地球ドラマチック「再発見!巨大マンモスの真実」 ― 2026-07-01
2026年7月1日 當山日出夫
地球ドラマチック「再発見!巨大マンモスの真実」
再放送である。オリジナルは、2023年、フランス。
マンモスは、日本では化石が出ないせいか(いたのかもしれないが)、あまり、なじみのない昔の生きものである。だが、古生物学の研究分野では、いろいろと研究が進んでいることらしい。
この手の番組を見ていつも思うことなのだが、そもそも、化石、とはどういうものなのか、説明が入る番組は少ない。骨の形の化石が残っているとしても、それは、骨そのものが残っているのではない。成分が入れ替わって、石、になったもの、というのが私の理解である。
番組の中で出てきていたが、花粉については、化石ではなく、実物が残っているということでいいのだろう。
このフランスのマンモスは、発見されたのが150年ほど前のことになる。日本の明治維新のころである。現代の古生物学の研究成果も興味深いものがあるが、昔、これを発見したときは、生物学の世界はどんなだっただろうか。まだ、進化論、という考え方が生物学のスタンダードになる前のことかとも思うのだが。
発見された化石を、どうやって掘り出して、運んで、組み立てたのか……このあたりの昔のことが分かると、とても面白いだろう。
現代では、歯が残っている場合には、かなり厳密な年代測定ができる。
それから、花粉が残っていれば、あたりの植物がどんなだったかが分かり、また、他にどんな生物がいたのかも、推定できる。
番組の中では言っていなかったが、古気候学の研究から、年代の推定と、その時代の気温などが、判明するはずである。(100万年以上昔の古気候学となると、グリーンランドの氷を使うのかと思うが、できれば、こういうことの説明もほしい。)
100万年ぐらい前のヨーロッパというと、まだ、今のホモ・サピエンスが住むようになるはるか前のことになる。アフリカで、その祖先は誕生していたが。
資料(化石など)から分かること、そこから推定できること、それをもとにしての再現、これらが、はっきりと区別されているとはいえない部分がある。そう思って気をつけて見ていないと、どこまでが科学的に確実に分かることなのか、判断にまよう。
2026年6月29日記
サイエンスZERO「AIで社会貢献!若者たちのイマドキ活用術」 ― 2026-07-01
2026年7月2日 當山日出夫
サイエンスZERO「AIで社会貢献!若者たちのイマドキ活用術」
高専の学生の利用ということだから、AIモデルを、工学的な使い方で割りきって見ている。
私などが考えると、そもそもAIの中身はどうなっているのか、それは人間の言語の使用や画像の認識と、どう同じなのか/違うのか、ということから考えてしまうのだが、そういうところはない。
AIを実用的に使うためには、適したAIモデルを選択することと、学習させることになる。視覚障害の人の支援のための試作は、面白いと思うが、実際には目的地まで案内してくれるナビのシステムと、組み合わせるのが、現実的なことになるかと思える。
認知症の検知のためにAIモデルを作るというのは、非常に意欲的なのだが、おそらくは、家庭内にあるような、アレクサのようなものに組み込んで実用化するということが、現実的であろう。話しことばでフィラーが多いとか/少ないとか、こういうことは、継続的に観察してこそ意味がある。(こうなると、個人を識別して、どこまでデータをとって蓄積することがいいのか/悪いのか、という議論にどうしてもなってしまう。)
この番組の方針としては、技術の社会的な価値中立性ということで、AIを見ている。これはこれで、一つの方針である。
2026年6月29日記
心おどる「歌舞伎女形 (4)伝統と現代 進化する姫」 ― 2026-07-01
2026年7月2日 當山日出夫
心おどる「歌舞伎女形 (4)伝統と現代 進化する姫」
4回で終わってしまった。このシリーズは面白かった。こういう番組を作るとき、まったくの素人感覚では作れないし、かといって、伝統芸能オタク(?)というような視点でも無理である。その業界の内部のことをあれこれと知っていて、ここまではテレビの番組で話してもいいというところを判断することができて、それで、見ていて楽しく、そして、歌舞伎(特にその女形)についての入門的な内容であり、かつ、エンタテイメントして十分に見られるものになっている。こういう番組を見ると、作り手は、かなりの手練れだという印象を持つ。
歌舞伎の新作を上演するときは、出演する役者さんが集まって、台本の読み合わせをするし、立ち稽古もする。これは、通常の古典とされる演目ではないことである。
新作歌舞伎については、演出の意見もあるだろうが、それよりも、演じる役者さんたち阿吽の呼吸というものを反映した舞台になる……古典的な歌舞伎の舞台での動きを継承したものになる。でなければ、短い稽古の期間で、舞台を仕上げることができないということなのだろう。ここを、演出が無理に凝って、変なことをやってみようということは、あまり入りこむ余地がないと思える。
それにしても、「流白浪燦星 碧翠の麗城」は、読めない。
新作歌舞伎について、漫画やアニメを原作にしたものが多くあるというのは、これは、時代の流れということになるのだろう。
2026年6月25日記
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