「20年目の花火」2024-12-07

2024年12月7日 當山日出夫

ザ・ベストテレビ 「20年目の花火」

事故や事件の「加害者」の側を取材するということは、あまりないことである。多くの場合は、「被害者」の側にたって、こんな理不尽なめにあった可哀想なひと、という視点で作ることが多い。

南国花火の社長の心中は、いったいどうだったのだろうか。二〇年の間、何を考えてきたのだろうか。同じ会社の名前を存続させて、花火にかかわる仕事をつづけてきたといのは、そこに深く考えることがあってのことにはちがいない。

いろいろと思うことがあるが、それが、見るものの想像力に任されているというところが、ある意味でもどかしくもあり、また、この番組の奥行きの深さにもつながる。

事件とか事故とかがあった場合、よく犯人の心の闇、というようなことを言う。はたして、そう簡単に人間は心のうちを理解できるものなのだろうか。それは、自分自身でもよく分かっていないにちがいない。自分の心のうちは自分が一番よく分かっているというのは、傲慢である。逆に、専門家……精神科医であったり、臨床心理士であったり……なら、それが分かるというものでもないだろう。なにがしかの説明はできるかもしれないが、これもまた、人間というものを分かっていないと言わざるをえない。かといって、専門知が不要ということではない。せいぜいできることは、分からないことについて、社会的に合意できる形を与えること、といっていいかと思っている。

それにしても、近年、花火というのは、手軽に見るものではなくなってきた。花火大会は、有料の観覧席のチケットを購入するお客さんだけのもの、という流れになってきている。いろんなコストなどのことを考えると、これはやむをえないのかもしれないが。

2024年12月6日記

「エド・ゲイン事件 サイコと呼ばれた男」2024-12-07

2024年12月7日 當山日出夫

ダークサイドミステリー 本当の恐怖はどこにある?エド・ゲイン事件 サイコと呼ばれた男

再放送である。二〇二四年の四月。これは見逃していた。先月の放送を録画しておいて、ようやく見た。

エド・ゲイン事件の真相は、結局は分からない……私は、これでいいと思う。

今でも、日本においてもいろんな事件が起こる。凶悪な事件、理不尽な事件、大量に被害者が出るような事件、そのとき、マスコミがそうなのだが、犯行理由、犯人の心の闇とか、さらには、犯人の生いたちや家族などにも話しが及ぶことが多い。それで、なにがしか分かることはあるかもしれない。

しかし、人間の心のなかの奥底、精神の複雑な部分、すべて理解できるというのが、そもそもおかしいのだと、私は思う。人間なんてわからない、いったいどんなことをするか、わからないこそ人間である。だからといって、異常犯罪、猟奇犯罪を擁護する気はないけれども、むしろ、人間の精神は科学的に理解できる、なにか異常ががあるからこそ犯罪をおこすのだ、という人間観の方が、より問題であるかと思う。(おそらく、精神医学や心理学の専門家は、このような人間観について懐疑的なのだろうと思うが、どうだろうか。)

また、エド・ゲイン事件については、これを、その後の人びとがどう消費していくのか、ということも興味深い。映画『サイコ』などのような形、表現を与えられて、人間はようやく落ち着きを取り戻すことができるといっていいだろう。

エド・ゲイン事件とは関係ないが、『冷血』(カポーティ)とか、これとあえて同じタイトルを選んだ『冷血』(高村薫)とかも、結局は理解できない人間の心の奥底にあるもの、ということを描いているのだと、私は理解している。

2024年12月2日記

ザ・バックヤード「足立美術館」2024-12-07

2024年12月7日 當山日出夫

ザ・バックヤード 足立美術館

足立美術館は名前は知っているが、行ったことはない。我が家からはちょっと遠い。

この美術館のことは、時々、テレビ番組で紹介される。特に、その庭園のことについてである。(美術館なのだから、まずはそのコレクションの紹介がメインであるべきだと思うのだけれども。)

これまでいくつかの番組であつかわれてきたこととちょっと違うかな(この「ザ・バックハード」の特色を出したのかな)と感じるところがいくつかあった。

庭園の掃除は、庭師だけの仕事ではなく、学芸員や職員が総出で行っていることだということ。窓拭きもやっている。

また、植え替え用の松の木や、苔が、まさに「バックヤード」において準備されているということは、興味深かった。庭の苔などは、その上に落葉がつもったりすると、駄目になってしまう。これは、我が家の周囲を観察しているとよく分かる。番組では言っていなかったが、この予備の苔の手入れだけでも、かなり手間がかかっていることと思う。

松の木の選定を手作業で行うのは、特に特殊なことではない。基本的に松の木の手入れは、植木屋さんが手で行う。我が家にも二本の松の木があるが、その剪定だけで、職人さんが一日がかりで手作業で行っているのを、毎年見ている。(それだけ、維持コストがかかることになるのだが、やむをえない。)

2024年12月5日記

「有吉佐和子スペシャル (1)埋もれた「女たちの人生」を掘り起こす」2024-12-06

2024年12月6日 當山日出夫

100分de名著 有吉佐和子スペシャル (1)埋もれた「女たちの人生」を掘り起こす

有吉佐和子の作品のいくつかは、高校生から大学生ぐらいのときに読んだ。『華岡青洲の妻』も読んだ作品である。

番組のなかで紹介されていた、留学から帰ってきた夫の清州をむかえたときの、嫁と姑の様子は、印象に残る場面である。朗読では出ていなかったが、その後の描写を憶えている。姑に先をこされた、妻の加恵が、一人残され自分の用意してきたたらいのお湯を捨てて、そこから湯気がたちのぼるシーンである。(まったく記憶で書いているのであるけれど。)

ちょっと気になったことがある。番組では、この作品を家をあつかった作品、そのなかにおける女性の存在を描いた作品と言っていた。ことばとしては使っていなかったが、いわゆる家父長制的封建的前近代的な家の悪習として描いたということになるだろうか。

私は、この解釈はありうるもので、特に否定しようとは思わない。だが、その一方で、家というものが、そのようなものとして意識されるようになったのは、歴史的経緯があってのことだとは思っている。おそらく江戸時代までの、日本の人びとの暮らしは、もっと多様であったにちがいない。地域差、身分差、階層差、職業の違い(武士とか農民とか、また農民のなかでの様々な違い)、これらを総合して見なければならないだろう。

独断的に言ってみればということであるが、家というのが強く意識されるようになったのは、明治になってから旧民法の規定があり、その余韻が強くのこっていた、昭和の戦後のしばらくの時代……これは、まさに有吉佐和子の活躍した時代であるが……戦後の高度経済成長に合わせて、あるべき家庭の姿としてイメージされたのが、旧来からの家であり、それが、日本の古来よりの姿であると考えられるようになった、いわばかなり社会構築的なものである、今の私はこのように考えている。日本に住んでいた多くの人びとの生活の実態は、歴史学(歴史人口学や民俗学)において、あらためて考えられるべきこととであると思う。

人びとの生活の実態(それは多様であったはずだが)、イメージとしての家や社会のあるべき姿、法的な規範(特に民法)、どこに視点をおくかによって、見えるものや問題意識は異なってくるはずである。

『華岡青洲の妻』は、まさに戦後の時期において、日本の人びとがいだいていた、古来からの日本の家というもののイメージを文学として表現したもの、それを時代小説に投影したもの、そう考えていいだろう。

有吉佐和子を今日のフェミニズムの先駆的な存在として読むことも可能であろうが、この番組では、かならずしもその立場をとっていない。フェミニズムも、いろんな考え方のなかの一つである、という立場であった。

それから、どうでもいいことだが、『華岡青洲の妻』が刊行された当時の新聞の広告が映っていたが、値段が三五〇円だった。いまでは、文庫本でもそんな値段では買えない。

2024年12月3日記

「こどもホスピス いのち輝く第2のおうち」2024-12-06

2024年12月6日 當山日出夫

ザ・ベストテレビ 「こどもホスピス いのち輝く第2のおうち」

終わったあとのトークのなかで、森達也が、ホスピスをあつかった番組というと、どうしてもステレオタイプで見てしまうことになる……という意味のことを言っていたが、この番組は「こどもホスピス」というタイトルから受けるステレオタイプの見方を、超えている。このようなテーマの場合、どうしても、難病におかされたかわいそうな子どもという視点で見てしまいがちなのであるが、こどもホスピスは、そうではない、おそらく真の意味でのQOLを考えることに、その存在意義がある。

見ながら思ったこととしては……このように子どもに特化したホスピス……患者である子どもだけではなく、家族やまわりの人びと全体を支援する、QOLを考える……は、確かに必要であり、今後、もっと増えていくべきである。このような考え方、病気の子どもだけでなく、その家族を含めた全体的なサポートということが、おそらく今の日本の医療には、欠けている部分かと感じる。

狭い意味での医療……医学というサイエンスでありテクノロジー、と言っておくが……ではとらえきれない、それより広い範囲での人間の尊厳という側面に光をあてて、人間の生き方として全体を考える、このことの重要性を強く感じる。(こういうことがらをふくめて、医学というべきなのかとも思う。)

この意味では、別に対象者が子どもに限らない。成人であっても、(私のように)もう年老いた人間であっても、この視点は重要である。まあ、年齢によって、あるいは、家族の構成などによって(その病気になっているのが、子どもであるか、配偶者であるか、親であるか、それとも自分自身であるか)、その対応は個別に考えられなければならないという側面もあるだろう。

TURUMIこどもホスピスは、寄付によって設立され運営されている。WEBで見てみると、大きく関与しているのは、ユニクロと日本財団、ということになるようだ。その他に、個人からの支援もある。別にこのようなことは、特に番組内で言うほどのことではなかったかと思うが。

税金で運営すると、子どものためのゲーム機などを購入するときに問題が発生するかも、ということ、番組のディレクターが言っていた。こんなことは、ソニーとか任天堂が、実物を寄付すればいいだけのことだと思うのだが、それではうまくいかないということがあるのだろうか。

登場していた家族は、子どもが亡くなるまでの映像記録をとってはあるのだが、まだ見ることができないでいる。しかし、このような趣旨の番組のためであるなら、ということで提供してくれたとあった。このことは胸にせまるものがある。

ちょっと批判的な目で見てみると、ということになるが、登場していた家族は、映像で見るかぎりであるが、その生活はかなり裕福であると推測される。おそらく難病におかされる子供たちは、貧富のちがいなく存在するはずである。こどもホスピスという以前に、経済的援助が必要な家庭、あるいは、子どもたちも、多くいることだろう。

それから気になったことがある。番組のなかで触れていなかったことである。作文を発表していた小学生。自分が小児がんであることで、学校の友達が特別視することについて、そのようにしないで普通にあつかってほしいと語っていた。これは、そのとおりであろう。ただ、これが、大坂の豊中の事例であった。豊中市は、おそらく全国のなかで、インクルーシブ教育を推進している自治体である。障害がある子どもを、普通の学校で同じように受け入れる方針をとっている。その豊中においても、いや、だからこそというべきことかもしれないが、このように感じる子どもがいることは、印象に残ることであった。

やはり思うこととしては、本当の意味でのQOLを考えることが、医療や福祉、社会全体としてのあるべき姿である、ということである。子どもに限らずであるが、笑顔で生きられること、これを考えなければならない。

2024年12月5日記

『坂の上の雲』「(12)日英同盟(後編)」2024-12-06

2024年12月6日 當山日出夫

『坂の上の雲』「(12)日英同盟(後編)」

ロシアと日本は戦争しない。なぜならば朕がそれを欲しないからである。このニコライ二世の科白に、今のロシアのプーチン大統領の姿をイメージしたという視聴者は多いのではないだろうか。現実には、プーチンはウクライナとの戦争を欲したことになるのだが、その思考法は類似したものを感じる。大国であるロシアに、戦争するかどうか、終わらせるかどうか、その判断が委ねられているのである、と。

だが、歴史的には、ロシアは日露戦争をどう考えていたのだろうか。東アジアへの侵略、権益の拡張ということは、一九世紀の帝国主義の時代にあっては、これこそが国家の正義であった。それが、二一世紀の現代では、北極海の覇権というところにまで拡大している。

このドラマは、日露戦争をあくまでも日本の立場から描いている。これは当然のことである。だが、想像力として、ロシアにとってはどのような意味があったのか。また、中国(清)にとっては、李氏朝鮮にとっては、どうだったのだろうか。

日露戦争というと思い出すのが、映画『東京裁判』(小林正樹監督)である。見たのは若いとき、東京に住んでいるときだった。東京裁判で、ソ連の主張は、日露戦争は日本の侵略戦争であった、というところから説きおこすものであった。それほどまでに、ソ連は、日露戦争のことを、大東亜戦争につらなる歴史のはじまりとしてとらえていたということになる。たしかに、日本の朝鮮半島や満州への進出、侵略は、そう考えることもできる。

だが、一方で、当時の日本にとっては、東アジアにおける権益(それは帝国主義的なものであるが)を確保するための、防衛戦争であった、こう主張することもできよう。

いずれにせよ、清や朝鮮にとっては、迷惑な話であるにはちがいない。

広瀬武夫とロシア海軍士官のボリスとの友情が描かれていたのだが、これは、士官どうしという関係で理解することになる。その他多くの、一般の兵卒にとって(日本兵、ロシア兵ともにであるが)、日露戦争とはどんな体験だったのだろうか。少なくとも日本という国民国家にとっては、まさに国民国家としての日本を強く自覚することになる体験であったことは確かだろう。このあたりのことは、今日の価値観で評価するというよりも、その当時の人びとの生活感覚としてどうであったか、ということを考えてみることになる。

夏目漱石の『三四郞』のなかで、広田先生は、日露戦争後の日本について、亡びるね、と言っていた。これは、かなり特殊な事例として、漱石が描いたものだろう。逆にいえば、その当時の多くの国民にとって、一等国になった誇りというものは、あったにちがいない。だが、これも、『三四郞』の読者(この小説は「朝日新聞」に連載された)にとってのことで、列車のなかでのりあわせた女性(名古屋で一緒の旅館に泊まることになる)や、爺さんなどにとって、庶民的な生活感覚としては、また異なるものがあったことにもなろう。

滝廉太郎の『荒城の月』が演奏された。アリアズナのピアノである。作詞は土井晩翠であるが、この詩のモデルの城はどこであるかは、諸説あったかと記憶する。

広瀬武夫はアリアズナと別れる。アリアズナの灰色の瞳が魅力的である。このドラマではあまり女性が登場しないが、その中でとりわけ魅力的な女生として描かれている。原作の『坂の上の雲』には、アリアズナは登場しない。そもそも広瀬武夫のことは、出てこなかったかと記憶する。どうだったろうか。

伊藤博文を、平和主義者として描いていた。その最期がどうであったかということを踏まえて、実は、侵略主義的なことを考える人物ではなかった、ということになるのかもしれない。

伊藤博文がニコライ二世と英語で話をしていたが、この当時のロシア、あるいは、外交の儀礼としては、フランス語であった方が普通だったかもしれない。

2024年12月5日記

「追いつめられる高齢出稼ぎ労働者 〜中国・西安〜」2024-12-05

2024年12月5日 當山日出夫

Asia Insight 追いつめられる高齢出稼ぎ労働者 〜中国・西安〜

再放送である。最初の放送は、二〇二三年八月。

中国の経済発展については、主に都市部に住む人びとの暮らしぶりで紹介されることが多い。それも、今では、建設途中で止まって廃墟になったビルの映像が多くなってきた。

そのような中国の経済発展をささえたのが、農村部出身の労働者、農民工であることは知られていることだろうと思うが、その生活の様子が報道されることはほとんどないといってよい。

中国で労働者の定年が、男性が六〇才、女性が五〇才、というのが普通らしい。このような人たちの老後を支えるのが年金ということになるが、その支給は十分ではない。働いていたときの二〇分の一だという。(これは、どう考えても日本よりひどい。)

高齢になっても仕事を求める。それも日雇いの肉体労働ということであるが、それでも仕事が十分にあるわけではない。集まって手配師から仕事をもらうことになるのだが、これは、日本における日雇い労働者の街の有様と変わらないという気がする。日本の場合、それでも、いろんな支援団体などがあるし、低価格の宿泊施設もあったりする。社会の労働力としては、このような部分もある意味では必要になってくるのか、という気はしている。だが、そこに援助の手助けは、公的にも、あるいは、ボランティアであっても、必要だろう。

しかし、中国の場合、このような人たちに対する支援はないようである。公的な社会福祉政策の対象として考えなければならないはずだが、今の中国政府にはそのようなことは考えていないようだ。

少子高齢化は中国の予想される、いや、確実にやってくる近未来の姿である。このとき、農民工であるような年老いた人たちはどうなるのだろうか。病気になっても、医療保険制度が整っていないと、みじめな末路ということになる。(さて、以前、「ドキュメント72時間」で中国のがん専門病院のことをあつかっていたが、中国でがんになると、その治療費が大きな負担になる。)

中国の経済発展から取りのこされたと感じる人びと……年老いた農民工であり、あるいは、都市部でも就職できない若者であったり……が、これからの中国のなかでどのように処遇されることになるのか、国家のゆくすえと大きくかかわることであることはまちがいないだろう。

2024年12月4日記

「毛沢東 革命と独裁」2024-12-05

2024年12月5日 當山日出夫

映像の世紀バタフライエフェクト 毛沢東 革命と独裁

私が中学生のころだったと記憶するが、ラジオをつけて北京放送を聴いていたときがある。内容的には、絶望的と思えた病気について、医者たちが「毛沢東語録」を読んでその精神にしたがったら手術が成功した、というたぐいの、今から思えばなんともたあいないプロパガンダ放送であった。しかし、その時代、毛沢東は英雄であった。中国の人民をひきいる文化大革命の指導者であった。

また、揚子江を泳いでいる毛沢東の映像をテレビで見たのも記憶している。毛沢東の復活を印象づけるシーンであったことになる。

京都の街の書店でも「毛沢東語録」が売られていた。岩波文庫でもあった。これは今ではないようだが、調べると、平凡社ライブラリー版が今でも手に入る。その内容は別にして、歴史的文献として、手に入るように刊行されていることは、いいことだとは思う。

たぶん、日本では、世代によって毛沢東への評価や感じ方は、いろいろだろう。中国の革命の英雄として評価することもできるが(私の印象ではこの側面が強い)、一方で、大躍進政策、文化大革命で、その失敗によって、中国を混乱させ大規模な粛正を行ったことも、認めなければならない。これは、もうすこし時間がたってからでないと難しいことかと思う。少なくとも、中国共産党の一党支配独裁体制が終わってからでないと、無理だろう。

ただ、思うことは、今の中国で毛沢東の再評価が行われていることは、私としては危惧の念をいだくことになる。これは専門家の判断を聞きたいところであるが、経済が低迷するなかで、若者や地方の人びとにとって、革命の夢を再び、ということなのかもしれない。人びとの社会に対する閉塞感があるのかとも思う。

将来のこととしては、中国は民主化するだろうか。まあ、民主化といってもいろんな場合があるが、普通選挙による代議制民主主義、三権分立、ということが、中国で実現するだろうか。そして、それを、今の中国の領域内……無論、台湾を除いて考えることになるが……にすむ、数多くの人びとは納得するだろうか。

アメリカでの李鋭の日記の裁判の件。これはどうなるだろうか。もし、中国に返還となっても、それは、アメリカで全部をデジタルアーカイブして残してということにはなるだろうか(おそらくこれは秘密裏に)。それを公開するかどうかは、また別の判断であるが、中国に渡して実物が廃棄されることになるよしマシである。

2024年12月3日記

「膨張と忘却〜理の人が見た原子力政策〜」2024-12-05

2024年12月5日 當山日出夫

ザ・ベストテレビ ETV特集「膨張と忘却〜理の人が見た原子力政策〜」

今年(二〇二四)のベストテレビである。このETV特集は、見損ねていた(録画し損ねた)ものだった。ETV特集は、基本的に見ることにしているが、全部を必ず見ているということではない。

たしかにいい番組である。このことは認める。そのうえで、やや批判的に思うことを書いてみる。

番組の中では、「科学技術」ということばをつかっていた。吉岡斉もこのことばをつかっていた。一般的なことばとして問題ないようなのだが、今の私としては、「科学」と「技術」は、可能な限り分けて考えることにしたい。「科学」というのは、あくまでも「サイエンス」という方法論で、自然界に対する探求を意味するものであると理解しておきたい。その根底にあるのは、人間の知的な探究心である。その「科学」を使って生み出され、また、逆に「科学」を推進するものが、「技術」である。

とはいえ、実際には「科学技術」ということばで、この両者が融合して用いられていることはたしかである。また、大学の学部名で、理工学部というのが普通であるが、しかし、理学と工学は、基本的に異なるものであるという認識も必要かと思う。

(ちなみに、私は、「人文科学」ということばは使わない。「人文学」は「サイエンス」の方法論では語りえないものであると思うからである。)

「科学」(サイエンス)の観点から見た合理性と、「技術」あるいは「科学技術」の観点から見た合理性は、同じといえるだろうか。また、経済の観点からの合理性はどうなるのだろうか。さらにそのうえに、政治としての判断がからむことになる。政治については合理性で考えることは難しいかもしれないが、少なくとも政治の安定性(継続した国家の統治)という視点は必要になるかもしれない。これらを、総合して考えるということが、吉岡斉の言ったことであると理解している。

そのうえで、この番組が高く評価できるとすると、国の原子力政策決定のプロセスにおける「合理性」「透明性」ということを、吉岡斉の視点から追求しているところにある。

多くの原子力関係の報道では、いわゆる原子力村の利権ですべてが決まる構造、ということから議論を組み立てることが多い。このような面は確かにあるにちがいない。だが、それを批判するだけでは、議論は先に進まない。原子力政策の是か否かだけの水掛け論の不毛な議論になるだけである。

始めから推進ありきの原子力政策は問題であるが、その一方で、反対に、始めから反対ありきの原子力利用否定論には、問題がないといえるだろうか。

強いていえば、「合理的」で「透明性」のある議論をつくしたうえで、原子力利用ということになるならば、逆に、否定することになっても、そのリスクは引き受けなければならない……おそらく吉岡斉の主張としては、このようになる。これが「理の人」としての吉岡斉の立場だろう。

また、「合理性」というのは、社会の常識の反映でもある。その常識は、時代とともに変わりうる。現代では、二〇一一年の東日本大震災の福島第一原子力発電所事故をふまえるのは当然である。そして、番組のなかのゲストの話のなかで出なかったこととして、地球環境問題がある。(これは、意図的に話題に出さなかったのだろう。)原子力発電の是非の変化……賛成の人が増えている……の背景にあるのは、ただ福島の事故が過去のものになったということだけではない。新たな問題として、近年なってから地球温暖化の問題が大きくクローズアップされてきたこともある。(ただ、原子力発電がその解決策になるということではない。このことは保留して考えなければならない。)だが、このことをあえて無視しているのは、NHKもフェアではない。

原子力の利用ということは、高度に専門的な知識が必要である。そこに一般市民の感覚(これは時代とともにかわり、それには、マスコミやSNSなどが大きく影響する)をふまえて、「合理的」で「透明性」のある議論をつくし、政策決定にいたるには、かなり、いや絶望的にハードルが高いと感じるところではある。しかし、これからの時代における、政治における大きな課題の一つであることは認識しておかねばならない。

だが、人間の合理的判断というのは、そんなに信頼できるものなのだろうか。こういう根本的な疑問は残るのだが、しかし、今のところはそれにかけるしかないということになる。(今になってのことであるが、旧優生保護法は、その成立の当時においては、合理的な判断にもとづいたものであったはずである。議員立法で全会一致で成立したという経緯がある。)

2024年12月4日記

偉人の年収「政治家 勝海舟」2024-12-04

2024年12月4日 當山日出夫

偉人の年収 How much ? 政治家 勝海舟

番組のタイトルを書いてみて、勝海舟は「政治家」なのだろうか、という気がする、しかし、そうでなければ何なのかと思うことになる。海軍を作った人物ではあるが、軍人ということでもない。

若いとき慶應義塾大学の学生だったので、田町の駅を利用していた。改札を出て三田の方へ行くのに階段を降りる。その途中、ビルの壁に、勝海舟と西郷隆盛の会談の様子を書いたレリーフがあった。立ち止まってじっくりと見ることはなかった。(それも、今では、三田の再開発でどうなってしまったのだろうか。)

『氷川清話』は、学生のころに読んだと憶えている。それから、国語学を勉強すると、『夢酔独言』のことを知ることになった。勝海舟の父親の勝小吉の書いた自伝である。江戸時代の武士のことばの資料として、有名なものである。

幕末のころをあつかったドラマでは、勝海舟はよく登場する。それも、非常に重要な人物としてである。たしかに、幕末維新史を考えるときには、勝海舟の存在は大きいことになるにちがいない。

それから、江藤淳が勝海舟を非常に高く評価していたことを思い出す。

明治になってから伯爵になったことは知っていたが、その生活ぶりはどんなものだったか、興味深い。もと幕臣として、その生き方を貫いた人物ということはできるのだろう。

なお、勝海舟が登場する作品としては、坂口安吾の『安吾捕物帳』がある。日本のミステリにおける傑作といってよい作品である。

2024年12月3日記