映像の世紀バタフライエフェクト「シリーズ昭和百年(1) 戦時下の宰相たち」 ― 2025-08-28
2025年8月28日 當山日出夫
映像の世紀バタフライエフェクト シリーズ昭和百年(1) 戦時下の宰相たち
最後まで見て、クレジットに出てくる名前を見ると、まあ、こういう作り方になるのだろうなあ、と納得がいく。
保阪正康 佐藤卓己 井上寿一
無論、昭和の歴史、メディア史についての専門家であることはいうまでもない。この回を見て感じたこととして、満州事変以降、日本国民を戦争へと熱狂的にかりたて、対米戦争も辞さずという強行路線を主張したのが、マスコミ(新聞)であり、それを、国民も支持したこと……こういう視点をとりこんであるのは、佐藤卓己の研究を活かしてということと、理解できる。
だが、そうはいっても、最終的には、悪いのはやっぱり軍部であり、軍人は愚かである、という歴史観……東京裁判史観ともいえるし、司馬遼太郎史観ともいえる……が軸になっている。
見ようによっては、NHKの自己弁護、弁解ともとれる。新聞(朝日も毎日も、その他も)はとにかく売るために戦意高揚記事を書き立てたが、日本放送協会(NHK)は、政府・軍の命令にしたがっただけである、ということにしてあった。形の上では、それが事実であるとしても、いかにも言い訳がましい。そういえば、NHKは、この「映像の世紀」シリーズでもそうだが、その後の戦後のGHQのもとでどうであったかということについては、極力触れないようにしているらしい。「真相はこうだ」ぐらいは、どこかであつかうことがあってもいいと思うのだが。
最後に、伊丹万作のことばが引用してあった。これは、暗に、GHQによる占領政策への批判とも受けとれるが、番組内でそこまでの言及はなかった。(GHQのもとで成立した、平和主義の日本を、いまさら否定することは、かなり難しいだろう。それが、たとえ(今でいう)マインド・コントロールとして、国民をだましたものであったとしても。)
この伊丹万作のことばで、知っている人は思い出すであろうこととしては、小林秀雄のことばがある。これを番組で引用することは、今の時代としては無理だろうとは思うが。
ところで、「近衛は弱いね」という昭和天皇のことばを憶えている人はどれぐらいいるだろうか。近衛文麿が自殺したときのことである。武田泰淳の『政治家の文章』(岩波新書)の中に出てくる。これは、私の若いころ、学生のころは、広く読まれた本だったと憶えている。
菊池寛が、公職追放になったとき、自分のことを、リベラルと言っていたが、これはこの時代のことばとして普通である。いや、しばらく前までは、リベラルということばは、どちらかといえば保守的な立場の人に対する評価のことばであった。保守派リベラル、というのはごく普通に使われていた。それが、いまでは、非常に変化したというか、かなりかたよった政治的な意味でつかわれるようになってきている。
ちなみに、私などは、自分のことを、保守的、(本来の意味での)リベラルな価値観をたっとぶ人間であり、守るべき価値観としては、戦後民主主義の「虚妄」である……と、思っているのだが、もうこういう言い方をしても、このことばの出典を知らない人が多いだろう。それよりも、このようなことを言えば、今の時代だと、極右あつかいされかねない。とんでもない時代になったものだと思うのであるが。
林芙美子のことや、エンタツのことなど、いろいろと思うことはある。戦時下における人びとの行動を、今の価値基準でさばくようなことは、私のこのみではない。
一つ気になったこととしては、肉弾三勇士が出てきていたが、これが、第一次上海事変(昭和7年)のことであったことは、語っておくべきだったと思う。
2025年8月27日記
映像の世紀バタフライエフェクト シリーズ昭和百年(1) 戦時下の宰相たち
最後まで見て、クレジットに出てくる名前を見ると、まあ、こういう作り方になるのだろうなあ、と納得がいく。
保阪正康 佐藤卓己 井上寿一
無論、昭和の歴史、メディア史についての専門家であることはいうまでもない。この回を見て感じたこととして、満州事変以降、日本国民を戦争へと熱狂的にかりたて、対米戦争も辞さずという強行路線を主張したのが、マスコミ(新聞)であり、それを、国民も支持したこと……こういう視点をとりこんであるのは、佐藤卓己の研究を活かしてということと、理解できる。
だが、そうはいっても、最終的には、悪いのはやっぱり軍部であり、軍人は愚かである、という歴史観……東京裁判史観ともいえるし、司馬遼太郎史観ともいえる……が軸になっている。
見ようによっては、NHKの自己弁護、弁解ともとれる。新聞(朝日も毎日も、その他も)はとにかく売るために戦意高揚記事を書き立てたが、日本放送協会(NHK)は、政府・軍の命令にしたがっただけである、ということにしてあった。形の上では、それが事実であるとしても、いかにも言い訳がましい。そういえば、NHKは、この「映像の世紀」シリーズでもそうだが、その後の戦後のGHQのもとでどうであったかということについては、極力触れないようにしているらしい。「真相はこうだ」ぐらいは、どこかであつかうことがあってもいいと思うのだが。
最後に、伊丹万作のことばが引用してあった。これは、暗に、GHQによる占領政策への批判とも受けとれるが、番組内でそこまでの言及はなかった。(GHQのもとで成立した、平和主義の日本を、いまさら否定することは、かなり難しいだろう。それが、たとえ(今でいう)マインド・コントロールとして、国民をだましたものであったとしても。)
この伊丹万作のことばで、知っている人は思い出すであろうこととしては、小林秀雄のことばがある。これを番組で引用することは、今の時代としては無理だろうとは思うが。
ところで、「近衛は弱いね」という昭和天皇のことばを憶えている人はどれぐらいいるだろうか。近衛文麿が自殺したときのことである。武田泰淳の『政治家の文章』(岩波新書)の中に出てくる。これは、私の若いころ、学生のころは、広く読まれた本だったと憶えている。
菊池寛が、公職追放になったとき、自分のことを、リベラルと言っていたが、これはこの時代のことばとして普通である。いや、しばらく前までは、リベラルということばは、どちらかといえば保守的な立場の人に対する評価のことばであった。保守派リベラル、というのはごく普通に使われていた。それが、いまでは、非常に変化したというか、かなりかたよった政治的な意味でつかわれるようになってきている。
ちなみに、私などは、自分のことを、保守的、(本来の意味での)リベラルな価値観をたっとぶ人間であり、守るべき価値観としては、戦後民主主義の「虚妄」である……と、思っているのだが、もうこういう言い方をしても、このことばの出典を知らない人が多いだろう。それよりも、このようなことを言えば、今の時代だと、極右あつかいされかねない。とんでもない時代になったものだと思うのであるが。
林芙美子のことや、エンタツのことなど、いろいろと思うことはある。戦時下における人びとの行動を、今の価値基準でさばくようなことは、私のこのみではない。
一つ気になったこととしては、肉弾三勇士が出てきていたが、これが、第一次上海事変(昭和7年)のことであったことは、語っておくべきだったと思う。
2025年8月27日記
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