アーカイブサミット20162016-06-06

2016-06-06 當山日出夫

アーカイブサミット2016のパワーポイントのスライドが、WEBで見られるようになっている。これは、生貝直人のもの。

めざすべきナショナルデジタルアーカイブの機能イメージ全体像
http://ikegai.jp/AS2016.pdf

記録のため、ここにも記しておくことにする。

デジタルアーカイブの連携に関する関係省庁等連絡会及び実務者協議会2016-06-03

2016-06-03 當山日出夫

昨日にひきつづき、ツイッターにおける生貝直人からの情報。記録の意味で、ここにも記しておきたい。

デジタルアーカイブの連携に関する関係省庁等連絡会及び実務者協議会
中間報告

http://www.kantei.go.jp/jp/singi/titeki2/digitalarchive_kyougikai/index.html

収蔵品デジタルアーカイブの最新動向に関する研究会2016-06-02

2016-06-02 當山日出夫

「収蔵品デジタルアーカイブの最新動向に関する研究会」というのが、開かれる。
2016年6月24日(金) 国立西洋美術館

研究集会「収蔵品デジタルアーカイブの最新動向──文化遺産オンラインと国立国会図書館サーチの連携は美術館に何をもたらすのか そして、著作権法はどのように展開するのか」とある。

http://www.zenbi.jp/data_list.php?g=17&d=93

この件については、ツイッターで、生貝直人のメッセージで知った。会員(全国美術館会議会員館及び賛助会員)に限定である。しかし、現代(2016)になって、このような会議が開かれた記録の意味で、ここに記しておくことにする。

第1回「知識・芸術・文化情報学研究会」2011-10-30

2011-10-30 當山日出夫

第1回の「知識・芸術・文化情報学研究会」が開催になる。詳しい情報は、JADS(アート・ドキュメンテーション学会)ブログに掲載。

http://d.hatena.ne.jp/JADS/20111028/1319772949

2012年1月21日(土) 13:30~17:30
立命館大学大阪キャンパス(大阪梅田駅前)

ここでは、開催趣旨だけ引用しておく。

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 昨今のデジタル・情報環境の急速な進展とともに、学術分野にも「情報」や「デジタル」を意識した分野横断型の研究が多く見受けられるようになってきました。大学の教育・研究活動においても、この傾向は強まっており、これに関連する教育プログラムやコース、学部が立上り始めています。
 時代に即した新しい研究テーマを持ち、このような課程で学ぶ院生や若手研究者が学術的な交流をする場へのニーズはますます大きくなっています。
 そのため、芸術・文化、およびその他の関連する分野の情報・知識研究に興味のある若手研究者を主に意識した発表・交流の場「知識・芸術・文化情報学研究会」を開催することになりました。
 本会は、異分野の人的交流を通じて、参加者相互が新たな研究テーマや方法を発見できる場と位置づけており、学会発表とはひと味違う萌芽的・冒険的な発表の場にもしていきたいと思います。
 下記の通り第一回目の研究集会を実施しますので、奮ってご応募ください。
 2011年10月吉日

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ひとりでも多くの参加者があることに期待している。

當山日出夫(とうやまひでお)

人文情報学推進協議会 設立記念国際シンポジウ2011-01-23

2011-01-23 當山日出夫

昨日のCH研究会の、運営委員会のとき、正式にアナウンスがあったので、ここにも書いておく。

人文情報学推進協議会 設立記念国際シンポジウム
2011年3月28・29日
大阪大学大学院言語文化研究科(豊中キャンパス)

http://www.lang.osaka-u.ac.jp/~osdh2011/prospectus_of_JADH.html

當山日出夫(とうやまひでお)

ポワロ氏講演会のことなど2010-11-08

2010-11-08 當山日出夫

JADS(アート・ドキュメンテーション学会)関西地区部会での行事のひとつである、アルベール・ポワロ氏の講演会が、ともあれ無事に終了した。

講演会HP
http://www.jads.org/kansai/2010/20101106.html

ここで、あくまでも個人的に反省点をのべるならば・・・もっと、図書館関係の人に連絡しておくべきだったかと思う。

この講演会、
・日仏図書館情報学会
・立命館GCOE ARC グローバルCOE 日本文化デジタル・ヒューマニティーズ拠点

これらの共催である。それぞれのルートで、広報はしている。しかし、やはり、ここは、京都近辺の図書館関係者に詳しく連絡すべきだったかと思っている。

これまでの、京都などにおける、ARGの行事などで、京都の図書館関係者の人からたくさんの名刺をもらってある。いまになっておもえば、これらの方々に、個別に、メールで連絡しておくべきだったかと思う。そして、京都近辺の図書館関係者に、全体に連絡がまわるように、お願いするべきだったろう。

講演会の内容は、フランスにおける図書館員の養成・教育という制度的な問題から、国レベルでの図書館行政の概観にいたるまで、はばひろいものであった。大学図書館、公共図書館の役割分担や、相互の協力関係がどうなっているかなど。日本と比較して興味深い内容であった。

これは、図書館関係者にとって、有益であったろう。

そして、その一方で、この講演会は、図書館が中心になって主催したものではない。大学関係者(研究者)と、図書館員と、今後の協力をどのようにすすめていくかが課題であると思う。この意味で、両方の関係者が、顔を合わせる機会をつくってみるというのも意義のあることではなかったろうか。

いわゆる「デジタルアーカイブ」にせよ、「機関リポジトリ」にせよ、図書館の協力は不可欠である。いや、現状をみると、図書館を中心に動いているという方向かもしれない。このなかで、図書館員との交流の機会をすこしでもつくることには、なにがしかの意味はあるだろう。

だが、いろいろと準備におわれたりしていて、(しかも、次の週末は、JADSの秋季研究会である)、そこまで気がまわらなかった。この点については、反省しなければならないと思っている。

図書館との協力なしに、人文情報学の未来はないだろう・・・ということを感じた、講演会であった。

當山日出夫(とうやまひでお)

人文情報学は独立するだろうか2010-07-20

2010-07-20 當山日出夫

永崎さんのコメントにこたえて。

まさに、そのとおりです。

「特に、人文情報学ということを言わないで【もデジタルデータを利用した研究を展開できる】時代が、(隣の国では)すでに来ている。このことも、はっきりと認識しておくべきであろう。」

ということです。そのことを強く実感した、先日の、国立国語研究所での研究会でした。寡聞にして、隣国(韓国)の人文情報学全般の事情については、まったく知りません。しかし、国をあげての資料のデジタル化へのとりくみなど、話しには聞くところです。いや、ことの本質はそのようなところにあるのではなく、特に、「デジタル化」とか「コンピュータ」とか言わなくても、それがあって当たり前という感覚、というべきでしょうか。

これは、類似する、(そして、研究史的には先行している)日本の方(訓点語研究)の、決定的に欠落している部分だと感じました。まあ、そうであるのには、それなりのいろんな複雑な事情があってのことですが。

しかし、自分でもまだまよっています。

・人文情報学という領域が、独立した研究分野をなす。
・いや、今後、すべての人文学の領域で、デジタルの利用は空気のようにあたりまえになっていくであろう。

さて、どっちだろうか。まだ、揺れ動く中にあるというのが正直なところです。

當山日出夫(とうやまひでお)

人文情報学ふたたび2010-07-16

2010-07-16 當山日出夫

考えてみれば、人文情報学といっても、あまりにも幅がありすぎるのだろう。そして、その中を個別に見ていくならば、非常なばらつきがある、という段階だと思う。

先に事例として出した韓国での口訣研究は、(くりかえしになるが)世の中にパーソナルコンピュータが登場して使われ始めたときと、その本格的な研究のなりたちが、並行する関係にある。したがって、期せずして、おのずと人文情報学になってしまっている。そうであるこことを、特に意識することなく。

資料がデジタル化され、共有化され、画像データ、釈文(解釈)もデジタルテキストとしてある、これが、当たり前のなかで、研究が構築されてきた。

一方、日本の訓点語学は、デジタルの遙か以前に、研究のピークをむかえている。(どんな研究分野でも、その領域における、勢いというか、たかまりをむかえる時期というものがある。)この意味では、これから、デジタル技術を使おうと思っても、新しい新発見の資料をどんどん電子化していくというのではない。むしろ、かつての研究業績としてある各種の資料(出版されたものなど)を、デジタル技術で、どのようにして、再考察するか、という方向になる。

口訣研究、訓点語研究という、非常にミクロな視点から見た場合、日本と韓国を比較すると、そこにすでにある人文情報学、という考え方になってしまう。それに対して、日本はどうであるか、ということになる。

このような観点から考えたとき、人文情報学のあり方というのは、それぞれの研究分野によるひらきの大きさということが、実際に大きな課題になるだろうと思っている。

デジタル化以前に、ある程度の達成のある領域。
新たに、新出の資料をデジタル化することが、すぐに研究に結びついている領域。
過去の研究業績をデジタル化しることによって、新しい角度から研究の方法を考えようとしなければならない領域。
様々な、微妙な、違いがそこにはあるだろう。

人文情報学の分野において登場する最先端の研究も大事だと思うが、それから、ある意味で取り残されている分野、というものもある。そのようなところまで、目をくばって考えなければ、トータルな意味での人文情報学の将来を考えることにはならないのでは、と思うのであるが、いかがであろうか。

當山日出夫(とうやまひでお)

口訣研究のあり方から学ぶもの2010-07-15

2010-07-15 當山日出夫

さて、永崎さんのコメントについてすこしこたえておきたい。

世界の人文情報学を見渡せばたしかにそのとおり。一方で、今の、自分の足下をみると、韓国での口訣(くけつ)研究のあり方と、日本での訓点語研究のあり方との間に、非常な落差を感じるのである。

一般論として言えること、現実の自分の専門領域で何がどのように進行しているかの、視点の違いといえばいいだろうか。

日本における訓点語研究は、その学会(訓点語学会)が、先年、第100回の記念をむかえるほどの歴史をもっている。そうであるがゆえにであろうか、なかなか、古い発想から抜け出せないでいる面がないでもない。非常に緻密な研究がおこなわれているのではあるが、その全体的な枠組みが、どうしても、閉じたなかにある(と、言ってもいいだろう。)

一方、韓国では、口訣資料の発見自体が、比較的新しく、それが、ちょうど、世の中にコンピュータが普及するのに合わせた形で、研究が形成されていった。したがって、はじめから、資料のデジタル画像があり、それを、研究者が共有し、みんなで見ながら、共同で研究をすすめていく。また、その釈文(解読)のデータについても、コンピュータで処理できるように、テキストデータ化が進行している。

この落差には、やはり、いささかおどろく、というか、どうにかしなければならないと、思うのである。

人文情報学をかかげるのはいいのであるが、自分自身の専門領域で、それが発揮できないもどかしさ、とでもいえばいいのであろうか。たしかに、日本における資料の保存・伝存を考えると、韓国のように、そう簡単にデジタル化して共有のものに、というわけににはいかない面もある。特に、古社寺に伝来してきたような資料についてはそうである。

そのような事情がわかっているとはいえ、それでも、なお、もどかしさを感じる。日本国内においても、分野ごとにおける、デジタル化へのとりくみの温度差と言ってしまえばそれまでかもしれない。だからといって、放置していいわけではないだろうし、どうにかしなければならないと思う。

ある特定の分野に限っていえば、韓国でのデジタル化へのとりくみから、学ぶべきものが多くあると思う次第である。

當山日出夫(とうやまひでお)

国語研コロキウムに行ってきた、すである人文情報学2010-07-10

2010-07-10 當山日出夫

国立国語研究所のコロキウムに行ってきた。

2010年7月8日(木)
朴鎭浩(ソウル大学校)
韓国口訣資料の電子的構造化

http://www.ninjal.ac.jp/event/colloquium/

日本でいえば、訓点資料。韓国では、口訣資料という。
※「口訣」、訓点後研究者の間では、「くけつ」「クギョル」が普通の読み方かなと思う。「こうけつ」と読んでもまちがちではないのであるが。

ソウル大学の先生であるが、日本語で発表してくださったので、私でも、聞くことができた。(学生の時に、朝鮮語を勉強してから、もうさっぱり忘れてしまっている……)。

印象に残ったこととしては、何よりも、デジタルの画像データの公開・共有を前提に、現在の韓国での口訣資料研究がすすんでいること。また、その。翻刻・解読の結果も、デジタルテキスト化されている。

これは、日本とおおきくちがう。

日本には日本の事情がある。資料をもっているのが、寺院であったりする場合、そう容易に、公開というわけにはいかない。だが、大学などの研究機関所蔵の資料でも、なかなか、デジタル画像として公開・共有にはいたっていない。

そして、さらにその研究に、いかにデジタル技術をつかうかとなると、まだ、だれも本格的にとりくんでいる、という状況にはない。(最近になって、ようやく、その方向の萌芽的な発表はあるが。)

幸いというべきであろう、韓国で、大量の口訣資料が発見されるのと、コンピュータが、普及するのが並行していた。主に、1990年代以降のことになる。そのため、研究に、コンピュータを利用することに、抵抗なく入っていけた、ということがあるのだろう。

だが、日本は、そのはるか以前の段階からの研究の蓄積があるので、そう簡単に、デジタルに移行するということができないまま、現状となっている。

資料をデジタル化して、公開して、多くの人々が共有すること、そして、それを前提に研究が構築されていくこと……これは、しいて、人文情報学というまでもない、ごくあたりまのことである。このあたりまえのことを、現実に目すると、何かしら新鮮なものに触れたかのごとく感じるのは……日本が、やっぱり、どこな変なのかもしれない。

特に、人文情報学ということを言わないでいい時代が、(隣の国では)すでに来ている。このことも、はっきりと認識しておくべきであろう。

當山日出夫(とうやまひでお)