100分de名著「安克昌“心の傷を癒すということ” (4)心の傷を耕す」 ― 2025-01-30
2025年1月30日 當山日出夫
100分de名著 安克昌“心の傷を癒すということ” (4)心の傷を耕す
『心の傷を癒やすということ』は読んだ本なのだが、私がいだいた印象としては、一九九五年の震災に遭遇したドキュメンタリーという印象が強い。著者の安克昌自身が地震を体験するところからはじまって、街の様子や、人びとの様子が、精神科医という立場の視点から綴られている。それは、時間を経過するにしたがって変化してきている。災害の直後から、日数がたつにしたがって、人の気持ちがどう変化していくものであるのか、ということについて、まさに精神科医という視点で観察している。それは、時として、自分自身の心境の変化にもおよんでいる。
この番組としては、安克昌の考えたこと、見聞したこと、などを材料にして、現代の精神医学の立場から、冷静に整理し直して、平易なことばで語った……と、理解していいだろうと思う。
品格、品位、ということは、現代社会でなくなりつつあることの一つである。上品ということばが、ほめことばではなくなってきている。もう、ほとんど使わなくなっている。品がある、という言い方もしない。
この番組のなかで出てきた、「こころの傷」「PTSD」「心理的居場所」ということは、このごろはよく目にするようになってきている。だからこそ、安易な使い方は避けた方がいいだろうと思う。非常に便利なことばなので、ついつい使ってしまいがちかもしれないが、それでいったい何がわかったことになるのか、その人のために何ができるのか、何が必要なことなのか、立ち止まって考える余裕があった方が。それこそが、品格、というべきだろうと、私は思う。
2025年1月28日記
100分de名著 安克昌“心の傷を癒すということ” (4)心の傷を耕す
『心の傷を癒やすということ』は読んだ本なのだが、私がいだいた印象としては、一九九五年の震災に遭遇したドキュメンタリーという印象が強い。著者の安克昌自身が地震を体験するところからはじまって、街の様子や、人びとの様子が、精神科医という立場の視点から綴られている。それは、時間を経過するにしたがって変化してきている。災害の直後から、日数がたつにしたがって、人の気持ちがどう変化していくものであるのか、ということについて、まさに精神科医という視点で観察している。それは、時として、自分自身の心境の変化にもおよんでいる。
この番組としては、安克昌の考えたこと、見聞したこと、などを材料にして、現代の精神医学の立場から、冷静に整理し直して、平易なことばで語った……と、理解していいだろうと思う。
品格、品位、ということは、現代社会でなくなりつつあることの一つである。上品ということばが、ほめことばではなくなってきている。もう、ほとんど使わなくなっている。品がある、という言い方もしない。
この番組のなかで出てきた、「こころの傷」「PTSD」「心理的居場所」ということは、このごろはよく目にするようになってきている。だからこそ、安易な使い方は避けた方がいいだろうと思う。非常に便利なことばなので、ついつい使ってしまいがちかもしれないが、それでいったい何がわかったことになるのか、その人のために何ができるのか、何が必要なことなのか、立ち止まって考える余裕があった方が。それこそが、品格、というべきだろうと、私は思う。
2025年1月28日記
映像の世紀バタフライエフェクト「ベトナム 勝利の代償」 ― 2025-01-30
2025年1月30日 當山日出夫
映像の世紀バタフライエフェクト ベトナム 勝利の代償
面白かったが、一方で、気になるところもある。私は天邪鬼な見方をしているのかとも思うが、この種の番組を見るとき、何について語っていないか、ということがどうしても気になってしまう。
番組では、ベトナムとアメリカの戦いということで描いていた。確かに、ベトナム戦争は、ベトナムとアメリカの戦いであったのだが、このとき、ベトナムの背後に存在した社会主義陣営の大国……具体的に名前を出すまでもないが……のことに、まったく触れていなかった。何故、アメリカがベトナムで戦うことになったのか、それは、ベトナムの共産化を恐れたからであるという説明があり、共産主義の活動家であった、ホー・チ・ミンのことも触れてあったが、実際のベトナム戦争のときに、どれほどの軍事的な支援が、どの国からあったのか、ということについては、一切触れることがなかった。(そのように編集したということはないのかもと思うが、ベトナム側が使っている銃として、カラシニコフは見当たらなかった。ベトナム戦争は、カラシニコフとM16との戦いという見方も出来るかとも思うのだけれど。ベトナム戦争で使われたカラシニコフはどこからもたらされたものだったのか、あるいは、ベトナム国内でコピー生産したものだったのか。)
ベトコンということばを使っていなかった。アメリカのテレビ局の記者が中継のなかで使っていたのが、唯一だった。この番組の制作の趣旨としては、ベトコンの用語は、使用しないということのようである。ベトミンは、使っていたのだが。
ベトコンということばをつかわないで、この時代のアメリカをはじめ、日本をふくめての、一般の市民のベトナム戦争への感じ方は、理解できないと思う。ベトコンとは、どのような人びとによって構成されたものなのか、それを指揮しているのは誰なのか、軍事的に援助しているのはどの国なのか……このようなことが、ベトナム戦争の時代、日本のマスコミで言われていたことだったと記憶する。
一切出てきていなかったのが、フランス植民地になるまでの歴史。中国とどのような関係であったか、その前史のことをふまえないでは、ベトナムの民族の独立という感覚は、分からないかもしれない。
ベトナムは、多民族国家であり、ベトナム人とはどういう人のことをいうのか、ということも問題になるはずだが、これも一切触れることがなかった。ただ、ベトナム文化の国として、全体としてはかなり均質性の高い国であるとはいっていいのかもしれない。このような基盤があったからこそ、南北でアメリカと戦うことができたと見るべきだろう。
今のベトナムは、確かに経済発展を遂げた国である。しかし、その一方で、一党独裁政権であることは続いているし、言論の自由のきわめて制限された国であることも、知られていることであるはずだと思うが、こういうことにも触れることがなかった。報道の自由では、180の国・地域のなかで、178位である。
とはいえ、興味深かったのは、ベトナム戦争を、その前のフランスとの戦いからをふくめて、徹底的にロジスティックス(兵站)の確保をめぐる戦いとして見ていたことである。いわゆる、ホーチミン・ルートである。ベトナム戦争がベトナムの勝利で終わったのは、ロジスティックスを守りぬくことができたことと、アメリカ国内のみならず、全世界的なベトナム反戦運動があった(無論、その背後には社会主義国の存在があったが)、ということの結果である、と私は理解している。
この番組の先週からの続きで思うこととしては、ベトコンにはPTSDになった人はいなかったのだろうか。
2025年1月28日記
映像の世紀バタフライエフェクト ベトナム 勝利の代償
面白かったが、一方で、気になるところもある。私は天邪鬼な見方をしているのかとも思うが、この種の番組を見るとき、何について語っていないか、ということがどうしても気になってしまう。
番組では、ベトナムとアメリカの戦いということで描いていた。確かに、ベトナム戦争は、ベトナムとアメリカの戦いであったのだが、このとき、ベトナムの背後に存在した社会主義陣営の大国……具体的に名前を出すまでもないが……のことに、まったく触れていなかった。何故、アメリカがベトナムで戦うことになったのか、それは、ベトナムの共産化を恐れたからであるという説明があり、共産主義の活動家であった、ホー・チ・ミンのことも触れてあったが、実際のベトナム戦争のときに、どれほどの軍事的な支援が、どの国からあったのか、ということについては、一切触れることがなかった。(そのように編集したということはないのかもと思うが、ベトナム側が使っている銃として、カラシニコフは見当たらなかった。ベトナム戦争は、カラシニコフとM16との戦いという見方も出来るかとも思うのだけれど。ベトナム戦争で使われたカラシニコフはどこからもたらされたものだったのか、あるいは、ベトナム国内でコピー生産したものだったのか。)
ベトコンということばを使っていなかった。アメリカのテレビ局の記者が中継のなかで使っていたのが、唯一だった。この番組の制作の趣旨としては、ベトコンの用語は、使用しないということのようである。ベトミンは、使っていたのだが。
ベトコンということばをつかわないで、この時代のアメリカをはじめ、日本をふくめての、一般の市民のベトナム戦争への感じ方は、理解できないと思う。ベトコンとは、どのような人びとによって構成されたものなのか、それを指揮しているのは誰なのか、軍事的に援助しているのはどの国なのか……このようなことが、ベトナム戦争の時代、日本のマスコミで言われていたことだったと記憶する。
一切出てきていなかったのが、フランス植民地になるまでの歴史。中国とどのような関係であったか、その前史のことをふまえないでは、ベトナムの民族の独立という感覚は、分からないかもしれない。
ベトナムは、多民族国家であり、ベトナム人とはどういう人のことをいうのか、ということも問題になるはずだが、これも一切触れることがなかった。ただ、ベトナム文化の国として、全体としてはかなり均質性の高い国であるとはいっていいのかもしれない。このような基盤があったからこそ、南北でアメリカと戦うことができたと見るべきだろう。
今のベトナムは、確かに経済発展を遂げた国である。しかし、その一方で、一党独裁政権であることは続いているし、言論の自由のきわめて制限された国であることも、知られていることであるはずだと思うが、こういうことにも触れることがなかった。報道の自由では、180の国・地域のなかで、178位である。
とはいえ、興味深かったのは、ベトナム戦争を、その前のフランスとの戦いからをふくめて、徹底的にロジスティックス(兵站)の確保をめぐる戦いとして見ていたことである。いわゆる、ホーチミン・ルートである。ベトナム戦争がベトナムの勝利で終わったのは、ロジスティックスを守りぬくことができたことと、アメリカ国内のみならず、全世界的なベトナム反戦運動があった(無論、その背後には社会主義国の存在があったが)、ということの結果である、と私は理解している。
この番組の先週からの続きで思うこととしては、ベトコンにはPTSDになった人はいなかったのだろうか。
2025年1月28日記
シリーズアジアに生きる「イラン ハリメとラヒム 不妊治療の日々」 ― 2025-01-30
2025年1月30日 當山日出夫
シリーズ アジアに生きる イラン ハリメとラヒム 不妊治療の日々
たまたま番組表で見つけたので録画しておいて見た。
2024年、フランスの会社とNHKとの共同制作。
不妊治療ということが、医学的に可能になって、はたして人が幸せになったのか、ということになる。一般的な感想になるが、これがまず思うことである。科学の結果として、遺伝子を発見したことが、人間の幸福につながったのか、という気もする。子どもを産むべきということが、遺伝子を残さなければならない、という考え方にすり替わっているのが、現代の社会かとも思う。
イランという国がテレビのニュースに出てくるときは、あまり良い場面では出てこない。核開発とか、対米強硬姿勢とか、ということで登場することがほとんどで、そこで生活する一般の人びとの生活感覚が伝えられることは、まったくないといっていいだろう。
日本でも、子どもが出来ない夫婦がいても、それはそれとしてごく普通のあり方だったのが、一昔まえまでのこととしてある。それが、子どもを産む/産まないは、女性の権利であるという考え方(これは、必ずしも間違っているということではないが)が広がる一方で、生殖医療の技術はどんどん進歩してきている。日本の場合、まだ代理母ということが、具体的に選択肢としてあがってくるという状況ではないけれど、これも時間の問題かもしれない。
イランの夫婦について思うことは、そこまでの無理をしてまで子どもが産まれることを求めることもないのではないか、ということを、私としてはまず思うことになる。これも、イランという国の歴史や文化、特にイスラムの教え(シーア派)で、このあたりのことがどう考えられることになるのか、ということはあるのだが。
日本の場合、養子ということについては、かなりハードルが低いというのが、文化的背景としてはある。が、これも、近年の少子化社会のなかでは、どう変化していくか分からないが。
番組のなかで説明はなかったが、イランにおいては、女性が外に出て働くということが、普通に認められている、と考えていいのだろうか。極端な例として、アフガニスタンのような国のことを思ってしまうことになる。夫が、糖尿病で失明して、妻が学校の教師として働くことになる、というのは、見方によってはかなり恵まれた状況といってもいいのかもしれない。そういう生活が社会に認められているのだろう。
無論、中高年になってからの病気による失明ということは、とても不幸なできごとである。この場合、どのような援助が公的にあるのだろうか、ということも気になる。
この番組は、映像が非常にいい。凝っている。音楽も控えめであるが、上手につかってある。
2025年1月28日記
シリーズ アジアに生きる イラン ハリメとラヒム 不妊治療の日々
たまたま番組表で見つけたので録画しておいて見た。
2024年、フランスの会社とNHKとの共同制作。
不妊治療ということが、医学的に可能になって、はたして人が幸せになったのか、ということになる。一般的な感想になるが、これがまず思うことである。科学の結果として、遺伝子を発見したことが、人間の幸福につながったのか、という気もする。子どもを産むべきということが、遺伝子を残さなければならない、という考え方にすり替わっているのが、現代の社会かとも思う。
イランという国がテレビのニュースに出てくるときは、あまり良い場面では出てこない。核開発とか、対米強硬姿勢とか、ということで登場することがほとんどで、そこで生活する一般の人びとの生活感覚が伝えられることは、まったくないといっていいだろう。
日本でも、子どもが出来ない夫婦がいても、それはそれとしてごく普通のあり方だったのが、一昔まえまでのこととしてある。それが、子どもを産む/産まないは、女性の権利であるという考え方(これは、必ずしも間違っているということではないが)が広がる一方で、生殖医療の技術はどんどん進歩してきている。日本の場合、まだ代理母ということが、具体的に選択肢としてあがってくるという状況ではないけれど、これも時間の問題かもしれない。
イランの夫婦について思うことは、そこまでの無理をしてまで子どもが産まれることを求めることもないのではないか、ということを、私としてはまず思うことになる。これも、イランという国の歴史や文化、特にイスラムの教え(シーア派)で、このあたりのことがどう考えられることになるのか、ということはあるのだが。
日本の場合、養子ということについては、かなりハードルが低いというのが、文化的背景としてはある。が、これも、近年の少子化社会のなかでは、どう変化していくか分からないが。
番組のなかで説明はなかったが、イランにおいては、女性が外に出て働くということが、普通に認められている、と考えていいのだろうか。極端な例として、アフガニスタンのような国のことを思ってしまうことになる。夫が、糖尿病で失明して、妻が学校の教師として働くことになる、というのは、見方によってはかなり恵まれた状況といってもいいのかもしれない。そういう生活が社会に認められているのだろう。
無論、中高年になってからの病気による失明ということは、とても不幸なできごとである。この場合、どのような援助が公的にあるのだろうか、ということも気になる。
この番組は、映像が非常にいい。凝っている。音楽も控えめであるが、上手につかってある。
2025年1月28日記
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