二〇二三に読みたい本のことなど2023-01-01

2023年1月1日 當山日出夫

今年(二〇二三)に読もうと思っている本のことなど書いておく。

読む本を選ぶようになってきた。ただ乱読というのではなく、読んでおきたい本というのがある。

一つには、古典である。今ほど、古典というものの存在意義が問われている時代はなかったかもしれない。ただ古いから古典なのではない。読まれてきた歴史があり、それを読んでくることが、一つの言語文化の基底にになっている、そんな書物のことだと思っている。読み直しておきたい古典、まだ読んでいない本が多くある。何よりも古典を読みたい。

二つには、本を読むときの基本的な問題意識である。私の場合、次の二つの興味関心がある。まず、日本人は何を読んできたのか、読書文化史というような興味である。無論ここには、リテラシーの歴史という観点が重要であることは言うまでもない。そのような配慮をしつつも、いったいどのような言語文化の歴史があったのか、古代から近現代にいたるまで考えている。次には、今の生きているこの世界が、なぜこのような世界であるのか、という問いかけである。これは、宇宙論から、進化論、さらには、現今の国際政治、社会の問題にまでおよぶ。今の世界が、他のなにものではなく何故このようになっているのか、このような問題意識を持ち続けていきたいと思う。

以上の二つのようなことを考えているのだがが、具体的に何を読もうと思うか、思いつくままに書いてみる。

これまでそんなに多く読むことのなかったが、例えば、鶴見俊輔がある。今でもその著作の多くは読める。今の時代を考えるためにも、読みかえしてみたり、新しくまだ読んでいない著作を手にしようかと思っている。

他には、埴谷雄高がある。『死霊』は若い時に、その始めの方の巻を手にしたのだが、全部を読んでいない。これは読んでおきたい。

ドストエフスキーの『未成年』の新しい訳がでている。『罪と罰』『カラマーゾフの兄弟』などふくめて、再読してみたい。それからトルストイも『アンナ・カレーニナ』『戦争と平和』など、改めて読みなおしてみたい。

日本の古典文学では、『源氏物語』を読みなおしておきたい。岩波文庫版でまとめて読もうと思って、これがまだ果たせていない。『平家物語』も読みなおしてみたい作品の一つである。

『リヴァイアサン』の新しい訳がでている。これは読もうと思っている。

他にもいろいろあるが、時間のゆるす限りで、古典を軸に本を読んでいきたいと思っている。どれだけ読めるか分からないが、老後の読書である。何よりも楽しみとして本を読んでいきたいと思っている。

2023年1月1日記

二〇二二年に読んだ本のことなど2022-12-31

2022年12月31日 當山日出夫

大晦日には、その年に読んだ本のことなどふり返ることにしている。

今年、読もうと思って読んでみたのが、川端康成、谷崎潤一郎である。川端康成は新潮文庫で今も出ている範囲のものは、読むことができたかと思う。多くの作品は、若いときに読んだことがある。再び読みかえしてみて、なるほど日本文学の中で傑作であると納得のいった作品もある。その一方で、今一つ作品世界にひかれないものもあった。川場康成が小説を書いていた時代と、今の時代と時の流れを感じる。

谷崎潤一郎については、基本は、新潮文庫で読んだことになる。それから、中公文庫で、新しい「全集」をもとにして、新しく作った本がいくつか出たので、それも読んだ。谷崎潤一郎も、若い時にいくつかの作品を読んだのだが、時を経て、自分も歳を取ってきて、しみじみとこれは紛れもない文豪の作品だなと感じるところがいくつかあった。『細雪』を読んだのは何度目かになる。これは、何度読んでも面白い。読むたびに、新たな発見がある。また、『細雪』に見られる上方文化への傾倒が、なみなみならないものであることも、他の作品で理解が深まったところもある。

三島由紀夫を読もうと思って、これは頓挫してしまった。若い時にいくつかの作品を読んでいる。今でも、そのほとんどの小説は文庫本で読むことができる。まとめて集中的に読もうと思いながら、『金閣寺』『潮騒』など読んだのだが、止まってしまった。非常に技巧的で、確かに巧みな小説であることは理解できる。とはいえ、時の経過ということも感じる。三島由紀夫の時代と、今の時代との隔たりを感じることがあった。

ここしばらく、秋には、授業の傍らに、何かまとめて読む本を設定して集中的に読むことにしていたのだが、今年は果たせなかった。

その他、この年に読んだ本で印象に残っているのは、高峰秀子がある。『わたしの渡世日記』を読んだ。名前は知っていて、名文家として知られることも知っていたのだが、なんとなく手を出さずにきた作品である。名エッセイであると同時に、すぐれた映画論であり、時代の記録になっている。

本を読む生活をおくりたいと思って生きているのだが、なかなか大部なまとまった本をじっくりと読むことができないでいる。『源氏物語』の岩波文庫版が揃ったので、これを読もうと思っていたのだが、果たせなかった。これは来年まわしである。

2022年12月31日記

二〇二二年に読みたい本のことなど2022-01-01

2022年1月1日 當山日出夫(とうやまひでお)

今年(二〇二二)に読みたい本のことなど書いてみる。

昨年末から、谷崎潤一郎を読んでいる。『少将滋幹の母』『盲目物語』など、中公文庫で刊行になっている。これは、中央公論新社版の「全集」をもとに、新しく文庫につくったものである。これなど読んでいると、谷崎潤一郎の作品を読んでみたくなっている。谷崎潤一郎は、若いころに一通りは読んだ作家である。その後、あまりしたしむことなく時が過ぎてしまって、今にいたっている。「全集」を買って読もうという気は起こらないのであるが、文庫本で出ている範囲ぐらいで、読みなおしてみたい。

まとめて読みなおしておきたい作家としては、川端康成や三島由紀夫などがある。これも「全集」ということではなく、今手にはいる文庫本の範囲ぐらいで、読み直しておきたい。昨年、読もうと思っていたのだが、読むことなく終わってしまった。

読んでおきたい作家としては、森鷗外がある。今、普通に手に入る文庫本の範囲は読んでいる。が、これをこえてさらに読んでおきたい。岩波版の「全集」は若いときに買って持っているのだが、しまったままである。

夏目漱石も、新しい岩波版の「全集」は持っているのだが、これも古い一七巻本の旧版の「全集」で読みなおしておきたいと思う。本文校訂の方針がちがっている。昔、高校生のころに読んだ本である。昔を思い出しながら読んでみたいと思う。

それから、持ってはいるのだがあまり手を出さずにいるのが、岩波の「日本思想大系」。全巻そろいである。これもぼちぼちと読んでいきたい。

次年度から、家を出るのが減る。教える仕事が少なくなる。無理に、もう増やそうとも思わない。時間をつくって、本を読みたいと思う。「思想大系」や「古典大系」(新・旧)、「古典集成」など、持ってはいるが読んでいない本が多い。これから、文学……思想や歴史などをふくめて……を、読むことに時間をつかいたいと思う。

考えなければならないこととしては、やはり「古典」ということがある。なぜ「古典」を読むのか。「古典」とは何か。浅薄な古典不要論が横行しがちな世の中にあって、自分自身で「古典」を読むことの意味を考えていきたい。

「古典」を読むことと、身近な草花の写真を撮ること、これをこの年も続けることができたらと思っている。

2022年1月1日記

二〇二一年に読んだ本のことなど2021-12-31

2021-12-31 當山日出夫(とうやまひでお)

大晦日は、一年の振り返りとしている。今年(二〇二一)に読んだ本のことなど、書いておきたい。

まとめてある作家の作品を読んだとなると、あまり読めなかった。読めたのは、小川洋子ぐらいだったか。現在手にはいる文庫本で、その小説作品のほとんどを読んだかと思う。透明感のある文章で、ちょっと変わった日常を描いている。なるほど、小川洋子の文学世界とはこんなものなのかと納得したところである。

他にまとまって読んだのは、山田風太郎の明治小説がある。筑摩版の全集と、ちくま文庫と、古本で買えるものは買って、明治小説というくくりで刊行されたものは、読んだことになる。私が、山田風太郎の明治小説を読み始めたのは、学生のころ、『警視庁草紙』を文庫本で買ってからのことになる。このころ、司馬遼太郎も読んでいたのだが、その「坂の上の雲」の世界よりも、山田風太郎の闇の世界、敗れ去ったものの世界に、より共感して読んだものである。その後、山田風太郎の明治小説の新作が出ると単行本で買って読んできた。そのため、ほとんどの作品は再読、再々読、ということになる。が、やはり、読んで面白い。歴史のなかに消え去った無名の人びとに思いをはせることになる。それから、山田風太郎で読んで再読しておきたかったのは、『戦中派不戦日記』がある。これは、年内に講談社文庫の新版で読むことができた。

北村薫の「名短篇」のアンソロジーが、ちくま文庫で刊行になっている。これも、まとめて読んでみることにした。このようなアンソロジーに入っていなければ、読むことなく過ぎてしまった作品、作家が多い。北村薫は、そのデビューのころから読んでいる。覆面作家であった時代である。その文章、作品もいいが、傑出した文学の読み手であることを感じた。

『戦争と平和』の光文社古典新訳文庫(望月哲男訳)が、六冊完結したので、まとめて読むことにした。以前に、新潮文庫、岩波文庫などでも読んでいる。新しい訳で読んでみて、なるほどこの作品が、世界文学のなかで名作とされている理由がようやく納得できた気がする。歴史を背景として、登場人物たちのドラマチックな人間模様が描かれている。

読めなかった本というと、『源氏物語』の岩波文庫版がある。今年、ようやく九冊が完結した。まとめて読もうと思って、これは積んだままになっている。

今年は、テレビのこともよく書くことになった。四月から始まった放送として、NHKが、「プロジェクトX」を再放送した。これは、録画しておいて欠かさず見た。放送の当時は、特に印象に残ることのなかった番組であるが、再放送を見ると、面白い。いくつかの番組は、昭和戦後の日本の普通の人びとの生活誌、生活史として、きわめて興味深い内容であった。

また、「映像の世紀」「新・映像の世紀」「映像の世紀プレミアム」も、再放送を、すべて見たと思う。見て思うことは、実に様々である。よくこんな場面の映像資料が残っていたかと驚くものがいくつもある。と同時に、残された映像資料に対する資料批判というという目も、必要になってくることを、強く感じた。

2021年12月30日記

らじる文庫「人見絹枝の自伝」2021-08-14

2021-08-13 當山日出夫(とうやまひでお)

このところ、まとまって本を読む時間がとれないので……夏の多忙な時期ということもあり、また、CVOVID-19のこともあり……PCでラジオを聞いている。

ラジオは、ラジオで聞くものだと思っているのだが、しかし、インターネットのおかげで、聞き逃し配信を、過去にさかのぼってきけるようになっている。これはありがたい。NHKを朗読をキーワードに検索するといろいろと出てくる。なかで気に入ったのが、「らじる文庫」である。

らじる文庫
https://www.nhk.or.jp/radio/audiobook/

今聞くことができるものとしては、「岡本かの子「食」に関する随筆」「山本周五郎の随筆」「夏の随筆」「人見絹枝の自伝」「野口米次郎随筆「梅雨」」などがある。どれも、おそらく、このシリーズの中に入っていなければ知らずに過ぎてしまっただろう作品ばかりである。

このうち「人見絹枝の自伝」が面白かった。人見絹枝は、オリンピックにおける日本で初の女性のメダリストということで知ってはいた。また、先年のNHK大河ドラマ「いだてん」にも登場していた。だが、それ以外のことは、ほとんど知らなかったといってよい。

この自伝の文章を聞いて(この場合、「読んで」とは書きにくい)……人見絹枝が高等女学校を出てから新聞社につとめた、最初女性スポーツ記者であったことを知った。無論、戦前のことである。スポーツの世界は、アマチュアリズムの時代でもある。女性記者をしながら、陸上にはげんでいた。

オリンピックに出場するのも、その費用は寄付によるしかなかった。そして、出場したオリンピックで、本来の種目である一〇〇メートルで敗退する。このままでは日本に帰れないと思った彼女は、八〇〇メートルにいどみ、そして銀メダルになる。

このオリンピックのことを軸に、競技にかける思いや、故郷の日本のことなど、実に率直に綴られている。文章としても非常にいい。(これは、NHKのアナウンサーが読んでいるので、そのうまさということもあるのだが。)

日本に帰った人見絹枝は、残念なことにまもなく病死することになる。(このことも、このラジオを聞いて知った。)

たぶん、放送の企画としては、今年のオリンピック開催にあわせたものだったろうと思う。私の場合、今年の東京オリンピックを、そんなにテレビを見るということもなくすごしてしまった。たまに、テレビをつけると、どの局もオリンピックしか放送していないので、たまたま見てしまうというようなことである。

オリンピックでメダルをとることの意味は、時代や国家、おかれた環境によって違う。人見絹枝の場合、今よりももっと国家の重圧というものがあったかと感じられる。しかし、そのような重圧があるとしても、遠い異国にあって、その地の風光のなかですごし、日本のことを思い、また、自らの競技のことを思っている。その感覚は、時として、非常に繊細である。

オリンピックは、様々なドラマを生んできた。そのなかにあって、人見絹枝の残した文章は、これからも読み継がれていく価値のあるものだと思う。

2021年8月12日記

100分de名著「ボーヴォワール 老い」上野千鶴子2021-08-06

2021-08-06 當山日出夫(とうやまひでお)

老い

上野千鶴子.『100分de名著 ボーヴォワール 老い』.NHK出版.2021
https://www.nhk-book.co.jp/detail/000062231272021.html

このシリーズ、テレビ番組を見るということはないのであるが、テキストの方は時々買って読んでいる。二〇二一年七月は、ボーヴォワールの『老い』であった。

ボーヴォワールは、いうまでもなく『第二の性』が有名。私の学生のころ、文庫本で読めた。(ただ、手にとったことはあると思うのだが、その読者ということはなく、今にいたってしまっている。フェミニズムについては、その重要性についての認識は持っているつもりだが、自分の研究のなかで特に言及することもなく、過ぎてしまっている。)

もし、社会が成人男性を軸に構成されているとするならば……そこから疎外されているのは、女性であり、子どもあり、そして、老人だろう。『第二の性』の著者が、『老い』ということに向かうことには、それなりの必然を感じる。

次のような構成になっている。

老いは不意打ちである
老いに直面した人びと
老いと性
役に立たなきゃ生きてちゃいかんか!

このような各章のタイトルを見ると、なるほど上野千鶴子の書いた本だなという印象をうける。

ところで、私も、もう老人といっていいだろう。仕事の方は、なかば引退したような形にしている。最低限、教えに出ることはあるが、それも可能な限り少なくしている。もう、本を作ったり、論文で何かを論じたりという気もおこらない。ただ、自分の好きな本を読んで、そして、空いた時間には、外に出て草花の写真をとっている。

年を取るということは、徐々に進行するものである。と同時に、ふとしたことで、閾値を超えて、もう老人だなと実感するところもある。

昨年からのCOVID-19の影響で、大学の授業がオンラインを基本とすることになってしまった。そこで、新しいシステムを使いこなしてのオンライン授業にチャレンジすることもできたかもしれない。が、その気にならないで時間が過ぎてしまった。自分の使える時間を、新しいことのチャレンジにつかうよりは、本を読むことにつかいたいと……強いて、考えるならば、この選択のなかで、本の方を選んだことになる。(これは、たまたま、教えている科目が、日本語の文字や表記の歴史的な側面にかかわることであったので、文章に書いたものを提示して、それにレポートなどを書いてくる、この方式で、十分に対応できるものであったということもあるのだが。)

基本的に、規則正しく同じ生活を送っている。毎週、毎日、NHKの大河ドラマを見て、朝ドラを見て、思ったことなど書いてみたりしている。外に出て、花の写真を撮って、週に一回は、それをこのブログに載せるようにしている。その他は、読んだ本のことなどである。

COVID-19の影響のなかで、いつの間にか、老人への閾値を超えてしまったと実感するところがある。もう、無理に、若くあろうとする必要もないと思う。といって、老け込んでしまうこともないのであるが。老人には老人の生き方があるであろう。私の場合であれば、余生の時間をつかって、本を読むことをつづけていきたい。

どれだけ読めるか分からないが、古典、文学……広義に、歴史や哲学までをふくめて……を読むことに時間をつかって生きていきたいと思う。(それにしても、今では『第二の性』が普通に手にはいらなくなっているようだが、できればこれも再度手にしてみたい本の一つである。)

2021年7月27日記

『原節子の真実』石井妙子2021-07-19

2021-07-19 當山日出夫(とうやまひでお)

原節子の真実

石井妙子.『原節子の真実』(新潮文庫).新潮社.2019 (2016.新潮社)
https://www.shinchosha.co.jp/book/340011/

原節子の映画を映画館で見たのはどれくらいあるだろうか。はっきりと覚えているのは、『我が青春に悔いなし』(黒澤明監督)は、見たのを覚えている。小津安二郎監督の映画のいくつかも、映画館で見た記憶はあるのだが……私の学生のころ、小津安二郎の映画は、場末、もう今ではこんなことばは使わないが、しかし、このようないい方しか思い浮かばない、で上映されていたものである……はっきりと原節子と意識して見たという記憶はない。

原節子の名前を意識するようになったのは、近年になって小津安二郎の作品が再評価されるようになってからのことである。それまで、日本の女優の……特に美人の……一人という認識でいたかと思う。ただ、一般的な知識としては、いつの間にか日本の映画界から姿を消して隠棲してしまった、謎の多い女優ということは思っていたかと思う。

「女優」のことばをつかって書いてみたが、近年では、このことばは、あまりつかわないことばになってしまっている。女性であっても、俳優というのが、ちかごろのならわしである。だが、原節子については、私は、女優と書いておきたい気がしてならない。女優として仕事をし、生きて、そして、「原節子」という女優を残して、この世を去ったのが、まさしく原節子だろうと思う。

この原節子を、テレビで見ることがあった。小津安二郎の映画の放送もあるのだが、そうではなく、NHKの「映像の世紀」のシリーズにおいてである。そこでは、原節子は、戦前の日本とドイツとの合作のプロパガンダ映画の主演である。また、戦時中は、真珠湾攻撃を描いた『ハワイ・マレー沖海戦』にも出演している。これらのことは、テレビを見ていて知った。

この本『原節子の真実』のことは、知ってはいたが、今まで手にとることなく過ぎてしまっていた。ふと思って、手にしてみた。なるほど、原節子とはどのような人生をあゆんだ人間なのか、得心がいったというところであろうか。まさに、小津安二郎の映画に登場する女性のイメージである。(だが、実生活において、煙草をすいながら酒を飲んでいたというのは、ちょっとそぐわない気がしないでもないのだが。)

石坂洋次郎は『青い山脈』を書くにあたって、原節子をイメージして書いたという。さもありなんと思う。新しい時代の女性というイメージが確かにある。が、その一方では、小津安二郎作品などでは、逆に古風な価値観の女性を演じてもいる。

今は、時間のあるときは、本を読むようにしている。読めるときに読んでおきたいと思う。そして、時間があれば、外に出て、草花の写真をとっている。が、これも、本を読むのに倦むときがくるかもしれない。そのときはどうしようか。DVDで、映画でも見ようかと思う。若いときに、そのいくつかを見たことのある、小津安二郎の作品でも、じっくりと振り返って見てみたい気がする。

しかし、原節子自身は、小津安二郎監督作品については、自分の代表作ではないと思っていたとのことである。原節子の生きてきた「原節子」は、ついに演じきられることな終わってしまったということなのかもしれない。

また、この本は、原節子という女性の生き方をたどることによって、日本の映画史の一面を描いた作品にもなっている。これはこれとして、興味深いところが多々ある。

2021年7月13日記

二〇二一年に読みたい本のことなど2021-01-01

2021-01-01 當山日出夫(とうやまひでお)

今年(二〇二一)に読んでみたい本のことなど書いてみる。

一昨年、夏目漱石を新潮文庫版で読むことをしてみた。昨年は、芥川龍之介、森鷗外、それから、太宰治について、新潮文庫で今出ている本で読んでみた。今年は、このつづきとして、谷崎潤一郎、三島由紀夫、川端康成など、読んでみようかと思っている。

今その「全集」を手にいれようと思えば、かなり安価で簡単に買えるようになってきてはいる。しかし、「全集」を読むのはやや気が重い。ここは割りきって、今の新潮文庫で読める範囲と限って読んでみるのも、一つの方針かと思う。

岩波文庫の『源氏物語』は、今年には完結するだろうと思う。これも、本編の部分については、読んでいる。残っているのは、「宇治十帖」である。全巻完結したら、最初にもどって、岩波文庫版のテクストで、通読してみようと考えている。(これも、新日本古典文学大系のテクスト……大島本に忠実……について、いろいろ考えることもあるだろう。だが、老後の楽しみの読書である。テクストは、読みやすければそれでいいと思うようになってきた。)

昨年の暮れから冬休みの読書と思って読んでいるのが、向田邦子。そのエッセイ、小説などを読んでいる。昨年末に読んで印象に残っているのが、柳美里の『JR上野駅公園口』。柳美里の他の作品も読んでみたい。また、日本の現代作家として、小川洋子とか、多和田葉子とか、読んでおきたくなっている。

昨年から話題の本といえば、『ディスタンクシオン』がある。これは読んでおきたい。

その他には、村上春樹の翻訳作品などで、まだ読んでいないものがかなりある。小説家としての村上春樹については、評価の分かれるところがあるかと思うが、海外文学の目利き、翻訳ということについては、非常にいい仕事をしていると思っている。村上春樹訳ということで、読んでおこうと思う。

COVID-19の影響がどうなるか、まったく予断をゆるさない。たぶん、この年も居職の生活になるかと思う。家にいる限りは、本を読む生活をおくりたいものである。古典を、文学を、読みたいと思う。そして、時間があるときは、カメラを持って外にでて身近な草花の写真など撮っていきたい。

2021年1月1日記

二〇二〇年に読んだ本のことなど2020-12-31

2020-12-31 當山日出夫(とうやまひでお)

今年(二〇二〇)に読んだ本のことなど思いつくままに書いておきたい。

今年、まず読んでみたのが、宮尾登美子であった。『櫂』をふと読みなおしてみたくなって読んだ。それから順に自伝的作品をはじめとして、主な作品を読んだ。これほど人びとの日常生活の情感、人間の喜怒哀楽、生老病死にまつわる思いなどを、細やかに描いている作家は、希かもしれない。宮尾登美子については、読もうと思って買って、まだ手にしていない作品がいくつか残っている。これらについては、来年になって読むつもりでいる。

『復活』(トルストイ、藤沼貴訳、岩波文庫)を読んだ。『復活』を読んだら、カチューシャの唄を思い出してしまう。その流れで、『放浪記』(林芙美子)など読みなおしてみた。トルストイの作品では、『戦争と平和』(藤沼貴訳、岩波文庫、全六冊)も読むことができた。これは、以前に、新潮文庫版で読んだことがある。そして、今は、光文社古典新訳文庫版が刊行中である。これは、順番に買っている。全巻そろったら、まとめて読もうと思っている。

日本の古典では、『太平記』(岩波文庫版)を読んだ。『太平記』は、若いころに日本古典文学大系版で手にしたことはあるのだが、最初から通読するのは始めてになる。底本をいい本をつかっている。だが、岩波文庫につくるということで、国語学的に見て興味があるところについて、その本文校訂については、若干の不満があるというのが、正直なところである。が、ここは、もう老後の読書である。そのようなことはあまり気にせずに、ただページをめくっていく読みかたで読むことにした。『太平記』については、他に、古典集成や、新編日本古典文学全集のテキストもある。これらの本でも、読んでおきたいと思う。

『風と共に去りぬ』(岩波文庫版)も再読してみた。この作品については、旧版新潮文庫、新版新潮文庫、岩波文庫と読んでいる。このうち、岩波文庫版について、再読しておきたくなって読むことにした。やはり、この作品は、ある時代の人びとの世界を活写していると強く感じる。

今年読んだ本のなかで、一番印象に残っている本は、『文学こそ最高の教養である』(光文社新書)である。ここに取り上げられている本について、全部読んでみようと思って、だいたい順に読んでみた。このうち『失われた時を求めて』については、岩波文庫、集英社文庫で、すでに読んでいる。この光文社古典新訳文庫版でも、既刊分については、読んでおくことにした。『文学こそ最高の教養である』は、光文社古典新訳文庫を基本に、古今東西の「古典」を解説してある。すぐれた文学論、古典論であり、また、翻訳論になっている。このようなことを思い立っていなければ、読まずにすましてしまったような作品が多い。時には、このような読書の方針もあっていいと思う。

新潮文庫で読める範囲に限定して、現在刊行されている本を読んでみようと思った。芥川龍之介を読み、森鷗外を読んだ。芥川龍之介も、森鷗外も、その岩波版の全集は持っているのだが、全集に手を出すのが億劫になってきたということもある。現在でも刊行されている範囲の文庫本に限って読むというのも、一つの考えかと思っている。

太宰治も、新潮文庫版を全部読んだ。その代表作の主なものは、若いときに手にしたことがあるのだが、改めて、ほぼ発表年代順に読んでみた。太宰治は、新潮文庫で、その小説のほとんどを読むことができる。特に、その中期といわれる時期……ほぼ戦争中になるのだが……に書かれた作品に、文学的にすぐれた作品がある。いまだに太宰治が読み継がれている理由が分かったかと思う。

ともあれ、この二〇二〇という年は、COVID-19の年として歴史に残るであろう。いや、来年もどうなるか、まったく予断を許さないのだが。大学の授業は、前期はオンラインということになった。外に出ることが基本的になくなった。学会、研究会なども、ほぼ中止か、オンライン開催であった。結果的には、居職の生活となった一年である。どれほど本が読めたか、ふりかえってみれば、思い残すところもある。来年もつづけて、本を読む生活をおくりたいと思っている。

2020年12月30日記

今年読みたい本のことなど(二〇二〇)2020-01-01

2020-01-01 當山日出夫(とうやまひでお)

元日は、今年の気持ち、特に読んでみたい本のことなど書くことにしている。

昨年の暮れから読んでいるのが、宮尾登美子。ふとWEBを見ていて、Facebookだったか、Twitterだったか……誰かが宮尾登美子の『櫂』について書いているのが目にとまった。『櫂』は、若いときに読んでいる。もう一回読んでみようかと思って読んだのだが、面白い。続けて、自伝的な作品である『春燈』『朱夏』『仁淀川』と読んだ。宮尾登美子の作品のいくつかは、若いときに読んでいる。好きな作家であった。が、最近は遠ざかってしまっていた。亡くなっていることも知らなかった。

宮尾登美子は、市井の人間の情感を描いている。それも、老いとか、病とか、死とか……素朴な人間の情感をきめ細やかに描いている。ここは、宮尾登美子の作品を読んでおきたくなった。再読の作品もあれば、未読であったものを新たに読むものもある。

日本の古典文学を読んでおきたい。これまで、勉強……国語学……ということで、主な日本の古典文学は手にしてきたのだが、それをはなれて、純然たる読書のたのしみとして、ページを繰ることをしてみたくなった。昨年は、『源氏物語』『平家物語』『今昔物語集』など読んだ。

『源氏物語』の岩波文庫版が、今年は完結するだろうか。昨年は、新潮日本古典集成版で二回読んだのだが、新しい岩波文庫版の校注で全巻を読んでおきたいと思う。

昨年末からよみはじめているのが、『太平記』。岩波文庫版で六冊になる。新しい校訂である。これは新潮日本古典集成版もあるし、また古い日本古典文学大系もある。『太平記』は、近年になって、再評価がなされているかと思う。「アナホリッシュ国文学」が『太平記』を特集している。これなど手引きとして、『太平記』を読んでおきたいと思う。

これは、「古典は本当に必要なのか」ともかかわる。近世まで、あるいは、昭和戦前まで、『太平記』は「古典」であった。だが、私が国文学、国語学という勉強をしていたころ、日本の「古典」の中心的な存在ではなくなってしまっていたと思う。「古典」とは、常に読まれつづけることによって、新しく読みを加えることによって、再発見、再生産されていくものであると思っている。ただ、自明なものとして「古典」があるのではない。

この「古典」とは何かということについても、これから考えていきたいと思っている。

村上春樹の作品については、その小説(長編、短篇)を読んで、エッセイとか翻訳とかを読んでいる。村上春樹の翻訳は、中央公論新社で、村上春樹翻訳ライブラリーというかたちでまとまって刊行されている。これを順次読んでいきたい。昨年のうちに、レイモンド・カーヴァーなどだいたい読み終えた。のこる作品についても、順番に読んでみようと思っている。

『失われた時を求めて』の岩波文庫版、全一四冊が、昨年完結した。この作品については、一昨年に、岩波文庫版の既刊分(一二冊)を読んで、残りを集英社文庫版で読んだ。『失われた時を求めて』は、他に、光文社古典新訳文庫版でも刊行されている。まだ途中までしか出ていないが、これも、既刊分については読んでみたい。また、読まなかった岩波文庫本の残り二冊についても、読んでおきたい。

さらに思うことは、ミシェル・フーコーを読んでおきたいと思う。名前は知っている。どんな仕事をしたひとなのかも、いろんなところで目にする。だが、これまで、ミシェル・フーコーそのものを、じっくりと読むことがなかった。「近代」というもの、あるいは、「人文学」というものを考えるとき、やはりミシェル・フーコーは必須だろう。これも今年の読書の希望の一つである。

漱石も読み返しておきたい。若いときに買った、一七巻本の古い全集がまだどこかにあるはずである。今度読むときは、これを取り出して読むことにしようかと思う。活版の時代の本である。

その他いろいろとあるが、「古典」「文学」を読むことで時間をつかいたいと思っている。そして、残りの時間で、身近な草花の写真など撮ってすごしたいと思う次第である。

ところで、大晦日の日、たまたまテレビをつけたら、映画『風と共に去りぬ』を放送していた。『風と共に去りぬ』は、これまで三回読んでいる。新潮文庫の旧訳、新訳、それから、岩波文庫である。この作品も、再度読んでみたくなった。

2020年1月1日記