『チョッちゃん』(2025年6月9日の週)2025-06-15

2025年6月15日 當山日出夫

『チョッちゃん』』 2025年6月9日の週

この週もいろいろとあった。

まず、北海道にいる父親と母親が東京にやって来た。甥の結婚式に出るということだった。しかし、お父さんの俊道は、蝶子に会おうとしない。お母さんのみさは、蝶子と久しぶりに会う。父親の俊道の気持ちとしては、娘の蝶子のことが気がかりでしかたがない、会いたい気持ちはあるのだが、素直に会いに行くということができない。素直でないし、頑固者である。意地っ張りでもある。その俊道の屈折した気持ちを、わずかな台詞と表情、立ち居振る舞い、これで表現しているというのは、とてもドラマの作り方としてうまいと感じる。

岩崎要は、蝶子とみさの前で、ユーモレスクを演奏する。その曲を、俊道は、アパートの外の路上で聞いている。思いおこせば、ユーモレスクは、蝶子に惚れた要が、蝶子の部屋の外で演奏していた曲でもある。この曲を、蝶子とみさ、そして、俊道が、それぞれの思いを胸に秘めながら聞いていることになる。

北海道での幼なじみの頼介が、陸軍の兵士となって、泰輔おじさんの家にやってくる。階級章を見ると一等兵のようだった。時代としては、昭和7年になっている。前年の昭和6年に満州事変があり、この年は満州国の建国の年である。このような時代背景にあって、地方の貧しい農家の出身者が、東京で工場で働くこともできず、陸軍に入隊するということは、自然な流れであっただろう。今の価値観からすると、昭和の軍隊というと、悪の権化のように思いがちであるが、士官、下士官、兵卒、それぞれの置かれた環境や出自によって、それぞれに思うところがあったはずである。

泰輔おじさんが、頼介の住所をそのままにしておいたので、軍隊に入ることができた。こういうことの時代の背景の説明は、適切であり、ドラマのなかに溶け込んでいる。

このドラマの作られた時代、1980年代は、昭和の軍隊をかなりリアルに覚えていた時代でもある。それを体験的に知っている人びとが多く存命であり、また、ほとんど視聴者の父母の世代のことでもあった。こういう経験的な記憶が生きていた時代だからこそ、このドラマの頼介のような選択があった(それしかなかった)ことを、肯定的に見る眼差しがあったことになる。

どうでもいいようなことだが、富子おばさんと連平の無駄話のような会話とか、蝶子と富子おばさんが、おはぎを食べながら日常的な会話をするとか、このようなシーンは、現代の朝ドラではあまり見なくなったことかと思う。(強いていえば、現代では、演技がなんとなく大げさで、台詞による説明が過剰である。)

蝶子が妊娠していることが分かって、要は、バイオリンを取り出してきて、ブラームスの子守唄を演奏する。お腹のなかの赤ちゃんに、父親の演奏するバイオリンを聞かせたいという。こういうエピソードは、なんとなくいいなと思って見ている。

2025年6月14日記

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