日本漢字学会に行ってきた2022-11-25

2022年11月25日 當山日出夫

二〇二二年一一月一九日、二〇日は、日本漢字学会の研究会があった。早稲田大学で開催。この学会は、設立の当初から会員である。第一回は京都大学であったのを憶えている。これは参加した。だが、その後、COVID-19のことがあり、オンライン開催などであった。今回は、早稲田大学で開催。オンラインも併用である。

久しぶりに東京に行ってみたいということもあった。娘が二年ほど前から東京で就職して働いている。その顔を見にいくということもあって、(どちらがついでだかわからないのだが)今回は、早稲田大学に行くことにした。

早稲田の街を歩くのも久しぶりである。学生のころ、何十年も前のことになるが、時々、古本屋をめぐって歩いたのを思い出す。久々に歩いてみて、飲食店、特にラーメン店が増えたように思う。まあ、これは、東京のあたりは、どこも同じようなものかもしれないが。

土曜日は天気がよかった。大隈講堂まで行く。阿刀田高の講演。実は、阿刀田高の作品は、ほとんど読んだことがない。いくつかは手にしたかとも思うのだが、はっきりと憶えていない。が、早稲田出身の老作家の体験的な文学談義ということで、面白く聞くことができた。

通常なら、懇親会などあるところであるが、今回は無い。すぐに宿(五反田のホテル)に帰って、娘と、家内と、家内の姉と、四人で焼き肉屋さんに行って食事。終わったら、夜の一〇時ぐらいになっていただろうか。

日曜日は、研究発表会。雨が降りそうな感じの天気だったが、これはいつものように高田馬場から早稲田まで歩く。

研究発表は、様々。テーマも、それから、研究のレベルも、まちまちであった。アカデミックにきちんとしたものもあれば、そうでもないものもある。まあ、このあたりは、漢字学会の成り立ちから考えて、仕方のないことかもしれない。純然たるアカデミックな研究発表ばかりというわけにはいかない面がある。

大学院の学生の発表があった。これは、きちんとしていた。あくまでも、日本語学という研究の立場に立って、文献、漢字を、とりあつかっていた。ちょっと気のついたことは、質疑応答で言っておいた。(その後、家に帰ってから、その学生から電子メールで礼状が来ていたので、返信として、発表について思うことなど、書いて送信しておいた。)

来年の研究発表会は、関西地区で開催ということになるらしい。世の中どうなっているかわからないが、普通に開催ということなら、また出かけてみることにしようかと思う。歳を取ってきたこともあって、学会など整理することにしたが、残した学会の中に、日本漢字学会も入っている。これは、とうぶん続けることにする。

次に東京に行く用事があるとすると、来年の春の日本語学会が青山学院大学で開催の予定なのだが、これもどうなるかわからない。たまに東京に行って来るのもいいかなという気もしている。

2022年11月24日記

文献日本語研究会2022-08-01

2022年8月1日 當山日出夫

2022年7月30日、オンラインで第一回の文献日本語研究会があった。いまどき、学会、研究会は、ほとんどオンラインである。これも、ZOOMを使っての開催であった。

文献日本語研究会、ということなので思ったことを少し書いておきたい。二つぐらいある。

第一には、普通にいう日本語史、国語史とどう違うのか、今一つはっきりとわからなかった。概ね、過去の日本語の研究には、文献資料を使う。これまでの研究における文献のあつかいと、どこか根本的に変わるところ、方法論的な問題ということでもあるのだろうかと思うのだが、どうだろうか。

第二には、では現代日本語の研究における文献とは何であるのかという、問いが生まれてくることになる。現代日本語の研究においては、文献によらない、音声データを用いた研究もさかんである。このような研究と、文献に依拠する研究とでは、日本語という言語に対するアプローチにどのような、違いがあるのだろうか。そこから見えてくる、言語の現象にはどのような相違があるのだろうか。

ざっと、以上の二つのことを思った。

だが、このような問題意識はあるのだが、ともかく普通の日本語の歴史的研究、その資料論としては、いろいろと面白いところのある研究会であった。この研究会は次回以降どうなるかまだはっきりとはしないようなのだが、ともかく続いていきそうである。

もう自分では、学会発表とかしようとは思わないでいる。夏の暑い一日、オンラインで、最新の研究動向に触れることで、時間を使ったことになる。次回以降の開催を楽しみにして待っていよう。

2022年7月31日記

東洋学へのコンピュータ利用(第32回)に行ってきた2020-03-09

2020-03-09 當山日出夫(とうやまひでお)

東洋学へのコンピュータ利用

3月6日、第32回の東洋学へのコンピュータ利用があったので、行ってきた。

http://kanji.zinbun.kyoto-u.ac.jp/seminars/oricom/2020.html

さて、この研究会、昨今の世情をかんがみて、はたして無事に開催されるかどうか心配だったのだが、中止にするということもなかったので、行ってきた。

発表は、午後からだったので昼前に家を出た。いつものように、近鉄から京阪に乗り換えて出町柳まで。電車は気のせいか乗客は少なかったような気がする。

昼過ぎに会場について、マスクをもらう。参加者は、発表者をふくめて、マスク着用ということだった。また、例年にくらべて、参加者の人数も少なかったように思う。発表は五件であったが、そのうち二件は、インターネットを使っての遠隔発表。北海道と広島からだった。これも異例のことだと思うが、しかし、このごろの世の中の情勢を考えると、このような方式もやむをえないかと思う。

発表についていろいろと思うことはあるが……私の興味関心の範囲でいえば、漢文をコンピュータ処理する、さらには、訓読、読み下し文まで作ってしまうようにする……これはこれとして非常に興味深いのだが、問題はその先に見えてくるものだろうと思う。それは、人間が、漢文を読む……日本語を母語としている人びとが、漢文という外国語を、日本語で読むということは、いったいどういう意味があるのか、ということの根源的な問いかけがあるはずである。

これまでの日本語研究、訓点語研究、漢文研究では、漢文の訓読ということについては、それが当たり前の読み方であるとして、扱われてきた。その上に、主に近代の訓点語研究の成果がある。これが、コンピュータで漢文を扱うとうことを経て、さらに次のステップの認識へといたるにちがいない。

たぶん、これは、私よりももっと若い、これからの次の世代の研究者たちの仕事ということになるのだろうと思う。コンピュータを使いこなした、漢文研究、あるいは、広く言語研究というのが、次の研究の分野として、確実に視野に入ってきたと感じる。

ただ、私としては、これからは、自分の好きな本を読んですごしたいとは思っている。最先端の研究動向は意識はするものの、自分の生活としては、「古典」を自分の目で読むことを優先させたいと強く感じる。

終わって懇親会。これも、例年よりは、かなり人数が少なかっただろうか。五人だけだった。店もすいているようだった。電車で家に帰った。帰りの電車も、こころなしかすいているように思えた。

家に帰ったら、一〇時半ぐらいだったろうか。普段、かなり早寝早起きの生活になってしまっているので、このような時間まで起きていることは珍しい。だが、翌日の朝は、いつもどおりにおきて、子ども(長女)を仕事に駅まで送っていった。午前中はゆっくりとして、午後からは本を読んですごすこととした。

来年の会は、2021年3月5日のこととのことである。

2020年3月8日記

国語語彙史研究会(123回)に行ってきた2019-12-19

2019-12-19 當山日出夫(とうやまひでお)

この前の土曜日(2019年12月14日)。国語語彙史研究会(第一二三回)が、京都大学であったので行ってきた。

ちょっと早めに家を出た。駅まで送ってもらう時間の都合である。近鉄から京阪をのりついで、出町柳まで。手頃な店で昼食をすませて、キャンパスまで。

ちょっと時間があった。喫茶店などに行ってもいいかとおもったのだが、そう寒い日でもなかったので、時計台のところの楠のところのベンチに腰掛けて、時間をすごす。iPodで音楽を聴いていた。小春日和というほどではないが、寒風が吹くという感じでもなかった。

教室は、いつも使うような会場にくらべれば、ちょっと小さかっただろうか。(後で聞くと、この日は、学校の入試行事の関係で、吉田南の教室が使えなくなったので、急遽さがして、その教室になったとのこと。)

発表は三件。歌集(八代集)の語彙の計量分析。「あたり」の研究。人間の談話行動につての研究。多彩な発表であり、いろいろと勉強になるところがあった。

終わって懇親会。これは、だいたい京大で学会があるときの定番である、門の横のレストラン。

久しぶりに会う人もいたりして、楽しい会であった。ただ、このところ、ちょっと事情があって、あまり外に出ることをしない。散歩にも出ない。そのせいか、懇親会の間、立っているだけで足がつかれてきた。以前は、こんなことはなかったのだが、我ながら年を取ったものだと感じた。

そのせいもあって、懇親会が終了したら、すぐに帰った。家に帰ったら、一〇時ごろになっていただろうか。とりあえず、風呂にはいって寝てしまった。

次回は、来年の四月に大阪大学で開催である。これも、よほど事情が無い限り出席しようと思っている。もういまさら、論文を書いたりしようとは思わないのだが、研究発表を聞いて、学界の最新動向に触れるということは続けていこうと思っている。

2019年12月16日記

『古典は本当に必要なのか、否定論者と議論して本気で考えてみた。』2019-10-11

2019-10-11 當山日出夫(とうやまひでお)

古典は本当に必要なのか

勝又基.『古典は本当に必要なのか、否定論者と議論して本気で考えてみた。』.文学通信.2019
https://bungaku-report.com/books/ISBN978-4-909658-16-6.html

https://bungaku-report.com/blog/2019/09/post-601.html

この本は出てすぐに読んだのだが……読んで思ったことなど書こうと思いながら、時間がたっている。それは、この本に書かれていることについては、すでに私が書いたこと以上のことは、もう言う必要がないと思われたからである。

やまもも書斎記 2019年1月18日
「古典は本当に必要なのか」私見
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2019/01/18/9026278

やまもも書斎記 2019年1月26日
「古典は本当に必要なのか」私見(その二)
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2019/01/26/9029000

やまもも書斎記 2019年2月16日
「古典は本当に必要なのか」私見(その三)
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2019/02/16/9036658

これらの文章で私が考えてみたことに、はっきり言って、この本は答えてくれていない。いやむしろ、これは避けるべきであろうとした問題点に陥っているとさえ言える。それは、上記の「私見(その三)」の末尾に書いたことである。繰り返しになるが、再度書いてみる。

次のことを書いた。

=====

最後に付け加えて書いておきたいことがある。「古典は本当に必要なのか」をめぐっては、様々にWEB上で議論がある。それらを見て思うことがある。次のことは語ってはいけないことだと、自分自身への自省として思っていることである。

それは、
・高校の時のルサンチマンを語らない
・自分の今の専門への愛を語らない
この二つのことがらである。

このことをふまえたうえで、何故、古典は必要なのか、あるいは、必要でないのか。また、他の教科・教材についてはどうなのか、議論されるべきだと思うのである。

=====

これをふまえて、さてどうだろうか。この本は、陥穽におちいってはいないだろうか。

いくら今の自分の専門……江戸時代の文芸であろうと……への愛を語ったところで、それが、古典不要論に対する反論としては、意味を持つものではありえない。

そして、それからいろいろ考えて、今思うことは、「教養」というものがもっている「暗黙知」の問題である。実際に社会に出てつかう実用的な必要のある人はあまりいないかもしれないが、しかし、この程度のことは、社会人として一般的に知っておくべきこと……それを「教養」と言ってみるが……これは、時代や社会によってかわる。また、それは、「暗黙知」でもある。

おそらく「教養」には、実際に役にたつ知識や技能という側面と、「暗黙知」として、その社会の構成員である人びとに共有されるべき知識、この二つの側面がある。

たとえば英語(なかんずく英会話)やプレゼンテーション技能などは、さしずめ前者であろうし、広義に考えれば数学などは後者にはいるだろう。無論、大学以上の専門においては、数学は実用的に必須という領域がある(工学部など)。

だが、その一方で、いわゆる理系の大学の学部などで必要であるというだけではないという側面もある。文系の勉強をするにも数学への理解は必要になってくる。「教養」としての数学である。この意味で、「古典」は後者に属する。

「暗黙知」……言いかえるならば、あえてそれを表に出して議論しようとするならば、わけがわからなくなり雲散霧消してしまうしかないものである。しかし、ある時代や社会においては、人びとに共有される当然のこととして、確固として普通に思っていること、ということになる。

古典否定派の言うこと、たとえば、有限の高校生の授業時間の中で、何を優先的に教えるべきか……このことを正面から問われたときには、「古典」必要派としては、実用性という観点からは、もはや沈黙するしかないように思える。

ところで、これも繰り返しになるが、「古典」というものが近代になってから再発明、再発見されてきたものであるという側面を、きちんとふまえて議論しなければならない。「古典」が必要であるというならば、そのようなものとしての「古典」の性格をわかったうえで、これからの「古典」の教育の是非、必要・不必要が論じられるべきである。

たとえば、今の元号「令和」の出典は『万葉集』である。これは、『万葉集』が「国書」であり「古典」であるから、そこに典拠をもとめた……これは、元号を決めた側の理屈である。日本の国・政府の立場である。これに対して、いや、そうではないと言うこともできよう。元号がそこからとられたことによって、『万葉集』が「古典」として、再定義、再生産されていくのである、と。

このような批判的視点こそ、これからの時代において必要なものであると私は思う。そのためには、最低限の「古典」の素養は、「教養」として身につけておくべきものである。むろん、そこでの知識は、ちょっと専門的な勉強をすれば、すぐに消し飛んでしまうようなものかもしれない。だが、そうではあっても、それを知っていることを当然の前提、基礎として、それに対する批判的知見というものが成り立ちうる。(さらにいえば、このような批判的視点を持ちうるのが、真の「教養」というべきものであろう。)

『万葉集』が「古典」になったのは、近代になってからであり、また、元号の出典として「古典」として再定義されているものである……このような批判的視点を確保するためには、まず『万葉集』が「古典」として教育の場に出てこなければならない。このような、非常に屈折した意味においてであるが、「古典」は教育において必要であると考える。

「古典」をめぐる議論は、「教養」における二つの点……「実用」という側面と、それから、「暗黙知」という側面と、この二つのこと両方を視野にいれた議論として……そして、それを区分して……展開されるべきものであると考えるのである。

追記 2021-06-13
この続きは、
やまもも書斎記 2020年7月12日
『「勤労青年」の教養文化史』福田良明

国語語彙史研究会(第122回)に行ってきた2019-09-30

2019-09-30 當山日出夫(とうやまひでお)

2019年9月28日、第122回の国語語彙史研究会が、神戸女子大学三宮キャンパスであったので行ってきた。

朝の九時すぎぐらいに家を出て駅まで送ってもらう。家人の仕事の都合でこの時間になった。我が家から三宮までは、近鉄~阪神で直通で行ける。ただ、途中で快速急行に乗り換えないといけない。かなり早めの時間についたのだが、とりあえず、会場の場所を確認。それから、ちょっと駅の方にもどって早い目の昼食。それから、喫茶店を探して、コーヒーを飲みながら、iPodで音楽を聴いてすごす。このごろ、街中に出て、喫茶店を探すのが難しくなってきた。古くからあるような喫茶店は姿を消している。そのかわりに、チェーン店が目につく。まあ、そのような店の方が、安心であるといえばそうなのだが。

時間があったので、生田神社に参拝。たしか、ここは地震で大きな被害をうけたはずのところだが、立派な建物であり、境内も整備されている。

早い目に会場の教室に行く。発表は三件。どれも、それなりに考えられていた発表だったと思う。気のついたこと、特に表記・文字については、少し質問などしてみた。中世の仮名文書にしても、明治の欧文訓読にしても、そこで使われる文字が、どのような文字であるのか、片仮名であるのか平仮名であるのか、このあたりは、まずふまえておくべきことだろうと思っている。

終わって懇親会。会場には学食とかはないので、近所の中華料理の店でに移動。かなりあつまったかと思うのだが、貸し切りにできるほどにはならなかった。テーブルふたつにわかれて、いろいろと歓談。いつものようなメンバーもいれば、今回はじめて参加という人もいて、多彩な顔ぶれであった。

二時間ほどで終了。さてどうするかであるが、前回、春の日本語学会の時に三宮から家に帰った時のことを思い出して、早めに帰ることにした。多くの人は、次の二次会に行ったようだったが。

夜になったせいか、阪神の駅を探すのにちょっとまよったが、どうにか駅にたどりついた。尼崎まで行って乗り換えて、難波それから生駒で乗り換える。三宮で懇親会が終わったのが、八時ごろだったかと思うが、家に帰りついたら、一〇時をすぎていた。

次回は、十二月に京都大学で開催とのことである。

表記研究会(第44回、関西大学)に行ってきた2019-09-27

2019-09-27 當山日出夫(とうやまひでお)

2019年9月21日、関西大学で、第44回の表記研究会があったので行ってきた。

今回は、発表は午後からであった。朝の一〇時ごろ、長男が仕事に出るついでに駅まで送ってもらう。我が家からだと、関西大学までは、近鉄~地下鉄の乗り換えで行ける。生駒まで行って、快速急行に乗り換えて、日本橋まで。そこで地下鉄に乗り換える。

早い目について、大学の近所で昼食。このあたりのお店は、来るたびに変わっているように思う。この前来たのはいつだったろうかと思うのだが、今回来てみて気付くのは、タピオカのお店が増えていたこと。はて、この前来たときには、あったろうかと思う。

いつもは、国語語彙史研究会と連続であるのだが、今回は、独立して開催。国語語彙史研究会は、次の週である。そのせいもあってか、ちょっと人のあつまりが多くなかった。

発表は、二件。

最初の発表は、主に近代の活字印刷における、句読点「、。」のあつかいについてのもの。詳しく調べてあった発表だとは思うのだが、気になったこととしては……たとえば、樋口一葉の文章などを現代において読んでみると、句読点のあつかいが現代とは違っている。現代の文章なら、句点「。」であるところを、読点「、」で書いている。このように文章を書くときの機能のちがいをどう考えるか……このあたりが気になったことである。さらにいえば、文章を印刷する、現代では、コンピュータのディスプレイで見るとき、どのように禁則処理をするのか、という問題がある。

ちなみに、私は、今、この文章を書くのに、Meryというフリーのエディタを使っている。日本語文をきれいに表示してくれるので気にいって使っている。このMeryの特徴としては、行頭に、小さい促音の「っ」などがこないようになっている。これは、WEBブラウザ……私がメインにつかっているのは、Firefoxであるが……においても、同様である。

次の発表は、月の名称の「水無月」「神無月」の表記「無」の文字を問題にしたもの。これも、よく考えられていて、調べられている発表だと思った。が、気になったこととしては……では、『万葉集』では、一月(むつき)から十二月(しはす)まで、それぞれの月の名称がどのようになっているのか、ということがある。これなど、自分が不勉強で『万葉集』をその目で読んでいないということなのではあるが。

終わって、特に懇親会が設定されていたというわけでないないが、適当にあつまって、大学の近くのお店で簡単に、軽く飲んで食べて、ということになった。この店は、なぜか、このごろ関西大学にくるたびに、はいっているような気がする。

家に帰ったら、九時ごろになっていただろうか。つかれていたこともあるし、もうすぐに寝てしまった。次回は、来年、東京の清泉女子大学で開催である。

「東洋学へのコンピュータ利用」第31回に行ってきた2019-07-29

2019-07-29 當山日出夫(とうやまひでお)

東洋学へのコンピュータ利用

第31回「東洋学へのコンピュータ利用」研究セミナーが、2019年7月26日、国立国語研究所であったので行ってきた。

http://kanji.zinbun.kyoto-u.ac.jp/seminars/oricom/2019-7.html

この研究セミナーも、三〇回を超えるようになった。これまで京都大学で開催してきたものであるが、今回、はじめて東京の国立国語研究所で開催ということになった。これには、私も発表させてもらうこととして、参加してきた。

はじめての国語研究所での開催でどうなることかと思っていたが、かなり多くの人があつまったようだ。また、これまで、京都の開催では参加することのなかったような人たちもいたようだ。従来とは、すこし雰囲気のちがう会であった。

また、発表のテーマも、これまでの「東洋学へのコンピュータ利用」が、文字を中心とした研究会であったのをふまえて、多くは、フォント、文字コード、字体といった文字にかんする発表が多かった。それに加えて、国語研究所で開催ということで、国語研究所のもっている言語研究資料の利活用についての発表があった。

これは、視点をかえて見るならば、研究アーカイブズについて、ということになる。その意味で発表をきいていて、国語研究所として、着実な研究アーカイブズの構築と、将来にむけての利用にふみだしているという印象を持った。

朝の9:30からスタートして、夕方の5:00ごろまでの研究会。しかも、それが終わってから、「漢字字体規範史データセット保存会」の第二回目、二年目の総会が、しばらくあった。

漢字字体規範史データセット
http://www.hng-data.org/

いろいろ紆余曲折はあったことと思うが、ともかく、HNGが復活して使えるようになったということは、慶賀すべきことである。基本となる文献の基礎的な調査データがデジタル化して閲覧できるようになっている。これから、このデータセットが、漢字の字体研究の基礎として、多くの研究者に利用されることになることを願っている。

夕方の6時前に全部おわって、懇親会。どうやらこの日は、立川は、どの店も、のきなみ混んでいたようで、店を探すのに苦労したらしいが、どうにか、立川駅のビルのなかの中華料理屋さんがとれた。十数人いただろうか。テーブル二つになったが、いろいろ歓談。

終わって外に出たら、雨が降っていた。ホテルまで少しの距離であったが、傘をさしてあるくことになった。

次回は、2020年3月6日(金)に、京都大学で開催である。

日本語学会(2019春、甲南大学)に行ってきた2019-05-23

2019-05-23 當山日出夫(とうやまひでお)

続きである。
やまもも書斎記 20019年5月23日
日本近代語研究会(2019春、関西大学)に行ってきた
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2019/05/20/9074746

2019年5月18日、19日と、日本語学会が甲南大学であったので行ってきた。

甲南大学は阪急で岡本で降りることになる。我が家からだと、近鉄で難波まで出て地下鉄で梅田まで、そこで阪急に乗り換える、ということになる。朝の10時ごろに家を出た。

ちょっと早めについた。阪急岡本のあたりは、閑静な住宅街である。大学の建物を探すのに、ちょっと迷ったりもしたが、ともかく行き着いた。

聞きたい発表が、C会場であったので、この日はずっと同じ会場の教室にいた。前半の発表は、主に方言、アクセントについてのもの。この分野については、とんと門外漢である。だが、自分の知らない分野のことについては、本や論文を読んだりするよりも、口頭発表を聞いている方が、なんとなく分かったような気になる。それに、最近の音韻、音声、アクセントなどの研究発表では、実際の音声データを会場で聞かせてくれるので、分かりやすい。

午後の後半の発表。「須磨」の景観文字についての発表。ここでは、私の書いた論文が先行研究としてつかっていてくれるので、聞いておきたかった。景観文字……バス停や駅名など、地名の看板、ポスター、石碑などに見られる、狭義の文献資料でないもの……をつかっての、漢字の字体研究ということでは、私は、以前に、京都の「祇園」について調べたことがある。それから、「葛」についても、これは情報処理学会の研究会で発表したものがある(京都の「葛野」の地名について)。

「祇」という字、それから、「葛」という字は、JIS規格の「0213:2004」で字体が変更になった字である。コンピュータの文字としては、WindowsXPとVista以降で文字が違ってくる。

それから、午後の最後の発表。上代特殊仮名遣いの母音の数について……先行研究ではどのように言われてきたか、これは興味深かった。そもそも母音の定義が研究者によって違う。そして、上代日本語の母音の数については、諸説ある。現代にいたるまで、定説というべきものが存在しないというのが現状かもしれない。

上代特殊仮名遣いは、橋本進吉によって発見(再発見)されたというのは、知られていることだろう。だが、橋本進吉がいったいどのように上代の音韻について考えていたかは、実は、現在にいたるまでよくわかっていないというのが本当のところのようだ。また、いわゆる八母音説に対して、いろいろと反論などあるが、それらの研究についても、子細に検討すると、いったい何を根拠にして、母音の数を論じているのか、はっきりしないらしい。

日本語史、国語史、国語学史の通説として一通りは知っていることであっても、よくその原典にあたって読んでみるならば、どのように研究されてきたのか、その研究史をめぐっては、さらに論ずべきところがあるといえる。

学生に日本語史を教えているのだが、今後の授業において、このようなことをどこまでどのように語ればいいのか、考える必要があると深く考えるところがあった。

終わって懇親会。学内の学食であったが、非常におしゃれな雰囲気の会場であった。人も多かった。いつもの顔ぶれもいれば、新しく加わった若い人もいるし、久しぶりにあった人もいる。

懇親会の終わったあと、二次会として、十人ほどでつれだって三宮まで行くことにした。この前の訓点語学会の懇親会の二次会の時は、私が一番若かったようだが、今回は、逆に、私が一番の年上だった。三宮に出て、とりあえず入れる居酒屋をさがして、しばらく歓談。

家が遠いので、9時半ごろには出た。一緒に奈良に帰る大学院生と一緒に店を出て、阪神に乗った。あいにく、近鉄への直通がなかったので、途中、二~三回乗り換えて、家に帰った。家についたら、11時をかなり回っていた。

翌日は、学会としてはシンポジウムなどがあったのだが、家の留守番をしなければならなかったので、家にいることにした。もう、三日連続の学会は、疲れるようになってきた。家で本(村上春樹)など読んですごした。

次回(秋)は、東北大学で開催である。

日本近代語研究会(2019春、関西大学)に行ってきた2019-05-20

2019-05-20 當山日出夫(とうやまひでお)

2019年5月17日(金)に、日本近代語研究会が関西大学であったので行ってきた。この研究会は、近年では、日本語学会の開催にあわせて、前日の金曜日に開催ということになっている。

朝の10時ごろに家をでて、近鉄から地下鉄にのりかえて行く。駅でおりて、簡単に昼食。会場は、この前の国語語彙史研究会の時と同じところ。まようことなく行くことができた。

発表はいろいろと面白かった。

質疑のときに、いくつか発言してみた。

一つには、もう「今昔文字鏡」はつかわない方がいいということ。JIS規格を越える漢字については、Unicodeで対応する方がいい。その時、実装されているフォントのバージョンと、どの範囲のUnicodeの漢字を収録しているのか、確認しておく必要がある。

第二には、HNGを見ていなかったということについて。漢字の規範の歴史を考えるとき、HNGは必須といっていいだろう。これが、しばらく止まっていたが、つい最近になって復活している。このことについて、指摘しておいた。

漢字字体規範史データセット
http://www.hng-data.org/

第三に、今の日本語では、PCの観点から、「マン」を避ける傾向がある。例えば、「ビジネスマン」とは言わずに「ビジネスパーソン」と言う、などである。このような、今の日本語に起こっている現象を、BCCWJでは捉えることができない。BCCWJのデータは、ある意味では、もう過去の日本語のものになっている。今まさに日本語において起こっている現象を観察して捉える視点が重要である。

最後の講演、「日本語の呼称の歴史」。日本語のことを研究していながら、日本語のことを「日本語」というようになった歴史ということについては、これまであまり考えられてきていないという話し。これは、多く教えられるところがあった。

終わって、懇親会。

どういうわけだか、懇親会の乾杯の挨拶をたのまれてしまった。(ちょっと前にも、国語語彙史研究会で同じようなことがあった。)特に話すこともないのであるが……Unicode変体仮名がコンピュータに実装されて使用できるようになっていること、それから、今度の7月26日に、国語研で、「東洋学へのコンピュータ利用」が開催になること、など話しておいた。

懇親会が終わったら、二次会には行かずに帰った。それでも、家に帰ったら、10時ごろになってしまっていただろうか。翌日は日本語学会が甲南大学で開催である。

追記 2019-05-23
この続きは、
やまもも書斎記 2019年5月23日
日本語学会(2019春、甲南大学)に行ってきた
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2019/05/23/9075887