『明治波濤歌』(上)山田風太郎2021-05-06

2021-05-06 當山日出夫(とうやまひでお)

明治波濤歌(上)

山田風太郎.『明治波濤歌』(ちくま文庫 山田風太郎明治小説全集9).筑摩書房.1997(新潮社.1981)
https://www.chikumashobo.co.jp/product/9784480033499/

続きである。
やまもも書斎記 2021年5月1日
『エドの舞踏会』山田風太郎
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2021/05/01/9372763

これは、最初、新潮社版が出た時に買って読んだのを覚えている。このころになると、山田風太郎の明治小説は、新刊が出るごとに単行本で買って読んでいた。

ちくま文庫版の上巻には、次の作品をおさめる。

それからの咸臨丸
風の中の蝶
からゆき草紙

連作短篇というのではなく、各作品が独立している。時代設定も、明治のはじめから前半期ではあるが、特に時代を決めてということもないようだ。

この巻も、さまざまに明治の著名人が出てくる。それがどのように登場するのかという点の楽しみもあるが、しかし、やはり、これらの作品に通底している、明治の時代の流れからとりのこされた、あるいは、少なくとも時流にのることができなかった、幾多の人びと……ここにそそがれるまなざしを強く感じる。明治という激動期であるからこそ、その時代に適応できなかった、多くの人びとがいたことを忘れてはならないのだろう。

無論、小説として読んで面白い。再読になるのだが、最初に読んだのは若いときだったので、すっかり忘れてしまっている。新たな気持ちで、各作品を読むことになった。

興味深いのは、「からゆき草紙」。これは、ミステリ仕立てになっている。雪のなかの密室殺人、という趣向である。それが、この物語のストーリーのなかに融合して、たくみな謎解きになっている。

明治というと、どうしても、歴史の教科書に名前の出てくるような著名人の活躍に目がいく。だが、その影に、歴史に埋もれてしまった、時代の流れに乗ることのできなかった人びとがいる。そのような人びとこそ、歴史のなかで翻弄されたといっていいのだろう。

このような作品を読んで、また、ふと樋口一葉の作品など読み返してみたくなった。樋口一葉もまた明治の時代の流れのなかで、時代に翻弄されながらも、かろうじて一時の光芒をはなつことができた、あるいは、希有なひとかもしれない。

2021年5月2日記

『エドの舞踏会』山田風太郎2021-05-01

2021-05-01 當山日出夫(とうやまひでお)

エドの舞踏会

山田風太郎.『エドの舞踏会』(ちくま文庫.山田風太郎明治小説全集8).筑摩書房.1997(文藝春秋.1993)
https://www.chikumashobo.co.jp/product/9784480033482/

続きである。
やまもも書斎記 2021年4月22日
『明治断頭台』山田風太郎
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2021/04/22/9369597

収録するのは、次の短篇。

井上馨夫人
伊藤博文夫人
山県有朋夫人
黒田清隆夫人
森有礼夫人
大隈重信夫人
陸奥宗光夫人
ル・ジャンドル夫人

最後のル・ジャンドルをのぞいて、いずれも学校の歴史の教科書で目にしたことのあるような、明治の著名な政治観である。(ル・ジャンドルについては、たまたま私が知らないだけかとも思うが。)

これも再読である。最初に読んだのは、若いとき。学生のころだったかと覚えている。だが、何が書いてあったか、さっぱり忘れてしまっているので、これはこれとして、新鮮な気持ちで読むことになった。

歴史上の著名人の妻が主な主人公である。そのせいもあるが、山田風太郎の他の明治小説のような、どこまで本当で、どこから虚構なのか、虚実入り交じった伝記的世界が展開するというのではない。

この作品の全体にわたって登場するのが、山本権兵衛と山川捨松。まあ、この二人は、歴史上の人物とはいっても、作品のなかでは、各作品の目撃者であり、語り手的な立場にあるといっていいのだろう。このあたりは、山風太郎ならではの「虚」の部分かと思わせるが、設定としては面白い設定になっている。

時代設定としては、そのタイトルから推察されるように鹿鳴館の時代である。といっても、鹿鳴館の舞踏会が、そう頻繁に登場するということはない。明治の政治家の妻の視点から、明治を描くということで、鹿鳴館の時代が選ばれたという印象である。

女性、それも、明治の政治家の妻……その多くは芸者あがりであるのだが……の視点から見た、明治の時代であり、文明開化の時代であり、なかんずく鹿鳴館の時代である。読んでいくと、幕末から明治にかけての激動の時代を、女性の目で見た物語となっている。

このような歴史の見方もあるのか……と、そのような印象を持つことになる作品である。

この作品、読み終わって感じるのは……他の山田風太郎の明治小説がそうであるようにだが……やはり、「不戦日記」の著者の視点である。歴史を見るまなざしであり、特に激動の時代にあって人間とはどう生きるものなのか、ある意味では冷酷に見つめているところがある。

虚実入り交じった波瀾万丈の大活劇という作品ではないが、山田風太郎の明治小説の世界を堪能できる一冊になっていると思う。

2021年4月28日記

追記 2021-05-06
この続きは、
やまもも書斎記 2021年5月6日
『明治波濤歌』(上)山田風太郎
https://yamamomo.asablo.jp/blog/2021/05/06/9374540

『シュガータイム』小川洋子2021-04-26

2021-04-26 當山日出夫(とうやまひでお)

シュガータイム

小川洋子.『シュガータイム』(中公文庫).中央公論新社.1994(中央公論新社.1991)
https://www.chuko.co.jp/bunko/1994/04/202086.html

続きである。
やまもも書斎記 2021年4月19日
『完璧な病室』小川洋子
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2021/04/19/9368709

たまたま買った順番で書斎の床の上に積んである小川洋子の本を読んでいる。これは、小川洋子の最初期の作品ということになるようだ。

読んで思うことは次の二点。

第一には、やはり小川洋子ならではの、透明感のある作品であるということ。出てくるものごと、できごとの多くは、決してきれいなものばかりではない。主人公の女性は、食欲の異常がある……過食症といってもいいのだろう、食べることを止められないでいる……その弟は、それ以上に体格が成長しないという病気、付き合っている男性はいるが性的な関係は一切ない、その他、普通の作家が普通に書けば、グロテスクな露骨な描写になりがちな題材をあつかっていながら、全体としてきわめておちついた透明感のある文章でしあげてある。

第二には、これは青春小説として読めるということ。大学の野球のリーグ戦……おそらく東京六大学あたりをイメージするといいと思うが……のことが出てくる。毎年、季節がめぐってくれば野球の試合がある。それを見に行く仲間たち。そして、それが四年間つづいた後に、終わりとなる。そんなことになろうとは、はじめは思ってもいなかったのだが。若さとは、それを失うときに気づくものである。

以上の二点ぐらいが、この小説を読んで思うところであろうか。

あとがきによれば、作者としては、これだけは書いておきたかった物語であるらしい。それを意識してということは特にないが、しかし、小川洋子の文学世界が、青春小説の形で結実していると感じられる。

2021年4月13日記

『明治断頭台』山田風太郎2021-04-22

2021-04-22 當山日出夫(とうやまひでお)

明治断頭台

山田風太郎.『明治断頭台』(ちくま文庫 山田風太郎明治小説全集7).筑摩書房.1997(文藝春秋.1979)
https://www.chikumashobo.co.jp/product/9784480033475/

続きである。
やまもも書斎記 2021年4月15日
『地の果ての獄』山田風太郎
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2021/04/15/9367360

この作品を若いときに読んだが、そのときは、なんとも破天荒な設定であることかと思ったものである。それを、今になって読みかえしてみて思うことは、次の二点ぐらいだろうか。

第一には、これは、「本格」であるということ。

そもそも山田風太郎はミステリ作家なのである。私が、『警視庁草紙』などを読み始めたときは、それを、主にミステリの視点から読んだと覚えている。この『明治断頭台』は、時代の設定こそ明治初期の弾正台という設定ではあるが、そこで描かれている事件の数々は、まさに「本格」といえる。

そして、さらに面白いのは、その謎解きをするのが、何故か日本にやってくることになったフランスの娘。それが、巫女の姿で、死者の霊を呼び寄せて語るという趣向。

いくつかの事件を経て……短篇の連作という形式をとっている……最後に、この小説全体で、大きな謎解きになっていく、この仕掛けが見事である。

第二は、山田風太郎の明治小説としては、その奇想天外な設定やストーリーに平行して、大きなメッセージを語っていること。政治にとって正義とはなんであるのか、問いかけるものになっている。

これは、「不戦日記」などの著者として、戦中から戦後の激動の時代を生きた人間ならではの歴史観だろう。時代の大きな変わり目には、価値観の激変があり得る。そこには、歴史を動かしていく人間の非情さもあれば、逆に、極端な正義感も存在することになる。まさに、明治初期というきわどい時期ならではの設定として、正しい政治のあり方とはいかなるものであるべきか、山田風太郎の流儀で、問いかけている。

以上の二点が、『明治断頭台』を久々に読んでみて思うことであろうか。ここまで山風太郎を読みなおしてくると、これは、年をとってから読みなおす価値のある文学であることが理解される。無論、歴史エンタテイメント、ミステリとしても、一級品である。だが、それにとどまらない、歴史の激変のなかに生きる人間のありさまを、語りかけるものがある。

2021年4月13日記

追記 2021-05-01
この続きは、
やまもも書斎記 2021年5月1日
『エドの舞踏会』山田風太郎
https://yamamomo.asablo.jp/blog/2021/05/01/9372763

『完璧な病室』小川洋子2021-04-19

2021-04-19 當山日出夫(とうやまひでお)

完璧な病室

小川洋子.『完璧な病室』(中公文庫).中央公論新社.2004
https://www.chuko.co.jp/bunko/2004/11/204443.html

続きである。
やまもも書斎記 2021年4月12日
『夜明けの縁をさ迷う人々』小川洋子
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2021/04/12/9366470

小川洋子の作品を適当にみつくろいながら読んでいって……たまたま、この本が小川洋子のデビュー作品集ということになった。

収録してあるのは、次の作品。

完璧な病室
揚羽蝶が壊れる時
冷めない紅茶
ダイヴィング・プール

『完璧な病室』(1989.福武書店)と、『冷めない紅茶』(1990.福武書店)を、合わせて文庫にして一冊に再編集したものである。

この作品集にあるのは、不思議な透明感であるといっていいだろう。

描かれている題材としては、病気であり、死であり、老いであり、介護であり……あまり人生の明るい側面を描いているとはいえない。しかし、暗さや陰惨なイメージはほとんどない。どれもさらりと書いてある。

その場にいる人間としては、社会的にみても、深刻な問題なのかもしれないが、それを、人間の奥底にとどくようなまなざしで見つめながら、同時に、透明感のある作品となっている。これが、小川洋子という作家の出発点なのかなと思って読んだところである。

リアリズムの小説のように見えて、そこをかろやかにかわしている。だが、そこには、人間を見る透徹した目がある。いずれも深刻な人生の問題をあつかっていながら、清涼感のある読後感である。

今、小川洋子を読みながら平行して、山田風太郎の明治小説を読んでいる。本は買って書斎に積んである。適宜、順番に読んでいくことにしたい。

2021年4月12日記

追記 2021-04-26
この続きは、
やまもも書斎記 2021年4月26日
『シュガータイム』小川洋子
https://yamamomo.asablo.jp/blog/2021/04/26/9370993

『地の果ての獄』山田風太郎2021-04-15

2021-04-15 當山日出夫(とうやまひでお)

地の果ての獄

山田風太郎.『地の果ての獄』(山田風太郎明治小説全集第三巻).筑摩書房.1997(文藝春秋.1977)
https://www.chikumashobo.co.jp/product/9784480710239/

続きである。
やまもも書斎記 2021年4月8日
『幻燈辻馬車』山田風太郎
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2021/04/08/9365078

山田風太郎の明治小説を読んでいたのは、学生のときだった。そのころは、その奇想天外な着想、そして、歴史上の著名人がふと現れてくる面白さ……このようなところにひかれて読んでいた。若いときに、文庫本、単行本で読める範囲の作品は読んでいたかと思う。

この作品も再読になる。原胤昭という人物のことは、山田風太郎の小説で知ったことになる。この人物は、先に読んだ『幻燈辻馬車』にも出てくる。

舞台は北海道の刑務所……樺戸集治監……である。そこに勤務することになった有馬四郎助が、主人公である。虚実とりまぜていろんな登場人物が出てくる。それには、刑務所ならではのこととして、犯罪者もいれば、得たいの知れない奇妙な医者もいる。

北海道を舞台にして、破天荒な物語が進行するのであるが、その底には、歴史についての非常に冷静な目があると感じる。明治の文明開化の世の中にあって、その時代の流れに乗りおくれたもの、反逆するもの、取りのこされたもの……歴史の敗残者といっていいだろう、そのような人びとの視点から、明治という時代をみればどうなのか、非常にするどい史観がそこにはあるように感じる。

場面が北海道の刑務所に限定されるといっても、登場人物は、加波山事件、秩父事件、西南戦争などのさまざまなできごとの関係者が、るつぼのようにうずまいている。そこには明治の歴史の暗黒面がある。

と同時に、波瀾万丈のストーリーの展開する、痛快なエンタテイメント活劇にもなっている。このあたりが、山田風太郎の明治伝奇小説の魅力なのであろう。

ここまで山田風太郎を読んでくると、この勢いで、山田風太郎明治小説全集の全作を読んでおきたくなった。筑摩の「全集」は古書で買えるものもある。また、それ以外でも、まだ、ちくま文庫版も刊行になっているようだ。これから、順次読んでいくことにしたい。

COVID-19のこともあって、居職の生活である。このようなときこそ、「歴史」そして「運命」というものを自分なりに考えてみたい、そんな気もしている。

2021年4月8日記

追記 2021-04-22
この続きは、
やまもも書斎記 2021年4月22日
『明治断頭台』山田風太郎
https://yamamomo.asablo.jp/blog/2021/04/22/9369597

『夜明けの縁をさ迷う人々』小川洋子2021-04-12

2021-04-12 當山日出夫(とうやまひでお)

夜明けの縁をさ迷う人々

小川洋子.『夜明けの縁をさ迷う人々』(角川文庫).KADOKAWA.2010(KADOKAWA.2007)
https://www.kadokawa.co.jp/product/201003000102/

続きである。
やまもも書斎記 2021年3月25日
『貴婦人Aの蘇生』小川洋子
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2021/03/25/9360319

この短篇集は面白い。

収録してあるのは、次の作品。

曲芸と野球
教授宅の留守番
イービーのかなわぬ望み
お探しの物件
涙売り
パラソルチョコレート
ラ・ヴェール嬢
銀山の狩猟小屋
再試合

比較的短い短篇をおさめてある。よく、こんな奇妙な小説を思いついたものであると感じさせる作品ぞろいである。

奇妙な話しでありながら、ここには、独特のユーモアがある。それも、ちょっぴりブラックユーモアというおもむきがある。同時に、どことなくエロティシズムを感じさせるところもある。透明感はあるが、しかし濃厚な感触がある。

ちょっとした街角の、ちょっと風変わりな人びとの、ちょっと変わった出来事を描いているといっていいだろうか。小説という形式のなかで、ふとした奇妙な感覚の物語を語っている。これは、まぎれもなく、小川洋子の文学世界なのだなということを感じさせる。

2021年4月2日記

追記 2021-04-19
この続きは、
やまもも書斎記 2021年4月19日
『完璧な病室』小川洋子
https://yamamomo.asablo.jp/blog/2021/04/19/9368709

『幻燈辻馬車』山田風太郎2021-04-08

2021-04-08 當山日出夫(とうやまひでお)

山田風太郎明治小説全集(2)

山田風太郎.『幻燈辻馬車』(山田風太郎明治小説全集第二巻).筑摩書房.1997(文藝春秋.1976)

続きである。
やまもも書斎記 2021年4月1日
『警視庁草紙』山田風太郎
https://yamamomo.asablo.jp/blog/2021/04/01/9362594

続けて山田風太郎を読んでいる。(小川洋子を集中的に読もうと思って、本は買って書斎につんであるのだが、しばらく山田風太郎を読んでいる。)

『幻燈辻馬車』も、若いときに読んでいる。これは、単行本で読んだろうかと思うが、どうも記憶がさだかではない。が、その後、二~三回は、繰り返して読んでいる(これは、そのときに手に入る文庫本で読んだ。)

山田風太郎の明治伝奇小説のなかで、怪奇ということをあつかった異色作であるかもしれない。なにせ、幽霊が出てくる。それもただ幽霊が出てくるというだけではなく、鬼気迫るものがありながらも、どこかしらユーモアも感じさせる。

むろん、この小説のメインの登場人物は、干潟干兵衛。元、会津藩士である。時代は、明治の一〇年をしばらくすぎたころ。まだ、西南戦争のなごりの残る時代である。自由民権運動の時代である。干兵衛は、西南戦争に参加した経歴がある。若いころには、明治維新の戊辰戦争を戦っている。このような干兵衛は、明治の進取の時代からすれば、敗残者といってよいのかもしれない。

この小説は、明治維新、文明開化の時代を、時代に取り残された敗残者の目から描いている。先に読んだ、『警視庁草紙』と同様、明治という時代にあって、その時代の流れについていけない、あるいは、ついていくことをいさぎよしとしない、強いていえば、時代から敗れ去った人間を描いている。

そして、この小説に出てくる自由民権運動も、かならずしも、(いまでいう感覚の)正義の運動ばかりとしては描かれていない。この小説の発表された当時の用語でいうならば、過激派学生運動にたとえるところもある。自由民権の活動も、また、明治維新にのりおくれたものの、時代への抵抗のうごきとして見ているところがある。

今回、この小説を、読みかえしてみて気づいたこととしては……登場する幽霊の持っているなんとなくユーモアのある雰囲気、それに、自由民権運動へのある意味での冷めたまなざし、というものであろうか。ここには、山田風太郎なりの「歴史」を見る目がたしかにある。

読みながら思わず付箋をつけた箇所がある。「人の世に情けはあるが、運命に容赦はない。」

この小説は、「歴史」のなかにある人間に与えられた「運命」の過酷さを描ききっているといえるかもしれない。このようなところは、やはり「不戦日記」の作者ならではのものと感じる。

2021年4月2日記

追記 2021-04-15
この続きは、
やまもも書斎記 2021年4月15日
『地の果ての獄』山田風太郎
https://yamamomo.asablo.jp/blog/2021/04/15/9367360

『警視庁草紙』山田風太郎2021-04-01

2021-04-01 當山日出夫(とうやまひでお)

警視庁草紙

山田風太郎.『警視庁草紙』(「山田風太郎明治小説全集」第一巻).筑摩書房.1997(文藝春秋.1975)

山田風太郎を読み返してみたくなって古本で買った。(この本、今では古本でかなり安価で買うことができる。)

私にとって、山田風太郎は、まず、『戦中派不戦日記』の作者である。これは学生のときに読んだ。そして、『警視庁草紙』からはじまる一連の明治伝奇小説の書き手である。また、晩年の仕事としては、『人間臨終図鑑』がある。それから、『八犬伝』も読んだ作品である。ただ、世の中では、忍法ものの作者として知られているかと思う。

『警視庁草紙』を読んだのは、たしか学生のとき。文春文庫版であったと記憶する。その後、『幻燈辻馬車』など、作品が出ると買って読んだ。以降の作品は、ほとんど単行本が出るとそのつど買って読んでいったのを覚えている。その大部分は、読んでいるはずである。

山田風太郎の明治小説には、一部に熱烈なファンがいるらしい。そのせいだろう、以前に筑摩書房から、「山田風太郎明治小説全集」として、この類の作品をあつめて刊行になった。このような「全集」が出るということは、いわゆる大衆文学にとっては、希有なことかもしれない。このとき、「全集」と同時に、ちくま文庫版でも刊行になった。筑摩書房としては、かなり力を入れた本になっていると思う。

本文にちがいはないはずだが、「全集」版は、解説(木田元)がついている。このことをとってみても、この一連の小説に対する人気ぶりがわかろうというものである。ただ、この本が出た当時、私としては、すでにほとんどの作品を読んでいたということもあって、買わずに済ませてしまっていた。

今、見てみると、依然として人気があるようで、山田風太郎の作品のいくつかは、新しい文庫本で刊行されているものがかなりある。明治伝奇小説のいくつかもあるようだ。

『警視庁草紙』であるが、この作品については、すでに多くのことが語られているであろうから、特に私が何ほどのことを書くこともないだろう。が、強いて書いてみるならば、司馬遼太郎の『坂の上の雲』『翔ぶが如く』などとどうしても比較して読んでしまう。(ちなみに、私は、司馬遼太郎のこれらの作品は、少なくとも二回は繰り返して読んでいる。)

司馬遼太郎が、明治からはじまる近代日本の「光」の部分を描いたとするならば、山田風太郎は「影」の部分を描いている。「光」があるところには、かならず「影」がある。と、このようなことを、山田風太郎自身がどれほど意識していたかは、かならずしも定かではないようだ。明治というメチャクチャな時代を舞台にして、虚実入り交じった面白い物語を書きたかったらしい。

どこまで本当で、どれぐらい嘘が混じっているか、考えながら、あるいは、だまされながら読むのが、この作品の面白さというものだろう。たとえば、樋口の家のなつという少女と、夏目の家の金之助という少年が出会って話しをするシーンなど有名だろう。事実、樋口一葉と夏目漱石は、さほど年が離れているわけではない。文学者として活躍する時期には、一世代の違いはあるが。文学史の知識として知っていることではあるが、果たしてこの二人が会ったことがあるのか、どうだろうか。あったとしておかしくはない。このあたりの虚実皮膜の間が、実にたくみである。

それから、山田風太郎の明治伝奇小説は、必ずしも、幸福な終わり方をしない。『警視庁草紙』のラストのシーンなど、悲壮感にあふれているといってもいいだろう。明治の近代を作りあげる「影」の部分に、まなざしがそそがれている。

そして、『警視庁草紙』は、明らかに「歴史」を意識している。近代日本の歴史の行き着く先のひとつの結果が、昭和二〇年の敗戦ということになるが、そこを「不戦日記」の作者の目で、近代の歴史をふりかえっている。

COVID-19のこともあって、基本的に居職の生活である。本を読むことにしている。今、小川洋子の作品をみつくろいながら読んでいるところである。それから、ブッカー賞の受賞作品で翻訳のあるものについては、読んでみようとか思っている。その合間に、山田風太郎の明治伝奇小説を、読みなおしてみたい。再読、再々読、再々々読……の作品が多いが、ここは楽しみの読書である。読み返すたびに、新たな発見があるのも、また、読書の楽しみである。

2021年3月29日記

追記 2021-04-08
この続きは、
やまもも書斎記 2021年4月8日
『幻燈辻馬車』山田風太郎
https://yamamomo.asablo.jp/blog/2021/04/08/9365078

『原野の館』ダフネ・デュ・モーリア/務台夏子(訳)2021-03-29

2021-03-29 當山日出夫(とうやまひでお)

原野の館

ダフネ・デュ・モーリア.務台夏子(訳).『原野の館』(創元推理文庫).東京創元社.2021
http://www.tsogen.co.jp/np/isbn/9784488206062

創元推理文庫の新刊、厳密には新訳ということで読んでみることにした。ダフネ・デュ・モーリアの作品は、『レベッカ』が有名かもしれない。他には、『レイチェル』がある。それから、『鳥』の作者でもある。『鳥』は、映画の方が有名だろうか。

主人公はメアリー。母が亡くなって孤独の身となって、叔母のもとにゆくことになる。それは、荒野のなかに立つ、ジャマイカ館という家だった。そこには、叔母の夫もともにいるのだが、何かしら怪しげである。謎につつまれた館の正体は、どうやら密貿易らしい。そして、悲劇が起こる。限られた登場人物でありながら、これから先いったいどうなることだろうと読みふけってしまった。

この作品は、舞台背景がいい。日本語訳のタイトルは、「原野の館」であるが、「原野」には「ムーア」とルビがふってある。英国の、荒涼たる原野のひろがる地域で、この作品は展開する。

サスペンスに満ちた作品であると同時に、ある種のフーダニットにもなっている。まあ、登場人物がきわめて限定的だから、事件の背後にある真相としては、あの人物なのかなとおぼろげには推測しながら読むことにはなる。しかし、そうはいっても、そこにいたる道筋は、実にたくみである。特に、「真犯人」が正体をあらわすところなどは、本から目がはなせなくなる。

それから感じることは、この作品などに見られる、英国のミステリの文学的芳醇さである。これは、なかなか日本の作品には求めがたいものがある。たぶん、ミステリという文学のなりたつ社会的、歴史的、文化的な背景の違いによるものなのだろう。ともあれ、この作品、新訳ということで再度世に出た作品であるが、間違いなく傑作といっていい作品である。

2021年3月28日記