よみがえる新日本紀行「鹿のいる公園-奈良-」2025-07-20

2025年7月20日 當山日出夫

よみがえる新日本紀行 「鹿のいる公園-奈良-」

再放送である。2020年。オリジナルは、1975年(昭和50年)。

我が家から奈良公園までは、自動車で30分はかからないのだが、ここ数年のあいだ、行っていない。奈良国立博物館の国宝展も行かなかった。もう人の多いところに出ていくのが、いやになっているのである。行列もしたくない。

近鉄の駅を降りて、奈良公園の方へ歩いて行くと、まわりが外国人観光客ばかり、なかでも中国から来たとおぼしい人たちが大勢いるという状態になったのは、かなり前からである。

ローカルニュースでは、奈良公園の鹿のことは、たびたび取りあげられる。毎年、鹿苑で子鹿が生まれるときは、ニュースになる。鹿の角切り、それから、鹿寄せ、などもニュースになる。

だが、亡くなった鹿の供養の行事があるというのは、ニュースで見たことがない。これは、今でもおこなっているのだろうか。(奈良の鹿は、春日大社の神様のつかい、ということであるから、これは春日大社の行事なのだろうか。神仏習合の昔なら、興福寺で行ってもいいことだが。)

今、問題になっているのは、観光客の捨てるゴミを鹿が食べてしまうことの被害である。プラスチックゴミ問題ということになるが、これはもう全国的な、あるいは、世界的な大きな問題の一つでもある。

それから、保護されている区域以外のエリアでは、今では(今でも)、鹿は農作物をあらす「害獣」ということになる。これにどう対処するかは、かなり難しい問題で、簡単な解決法があるということではなさそうである。

「よみがえる新日本紀行」を見ると、この半世紀ぐらいの間に大きく変化してした日本の暮らしや人びとの意識ということを、どうしても思うのだが、この回については、昔と変わらない姿を残していると感じることになる。

2025年7月16日記

『とと姉ちゃん』「常子、初任給をもらう」2025-07-20

2025年7月20日 當山日出夫

『とと姉ちゃん』 「常子、初任給をもらう」

『とと姉ちゃん』は2016年の作品である。これも、現代(2025)で作るとなると、もう少し違った作り方になるかと思う。

このドラマには、これまでのところ、働く女性という存在がいくつか出てきている。

まず、森田屋の仕事は、半分が女性従業員である。一つの家族でやっている商売だから従業員ということではないかもしれないが、現代の視点から見ても、れっきとした森田屋の従業員である。

青柳の女将さん(滝子)も、現代でいえば、女性の経営者、実業家、ということになる。

女学校の東堂先生も、働く女性といっていい。(おそらく、本人にはそういう気持ちはないかとも思うが。)

そして、常子の働く鳥巣商事のタイピストたちである。会社につとめて、タイピストという専門の技能で働いている。

このドラマのなかでは、この会社員の女性が、働く女性ということになっている。これは、現代的な労働観にもとづくものということになる。強いて分類するならば、ホワイトカラーでないと、働く女性ではない、ブルーカラーを排除して考えていることになる。

この視点で見ると、たしかに会社内の男性と女性の待遇、働き方、お互いの意識などは、現代の価値観からすると問題があることになり、ドラマの脚本としては、ここのところに焦点を合わせて描いていることになる。

しかし、森田屋の人びとのような生活が、おそらくは、戦後になって、高度経済成長とともに、専業主婦ということがある程度ひろまるまでは、普通の生き方だったことになる。

ホワイトカラー限定で考える働く女性の歴史というのもあっていいが、その視点では見落としてしまう部分があることを、このドラマは描いていると、再放送を見て思うことである。

2025年7月19日記

『あんぱん』「面白がって生きえ」2025-07-20

2025年7月20日 當山日出夫

『あんぱん』 「面白がって生きえ」

視聴率はいいようだし、世評も高いようなのだが、私は見ていて今一つ面白くない。

たかがNHKの朝ドラで何をしようが、新聞が、そんなもの記事にするようなことは、昔はなかったのだが、新聞社は、クォリティ・ペーパーとはどうあるべきか、考えるときだろう。

戦中から戦後の時代というと、生活の感覚としてなんとなくその時代のことを覚えている世代と、まったく切り離されてしまって知識として知っているという世代と、別れてしまうことになるだろう。いわば、この時代は、時代劇化しているといってもいい。時代劇が、かならずしも、江戸時代のリアルである必要はなく、そのような設定の特殊な世界のこと、その(架空の)世界を共有することを前提に、ドラマを描けばいいということになる。

だが、この時代の生活の感覚を残している人もいるわけで、ここで生じる齟齬は、もはやどうしようもないのかとも思う。

のぶたち、「月刊くじら」の編集部は全員で東京に行く。高知の地方新聞の雑誌として、高知選出の国会議員のことを取材すること自体は理解できることである。

そうであるとしても、まず、その前に、最初の衆議院議員選挙があり、男女普通選挙であり、のぶたちも選挙権があったこと、どのような選挙があり、誰が当選したのか、そして、それを高知新報でどう報じたのかということがないと、ドラマのストーリーとして説得力がない。いきなり東京に行って議員のことを取材するということは、無理だろう。

少なくとも、議員の地元の事務所に事前に連絡をとっておく必要があると思うのだが、どうなのだろうか。「月刊くじら」はこの時代のカストリ雑誌の突撃取材、暴露記事ではないと思う。どうやら薪鉄子議員は、高知新報に多大の影響力を持っている、地元の名士であるとのことである。ならば、ここは、かならず事前の連絡があってしかるべきところである。

多くの視聴者は気にならないことかもしれないが、私が見ていてどうしても気になったのは、嵩の帽子である。この時代であれば、男性は基本的に外出するときに帽子をかぶるものであった。そして、それをとるのは礼節の一部であった。

街で嵩は八木に再会する。その姿を見つけて、嵩は、八木上等兵、と呼びかける。このとき、嵩は帽子をかぶったままだった。これは、私には、非常に不自然に思える。ここは、まず帽子をとるか、あるいは、軽く帽子に手をやって半分ぐらいとった状態で、かるく会釈をしてから、声をかける、そういう仕草の場面だと思う。

また、薪鉄子と面会しているとき、嵩はのぶの横に座っていたが、帽子はかぶったままだった。室内で、目上の人に会うときであれば、帽子は取らなければならない。

こういう礼節、という言い方が大げさなら、その時代の人びとにとっての自然な振る舞い方、ということを、このドラマはかなり無視して作っていると感じるところがいくつもある。

高知ののぶとメイコの暮らしぶりが分からない。のぶは新聞社で働き、メイコは食堂で働いている。それならば、この家の家事とか、買物とか、どうなっているのだろうか。だれが食事の準備などしているのだろうか。食卓は料理は質素であることは分かるのだが、いったいどれぐらいの食料を買うことができているのか、闇市はどれぐらい行っているのか、まったくリアルでない。いやしくも新聞社の記者としてののぶの目には、この時代の高知の普通の人びとの暮らしがどうであるのか、自分自身の生活をふくめて、何を見てどう感じていたのか、こういう部分がまったく描かれていない。

家の中の場面も、非常にきれいに掃除され、家具や調度もととのっている。しかし、そこで、のぶと次郎が暮らし、今は、メイコと一緒に暮らしているという、生活の感覚がまったく感じられない。この生活感の無さ、というのはどう考えてもおかしいと感じる。

ドラマの制作の方針なのだろうが、東京に行って帰ってきたのぶたちの一行は、身なりがきれいなままである。高知から東京まで、船と鉄道で片道二日以上かけての取材旅行である。船がどこからどこまでとは言っていなかったが、常識的には、高知から大阪までだっただろう。そうすると、船中は雑魚寝である。こういう旅行であった時代であるにもかかわらず、衣服はパリッとしていてシワひとつない。汚れもない。これは、どう考えても、不自然としか感じられない。これは、汚れた衣装は使いたくないという制作の方向だろうと思うことになるが、ドラマとしては、著しく説得力を欠くことになってしまう。

釜じいが死んだ。この描き方もどうかと思う。このドラマでは、世代間の対立、考え方の違いということを、描かないできている。亡くなったのぶの父親も、嵩のおじさんも、進歩的な考え方のもちぬしであった。せいぜい古い感覚を持っているのが、釜じいと祖母のくらなのだが、けっして封建的な古めかしさは出さない。逆に、非常に進歩的な考え方のもちぬしである。別に、この時代の高知の田舎町で、こんな老人がいてもいいとは思うのだが、ドラマの構成として、古い価値観、考え方を体現する人物がほとんどいない。はたらいて東京に行くというのぶの前に立ちふさがる障壁となるものが、何も存在しない。

強いて考えてみると、AKの前作である『虎に翼』で、寅子の前に壁となった穂高先生の描き方が、脚本としてあまりに下手であったことを配慮してのことかもしれないと思ったりする。同じ、小林薫であっても、『カーネーション』の父親の善作は、古い頑固親父であるが、魅力的なキャラクターであった。こういう人物造形ができないので、もうはじめからあきらめて、釜じいを、いいおじいさんにしてしまったのかもしれない、と思うのだが、考えすぎだろうか。

葬儀の場面で、釜じいの大きな写真の遺影が祭壇にあったが、これは、この時代のことを考えると、絶対にありえないことだろう。遺影となるべき写真があり、それを、大きな印画紙に焼き付けるということは、朝田の家の生活を考えると、不可能と思えてならない。

週の最後で、東海林編集長がのぶに、教師として子どもたちに軍国主義教育をしてきたことの贖罪として、戦災孤児や浮浪児のことを記事にしている、と言われていたが、これまでのこのドラマのことを思ってみると、(なんども書いていることだが)何故のぶが軍国少女になり、教師になり、その後、終戦を経て、それが間違っていると考えるようになったのか、そのプロセスがスカスカなのである。これは、時代の世相とともに、細かに描くところであったはずである。

戦時中に日本国民の戦意高揚をはかったのは、新聞とラジオ(NHK)であり、敗戦後は、手のひらをかえしたように、GHQの指示にしたがったのも新聞とラジオであった、こういうことは、歴史の常識として当たり前のことであるから、強いてかくすことではないと思っている。ここも、GHQのプレスコードのことを気にする高知新報を描かない方針であるので、こうなってしまったということになるのかもしれないが。

東京の闇市では美味しそうなコッペパンがふんだんにある。しかし、高知では材料の小麦粉もない。これはどうなのだろうか、とも感じるところである。

2025年7月18日記