BS世界のドキュメンタリー「中米パナマの憂うつ “船と不法移民の交差点”で何が」 ― 2025-04-15
2025年4月15日 當山日出夫
BS世界のドキュメンタリー「中米パナマの憂うつ “船と不法移民の交差点”で何が」
二〇二四年、フランスの制作。
パナマ運河をめぐっては、アメリカと中国の対立が報道され、また、アメリカにやってくる不法移民についても、かなり報道されている。しかし、そのパナマ運河の今の様子とか、アメリカをめざす移民がどのようにしてやってきているのか、ということについては、あまり日本では報道されないと見ている。
パナマ運河が、閘門によって水位を調節して、船の運航を可能しているということは知っていたが、そのために、膨大な量の水を必要とし、そのために湖の水が使われているということまでは、はっきりとは知らなかった。たしかに、閘門の水位の調整のための水がどこから来て、どこに流れていくのか、ということは、重要なことである。
近年の異常気象により、水不足になって、かつてのように多くの船を通過させることができなくなっているという。通過できなくて待たなくてはならないので、遠く南アメリカの南を回って航海する船もある。また、コンテナの一部、あるいは、全部を、陸上の鉄道輸送で代替することも行われている。
このような、パナマ運河の運用にかんするいろんな仕事は、どこの管理ということになるのだろうか。無論、パナマ政府はかかわっているはずだが、実際の運営においては、中国、あるいは、アメリカの企業が、仕事をしている……ということなのだろうか。だからといって、中国政府やアメリカ政府が、パナマ運河の通行を維持するため、湖の水量を確保するために、何かしているという話しは聞かない。
アメリカを目指す移民の人たちは、かなり過酷な状況におかれていることはたしかである。とにかくジャングルの中を、山道を、川沿いを、歩いて行くしかないということは、非常にきびしい。だが、それほどまでに、母国には住み続けたくないという事情があるのだろう。(これはこれとして、実際にどんな生活の状況なのかということは、知りたいと思う。)アメリカまで徒歩で旅をするにも、現地のマフィアの手をかりなければ、無事に通り抜けることができない。政府の管轄のおよばない無法地帯で、マフィアが実験を握っている。地獄の沙汰も金次第とは言うけれども、まさに、アメリカまで歩いていくにも、マフィアにお金を払わないと、行くことができない。衣食住、すべて、お金をはらわないとならないシステムになっている。(まあ、見方によっては、マフィアが、現地の治安を維持して、人びとの無事な通過を守っているとも、とれなくはないが。)
もし、かりにマフィアがいなくなって関係国の政府の管理下におかれたとしても、それならそれで、こんどは、それらの政府の役人が賄賂を要求するようになるか、そうでなければ、やっかいな移民は、さっさとアメリカ国境まで行ってもらうようにするか、ということだろうと思うが、どうだろうか。現にパナマ政府は、移民をバスに乗せて移動させている。
そして、今では、アメリカとの国境までたどり着けたとしても、無事に入国できる保証はない。また、もし、入国できたとしても、仕事が保証されているわけではないだろう。
パナマ運河のこれから、それから、移民の人びとのこれからは、いったいどうなるだろうか。
2025年4月11日記
BS世界のドキュメンタリー「中米パナマの憂うつ “船と不法移民の交差点”で何が」
二〇二四年、フランスの制作。
パナマ運河をめぐっては、アメリカと中国の対立が報道され、また、アメリカにやってくる不法移民についても、かなり報道されている。しかし、そのパナマ運河の今の様子とか、アメリカをめざす移民がどのようにしてやってきているのか、ということについては、あまり日本では報道されないと見ている。
パナマ運河が、閘門によって水位を調節して、船の運航を可能しているということは知っていたが、そのために、膨大な量の水を必要とし、そのために湖の水が使われているということまでは、はっきりとは知らなかった。たしかに、閘門の水位の調整のための水がどこから来て、どこに流れていくのか、ということは、重要なことである。
近年の異常気象により、水不足になって、かつてのように多くの船を通過させることができなくなっているという。通過できなくて待たなくてはならないので、遠く南アメリカの南を回って航海する船もある。また、コンテナの一部、あるいは、全部を、陸上の鉄道輸送で代替することも行われている。
このような、パナマ運河の運用にかんするいろんな仕事は、どこの管理ということになるのだろうか。無論、パナマ政府はかかわっているはずだが、実際の運営においては、中国、あるいは、アメリカの企業が、仕事をしている……ということなのだろうか。だからといって、中国政府やアメリカ政府が、パナマ運河の通行を維持するため、湖の水量を確保するために、何かしているという話しは聞かない。
アメリカを目指す移民の人たちは、かなり過酷な状況におかれていることはたしかである。とにかくジャングルの中を、山道を、川沿いを、歩いて行くしかないということは、非常にきびしい。だが、それほどまでに、母国には住み続けたくないという事情があるのだろう。(これはこれとして、実際にどんな生活の状況なのかということは、知りたいと思う。)アメリカまで徒歩で旅をするにも、現地のマフィアの手をかりなければ、無事に通り抜けることができない。政府の管轄のおよばない無法地帯で、マフィアが実験を握っている。地獄の沙汰も金次第とは言うけれども、まさに、アメリカまで歩いていくにも、マフィアにお金を払わないと、行くことができない。衣食住、すべて、お金をはらわないとならないシステムになっている。(まあ、見方によっては、マフィアが、現地の治安を維持して、人びとの無事な通過を守っているとも、とれなくはないが。)
もし、かりにマフィアがいなくなって関係国の政府の管理下におかれたとしても、それならそれで、こんどは、それらの政府の役人が賄賂を要求するようになるか、そうでなければ、やっかいな移民は、さっさとアメリカ国境まで行ってもらうようにするか、ということだろうと思うが、どうだろうか。現にパナマ政府は、移民をバスに乗せて移動させている。
そして、今では、アメリカとの国境までたどり着けたとしても、無事に入国できる保証はない。また、もし、入国できたとしても、仕事が保証されているわけではないだろう。
パナマ運河のこれから、それから、移民の人びとのこれからは、いったいどうなるだろうか。
2025年4月11日記
『カムカムエヴリバディ』「1992ー1993」「1993ー1994」 ― 2025-04-06
2025年4月6日 當山日出夫
『カムカムエヴリバディ』「1992ー1993」「1993ー1994」
斜陽の映画産業、映画村の入場者数も減少している。いまでいうインバウンド、外国人のお客さんを増やそうとするのだが、英語がしゃべれない。ひなたは、英語の勉強をしようとして、五十嵐との結婚を考えたお金を英会話学校で使い果たしてしまう。しかし、そのレッスンでは、英語がしゃべれるようにはならなかった。
弟の桃太郎が、小夜ちゃんにふられてしまう。小夜ちゃんは、吉之丞と結婚する。桃太郎は、やけになって野球をあきらめかける。あげく、あかにしの店から、CDプレーヤーをとってきてしまう。ドロボーである。
そのようなひなたと桃太郎に対して、ジョーは、トランペッターを挫折した過去があったことを話してきかせる。それでも人生はつづいていくものである、と言う。
普通の家庭なら、両親のおいたちとか、どこの出身であるとか、ある程度は子どもたちに話しをすることがあるかと思うのだが、大月の家では、まったく話しをしていなかったようである。これは、不自然といえば不自然な設定なのだが、これまでのるいとジョーの関係や、京都に移ってからの生活(回転焼き屋さんをはじめたこと)を見てきていると、これが不自然なことに感じられない。そういう生活をして、家族を作ってきたということが、あたりまえに思える、そのようなこれまでのドラマの展開であった。このあたりは、とてもたくみな脚本になっている。
その昔のことの証拠に出してきたのが、回転焼き屋さんの壁にずっと貼ってあった、棗黍之上の映画のポスターであり、その裏に書かれた、昔のジョーのサインであった。このポスターは、大阪のクリーニング屋さんのときのものであり、それから、京都に移っても、ドラマのなかではほとんど毎回のように見続けてきたものである。このポスターには、モモケンと同時に虚無蔵も写っている。そして、その裏にはジョーのサインがあったことになる。ここは、非常にたくみな小道具の使い方と演出である。
算太がるいの店にやってくる。どうやら病気になって、自分の死期が近いことを思って、るいに逢いにきたらしい。家の食卓でのパンのダンス、そして、商店街でのサンタクロースのダンス。そこに、昔の岡山でのいろんな思い出が重なるように映し出される。非常に印象的な演出だった。
死んだ算太のお骨を、岡山に持っていくことになり、そこで、るいの生まれた家が、雉真線維の家だったことを、るいと桃太郎は始めて知ることになる。年老いた、勇と雪衣に再会する。
この時代の背景としては、一九九〇年代で、バブル経済の崩壊後、まだかろうじてその余韻が残っていたころということになるだろうか。そのころの市民生活としては、クリスマスになれば、商店街で福引きがあって一喜一憂するような時代だった、このような時代もあったなあ、なんとなく思いながら見ていたことになる。この時代のテレビは、まだブラウン管のテレビだった。
2025年4月5日記
『カムカムエヴリバディ』「1992ー1993」「1993ー1994」
斜陽の映画産業、映画村の入場者数も減少している。いまでいうインバウンド、外国人のお客さんを増やそうとするのだが、英語がしゃべれない。ひなたは、英語の勉強をしようとして、五十嵐との結婚を考えたお金を英会話学校で使い果たしてしまう。しかし、そのレッスンでは、英語がしゃべれるようにはならなかった。
弟の桃太郎が、小夜ちゃんにふられてしまう。小夜ちゃんは、吉之丞と結婚する。桃太郎は、やけになって野球をあきらめかける。あげく、あかにしの店から、CDプレーヤーをとってきてしまう。ドロボーである。
そのようなひなたと桃太郎に対して、ジョーは、トランペッターを挫折した過去があったことを話してきかせる。それでも人生はつづいていくものである、と言う。
普通の家庭なら、両親のおいたちとか、どこの出身であるとか、ある程度は子どもたちに話しをすることがあるかと思うのだが、大月の家では、まったく話しをしていなかったようである。これは、不自然といえば不自然な設定なのだが、これまでのるいとジョーの関係や、京都に移ってからの生活(回転焼き屋さんをはじめたこと)を見てきていると、これが不自然なことに感じられない。そういう生活をして、家族を作ってきたということが、あたりまえに思える、そのようなこれまでのドラマの展開であった。このあたりは、とてもたくみな脚本になっている。
その昔のことの証拠に出してきたのが、回転焼き屋さんの壁にずっと貼ってあった、棗黍之上の映画のポスターであり、その裏に書かれた、昔のジョーのサインであった。このポスターは、大阪のクリーニング屋さんのときのものであり、それから、京都に移っても、ドラマのなかではほとんど毎回のように見続けてきたものである。このポスターには、モモケンと同時に虚無蔵も写っている。そして、その裏にはジョーのサインがあったことになる。ここは、非常にたくみな小道具の使い方と演出である。
算太がるいの店にやってくる。どうやら病気になって、自分の死期が近いことを思って、るいに逢いにきたらしい。家の食卓でのパンのダンス、そして、商店街でのサンタクロースのダンス。そこに、昔の岡山でのいろんな思い出が重なるように映し出される。非常に印象的な演出だった。
死んだ算太のお骨を、岡山に持っていくことになり、そこで、るいの生まれた家が、雉真線維の家だったことを、るいと桃太郎は始めて知ることになる。年老いた、勇と雪衣に再会する。
この時代の背景としては、一九九〇年代で、バブル経済の崩壊後、まだかろうじてその余韻が残っていたころということになるだろうか。そのころの市民生活としては、クリスマスになれば、商店街で福引きがあって一喜一憂するような時代だった、このような時代もあったなあ、なんとなく思いながら見ていたことになる。この時代のテレビは、まだブラウン管のテレビだった。
2025年4月5日記
よみがえる新日本紀行「蜜蜂とソフトボール~鹿児島県頴娃町~」 ― 2025-04-03
2025年4月3日 當山日出夫
よみがえる新日本紀行 蜜蜂とソフトボール~鹿児島県頴娃町~
オリジナルは昭和52年(1977年)である。私が大学生のころである。
蜜蜂に砂糖で作ったエサを与えて育てる、ということを始めて知った。昔もそうしていたようだったが、今では、そうしないと蜜蜂が飢え死にする。それだけ、花の蜜が取れなくなってきているということになる。
もう今では、菜の花畑という風景は珍しいものになってしまったのだろう。私の身の回りでも、春になって、田圃がレンゲの花で赤くなるという景色は少なくなったようである。それよりも、田圃だったところが開発されてお店になってしまうことが多い。
養蜂家という人たちが、花の蜜を追って全国を旅しているということは、知識としては知っていたことだが、その生活がどんなものだったかは、ほとんど知らなかった。春になると、鹿児島の頴娃町に多くの養蜂家が集まる。そこで、ソフトボールの試合をする。背番号は、全員が「8」である。もうこんなことができる時代ではなくなった。
養蜂家の数は減ったといっても、それでも、国産の蜂蜜を続ける人はいる。
興味深かったのは、オリジナルの放送のとき、日本での養蜂の仕事はもうだめだろうから、中国かアメリカ西海岸にでも渡る……こういっていた、養蜂家の子どもが、実際にアメリカに渡って仕事をしたということ。今ではもう引退したらしいが。
番組の最後で言っていたが、蜂は植物の受粉の仕事をする。農業にはなくてはならない存在である。これは、現代の機械化された農業であっても、基本は変わらない。ハウス栽培であっても、受粉用に蜂を使っていたかと思う。現代の、そして、未來の農業の視点から見たとき、養蜂という仕事は、価値を持ち続けることができるかと思う。(楽観的な見方かもしれないとは思うが。)
2025年3月29日記
よみがえる新日本紀行 蜜蜂とソフトボール~鹿児島県頴娃町~
オリジナルは昭和52年(1977年)である。私が大学生のころである。
蜜蜂に砂糖で作ったエサを与えて育てる、ということを始めて知った。昔もそうしていたようだったが、今では、そうしないと蜜蜂が飢え死にする。それだけ、花の蜜が取れなくなってきているということになる。
もう今では、菜の花畑という風景は珍しいものになってしまったのだろう。私の身の回りでも、春になって、田圃がレンゲの花で赤くなるという景色は少なくなったようである。それよりも、田圃だったところが開発されてお店になってしまうことが多い。
養蜂家という人たちが、花の蜜を追って全国を旅しているということは、知識としては知っていたことだが、その生活がどんなものだったかは、ほとんど知らなかった。春になると、鹿児島の頴娃町に多くの養蜂家が集まる。そこで、ソフトボールの試合をする。背番号は、全員が「8」である。もうこんなことができる時代ではなくなった。
養蜂家の数は減ったといっても、それでも、国産の蜂蜜を続ける人はいる。
興味深かったのは、オリジナルの放送のとき、日本での養蜂の仕事はもうだめだろうから、中国かアメリカ西海岸にでも渡る……こういっていた、養蜂家の子どもが、実際にアメリカに渡って仕事をしたということ。今ではもう引退したらしいが。
番組の最後で言っていたが、蜂は植物の受粉の仕事をする。農業にはなくてはならない存在である。これは、現代の機械化された農業であっても、基本は変わらない。ハウス栽培であっても、受粉用に蜂を使っていたかと思う。現代の、そして、未來の農業の視点から見たとき、養蜂という仕事は、価値を持ち続けることができるかと思う。(楽観的な見方かもしれないとは思うが。)
2025年3月29日記
『中島みゆき ~春・旅立つひとに贈る名曲選~』 ― 2025-04-03
2025年4月3日 當山日出夫
中島みゆき ~春・旅立つひとに贈る名曲選~
これも録画しておいて、後からゆっくりと見た。
中島みゆきのCDは、ほとんど持っているはずである。持っているCDは、全部、Walkmanに転送してある(FLAC)。
このごろ思うことであるが、「時代」を聞いて、今は苦しくても明日はどうにかなる……という気持ちに、もうならないなあ、と思うようになった。それだけ年をとってしまったということでもある。明日はどうにかなるかもしれない、と希望をいだけるのは、まだ若いうちのことである。自分の人生の行く末がどれぐらいか、なんとなく実感を持って感じるようになった、ということでもある。
好きでよく聞くのが、初期に歌った、短編小説的な作品。「蕎麦屋」「おまえの家」「まつりばやし」などである。もう今では使わなくなったことばだが、心境小説という言い方もある。こういう言い方が、ぴったりくるような歌である。
ところで、中島みゆきの歌に基本的に流れているのが、(今風の言い方をすれば)アイデンティティの模索。「時代」が端的にそうであるように、「故郷」をもとめてさすらう、ということである。「旅人のうた」などもそうである。自分が本来はなにものなのか、どこに帰属するものなのか、それをもとめてさまよう、こういう部分が、その作品の多くの根底にある。
こういうところが、同時代のシンガーソングライターである、ユーミンや竹内まりやとは、決定的に違うところである。ユーミンの歌は、アイデンティティの揺らぎということを、まったく感じさせない。獲得した都会的感性を絶対に離さないところがある。竹内まりやの歌は、生まれながらに都会的である。(慶應義塾大学文学部で同じ学年だった。この時代の、三田のキャンパスの雰囲気を、今でも感じさせる。)
2025年3月30日記
中島みゆき ~春・旅立つひとに贈る名曲選~
これも録画しておいて、後からゆっくりと見た。
中島みゆきのCDは、ほとんど持っているはずである。持っているCDは、全部、Walkmanに転送してある(FLAC)。
このごろ思うことであるが、「時代」を聞いて、今は苦しくても明日はどうにかなる……という気持ちに、もうならないなあ、と思うようになった。それだけ年をとってしまったということでもある。明日はどうにかなるかもしれない、と希望をいだけるのは、まだ若いうちのことである。自分の人生の行く末がどれぐらいか、なんとなく実感を持って感じるようになった、ということでもある。
好きでよく聞くのが、初期に歌った、短編小説的な作品。「蕎麦屋」「おまえの家」「まつりばやし」などである。もう今では使わなくなったことばだが、心境小説という言い方もある。こういう言い方が、ぴったりくるような歌である。
ところで、中島みゆきの歌に基本的に流れているのが、(今風の言い方をすれば)アイデンティティの模索。「時代」が端的にそうであるように、「故郷」をもとめてさすらう、ということである。「旅人のうた」などもそうである。自分が本来はなにものなのか、どこに帰属するものなのか、それをもとめてさまよう、こういう部分が、その作品の多くの根底にある。
こういうところが、同時代のシンガーソングライターである、ユーミンや竹内まりやとは、決定的に違うところである。ユーミンの歌は、アイデンティティの揺らぎということを、まったく感じさせない。獲得した都会的感性を絶対に離さないところがある。竹内まりやの歌は、生まれながらに都会的である。(慶應義塾大学文学部で同じ学年だった。この時代の、三田のキャンパスの雰囲気を、今でも感じさせる。)
2025年3月30日記
最深日本研究 ~外国人博士の目~ 「キャラクター文化を知りたい」 ― 2025-04-02
2025年4月2日 當山日出夫
最深日本研究 ~外国人博士の目~ キャラクター文化を知りたい
このシリーズは、私は気に入っている。それは、研究としてまともであるからである。(NHKの番組のなかには、かなりうさんくさいものがたくさんあるなかで、このシリーズは、研究対象、目的、方法論、とりあえずの結論(仮説)、ということが、学問的に明確である。)
サウンドシンボリズムといっていたが、普通の日本語学の用語でいえば、オノマトペの分析ということになる。オノマトペ……擬音語、擬態語といわれる種類のことばであるが、これは、近年注目のあつまっている、日本語学の研究対象のひとつである。歴史的にこのことを研究してきたのは、山口仲実先生である。
番組の中で出てきてた、ゆるキャラの名前に使われる、「ピー」「リン」という親しみを表現することば。それから、「ポン」「まる」などのことば、これらが、ゆるキャラになぜ多用されるのか、言語研究としては、非常に興味深いし、重要な指摘である。
アンパンマンのキャラクタで、ドキンちゃんについては、「ドキドキ」ということばとの関係で、この名前がついたのだろうが、日本語のオノマトペ研究としても、重要な指摘である。
この研究をした、デボラ・オチさん。日本の演歌の歌詞も研究したというが、できれば、具体的にどんな内容だったのだろうか。日本語の歌謡曲やポピュラーソングの歌詞の分析は、伝統的に日本では、計量的研究の分野として続いている。
それから、ヒーローについても、出てきていた。これも、その名前がどのようになっているか(この番組の中では出てきていなかったが)、サウンドシンボリズムの観点から分析することができるはずである。
アクションスクールに通っての参与観察は、なるほど、こういうことまでしているのかと思って見ていた。そこで、指導の先生が使っていることば(オノマトペ)に注目している。オノマトペで、アクションの指導ができるということが、日本語のひとつの特徴といっていいだろう。
日本におけるキャラクター文化を、漢字とむすびつけて考えるのは、仮説ということになるが、考える価値はあると思う。番組のなかでは、漢字を使うのは日本語だけではないと否定的に言っていたが、しかし、漢字と仮名(特にひらがな)をまぜて使うのは、日本語だけである。朝鮮語では、今では漢字を使わなくなってしまっているし(かつては、漢字ハングル交じり文、というべきものがあったが)、中国語(中国、台湾)では、基本的に漢字だけである。漢字が漢字として特に目立つという機能があるのは、日本語の表記の大きな特徴である。
みやざき犬、というネーミングは、ダブルミーニング、要するにダジャレなのだが、NHKの天気予報に出てくる、しゅと犬くん、もれっきとしたキャラクターである。調べて見ると、ぬいぐるみも売っているようだ。
2025年4月1日記
最深日本研究 ~外国人博士の目~ キャラクター文化を知りたい
このシリーズは、私は気に入っている。それは、研究としてまともであるからである。(NHKの番組のなかには、かなりうさんくさいものがたくさんあるなかで、このシリーズは、研究対象、目的、方法論、とりあえずの結論(仮説)、ということが、学問的に明確である。)
サウンドシンボリズムといっていたが、普通の日本語学の用語でいえば、オノマトペの分析ということになる。オノマトペ……擬音語、擬態語といわれる種類のことばであるが、これは、近年注目のあつまっている、日本語学の研究対象のひとつである。歴史的にこのことを研究してきたのは、山口仲実先生である。
番組の中で出てきてた、ゆるキャラの名前に使われる、「ピー」「リン」という親しみを表現することば。それから、「ポン」「まる」などのことば、これらが、ゆるキャラになぜ多用されるのか、言語研究としては、非常に興味深いし、重要な指摘である。
アンパンマンのキャラクタで、ドキンちゃんについては、「ドキドキ」ということばとの関係で、この名前がついたのだろうが、日本語のオノマトペ研究としても、重要な指摘である。
この研究をした、デボラ・オチさん。日本の演歌の歌詞も研究したというが、できれば、具体的にどんな内容だったのだろうか。日本語の歌謡曲やポピュラーソングの歌詞の分析は、伝統的に日本では、計量的研究の分野として続いている。
それから、ヒーローについても、出てきていた。これも、その名前がどのようになっているか(この番組の中では出てきていなかったが)、サウンドシンボリズムの観点から分析することができるはずである。
アクションスクールに通っての参与観察は、なるほど、こういうことまでしているのかと思って見ていた。そこで、指導の先生が使っていることば(オノマトペ)に注目している。オノマトペで、アクションの指導ができるということが、日本語のひとつの特徴といっていいだろう。
日本におけるキャラクター文化を、漢字とむすびつけて考えるのは、仮説ということになるが、考える価値はあると思う。番組のなかでは、漢字を使うのは日本語だけではないと否定的に言っていたが、しかし、漢字と仮名(特にひらがな)をまぜて使うのは、日本語だけである。朝鮮語では、今では漢字を使わなくなってしまっているし(かつては、漢字ハングル交じり文、というべきものがあったが)、中国語(中国、台湾)では、基本的に漢字だけである。漢字が漢字として特に目立つという機能があるのは、日本語の表記の大きな特徴である。
みやざき犬、というネーミングは、ダブルミーニング、要するにダジャレなのだが、NHKの天気予報に出てくる、しゅと犬くん、もれっきとしたキャラクターである。調べて見ると、ぬいぐるみも売っているようだ。
2025年4月1日記
フロンティア「シリーズ 食 敵か味方か? 第1回 糖でヒトは進化した」 ― 2025-04-02
2025年4月2日 當山日出夫
フロンティア シリーズ 食 敵か味方か? 第1回 糖でヒトは進化した
録画してあったのを見て、WEBで糖質にかんするアプリを検索してみた。おそらく、かなりの人がそうしたと思う。日本では、イスラエルで使っていたアプリは、使えるようにはなっていないようである。スマホの画面に表示されていたのはヘブライ語だと思うが(私は読めないが)、イスラエルでは実用化されているということなのだろう。その前提としては、便の検査をして、腸内細菌について調べなければならない。こういうサービスは、日本で普及する可能性はあると思うが、はたしてどうなのだろうか。
今のところ、健康診断などで血糖値は気にするほどではないので、さしあたってどうこうということはないが、ちょっと気になる。
どのような食べ物が、その人間の血糖値に影響するのか、腸内細菌によって異なり、個人差が非常にある……こういうことは、かなり一般的にいえることかもしれない。日本で、こういう研究はどれぐらいされているのだろうか。
糖質をとらないというダイエットが、長期的には意味の無いものであることは、普通に考えれば判断できることだと思う。これが体にいいとなればそれを食べる、悪いとなれば食べない、どうも極端に現代の人間は流れすぎているように思える。
「ギャートルズ」のように肉ばっかり食べていていいわけではない。
私の今の食事だと、通常は、朝はパン一枚。夜は、ご飯が一杯。昼は、そのときどき。まあまあ、糖質が多すぎもせず少なすぎもせず、というぐらいかなと思う。
旧石器時代、200万年ほど前、木の実や地下茎を、火で加熱調理することで、糖質を摂取できて、それと、脳の発達が関係する……これは、たぶん、そのようなことなのだろうと思う。だが、はっきりと因果関係が科学的に立証されたということではないかもしれないが。
番組では言っていなかったが、日本でも、三内丸山遺跡の発掘によって、縄文の人びとが、多くの食べられる植物を栽培していたことが分かっているはずである。弥生時代になって、米作の時代をむかえた、と常識的な歴史では習うのだが、日本列島に住むひとびとは、いったい何を食べて生きてきたのか、その総合的なことが分かるときがくると、とても面白い。(それまで生きていられるかどうか、分からない年になってしまっているが。)
生命の進化の歴史が、糖質をどう有効利用する歴史であるのか、こういう観点から見るならば、糖質オフの生活をおくれば健康的であるというのが、非常に短絡的な考え方であることは、理解できる。細胞レベルからさらに分子レベルで、生命の進化を見る必要がある、ということになる。
パプアニューギニアの人びと、ニューギニア高地人、の食生活はとても面白い。この人びとが、特殊な腸内細菌を持つ人びとであったからこそ、その土地で、サツマイモだけの生活をすることができた、ということになるのだろうが、では、なぜ、この人びとがそれを獲得したのか、歴史的な経緯が気になる。おそらく現代では、DNAの分析から、この人びとが、どこから来たのか分かるようになっているのだろうとは思うが。
私の年代だと、ニューギニア高地人というと、本多勝一のことを思う。今でもKindle版で読むことができる。
2025年3月25日記
フロンティア シリーズ 食 敵か味方か? 第1回 糖でヒトは進化した
録画してあったのを見て、WEBで糖質にかんするアプリを検索してみた。おそらく、かなりの人がそうしたと思う。日本では、イスラエルで使っていたアプリは、使えるようにはなっていないようである。スマホの画面に表示されていたのはヘブライ語だと思うが(私は読めないが)、イスラエルでは実用化されているということなのだろう。その前提としては、便の検査をして、腸内細菌について調べなければならない。こういうサービスは、日本で普及する可能性はあると思うが、はたしてどうなのだろうか。
今のところ、健康診断などで血糖値は気にするほどではないので、さしあたってどうこうということはないが、ちょっと気になる。
どのような食べ物が、その人間の血糖値に影響するのか、腸内細菌によって異なり、個人差が非常にある……こういうことは、かなり一般的にいえることかもしれない。日本で、こういう研究はどれぐらいされているのだろうか。
糖質をとらないというダイエットが、長期的には意味の無いものであることは、普通に考えれば判断できることだと思う。これが体にいいとなればそれを食べる、悪いとなれば食べない、どうも極端に現代の人間は流れすぎているように思える。
「ギャートルズ」のように肉ばっかり食べていていいわけではない。
私の今の食事だと、通常は、朝はパン一枚。夜は、ご飯が一杯。昼は、そのときどき。まあまあ、糖質が多すぎもせず少なすぎもせず、というぐらいかなと思う。
旧石器時代、200万年ほど前、木の実や地下茎を、火で加熱調理することで、糖質を摂取できて、それと、脳の発達が関係する……これは、たぶん、そのようなことなのだろうと思う。だが、はっきりと因果関係が科学的に立証されたということではないかもしれないが。
番組では言っていなかったが、日本でも、三内丸山遺跡の発掘によって、縄文の人びとが、多くの食べられる植物を栽培していたことが分かっているはずである。弥生時代になって、米作の時代をむかえた、と常識的な歴史では習うのだが、日本列島に住むひとびとは、いったい何を食べて生きてきたのか、その総合的なことが分かるときがくると、とても面白い。(それまで生きていられるかどうか、分からない年になってしまっているが。)
生命の進化の歴史が、糖質をどう有効利用する歴史であるのか、こういう観点から見るならば、糖質オフの生活をおくれば健康的であるというのが、非常に短絡的な考え方であることは、理解できる。細胞レベルからさらに分子レベルで、生命の進化を見る必要がある、ということになる。
パプアニューギニアの人びと、ニューギニア高地人、の食生活はとても面白い。この人びとが、特殊な腸内細菌を持つ人びとであったからこそ、その土地で、サツマイモだけの生活をすることができた、ということになるのだろうが、では、なぜ、この人びとがそれを獲得したのか、歴史的な経緯が気になる。おそらく現代では、DNAの分析から、この人びとが、どこから来たのか分かるようになっているのだろうとは思うが。
私の年代だと、ニューギニア高地人というと、本多勝一のことを思う。今でもKindle版で読むことができる。
2025年3月25日記
ねほりんぱほりん「“元薬物依存症”その後の人生」 ― 2025-04-01
2025年4月1日 當山日出夫
ねほりんぱほりん “元薬物依存症”その後の人生
シーズン9の終わりである。
薬物依存症になる人は、(こう言ってしまってはみもふたもないことになるかもしれないが)なるべくしてなった、と言ってもいいかもしれない。今の日本では違法であるけれど、時代や状況が異なっていれば、また違った人生があったかもと、思ってみる。
現代の法律の基本の考え方は、責任は個人が負うべきものである、ということになっていると、私は理解している。だが、その個人というものは、遺伝子と、文化や社会や生育環境、それから、自分自身でどのような人間でありたいかという意志、これらが、複雑にからまりあって存在するものである。だが、こういうことを無視して、法的に個人の意志と責任、ということで考えるのが、現在の法律の基本であるのだろう。
薬物依存は違法であり、個人の責任、ということではたして、本当に問題は解決するのだろうか。このようなことを考え出すと、他の犯罪についても、いろいろと考えることになるけれど。
このように生きる人がいるなら、それはそれでいいではないか。もう老人である私としては、このようにしか思うことができない。
2025年3月26日記
ねほりんぱほりん “元薬物依存症”その後の人生
シーズン9の終わりである。
薬物依存症になる人は、(こう言ってしまってはみもふたもないことになるかもしれないが)なるべくしてなった、と言ってもいいかもしれない。今の日本では違法であるけれど、時代や状況が異なっていれば、また違った人生があったかもと、思ってみる。
現代の法律の基本の考え方は、責任は個人が負うべきものである、ということになっていると、私は理解している。だが、その個人というものは、遺伝子と、文化や社会や生育環境、それから、自分自身でどのような人間でありたいかという意志、これらが、複雑にからまりあって存在するものである。だが、こういうことを無視して、法的に個人の意志と責任、ということで考えるのが、現在の法律の基本であるのだろう。
薬物依存は違法であり、個人の責任、ということではたして、本当に問題は解決するのだろうか。このようなことを考え出すと、他の犯罪についても、いろいろと考えることになるけれど。
このように生きる人がいるなら、それはそれでいいではないか。もう老人である私としては、このようにしか思うことができない。
2025年3月26日記
最深日本研究「クレーンゲーム」 ― 2025-03-31
2025年3月31日 當山日出夫
最深日本研究 クレーンゲーム
なんだかNHKの年度末在庫一掃処分のような感じで、まとめて夜中に放送があるのを番組表で見つけて、録画しておいて、順番に見ている。
おそらく、日本におけるサブカルチャーの研究として、ゲームセンターという場所について、また、そのゲームの内容、コンテンツについての研究は多くあるのだろうと思う。これはこれで、興味深い研究領域である。
だが、この番組で登場していた、フランスの社会情報学者のブノワは、メディアとしてのクレーンゲームという発想で見ている。これは、とても面白い。しかも、その研究方法が、今和次郎の考現学の方法によるものとなっている。もう今では今和次郎は、忘れられた存在になってしまっていたかと思っていたのだが、こういう継承者がいるということに驚いた。
私は、ゲームセンターには行かない。そもそも、もう、街中や繁華街(こういう言い方がもう古風であるが)に出ない。昔のゲームセンター……というより、ゲーセン、といった方がいいだろうか……が、このごろでは、ファミリー向けに明るく健全なイメージのところに変化してきているということも、面白い。そして、そこでは、クレーンゲームが主流になっている。景品は、キャラクター関連のものが多くある。
ゲームセンターに来るお客さんの多くが、ウィンドーショッピングの感覚で、どんな景品が置いてあるのかを見るためにやってくる。これは、とても面白い観察結果である。これは、店の側も分かっていて、景品のキャラクターがよく見えるように、レイアウトしている。
埼玉のゲームセンターで、古いゲーム機械を集めてあったが、これも面白い。アメリカで、1930年代から始まったらしい。私の記憶にあるのは、やはり、UFO CATCHER ぐらいからということになる。しかし、最近のものはよく分からない。
ゲームセンターの景品が、市場に流通して、秋葉原で売られている。
クレーンゲームが、キャラクターが世の中に広がっていく過程で、一つのメディアとして機能していることになる。メディアミックスの時代における、ゲームセンターの一つの機能ということになるのだろうか。
NHKの他の番組で、なんだかった忘れてしまったが、クレーンゲームの景品が日用品であったり、食料品であったり、という国のこと(アジアのどこだっただろうか)が紹介されていて、ふ~ん、こんな国もあるのかと思って見ていたことがあるのだが、クレーンゲームが、世界のそれぞれの国や地域で、どのように発達しているか、比較することで見えてくる新しい研究領域というものもあるにちがいない。
2025年3月29日記
最深日本研究 クレーンゲーム
なんだかNHKの年度末在庫一掃処分のような感じで、まとめて夜中に放送があるのを番組表で見つけて、録画しておいて、順番に見ている。
おそらく、日本におけるサブカルチャーの研究として、ゲームセンターという場所について、また、そのゲームの内容、コンテンツについての研究は多くあるのだろうと思う。これはこれで、興味深い研究領域である。
だが、この番組で登場していた、フランスの社会情報学者のブノワは、メディアとしてのクレーンゲームという発想で見ている。これは、とても面白い。しかも、その研究方法が、今和次郎の考現学の方法によるものとなっている。もう今では今和次郎は、忘れられた存在になってしまっていたかと思っていたのだが、こういう継承者がいるということに驚いた。
私は、ゲームセンターには行かない。そもそも、もう、街中や繁華街(こういう言い方がもう古風であるが)に出ない。昔のゲームセンター……というより、ゲーセン、といった方がいいだろうか……が、このごろでは、ファミリー向けに明るく健全なイメージのところに変化してきているということも、面白い。そして、そこでは、クレーンゲームが主流になっている。景品は、キャラクター関連のものが多くある。
ゲームセンターに来るお客さんの多くが、ウィンドーショッピングの感覚で、どんな景品が置いてあるのかを見るためにやってくる。これは、とても面白い観察結果である。これは、店の側も分かっていて、景品のキャラクターがよく見えるように、レイアウトしている。
埼玉のゲームセンターで、古いゲーム機械を集めてあったが、これも面白い。アメリカで、1930年代から始まったらしい。私の記憶にあるのは、やはり、UFO CATCHER ぐらいからということになる。しかし、最近のものはよく分からない。
ゲームセンターの景品が、市場に流通して、秋葉原で売られている。
クレーンゲームが、キャラクターが世の中に広がっていく過程で、一つのメディアとして機能していることになる。メディアミックスの時代における、ゲームセンターの一つの機能ということになるのだろうか。
NHKの他の番組で、なんだかった忘れてしまったが、クレーンゲームの景品が日用品であったり、食料品であったり、という国のこと(アジアのどこだっただろうか)が紹介されていて、ふ~ん、こんな国もあるのかと思って見ていたことがあるのだが、クレーンゲームが、世界のそれぞれの国や地域で、どのように発達しているか、比較することで見えてくる新しい研究領域というものもあるにちがいない。
2025年3月29日記
『チョッちゃん』(2025年3月24日の週) ― 2025-03-30
2025年3月30日 當山日出夫
『チョッちゃん』
調べて見ると、1987年(昭和62年)の朝ドラである。モデルは、黒柳朝。黒柳徹子の母親である。
これは、最初の放送のときに見ている。全部をきちんと見たということはなかったと思うが。
最初の週を見て思うことは……昔の朝ドラは、こんな感じだったなあ、ということである。北海道の開業医の娘で、女学校に通っている。厳格な父親と、やさしい母親。たよりない兄弟。気の置けない親友。わけのわからないうさんくさいおじさん。これは、定番といえば定番であるが、このような環境のなかで、主人公が、これからどのような人生を歩み、成長していくのかが描かれることになる。
朝ドラというのは、女性を主人公にした、教養小説(ビルドゥングスロマン)の日本風のテレビ版であった、その流れのなかにある作品である。これは、昔の『おはなはん』のころから続くことになる。
今の価値観では、このような家庭のあり方、親子関係のあり方、夫婦関係のあり方ということが、前近代的、封建的、家父長的、ということで、猛烈に批判されることになっている。その典型的なあらわれが、『虎に翼』の特に後半部分、戦後になってからのことになるあ。
とはいえ、歴史的には、このような社会があったことは事実としてあったのであり、また、それを普通のテレビドラマとして作っていた時代があった、ということは、認めておかなければならないことである。そして、そのような時代において、人間の喜怒哀楽のさまざまな感情が、日常生活のなかにあり、時代の激変のなかにあった、ということになる。
この週の内容では描いていないが、この時代(昭和のはじめごろ)、女性で高等女学校に進学できるというだけで、きわめて少数のめぐまれた環境であったことになる。男性でも、中学校に行くものはわずかだった。蝶子のともだちの頼介は、おそらく中学には行っていないにちがいない。
この時代、日本の地方においては、『おしん』のような生活があったことも、忘れてはならないことであろう。
この意味では、『虎に翼』の寅子が、東京女子高等師範学校の附属高等女学校に通っていたという設定は、この時代において、女子教育としては、ずばぬけたエリートであったことを、改めて考えてみることになる。
昭和2年の北海道では、まだラジオも聴くことができない。東京からやってきたおじさんの話しで、ラジオというものが世の中にあり、地下鉄(銀座線が開通した)のことを知り、モガを見たことがあるかと尋ねる、恵まれた環境であるとはいえ、このような時代が、昭和の初めの地方の生活だったことを、思ってみることになる。
『カムカムエヴリバディ』で、岡山の安子の家で、ラジオで英語講座を聴くことができた、というのは非常に希有な事例として考えるべきことかもしれない。
2025年3月29日記
『チョッちゃん』
調べて見ると、1987年(昭和62年)の朝ドラである。モデルは、黒柳朝。黒柳徹子の母親である。
これは、最初の放送のときに見ている。全部をきちんと見たということはなかったと思うが。
最初の週を見て思うことは……昔の朝ドラは、こんな感じだったなあ、ということである。北海道の開業医の娘で、女学校に通っている。厳格な父親と、やさしい母親。たよりない兄弟。気の置けない親友。わけのわからないうさんくさいおじさん。これは、定番といえば定番であるが、このような環境のなかで、主人公が、これからどのような人生を歩み、成長していくのかが描かれることになる。
朝ドラというのは、女性を主人公にした、教養小説(ビルドゥングスロマン)の日本風のテレビ版であった、その流れのなかにある作品である。これは、昔の『おはなはん』のころから続くことになる。
今の価値観では、このような家庭のあり方、親子関係のあり方、夫婦関係のあり方ということが、前近代的、封建的、家父長的、ということで、猛烈に批判されることになっている。その典型的なあらわれが、『虎に翼』の特に後半部分、戦後になってからのことになるあ。
とはいえ、歴史的には、このような社会があったことは事実としてあったのであり、また、それを普通のテレビドラマとして作っていた時代があった、ということは、認めておかなければならないことである。そして、そのような時代において、人間の喜怒哀楽のさまざまな感情が、日常生活のなかにあり、時代の激変のなかにあった、ということになる。
この週の内容では描いていないが、この時代(昭和のはじめごろ)、女性で高等女学校に進学できるというだけで、きわめて少数のめぐまれた環境であったことになる。男性でも、中学校に行くものはわずかだった。蝶子のともだちの頼介は、おそらく中学には行っていないにちがいない。
この時代、日本の地方においては、『おしん』のような生活があったことも、忘れてはならないことであろう。
この意味では、『虎に翼』の寅子が、東京女子高等師範学校の附属高等女学校に通っていたという設定は、この時代において、女子教育としては、ずばぬけたエリートであったことを、改めて考えてみることになる。
昭和2年の北海道では、まだラジオも聴くことができない。東京からやってきたおじさんの話しで、ラジオというものが世の中にあり、地下鉄(銀座線が開通した)のことを知り、モガを見たことがあるかと尋ねる、恵まれた環境であるとはいえ、このような時代が、昭和の初めの地方の生活だったことを、思ってみることになる。
『カムカムエヴリバディ』で、岡山の安子の家で、ラジオで英語講座を聴くことができた、というのは非常に希有な事例として考えるべきことかもしれない。
2025年3月29日記
知恵泉「やなせたかし」 ― 2025-03-29
2025年3月29日 當山日出夫
知恵泉 やなせたかし
やなせたかしについては、以前に「ザ・プロファイラー」であつかっていたので、これは見た。
やまもも書斎記 2024年1月1日
「アンパンマンだけじゃない!マルチな天才 やなせたかし」
https://yamamomo.asablo.jp/blog/2024/01/01/9647421
やなせたかしは、自ら書き残しているものが多いし、また、伝記もある。その著者が、梯久美子である。梯久美子の書いた本のいくつかは読んでいる。印象に残っているのは『狂うひと』である。
無論、この番組は、次の朝ドラの『あんぱん』に関連してのものにちがいない。だからということではないが、やなせたかしの人生のどこにスポットを当てることになるのか、それによって描くべきことは変わってくる。
戦争のことは避けてとおれない。
やなせたかし自身が兵隊として中国で戦った。そして、その戦場の実際の姿を体験してきている。(戦争を体験した漫画家として、水木しげるのことがあるが。)
そして、その弟が、戦死している。
やなせたかしの戦争体験は、その正義感に現れていることになる。正義とはかっこうのいいものではない。それは、ときとして逆転するものでもある。つまり、絶対に正しい正義の主張はない、ということになる。この観点では、朝ドラでは、『虎に翼』で描いたような正義の観念とは別のもの、対極的な正確のもの、ということになる。
いろんな仕事をした人である。この番組では言っていなかったが、三越の百貨店の包装紙のデザインもしている。「手のひらを太陽に」の作詞でもある。その人生で出てくる人物としては、宮城まり子、永六輔、いずみたく、などがいることになる。
やなせたかしという人をたどれば、おそらく戦後の日本のサブカルチャーの歴史のかなりの部分にふれることになる。その柔軟でしなやかな正義感、さまざまな人との出会い、これらをどうドラマで描くことになるかは、楽しみでもある。
2025年3月26日記
知恵泉 やなせたかし
やなせたかしについては、以前に「ザ・プロファイラー」であつかっていたので、これは見た。
やまもも書斎記 2024年1月1日
「アンパンマンだけじゃない!マルチな天才 やなせたかし」
https://yamamomo.asablo.jp/blog/2024/01/01/9647421
やなせたかしは、自ら書き残しているものが多いし、また、伝記もある。その著者が、梯久美子である。梯久美子の書いた本のいくつかは読んでいる。印象に残っているのは『狂うひと』である。
無論、この番組は、次の朝ドラの『あんぱん』に関連してのものにちがいない。だからということではないが、やなせたかしの人生のどこにスポットを当てることになるのか、それによって描くべきことは変わってくる。
戦争のことは避けてとおれない。
やなせたかし自身が兵隊として中国で戦った。そして、その戦場の実際の姿を体験してきている。(戦争を体験した漫画家として、水木しげるのことがあるが。)
そして、その弟が、戦死している。
やなせたかしの戦争体験は、その正義感に現れていることになる。正義とはかっこうのいいものではない。それは、ときとして逆転するものでもある。つまり、絶対に正しい正義の主張はない、ということになる。この観点では、朝ドラでは、『虎に翼』で描いたような正義の観念とは別のもの、対極的な正確のもの、ということになる。
いろんな仕事をした人である。この番組では言っていなかったが、三越の百貨店の包装紙のデザインもしている。「手のひらを太陽に」の作詞でもある。その人生で出てくる人物としては、宮城まり子、永六輔、いずみたく、などがいることになる。
やなせたかしという人をたどれば、おそらく戦後の日本のサブカルチャーの歴史のかなりの部分にふれることになる。その柔軟でしなやかな正義感、さまざまな人との出会い、これらをどうドラマで描くことになるかは、楽しみでもある。
2025年3月26日記
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