト……大雑把に「古典」をこんなふうにとらえてみる。であるならば、この作品は、現代文学においてすでに「古典」の位置をしめるにちがいない。

何が、この作品を「古典」たらしめているのであろうか。少し考えてみる。結論を先に書いておくならば……近代における市民社会のなかでの孤独感の文学としてのハードボイルドを考えることができると思う。

第一には、ハードボイルドというスタイル。

ミステリ史のうえからは、必ずしもこの作品がハードボイルドの最初というわけではない(ダシール・ハメットなどが思い浮かぶ)。だが、その初期のころの作品であり、もっとも著名であり、また、完成度の高い作品であることは確かである。

ハードボイルドは、一般的にいえば、第一人称で叙述される。近代文学が獲得して樹立してきた、神の視点ではない。あくまでも、探偵の視点のみから語られる。これは、不自由である。だが、その不自由さのなかに、新たな文学的可能性を見出していくのが、このジャンルということになろうか。

おそらく文学史的には、この視点の設定の問題があるだろう。

しかも、そこには、「探偵」という枠がある。事件の依頼をうけ、捜査し、謎を解く。そして、ある種の職業倫理のようなものが、厳格にある。また、探偵は基本的に孤独である。自分で考え、判断し、行動する。その孤独な思考と行動が、ハードボイルドの魅力を形成する。

なぜ、「一人称視点」の「孤独」な「探偵」という設定であるのか。ある意味では制約にちがいないのだが、この制約のなかで書かれる文学の世界には、普遍性に通じるものがある。強いていえば、人間とは「孤独」なものである、ということかもしれない。これは、近代における人間の「孤独」と共鳴するものであろう。この作品が「古典」でありうるとするならば、何よりも「孤独」の近代的普遍性というところにあるのかと思う。「孤独」は、レノックスとの友情によって、より一層きわだつものとなっている。

第二には、ミステリとしての完成度の高さ。

この作品は、ハードボイルドとして傑出しているというだけではない。一般にミステリ、探偵小説、として読んで、よく出来ているのである。これも、重要な要素だろう。魅力的な謎と、意外な犯人。そして、それをつきとめるまでの探偵の思考と行動、そして説明。これらの点において、この作品は、第一級の出来映えの作品となっている。

とりあえずは、以上の二点のことを思って見る。

そして、さらに書いてみるならば、この作品が描き出した、アメリカ西海岸の戦後の都市のある時期の、なんともいいようのない雰囲気……これが、実にいい。ある時代、ある地域、そこの人びとの生活感覚、あるいは、空気感とでもいうべきものを、この作品からは感じることができる。

文学が、ある場所、時代、人びとを描きながらも、同時に普遍的な何かを描きうるものであるとするならば、確かにこの作品は、ある意味での普遍性を獲得している。

その他、この作品について考えるべきこと、あるいは、ハードボイルドという文学のスタイルについて考えるべきことは多々あるだろう。だが、私としては、ただ楽しみのために本を読みたいと思う。この楽しみのために読む、このことにおいて、この作品は、さらに何度か読みなおしてみたい作品の一つである。そういう魅力がこの作品にはある。

2022年5月18日記

『フルスロットル』ジェフリー・ディーヴァー/池田真紀子(訳)2022-05-21

2022年5月21日 當山日出夫(とうやまひでお)

フルスロットル

ジェフリー・ディーヴァー.池田真紀子(訳).『フルスロットル-トラブル・イン・マインド Ⅰ-』(文春文庫).文藝春秋.2022
https://books.bunshun.jp/ud/book/num/9784167918699

ジェフリー・ディーヴァーの本は、だいたい買って読んでいるかと思う。毎年、新刊が出る。待っていれば文庫になるのだが、基本的には単行本が出た時に買って読んでいる。これは、昔、『ボーン・コレクター』を読んで以来の習慣のようなものである。

この本は、ジェフリー・ディーヴァーの短篇集。二〇一四年の刊行のようだ。それを、池田真紀子の翻訳で、文庫版オリジナルとして刊行。もとの本を二分冊に編集しなおして、その最初の方になる。

ジェフリー・ディーヴァーというと、リンカーン・ライムのシリーズの長編というイメージが強い。だが、これを読むと、巧みな短篇ミステリ、それも「本格」の書き手であることが分かる。序文がついていて、そこで、長編ミステリと、短篇ミステリについて、少し解説めいたことが書いてあるのだが、なるほどとうなづくところがある。まさに、短篇ミステリの醍醐味を味わえる作品集になっている。

収録作品は、どれも面白いが、私が読んで興味深かったのは、タイトルにもなている「フルスロットル」。キャサリン・ダンスの作品である。これまでの、キャサリン・ダンスを主人公とする作品(長編)は、読んでいる。そうすると、人間嘘発見器のストーリーの展開を思ってしまうのであるが、そうなってはいない。意外と、時計を使ったトリックになっている。なるほど、キャサリン・ダンスを主人公にして、このようなトリックの作品を書くこともできるのかと、ここは感心したところである。

続編は、『死亡告示』である。つづけて楽しみに読むことにしよう。

2022年5月13日記

『戦場のコックたち』深緑野分/創元推理文庫2022-05-13

2022年5月13日 當山日出夫(とうやまひでお)

戦場のコックたち

深緑野分.『戦場のコックたち』(創元推理文庫).東京創元社.2019(東京創元社.2015)
http://www.tsogen.co.jp/np/isbn/9784488453121

深緑野分の作品としては、こちらの方が先の刊行である。『ベルリンは晴れているか』がよかったので、さかのぼってこれも読んでみたいと思った。

やまもも書斎記 2022年4月15日
『ベルリンは晴れているか』深緑野分/ちくま文庫
https://yamamomo.asablo.jp/blog/2022/04/15/9481872

第二世界大戦に参戦したアメリカ軍の兵士のものがたりである。兵士といってもコックである。戦場で食事を作るのが任務である。そのコックたちを主人公にした、戦場ミステリである。そして、傑作である。

読んで思うことはいろいろあるが、二つばかり書いてみる。

第一には、ミステリとしてよくできていること。戦場が舞台なのだが、出てくる謎は、日常の謎である。ミステリだからといって、殺人事件がおこるわけではない。日常の不思議な謎を、コックたちの推理が鮮やかに解きあかす。そして、その謎も日常の謎でありながら、やはり戦場ならではのものである。

そして、連作短篇という形式をとっていながら、全体として大きな物語になっている。このような小説のつくりは珍しいということではないが、しかし、読んでみて巧みに作ってあると感じさせる。全体を通じての大きな謎もまた魅力的なものになっている。

第二には戦場小説としてよくできていること。ここではあえて戦場小説と書いてみた。戦争小説というのとはちょっと違う。たしかに、なかには戦闘場面も出てはくるのだが、全体としては、戦場、また、そのやや後方における、軍隊と兵士の物語ということで展開する。

これが、普通の戦争冒険小説とは、ひと味違った魅力になっている。ノルマンディー上陸作戦から、ベルリンまでの戦場が描かれる。だが、その最前線の戦闘の場面よりも、後方の兵站のことなどが、主に小説の舞台になっている。この意味においては、新しいスタイルの戦争小説といっていいのだろう。

以上の二点のことを思ってみる。

さらに書いてみるならば、この小説を、単なるミステリ、戦場小説としては、今では読むことができない。二〇二二年二月のロシアによるウクライナ侵略からこのかた、戦場、戦争というものが、毎時のニュースで報道されるようになてきている。この社会情勢のなかでは、この小説で描かれている、戦場における兵士たちの描写が、非常に印象深い。ただの小説のなかのこととしては、読み過ごすことができないものがある。

この作品は、今こそ広く読まれていい作品であると思う。

2022年5月12日記

『ベルリンは晴れているか』深緑野分/ちくま文庫2022-04-15

2022年4月15日 當山日出夫(とうやまひでお)

ベルリンは晴れているか

深緑野分.『ベルリンは晴れているか』(ちくま文庫).筑摩書房.2022 (筑摩書房.2018)
https://www.chikumashobo.co.jp/product/9784480437983/

この文庫本には、特設のHPもある。
https://www.chikumashobo.co.jp/special/berlin/

知ってはいたが、なんとなく読みそびれていて、文庫本が出たので読んでみることにした。世評の高い作品であるとは思っていた。読んで思うこととしては、傑作といっていいだろう。

舞台設定は、一九四五年のベルリン。ヒトラーのドイツが敗れて、連合軍、それから、ソ連軍に占領されているとき。ドイツ人少女のアウグステの数奇な冒険物語、という感じで展開する。ミステリの分野にはいる作品であり、また第二次大戦終結後のベルリンを舞台にした小説でもある。

第二次大戦で敗れることになったナチス・ドイツ。その陥落のシーンは、「映像の世紀」などで目にしている。しかし、そこにいたるまでの戦闘がどのようなものであったか、さらには、敗戦後のドイツで人びとがどのように暮らしていたのか、このあたりのことになると、ほとんど知識がない。せいぜい『独ソ戦』を読んだぐらいである。

この作品の良さは、まさに、戦後まもなくのベルリンという舞台設定にある。まだ、東西冷戦の前、ベルリンの壁のできる前。敗戦後の混乱の時代である。そこには、まだ、戦争の余韻が強く残っている。そして、それは、ヒトラーのドイツになるまえの時代から続くものとしての歴史の結果でもある。

この小説の魅力は、戦前からのドイツの人びとの暮らし、それから、敗戦の混乱のなかで、それでもたくましく生きていく人びと、これを巧みに描ききったところにある。なぜ、ヒトラーのドイツになったのか、ここはいろんな視点から論じることができるだろう。それを、この小説では、市井の市民の目から描いている。

それから、ミステリ、あるいは、冒険小説としての面白さ。一つの事件……殺人事件のようである……がおこる。その謎をめぐって、アウグステは、冒険をこころみる。いや、巻きこまれていく。そこに絡んでくるのは、ソ連軍である。(えてして、第二次大戦は、勝った側としては米英の視点から見ることが多いと思うのだが、この作品に登場するのはソ連軍である。このあたりが、この作品をより面白く、興味深いものにしている。)

ミステリとして読んだとき、ちょっと物足りないかなという気がしないではない。しかし、戦後まもなくのベルリンを舞台にした、ドイツ人少女の冒険物語として読むと、まさに類例を見ない、完成度の高さを感じる。

余計なことを考えてみるならば、敗戦後のベルリンを舞台にした小説が書けるということ、このこと自体が、一つの時代の変化を感じるところがある。ベルリンの壁が崩壊してからおよそ三〇年。確かに時代の流れがある。

さらに余計なこととしては、この作品には、日本人が登場しない。一九四五年のベルリンなら日本人がいてもおかしくはない。しかし、日本人が登場しないことに、なんら違和感がない。このような作品が書かれるようになったということ、このこと自体が、新しい時代になったということを感じさせる。

2022年4月14日記

『アリスが語らないことは』ピーター・スワンソン/務台夏子(訳)2022-02-10

2022年2月10日 當山日出夫(とうやまひでお)

アリスが語らないことは

ピーター・スワンソン.務台夏子(訳).『アリスが語らないことは』(創元推理文庫).東京創元社.2022
http://www.tsogen.co.jp/np/isbn/9784488173074

東京創元社のピーター・スワンソンの翻訳作品としては、三作目ということになる。創元推理文庫版においては、原題とは別に、登場人物の名前をタイトルにつける方針のようだ。この作品の原題は、「ALL THE BEAUTIFUL LIES」である。そう思って読むせいか、いったい誰がどんな嘘をついているのか、気になる展開の作品である。

そして、これは傑作である。今年(二〇二二)の一月の刊行であるが、たぶん今年の年間ミステリのベストに入るにちがいない。

物語は、二つのストーリーが平行してすすむ。現在の部分と、過去の部分である。この二つのストーリーに共通して登場するのが、アリスという女性。では、はたしてアリスは、どんな嘘をついているのか。いや、もうちょっと厳密に言ってみるならば、いったい何を語っていないのか。

アリスのからんだ二つのストーリーが一つになるとき、事件の真相があきらかになる。これは、見事な作りになっている。一級のミステリといってよい。

この作品、決して少なくない登場人物が出てくるのだが、どの登場人物も人物像がはっきりしている。現在と過去と行ったり来たりする展開ではあるのだが、混乱することなく、読み進められる。このあたりは、『そしてミランダを殺す』の作者だけのことはあると思う。

また、この作品は、古書店が出てくる。そして、有名なミステリ作品も中で登場する。ミステリ好きにとっては、このあたりのサービスがとても興味深い。

今年、他にどのようなミステリ作品が刊行になるかわからないけれども、しかし、ここしばらくのようにアンソニー・ホロヴィッツが一位でなければ、この作品が今年の一位になってもいいと思う。

2022年2月5日記