『昭和史講義【戦後文化篇】』(下)筒井清忠(編)/ちくま新書2023-01-13

2023年1月13日 當山日出夫

昭和史講義(下)

筒井清忠(編).『昭和史講義【戦後文化篇 】』(下).ちくま新書.筑摩書房.2022
https://www.chikumashobo.co.jp/product/9784480074973/

上巻につづいて読んだ。収録されている論考のタイトルだけ書いてみる。

戦後の木下恵介と戦争
『君の名は』と松竹メロドラマ
成瀬巳喜男
ゴジラ映画
サラリーマンと若大将
新東宝の大衆性・右翼性・未来性
『叛乱』
三隅研次と大衆時代劇
日活青春映画
東映時代劇
任侠映画興亡史
「幕末維新」映画
菊田一夫
少年少女ヒーローとヒロイン
東映動画とスタジオジブリ
長谷川町子、手塚治虫と戦後の漫画観
「平凡」と大衆文化
朝ドラ
被爆者・伊福部昭と水爆怪獣・ゴジラ

どの論考もかなり力をいれたものになっている。ただ、全体として、映画に偏っているという印象はいなめない。これは、編者(筒井清忠)自身が、映画史の研究もしているということと関連があるのだろう。

映画にかたよった編集であることは、意図的にそうしている。だが、そうではあっても、黒澤明と小津安二郎はわざとはずしている。これは、このような編集もあっていいと思う。しかし、であるならば、映画史として日活ロマンポルノを切り捨てることはないだろうと思うが、どうだろうか。

それにしても、昭和の戦後といっても四〇年以上になる。それを、映画を軸にまとめるのは、ちょっと無理があったのではないかと思われる。テレビのことがほとんど出てこない。まあ、朝ドラに一つの章を使ってはいるが。他にも大衆演劇、芸能、それから、少年少女漫画雑誌のことがほとんど出てこない。

ここは、【戦後編】のさらなる続編に期待したいところである。

2023年1月3日記

『昭和史講義【戦後文化篇】』(上)筒井清忠(編)/ちくま新書2023-01-12

2023年1月12日 當山日出夫

昭和史講義(上)

筒井清忠(編).『昭和史講義【戦後文化篇】』(上).ちくま新書.筑摩書房.2022
https://www.chikumashobo.co.jp/product/9784480074966/

夏に出た本で、上・下ともに買って積んであった。冬休みに時間のある時に読む本として、取り出してきて読んだ。非常に面白く読んだ。まず、上巻から。

上・下になっていて、上巻の方は、論壇・小説・マスコミといったあたりをメインに扱っている。

タイトルだけ書いてみる。

丸山眞男と橋川文三
鶴見俊輔
知識人と内閣調査室
復興・成長の経済思想
福田恆存と保守思想
戦後のベストセラー
獅子文六と復興
石坂洋次郎
石原慎太郎と太陽族
林房雄と三島由紀夫
社会派ミステリー
時代小説の再興
有吉佐和子
小林秀雄
大宅壮一と戦後マスコミ
岡本太郎の芸術
沖縄文化
勤労青年の教養文化
全共闘運動

読んで、これは読んでおきたい、あるいは、読みなおしてみたいと思った本がいくつかある。鶴見俊素見はきちんと読んでおきたい。始めの方に出てくる『日本浪曼派批判序説』(橋川文三)など、読んだのは学生の時のことだった。まだ探せば昔の本を持っているはずである。新しい本もある。これなど、改めて読みなおしてみたいと思う。他には、福田恆存などもそうである。いくつかの著作は読んだことがあるが、まとまっては読んできていない。小林秀雄も読みなおしてみたい。林房雄の『大東亜戦争肯定論』は、昔買ったのを覚えている。まだどこかにあるはずである。

ところで、興味深いことは……戦後の文化史を論ずるとして、では、一般の多くの日本の人びとは、どんな本を読んできたのだろうか、という肝心のところが、曖昧なままになっていることである。確かにベストセラーという著作や小説はあった。その発行部数もだいたい分かっているかもしれない。しかし、それらがその他のどんな本や雑誌と一緒に売られ、どのように読まれたかとなると、今一つはっきりしない。信頼できるデータ、資料が残っていないからである。ここではさらに、貸本屋という存在も考えてみなければならない。

それぞれの論考はとても興味深いものである。それは確かなことなのだが、読み終わって上記のような漠然とした不満は残る。これは、編者、筆者の責任ではない。そのようなことを明らかにする資料が残っていないのであり、あるいは、未開拓の研究分野である、ということなのである。

このようなことを確認するためにでも、この本は一読する価値があると思う。日本近現代における読書史というような領域は、まだ分からないことだらけのようだ。

2022年12月30日記

『ウクライナ戦争』小泉悠/ちくま新書2022-12-26

2022年12月26日 當山日出夫

ウクライナ戦争

小泉悠.『ウクライナ戦争』(ちくま新書).筑摩書房.2022
https://www.chikumashobo.co.jp/special/ukraine/

今年(二〇二二)の二月にウクライナで戦争が始まって以来、多くの軍事専門家、国際政治専門家が、マスコミに登場してきているのだが、そのなかで信用していい一人といいと思っている。

読んで印象に残っていることは、多くあるが二つばかり書いておく。

第一に、国民ということ。

この本ではあまり深くこの点について触れられていないと感じるのだが、ウクライナ戦争は、国民の戦争である。この本が使っている用語でいうならば、三位一体の戦争ということになる。

おそらく歴史の結果的には、この戦争が、ウクライナ国民というものを形成する大きなきっかけになったと回顧される時が来るのかもしれない。また同時に、ソ連崩壊後のロシアを、一つの国民国家として統合する契機になったと、考えるようになるかもしれない。国家と国家、その国民と国民が、それが有する軍事力で正面から対決している、いわば古典的な戦争なのである。

第二には、ロシア論と軍事論。

著者が信用できる論客の一人であると思うのは、自分の専門の議論の範囲をきちんと見極めているところにある。ロシアの専門家であり、軍事の専門家である。これは、言いかえるならば、国際政治や経済の専門家ではないということでもある。だが、これは、マイナスではない。自分の議論の領域に自覚的であり、それ以外のことについては、あえて沈黙を守るという自制が強くはたらいている。これは、ある意味では、専門家としての矜恃のなせるわざでもあろう。

ウクライナの問題は、軍事の議論だけでかたのつく問題ではない。無論、軍事的に戦争の帰趨がどうなるかはきわめて重要であるが。その他、経済の問題もある。ロシアとウクライナだけの問題ではなく、国際社会にとって非常に大きな問題となっている。

この本のバランスの良さは、ロシア論と軍事論が密接にからんで展開されていることであり、それ以外に、あえて言及しないという抑制のきいた論の進め方になっているところにある。

以上の二つのことを、思ってみる。

それにしても、ロシアはなぜ戦争を始めたのか……ということは、とりもなおさず、どのようにしてこの戦争を終わらせることができるのか、という議論に結びつく。ロシアと、軍事と、国際政治、経済、様々な論点がからむ問題であるが、この歴史の決着が見えるのは、かなり先のことになりそうである。

2022年12月23日記

『平家物語』石母田正/岩波文庫2022-12-02

2022年12月2日 當山日出夫

平家物語

石母田正.高橋昌明(編).『平家物語 他六編』(岩波文庫).岩波書店.2022
https://www.iwanami.co.jp/book/b615161.html

もとの本は、岩波新書の『平家物語』(一九五七)である。これを読むのは、少なくとも三度目になる。

若い時、学生のころ、岩波新書で出ていたのを買って読んだ。そのときに印象にのこったこととしては、やはり、知盛の「見るべき程の事は見つ」ということば、そして「運命」ということであった。

何年前になるだろうか、ふとこの本を読みなおしてみたくなって、古書で買って読んだ。このとき、歴史学者としての石母田正の評価はどうだったろうか。もう、過去の人という雰囲気であったかなと思う。久々に読みなおしてみて、歴史学者の考える「運命」とはどんなものなのだろうかと、いろいろと考えたものである。

それが、岩波文庫版として新しく刊行になったので、買って読んでみた。

読んで思うこととしては、率直に面白い本であるということになる。『平家物語』という作品の魅力を、「運命」「叙事詩」というようなキーワードで読み解いていく。今の時点で読んでみて、その語っていることすべてに賛成できるということはないのであるが、しかし、読んで面白かった。昔読んだ時には、こんなに面白い本だとは思わなかったというのが、正直なところである。

『平家物語』は、これも若い時に目を通した。これで論文を書いたこともある。だが、一つの文学作品として、最初から順番にページを繰っていくということは、近年になってからのことである。その文学史的な位置も一通り知っており、どんな作品かは知っているとしても、一つの文学作品として、ただ読むということは、あまりしてこなかった。が、これも、老後の読書と割り切って、特に論文など書こうと思わないで、ただ楽しみのためにだけ、古典を読んでおきたいと思うようになっている。『平家物語』も、きちんと読みたい作品の一つ。その読書の手助けとして、この石母田正の「平家物語」は非常にいい。

ただ、『平家物語』を、「叙事詩」としてとらえることには、ちょっと疑問がないではない。日本文学の歴史をふりかえって、「叙事詩」というべき作品を探すとなると、確かに『平家物語』がある。だから、『平家物語』が「叙事詩」であるとするのは、やや短絡的である。ここは、石母田正が書いているように、この作品の作者の持っていた「物語精神」を読みとるべきだろう。これは、『源氏物語』とも『今昔物語集』とも違った、鎌倉時代という時代になって生まれた、新しい文学である。

この本を読んで、再度、『平家物語』をじっくりと読みなおしてみたくなった。

2022年11月27日記

『司馬遼太郎の時代』福間良明/中公新書2022-10-28

2022年10月28日 當山日出夫

司馬遼太郎の時代

福間良明.『司馬遼太郎の時代-歴史と大衆教養主義-』(中公新書).中央公論新社.2022
https://www.chuko.co.jp/shinsho/2022/10/102720.html

司馬遼太郎論として、また、戦後の教養と出版の歴史として、非常に面白い。ただ、これは、司馬遼太郎の作品を一通り読んだことのある人にとっては、より面白いと言った方がいいかもしれない。

司馬遼太郎が亡くなってかなりになる。今でも広く読まれている作家である。そして、司馬遼太郎の作品、なかでも『坂の上の雲』をめぐっては、歴史学の方から、毀誉褒貶、様々な意見がある。この本にしたがって整理するならば、進歩的なアカデミズムの側からは極めて批判的に見られることになるし、一方で、学際的な総合知をめざすような論者からは、高く評価されるということがある。

この本は、司馬遼太郎論というよりは、司馬遼太郎の作品が、どのような時代背景のもとに書かれ、そして、読まれてきたのか、また、それがどのように批判され、あるいは、賛美されることになったのか……ということに主眼をおいて述べてある。これは、今までの司馬遼太郎論の類では書かれてこなかったことである。

いわゆる旧制高校的な教養主義が消えて後、昭和五〇年代になって、大衆教養主義の時代になる。それをささえていたのは、主に企業の男性のサラリーマンである。教養をもとめる気持ちはあるが、重厚な専門書は手が出ない、だが、歴史をあつかった小説なら手が出せる、そして、出版史的には、文庫本の時代を迎えることもあった、また、時代背景として高度経済成長の後の時代ということでもある……様々な要因があって、司馬遼太郎の小説が書かれ、そして、読まれた。

司馬遼太郎の経歴もそれを、裏付けることになる。「二流」の経歴をたどってきた。書いたのは、歴史小説でも、歴史書でもなく、読み物であった。それは、明治の明るさと、昭和の暗さを描く作品であったが、時代に受け入れられた。

司馬遼太郎が読まれれば読まれるほど、アカデミズムの側からの批判も強くなる。それは、とりもなおさず、司馬遼太郎が論じるに価する歴史観を提示しているという認識につながっていく。

この本は、戦後の教養史、読書史、出版史、文学史、それから、社会経済史、労働史というようなものを総合したところになりたっている。特に、教養ということと歴史のかかわりを考えるうえで、非常に興味深い。

ところで、私は、司馬遼太郎の作品のほとんどは読んできていると思う。といっても、若いころから、文庫本で読めたものに限っててということになるが。(ただ、「街道をゆく」は読んでいない。)

『坂の上の雲』や『翔ぶが如く』は、二度読んでいる。これらの小説は、もとが新聞連載ということもあるし、司馬遼太郎の作品の書き方がそうであるということもあるのだが、細切れに読んでも意味がつながる。若いときは、電車のなかで読む本と決めて、カバンにいれておいて、それで読んだのを憶えている。

司馬遼太郎は、学問の世界と、一般の大衆教養の世界をつないだ作家ということになる。今、このような人がいるだろうか。学術の世界は、その専門の世界に閉じこもろうとしているように見えなくもない。一方で、インターネットの世界では、その学術の世界も、一般社会に開かれたものになっていくという側面もある。はたして、これからどうなるだろうか。

司馬遼太郎はこれからどう読まれていくことになるだろうか。おそらく、その歴史観への批判はつきまとうことになるだろう。だが、そのような批判をともないつつも、読み物としての面白さで読まれていくのではないだろうか、私には、そのように思える。

2022年10月21日記

『ウクライナ戦争と米中対立』峯村健司/幻冬舎新書2022-10-13

2022年10月13日 當山日出夫

ウクライナ戦争と米中対立

峯村健司.『ウクライナ戦争と米中対立-帝国主義に逆襲される世界-』(幻冬舎新書).幻冬舎.2022
https://www.gentosha.co.jp/book/b14583.html

峯村健司の対談集である。

対談の相手は次のとおり。

小泉悠
鈴木一人
村野将
小野田治
細谷雄一

どれもその分野での一流の人物と言っていいだろう。論調としては、リアルに国際政治と歴史の流れを見ているというべきである。これは、保守とか右翼とかにラベリングして分類すべきものではないと考える。

いろんな論点が論じられているのだが、基本的に、
・ウクライナ戦争
・ロシア
・アメリカ
・中国
そして、
・台湾有事

これらの現実の国際政治のなかで、今最も重要なテーマについて、縦横に論じてある。これを読んで感じるのは、まさに今の時代に生きる日本の問題、課題である。また、台湾有事ということが、単なる空想のことではないことがよく理解される。

これからの時代、二一世紀になって二〇年以上が経過した時点においてであるが、これからの国際社会の向かっていく方向が、必ずしも幸福なものではないことを、強く実感することになる。

覇権主義的世界、多極化する世界にあって、日本はこれからどうすべきか。直近の問題としては、台湾有事というときに、何を成しうるのか、いろいろと考えることが多い。今の世界では、民主主義国家の方がマイノリティになってしまっている、という指摘は重要かもしれない。うまく統治できて、経済的に繁栄することができるならば、独裁体制でもいいのではないか、そう思う国が増えてきていることは否定できないことだろう。

最も避けるべき議論……ロシアも悪いがウクライナも悪い。どっちもどっち。この論法で、台湾有事があったとして、中国も悪いがそれなりに理がある。軍事的にも強い。ならば、尖閣諸島ぐらいで我慢しておいて、日本が平和と中立を保つのが賢明……さて、このような論は、もうすでに水面下では浸透している考え方かもしれない。それこそ、中国の言論工作のねらいということになろう。

2022年9月30日記

『ウクライナ戦争の200日』小泉悠/文春新書2022-10-08

2022年10月8日 當山日出夫

ウクライナ戦争の200日

小泉悠.『ウクライナ戦争の200日』(文春新書).文藝春秋.2022
https://books.bunshun.jp/ud/book/num/9784166613786

最近の小泉悠の対談を編集したものである。対談の相手は次のとおり。

東浩紀
砂川文次
高橋杉雄
片渕須直
ヤマザキマリ
マライ・メントライン
安田峰俊

いろいろと考えるところの多い本である。幸いなことにと言っていいのだろうが、日本にいて、今の段階では、そう大きくウクライナの戦争の影響があるということはない。ただ、物価上昇という日常生活にかかわることはあるが、まあなんとかしのげる程度である。

ウクライナの戦争をめぐっては、様々なひとば様々な意見を述べている。テレビをつけても、新聞を見ても、多様な言説がとびかっている。そのなかで、この人の言うことは信頼していいだろうと思える一人が、小泉悠であることは確かである。少なくとも、私はそう思っている。

それは、一つには、軍事の専門家としての専門知識であり、そして、それゆえの謙虚さに由来する。ただ、ウクライナのことは、軍事や国際政治、あるいは、経済の問題など、いろんな論点がからんでくるので、確かにややこしい。そのなかで、この分野について、この視点からは、このように言えるというラインを明確に意識している論者であると思っている。(まあ、テレビをつければ、専門的知識のないコメンテーターの放言が、ひどいレベルであると言ってしまえばそれまでであるが。)

読んで興味深い、教えられるところ、考えるところが多くある本であるが、私が読んで興味深かったのは、片渕素直との対談。『この世界の片隅に』について、語っている。この対談を読んで思ったことは、あの映画、あるいは、原作の漫画は、戦争の時代の日常を描いた作品であると同時、戦争映画、戦争漫画なのだな、ということである。戦争と日常とが、同じディテールの細かさで連続して描かれている。なるほど、あの作品の魅力は、このようなところにあったのか、と再確認したようなところがある。

時事的な話題の本であるが、二〇二二年の秋のころまでに、どんな状況でどんなことを考えていたのか、確認する意味で、読んでおいて、そして、側においておいて損のない本だと思う。

2022年9月29日記

『百姓の江戸時代』田中圭一/ちくま学芸文庫2022-07-23

2022年7月23日 當山日出夫

百姓の江戸時代

田中圭一.『百姓の江戸時代』(ちくま学芸文庫).筑摩書房.2022(ちくま新書.2000)
https://www.chikumashobo.co.jp/product/9784480511263/

この本は、このような指摘からはじまる……かつてあった議論、そして、その余波はいまでも続いているのだが……講座派と労農派という対立があった。要は資本主義の発達段階において、明治維新をどう見るかということのちがいである。だが、この両方に共通していることは、それまでの江戸時代を封建制の時代と規定していることである。はたして、江戸時代という時代は、封建制の暗黒の時代、封建領主の権力による、身分差別の時代であり、農民はただ支配にひれ伏すだけの時代だったのだろうか。

著者は、主に、佐渡をフィールドとして調査している。そこから浮かびあがってくるのは、教科書的に記述される虐げられた農民ではなく、自分の土地を持ち、商業に従事し、村の自治にかかわり、時として、武士にも抗することのある、(今のことばでいうならば)自立した農民の姿である。

歴史学において、「百姓」とはかならずしも「農民」に限らないということは、かつてより言われてきたことだと思う。ではいったいどのような仕事をしていたのか。村のなかで、どのような家族の単位で暮らしていたのか。村の外の他国とは、どのような交易がなされていたのか。この本は、ここのところを実に生き生きと描き出している。

ただ、この本自身がそう書いているように、今の歴史学の大勢としては、歴史の記述が支配者の視点にたったものが多いことは確かだろう。(あるいは、その裏返しとして、社会の中で疎外されることになる少数者に視点を置くという方法論もあるだろうが。だが、これは、一つの歴史観の裏返してであるように私には思われてならない。)

より重要なことは、社会を構成するより多くの人びと、大多数の人びとが、どのように暮らしてきたのか、ということであるはずである。この当たり前のことを、この本は、史料にもとづき、分かりやすく解説してある。

私が若いとき、学生のころにでも、このような本を読んでいたら、ひょっとしたら歴史学に興味をもち、そちらの方向に進んでいたかもしれない、そんなことも思ってみる。

以前、ちくま新書として刊行されていた本の文庫化である。そう大部なものではないが、歴史学を考えるうえで貴重なヒントが多くある本だと思う。

2022年6月17日記

『歴史とは何か 新版』E.H.カー/近藤和彦(訳)2022-06-11

2022年6月11日 當山日出夫(とうやまひでお)

歴史とは何か

E.H.カー.近藤和彦(訳).『歴史とは何か 新版』.岩波書店.2022
https://www.iwanami.co.jp/book/b605144.html

「新版」といよりも「新訳」というべきかもしれない。すでに、清水幾太郎の訳で岩波新書出ているものである。この旧版については、最初に読んだのは高校生のころだったろうか、あるいは、もう大学生になっていたかもしれない。とにかく読んだのを憶えている。この清水幾太郎訳は、近年になって、岩波新書のロングセラーをいくつか改版して新しくしたなかで、これも新しい版に改版されてきれいになっているのが出た。これも、久しぶりに買って読んだ。

この新訳であるが……とどのつまり「歴史とは何か」という問いかけについては、旧版で読むのと、そう変わるわけではない。旧版の岩波新書の訳も、かなり読みやすい文章であると思う。(今、手元にないので、比較して読むということはないのであるが。)

新しい本は、まず字が大きい。ゆったりと活字が組んである。これは、ありがたい。そして、脚注が豊富についている。解説も丁寧である。そして、最大の特徴としては、第二版への序文があり、また、第二版のための草稿が掲載になっていることだろう。カーは、この本の第二版を準備していたのだが、ついにそれをはたすことはできなかった。

分かりやすい本であるともいえるし、難解な本であるともいえる。文章は平易である。しかし、その語るところは、素直には分かりにくいところがある。これは、「歴史とは何か」という問いかけの問題もある。これは、きわめて簡単な問いではあるが、答えは簡単ではない。また、カーの歴史家としての専門が、現代のソ連史ということもいくぶんは関係してくるだろう。

この本が最初に書かれたとき……一九六一年……まだ、ソ連という国があった。その後、一九九一年にソ連が崩壊したのは、(私にとっては)まだ記憶に新しいことである。

ソ連の現代史というものの馴染みの無さが、かなりこの本に影響していることは確かだろう。

歴史とは何か、現代と過去との対話である……これは語り尽くされたことばかもしれない。だが、ここからどのような意味をくみ取り、自分が歴史を読む、あるいは、歴史を研究するときに、どんな意味があるのか……これは、きわめて難しい問いかけであるといってよい。歴史学の対象とは何であるか、このことは、一般の読者にとっては、逆に、歴史学が描き出すからそれが歴史として意識される、こう見るべきかもしれない。

もう、自分の楽しみのために本を読む生活である。歴史とは何かということを考えることも重要であることは理解するとしても、その一方で、読んで面白い歴史の本を読みたい、そう思うところもある。

多くの読者が思うことであろうが、カーは、ソ連の崩壊の以前に亡くなっている。もし、この本の著者が、ソ連崩壊のときまで生きていたらどう思ったであろうか、このことをどうしても考えてしまう。

2022年6月2日記

『物語 ウクライナの歴史』黒川裕次/中公新書2022-04-02

2022年4月2日 當山日出夫(とうやまひでお)

物語ウクライナの歴史

黒川裕次.『物語 ウクライナの歴史-ヨーロッパ最後の大国-』(中公新書).中央公論新社.2002
https://www.chuko.co.jp/shinsho/2002/08/101655.html

話題の本というか、売れている本らしいので、読んでみることにした。

私のウクライナについての予備知識は、わずかである。旧ソ連の一部であった国、チェルノブイリ原発のある国、穀倉地帯……この程度のものである。連日、テレビのニュースで、ウクライナのことを報じているのだが、肝心のウクライナという国について知らないのはこころもとない。とにかく、手頃な本だろうと思って読んでみることにした。

この本が刊行されたのは、二〇〇二年である。ソ連の崩壊の後であるが、近年のクリミア半島をめぐる問題のおこる前の本ということになる。著者は、駐ウクライナ大使であった。その経験をもとに書かれている。ウクライナ、あるいは、ソ連、ロシアという国については、どちらかといえば友好的な立場で書かれているといっていいだろう。少なくとも、ロシアに対して、批判的な立場はとっていない。

ロシアがウクライナを侵略したということは、直接にはNATOの拡大をめぐる昨今のヨーロッパの状況ということもあるにちがいない。このあたりは、テレビなどでよく解説されるところである。だが、歴史的にさかのぼってウクライナとロシアは、どのような関係であったのか。また、現在のウクライナ人びとは、どのような歴史的経緯があって、今日のウクライナという国家を形成することになったのか、さらには、ウクライナの土地はどのような歴史があったのか……このようなことについて、概略を教えてくれる。

おそらく、ウクライナとロシアは、歴史的に友好国というよりも、愛憎相半ばする関係といっていいのかもしれない。といって、敵対してきたばかりの歴史でもない。

また、ポーランドなどとの関係をはじめとして、ウクライナから移住した人びとのすむ国としての、欧米の国々との関係も興味深いものがある。また、日本とも結びつきのある国であることが理解される。

この本は、二〇〇二年の本であるからこそ、今となっては貴重な記述になっているというべきであろうか。今の時点から、ウクライナとロシアの歴史を語るとするならば、とてもこのようには書けないだろう。そして、歴史は後戻りできない。これから書かれるかもしれない、ウクライナについての本は、もはや、この本のような視点はとることができないともいえる。

ともあれ、ウクライナのことを考えるうえで、読んでおいて損のない本だと思う。

2022年4月1日記