『べらぼう』「打壊演太女功徳」 ― 2025-09-01
2025年9月1日 當山日出夫
『べらぼう』 打壊演太女功徳
この回の演出は、大原拓である。見ていると、画面が暗いし、ケレン味たっぷりの絵になっている。
天明の打ちこわしについては、どれぐらい研究で明らかになっているのか、気にはなるところなのだが、本を読んでみようという気にはならないでいる。(もう、年をとったものである。)
それでも、百姓一揆とか、打ちこわしとか、今のことばいうならば、民衆の直接行動、といっていいことがらについては、どう研究することになるのか、むしろ、その視点のおきかたとか、史料論とか、研究の方法論とか、こういうことの方が気にはなっている。
まあ、打ちこわしを実行できるぐらいのエネルギー、というか、現実的な体力が残っているから出来ることであって、お米がなくて食べるものがなくなって、飢餓に直面しているような状態になったら、もう、そんなこともしたくない、という気持ちなるかもしれない。(さて、江戸の市中で飢饉で餓死者が出るようなことはあったのだろうか。)
『べらぼう』は、蔦重のドラマとして作ってあるのだが、この回のあたりは、田沼意次がメイン、といってもいいかもしれない。その権力の最後の様子と、松平定信のことなどが、一橋治済をからめて(黒幕としてというべきか)、江戸の政治の暗黒面を描いている、と見ることになる。
大奥の老女の高岳は、さすがの貫禄である。大奥の存在を、政治とからめて描くということは、これまでのドラマではあまりなかったかと思うのだが、(無論、『篤姫』は例外として)、歴史学の研究成果として、大奥のことが明らかになってきたこともあって、こういう脚本の構成になっているのかと思う。
お米がないなら銀を……ということになっていたのだが、まったくお米が無い状態では、こういう措置も意味がない。銀を食べることはできない。一方、お米を買い占めてため込んだところで、世の中がもちなおして、お米の値段が下がれば損をすることになる。ため込んだお米を、お金持ちの商人が自分たちだけで食べて消費するということはなかっただろう。ここのところは、江戸の市中における、お米の流通の問題だったと考えるべきところかと思う。
日曜日の昼に、4Kで、『八重の桜』と『べらぼう』続けて見ることにしているので、『べらぼう』の画面の暗さが、より目立つ。意図としては、屋内や夜のシーンは、その時代の照明ではどうだったか再現してみたい、ということは理解できるつもりなのだが、ちょっとなじめないところがあるというのが、思うところでもある。
2025年8月31日記
『べらぼう』 打壊演太女功徳
この回の演出は、大原拓である。見ていると、画面が暗いし、ケレン味たっぷりの絵になっている。
天明の打ちこわしについては、どれぐらい研究で明らかになっているのか、気にはなるところなのだが、本を読んでみようという気にはならないでいる。(もう、年をとったものである。)
それでも、百姓一揆とか、打ちこわしとか、今のことばいうならば、民衆の直接行動、といっていいことがらについては、どう研究することになるのか、むしろ、その視点のおきかたとか、史料論とか、研究の方法論とか、こういうことの方が気にはなっている。
まあ、打ちこわしを実行できるぐらいのエネルギー、というか、現実的な体力が残っているから出来ることであって、お米がなくて食べるものがなくなって、飢餓に直面しているような状態になったら、もう、そんなこともしたくない、という気持ちなるかもしれない。(さて、江戸の市中で飢饉で餓死者が出るようなことはあったのだろうか。)
『べらぼう』は、蔦重のドラマとして作ってあるのだが、この回のあたりは、田沼意次がメイン、といってもいいかもしれない。その権力の最後の様子と、松平定信のことなどが、一橋治済をからめて(黒幕としてというべきか)、江戸の政治の暗黒面を描いている、と見ることになる。
大奥の老女の高岳は、さすがの貫禄である。大奥の存在を、政治とからめて描くということは、これまでのドラマではあまりなかったかと思うのだが、(無論、『篤姫』は例外として)、歴史学の研究成果として、大奥のことが明らかになってきたこともあって、こういう脚本の構成になっているのかと思う。
お米がないなら銀を……ということになっていたのだが、まったくお米が無い状態では、こういう措置も意味がない。銀を食べることはできない。一方、お米を買い占めてため込んだところで、世の中がもちなおして、お米の値段が下がれば損をすることになる。ため込んだお米を、お金持ちの商人が自分たちだけで食べて消費するということはなかっただろう。ここのところは、江戸の市中における、お米の流通の問題だったと考えるべきところかと思う。
日曜日の昼に、4Kで、『八重の桜』と『べらぼう』続けて見ることにしているので、『べらぼう』の画面の暗さが、より目立つ。意図としては、屋内や夜のシーンは、その時代の照明ではどうだったか再現してみたい、ということは理解できるつもりなのだが、ちょっとなじめないところがあるというのが、思うところでもある。
2025年8月31日記
『八重の桜』「弟のかたき」 ― 2025-09-01
2025年9月1日 當山日出夫
『八重の桜』「弟のかたき」
勝海舟と西郷隆盛の面会のシーンは、幕末明治維新ドラマの一番の見せどころの一つになっている。このドラマでは、山岡鉄舟が出てきていなかったが、このあたりのことは、脚本の方針ということになるのだろう。
江戸を焼き払わない、徳川慶喜の命を助ける、だが、そのかわりに、新政府軍(と、この時点で言うのもなんだか変な気がするが、他に言い方がないから、しかたがない)の向かう先が、会津ということになった。この後、奥羽列藩同盟、と教科書に出てきたことになると思って見ている。
やっぱり、会津は、歴史のなかで貧乏くじを引くことになった、と思うしかない。これも、運命である。この先の会津戦争、斗南藩のこと、さらに明治維新以降のことは、この時代の人びとは、まったく予想することもできなかった。
しかし、勝てば官軍、というように、もし、会津など旧幕府側が勝っていたら、ということは、歴史のもしもとして、考えて見るのも面白い。先週、出てきていた榎本武揚の軍艦の運用によっては、ひょっとすると歴史は違う方向にうごいたかもしれない。
ここにいたると、討幕軍と会津というかたちになって、日本という国これからの姿をイメージする、という大局的見地からものを見ている人物が出てこなくなる、というのも興味深い。佐久間象山もいないし、吉田松陰もいない。勝海舟は、ここでは、幕臣として行動している部分が大きくなってきている。
新政府軍は、東海道、中山道、北陸道と、別れて江戸を目指した。このとき、東海道は、どう通ったのだろうか。大井川をどうやってわたったのか、箱根をどうやって越えたのか、ということが気になることである。
八重を動かしているのは、会津の人間として(あるいは、武士階級の人間として)の忠誠心であり、愛郷心、ということになりそうである。これが、明治以降の近代的なナショナリズム(私は、ナショナリズムを悪いことだとは思っていない)と、どう繋がるように描くことになるのか、と思って見ている。
戊辰戦争、会津戦争は、現代の軍事史の研究としては、どのように考えられているのか、気になるところではあるが、もう調べてみようという気持ちにはならないでいる。
2025年8月31日記
『八重の桜』「弟のかたき」
勝海舟と西郷隆盛の面会のシーンは、幕末明治維新ドラマの一番の見せどころの一つになっている。このドラマでは、山岡鉄舟が出てきていなかったが、このあたりのことは、脚本の方針ということになるのだろう。
江戸を焼き払わない、徳川慶喜の命を助ける、だが、そのかわりに、新政府軍(と、この時点で言うのもなんだか変な気がするが、他に言い方がないから、しかたがない)の向かう先が、会津ということになった。この後、奥羽列藩同盟、と教科書に出てきたことになると思って見ている。
やっぱり、会津は、歴史のなかで貧乏くじを引くことになった、と思うしかない。これも、運命である。この先の会津戦争、斗南藩のこと、さらに明治維新以降のことは、この時代の人びとは、まったく予想することもできなかった。
しかし、勝てば官軍、というように、もし、会津など旧幕府側が勝っていたら、ということは、歴史のもしもとして、考えて見るのも面白い。先週、出てきていた榎本武揚の軍艦の運用によっては、ひょっとすると歴史は違う方向にうごいたかもしれない。
ここにいたると、討幕軍と会津というかたちになって、日本という国これからの姿をイメージする、という大局的見地からものを見ている人物が出てこなくなる、というのも興味深い。佐久間象山もいないし、吉田松陰もいない。勝海舟は、ここでは、幕臣として行動している部分が大きくなってきている。
新政府軍は、東海道、中山道、北陸道と、別れて江戸を目指した。このとき、東海道は、どう通ったのだろうか。大井川をどうやってわたったのか、箱根をどうやって越えたのか、ということが気になることである。
八重を動かしているのは、会津の人間として(あるいは、武士階級の人間として)の忠誠心であり、愛郷心、ということになりそうである。これが、明治以降の近代的なナショナリズム(私は、ナショナリズムを悪いことだとは思っていない)と、どう繋がるように描くことになるのか、と思って見ている。
戊辰戦争、会津戦争は、現代の軍事史の研究としては、どのように考えられているのか、気になるところではあるが、もう調べてみようという気持ちにはならないでいる。
2025年8月31日記
『母の待つ里』(1) ― 2025-09-01
2025年9月1日 當山日出夫
『母の待つ里』(1)
浅田次郎の本は、かなり読んでいる。『壬生義士伝』からはじまり、「天切り松」シリーズ、「蒼穹の昴」シリーズ、「プリズンホテル」シリーズ、どれも読んでいる。『母の待つ里』も読んだ。が、これは、Kindle版である。もう年をとってきたので、字の小さい文庫本を読むのがつらくなってきた。
このドラマは、たしか、BSで以前に放送したものであるはずである。そのときは、見なかった。なんとなくである。
なんとなく、見ておきたくなって、新しい放送を録画しておいた。
第一回を見て思うことは、まず、脚本と演出がとてもいい。宮本信子、中井貴一が、とてもいい。嘘とわかっていて、嘘ではないふりをして、本当のことを言っているような、言っていないような、それでいて、どこかにその登場人物の本心が隠れている……こういう部分を、見事に表現している。たぶん、ちよの役をできるのは、宮本信子ぐらいしかいないかもしれない。
人形浄瑠璃がたくみである。これは、原作にはない部分であるが、幻想的なところを、文楽の人形で表現する、非常に素朴な昔話・伝説の感情を、きわめて洗練された文楽の人形の操演で見せている。これは、非常にいい。(ちなみに、ガブ、というのを思い出した。)しかも、人形遣いが、桐竹勘十郎である。ものすごく贅沢な作り方である。
細かなことだが、ちよの家のカレンダーが、5月になっていて、ちょうどそのころが桜の花が咲くときになる、北国の春の遅さをうまく映像で見せている。
野暮なことを言えばになるが……今の時代だと、東北の曲屋が残っていても、外観は昔をとどめていても、内部は現代的にリフォームしている例が多いだろう。土間があって、かまどで薪を焚いて、ということは、意図的に、強いていえば趣味的に、残そうとしなければ残っていないだろう。土間をつぶして、床を作ってフローリングのLDKとして、囲炉裏のあったところと一体化して、システムキッチンでも設置しないと、今のライフスタイルに合わない。
ドラマでは、そこまでは現代的ではないけれども、今から数十年前まであった農村の生活のなかに、いくぶんの現代的要素が入っている、生活の様子をうまく表現している。風呂は、今の時代だと、薪でわかすとしても、さすがに五右衛門風呂は無いと判断したのだろう。
小説として、文章で表現することと、ドラマとして映像で表現すること、それぞれの違いを分かって、原作を尊重した作り方になっている。
どうでもいいことかもしれないが、村に入ったときに登場して一緒に歩いた柴犬も、このサービスのスタッフ(?)なのだろうか。そうだとするならば、50万円は高くないと思える。
2025年8月31日記
『母の待つ里』(1)
浅田次郎の本は、かなり読んでいる。『壬生義士伝』からはじまり、「天切り松」シリーズ、「蒼穹の昴」シリーズ、「プリズンホテル」シリーズ、どれも読んでいる。『母の待つ里』も読んだ。が、これは、Kindle版である。もう年をとってきたので、字の小さい文庫本を読むのがつらくなってきた。
このドラマは、たしか、BSで以前に放送したものであるはずである。そのときは、見なかった。なんとなくである。
なんとなく、見ておきたくなって、新しい放送を録画しておいた。
第一回を見て思うことは、まず、脚本と演出がとてもいい。宮本信子、中井貴一が、とてもいい。嘘とわかっていて、嘘ではないふりをして、本当のことを言っているような、言っていないような、それでいて、どこかにその登場人物の本心が隠れている……こういう部分を、見事に表現している。たぶん、ちよの役をできるのは、宮本信子ぐらいしかいないかもしれない。
人形浄瑠璃がたくみである。これは、原作にはない部分であるが、幻想的なところを、文楽の人形で表現する、非常に素朴な昔話・伝説の感情を、きわめて洗練された文楽の人形の操演で見せている。これは、非常にいい。(ちなみに、ガブ、というのを思い出した。)しかも、人形遣いが、桐竹勘十郎である。ものすごく贅沢な作り方である。
細かなことだが、ちよの家のカレンダーが、5月になっていて、ちょうどそのころが桜の花が咲くときになる、北国の春の遅さをうまく映像で見せている。
野暮なことを言えばになるが……今の時代だと、東北の曲屋が残っていても、外観は昔をとどめていても、内部は現代的にリフォームしている例が多いだろう。土間があって、かまどで薪を焚いて、ということは、意図的に、強いていえば趣味的に、残そうとしなければ残っていないだろう。土間をつぶして、床を作ってフローリングのLDKとして、囲炉裏のあったところと一体化して、システムキッチンでも設置しないと、今のライフスタイルに合わない。
ドラマでは、そこまでは現代的ではないけれども、今から数十年前まであった農村の生活のなかに、いくぶんの現代的要素が入っている、生活の様子をうまく表現している。風呂は、今の時代だと、薪でわかすとしても、さすがに五右衛門風呂は無いと判断したのだろう。
小説として、文章で表現することと、ドラマとして映像で表現すること、それぞれの違いを分かって、原作を尊重した作り方になっている。
どうでもいいことかもしれないが、村に入ったときに登場して一緒に歩いた柴犬も、このサービスのスタッフ(?)なのだろうか。そうだとするならば、50万円は高くないと思える。
2025年8月31日記
100分de名著「サン=テグジュペリ“人間の大地” (4)人間よ、目覚めよ!」 ― 2025-09-02
2025年9月2日 當山日出夫
100分de名著 サン=テグジュペリ“人間の大地” (4)人間よ、目覚めよ!
愛するとは、お互いに見つめ合うことではなく、同じ方向を見ることである……これは、学生のときから知っていることばである。今から半世紀ほど前のことになるが、この時代なら、『人間の土地』として堀口大学の訳だっただろう。私は、この本を読むことはなかったが。
第一世界大戦後のヨーロッパということの時代背景を考えてみるならば、世界的な不況のなかで、それぞれの地域において、国益優先の政策がとられたこと、それ自体を批判することは、私は正しいことだとは思わない。これは、その後の歴史の結果を知っているから言えることであって、この時代における人びとの生活の実態や思考を想像してみるならば、そのような時代の風潮であったとしても、いたしかたないことかと思う。といって、歴史上にあったことを、すべてそうなる必然だったのだからしかたがないというのではない。
サン=テグジュペリの語ることが、ただの理想主義にならないのは、その前段として、砂漠での体験があるからである。目の前に困った人がいるとき、助けるのは当然である、という体験的な裏付けがあっての理想である。これは、説得力がある。
自国優先主義ということを、排外主義だとして、否定することは、ある意味では今の時代の流れである。このこと……いわゆるリベラルを自称する人たちの、(自分とは異なる意見について)極右と断定する人たちへの攻撃……は、どうだろうか。今の世界で(あるいは、日本でといってもいいが)おこなわれていることは、非常に排他的な理想主義による、自己陶酔でしかない。
人間とはどういうものなのかという洞察にうらうちされない理想主義は、逆に人間を束縛してしまうものである。その束縛の中で自由を感じるということは、まさに、番組のなかで、サン=テグジュペリが批判的に言っていたことに他ならない。ヒトラーを悪だと言っていることの中に、それこそが正しいことだと、無批判に安住することは、まさしくユダヤ人や共産主義者を排除した思想の裏返しであり、思考法としてつながるものだということに、気づくべきなのである。
人間の内側の思考のあり方について語ることができるのが文学である。政治的にどれが正しいかということとは別である。だが、文学だから語れることを、無理に時代の流れの中でのナチスのことに結びつけようとするのは、(たしかに時代的背景としてそういうことはあったかとは思うが)、文学というものを理解していないと私は感じるところがある。
これは、番組のスタッフの意図としてそうなったのだろう。見ていた印象では、野崎歓はむしろ、社会的政治的メッセージとしてよりも、文学として語りたかったような印象を受けた。
2025年8月30日記
100分de名著 サン=テグジュペリ“人間の大地” (4)人間よ、目覚めよ!
愛するとは、お互いに見つめ合うことではなく、同じ方向を見ることである……これは、学生のときから知っていることばである。今から半世紀ほど前のことになるが、この時代なら、『人間の土地』として堀口大学の訳だっただろう。私は、この本を読むことはなかったが。
第一世界大戦後のヨーロッパということの時代背景を考えてみるならば、世界的な不況のなかで、それぞれの地域において、国益優先の政策がとられたこと、それ自体を批判することは、私は正しいことだとは思わない。これは、その後の歴史の結果を知っているから言えることであって、この時代における人びとの生活の実態や思考を想像してみるならば、そのような時代の風潮であったとしても、いたしかたないことかと思う。といって、歴史上にあったことを、すべてそうなる必然だったのだからしかたがないというのではない。
サン=テグジュペリの語ることが、ただの理想主義にならないのは、その前段として、砂漠での体験があるからである。目の前に困った人がいるとき、助けるのは当然である、という体験的な裏付けがあっての理想である。これは、説得力がある。
自国優先主義ということを、排外主義だとして、否定することは、ある意味では今の時代の流れである。このこと……いわゆるリベラルを自称する人たちの、(自分とは異なる意見について)極右と断定する人たちへの攻撃……は、どうだろうか。今の世界で(あるいは、日本でといってもいいが)おこなわれていることは、非常に排他的な理想主義による、自己陶酔でしかない。
人間とはどういうものなのかという洞察にうらうちされない理想主義は、逆に人間を束縛してしまうものである。その束縛の中で自由を感じるということは、まさに、番組のなかで、サン=テグジュペリが批判的に言っていたことに他ならない。ヒトラーを悪だと言っていることの中に、それこそが正しいことだと、無批判に安住することは、まさしくユダヤ人や共産主義者を排除した思想の裏返しであり、思考法としてつながるものだということに、気づくべきなのである。
人間の内側の思考のあり方について語ることができるのが文学である。政治的にどれが正しいかということとは別である。だが、文学だから語れることを、無理に時代の流れの中でのナチスのことに結びつけようとするのは、(たしかに時代的背景としてそういうことはあったかとは思うが)、文学というものを理解していないと私は感じるところがある。
これは、番組のスタッフの意図としてそうなったのだろう。見ていた印象では、野崎歓はむしろ、社会的政治的メッセージとしてよりも、文学として語りたかったような印象を受けた。
2025年8月30日記
クラシックTV「ジャズに“美と自由”を ビル・エヴァンス」 ― 2025-09-02
2025年9月2日 當山日出夫
クラシックTV 「ジャズに“美と自由”を ビル・エヴァンス」
再放送である。最初は、2021年9月9日。
テレビの番組表を見ていて目にとまったので、録画しておいて見た。
今から半世紀ほど前、学生のころ、東京の目黒の下宿で、月曜日の夜おそく(だったと記憶しているが)ラジオの「アスペクト・イン・ジャズ」を聞いていた。FM東京の油井正一の番組である。翌日の朝の大学の授業が眠たかったのを憶えている。ビル・エヴァンスという名前をいつ憶えたのかは忘れてしまったが、おそらく、学生のころにラジオで聴いて憶えたのだろう。
この時代だと、ビル・エヴァンスは、あまり高く評価されることはなかったかと記憶している。これは、いまからふりかえると偏見になることだが、ジャズは黒人の音楽であり、だからこそ、抵抗の音楽として、学生たちに愛好されていた、という側面がある。この意味では、もっとも人気のあったのは、ジョン・コルトレーンだったかもしれない。
都内の各所にジャズ喫茶があり、方や、クラシック音楽を流す名曲喫茶があった。お茶の水のあたりである。予定のプログラムなどが、店内においてあったりした。もう今では、昔話である。
番組の中で、黒人とか白人とかということばを使っていなかったのは、意図的にそうしていたのだろうと、私などは感じることになる。今の若い人たちには、そんなことは関係なく、音楽として聞いていることになるだろうが、かつて、誰が演奏しているか、黒人なのか白人なのか、一言いわなければならないような雰囲気であった時代もあった。こういう時代に、日本人としてジャズにかかわるとはどういうことなのか、議論があった。
ビル・エヴァンスのCDは、かなり持っている。全部、Walkmanにコピー(FLAC)して入れてある。「Walz for Debby」は、時々聞いている。
テクニックとか、音の構成とか、音楽的にはいろいろとあるのだろうが、とにかく、知的で美しい、ということで、私の好みである。ただ、(これは、昔からいわれていたことだが)、人間のこころの奥底の深みを感じさせるというような感じではない。(これは、私の感性の問題でもあるのだろうが。)
2025年8月31日記
クラシックTV 「ジャズに“美と自由”を ビル・エヴァンス」
再放送である。最初は、2021年9月9日。
テレビの番組表を見ていて目にとまったので、録画しておいて見た。
今から半世紀ほど前、学生のころ、東京の目黒の下宿で、月曜日の夜おそく(だったと記憶しているが)ラジオの「アスペクト・イン・ジャズ」を聞いていた。FM東京の油井正一の番組である。翌日の朝の大学の授業が眠たかったのを憶えている。ビル・エヴァンスという名前をいつ憶えたのかは忘れてしまったが、おそらく、学生のころにラジオで聴いて憶えたのだろう。
この時代だと、ビル・エヴァンスは、あまり高く評価されることはなかったかと記憶している。これは、いまからふりかえると偏見になることだが、ジャズは黒人の音楽であり、だからこそ、抵抗の音楽として、学生たちに愛好されていた、という側面がある。この意味では、もっとも人気のあったのは、ジョン・コルトレーンだったかもしれない。
都内の各所にジャズ喫茶があり、方や、クラシック音楽を流す名曲喫茶があった。お茶の水のあたりである。予定のプログラムなどが、店内においてあったりした。もう今では、昔話である。
番組の中で、黒人とか白人とかということばを使っていなかったのは、意図的にそうしていたのだろうと、私などは感じることになる。今の若い人たちには、そんなことは関係なく、音楽として聞いていることになるだろうが、かつて、誰が演奏しているか、黒人なのか白人なのか、一言いわなければならないような雰囲気であった時代もあった。こういう時代に、日本人としてジャズにかかわるとはどういうことなのか、議論があった。
ビル・エヴァンスのCDは、かなり持っている。全部、Walkmanにコピー(FLAC)して入れてある。「Walz for Debby」は、時々聞いている。
テクニックとか、音の構成とか、音楽的にはいろいろとあるのだろうが、とにかく、知的で美しい、ということで、私の好みである。ただ、(これは、昔からいわれていたことだが)、人間のこころの奥底の深みを感じさせるというような感じではない。(これは、私の感性の問題でもあるのだろうが。)
2025年8月31日記
ブラタモリ「東京大学の宝▼安田講堂&国宝!東大にしかない“宝”とは?」 ― 2025-09-02
2025年9月2日 當山日出夫
ブラタモリ 東京大学の宝▼安田講堂&国宝!東大にしかない“宝”とは?
私の年代(1955、昭和30年生)だと、70年安保のときの、安田講堂のことは憶えている。このときのことに、学生に共感するかどうかというのは、年齢や立場によって微妙に異なることになる。私としては、まったく否定はしないけれども、その行動については、かなり批判的に見るとこもある、というぐらいだろうか。
しばらくの間、東京大学では、学会とか研究会がまったく開催できない、という時期があった。とにかく、人が集まる、ということを極力排除していた時期があった。
しかし、時がながれて、東京大学で国語学会(現在の日本語学会)があったとき、安田講堂が講演会の会場だった。時代の流れを感じたものである。
安田講堂が、東京大学の正門からまっすぐのところにあるのは計算して造ったことになるが、キャンパス内のイチョウ並木……これは、秋になるときれいに色づく……は、いつごろ整備されたものなのだろうか。おそらく、キャンパス内の植物については、その種類や樹齢などは、網羅的に調査がされているとは思うのだが、イチョウの木が、今のような大きさに育つには、かなりの年月がかかる。今のイチョウの木は、いつごろ、どのように植えられたものなのだろうか。樹木のある景観というのは、数十年先のことを見通さないと設計できないものである。(東京におけるその典型が、明治神宮ということになるだろうが。)
史料編纂所の仕事は、東京大学のなかでも、時間の流れが異なっている。非常に長い時間の中で仕事をしている。
影写の技術というのは、とても興味深い。このような場面が、テレビに映るのは、はじめてといってもいいかもしれない。
古文書もそうだが、実物を手にとってじっくりと観察することによって分かってくることがある。古典籍(写本、板本)もそうだし、美術品であったり、あるいは、自然科学の標本であったり、考古学の遺跡であったり……学術的な資料(史料)というのは、そういうものである。
デジタル・アーカイブということで、古文書も画像データとして収集する公開するということに、世の中の流れが向かっている。これは、そのとおりだと思うが、しかし、たぶん、私ぐらいの世代が、デジタル技術の以前と以後のことを、両方知っているところに位置するのかと思う。今のデジタル画像についていえば、(技術的な細かな議論ははぶくが)、まだまだ課題が数多くあることは確かである。
史料編纂所の仕事で「大日本古文書」がある。この一揃いを、数十年前になるが、ある中世史の研究者の遺族の方から、もらい受けたことがある。その他の書籍(歴史学の専門書)は、神保町の有名な古本屋が引き受けてくれたが、「大日本古文書」はいらないと言われた。理由は、史料編纂所のデータベースで利用できるようになっているので、古本としても価値がない、ということだったらしい。
たしかに、史料編纂所の古文書や古記録のデータベースは便利だし、これがないと、歴史学研究はできないようになっている。同時に、もはや、紙の本の「大日本古文書」でさえも、手に取って読むということが、必要とされない時代になってきてしまっている。
時代の流れといえばそれまでなのだが、史料・資料の実物を残し、それにもとづいて考えるということは、忘れてはならない。また、史料の翻刻(その結果としての「大日本古文書」)ということの意味、強いていえば、もとの文書の情報をどう残すかをふくめたデータのフォーマットの変換、これが、デジタルの文字列だけになってしまうことの意味、こういうことを総合的に考えること、あるいは、教育することが、必要になってきているのだと思うことになる。
東京大学総合研究博物館には、いろんなものがある。番組のなかで出てきていた、昔、集めて沙漠のオアシスの水のサンプル。もう今では無くなってしまったところもあるだろうし、また、これは、いわゆる人新世になる以前に採取したものということでも価値があることになるだろう。
資料をしかるべく残すことの価値が、広く認識されることが必要である。
2025年8月31日記
ブラタモリ 東京大学の宝▼安田講堂&国宝!東大にしかない“宝”とは?
私の年代(1955、昭和30年生)だと、70年安保のときの、安田講堂のことは憶えている。このときのことに、学生に共感するかどうかというのは、年齢や立場によって微妙に異なることになる。私としては、まったく否定はしないけれども、その行動については、かなり批判的に見るとこもある、というぐらいだろうか。
しばらくの間、東京大学では、学会とか研究会がまったく開催できない、という時期があった。とにかく、人が集まる、ということを極力排除していた時期があった。
しかし、時がながれて、東京大学で国語学会(現在の日本語学会)があったとき、安田講堂が講演会の会場だった。時代の流れを感じたものである。
安田講堂が、東京大学の正門からまっすぐのところにあるのは計算して造ったことになるが、キャンパス内のイチョウ並木……これは、秋になるときれいに色づく……は、いつごろ整備されたものなのだろうか。おそらく、キャンパス内の植物については、その種類や樹齢などは、網羅的に調査がされているとは思うのだが、イチョウの木が、今のような大きさに育つには、かなりの年月がかかる。今のイチョウの木は、いつごろ、どのように植えられたものなのだろうか。樹木のある景観というのは、数十年先のことを見通さないと設計できないものである。(東京におけるその典型が、明治神宮ということになるだろうが。)
史料編纂所の仕事は、東京大学のなかでも、時間の流れが異なっている。非常に長い時間の中で仕事をしている。
影写の技術というのは、とても興味深い。このような場面が、テレビに映るのは、はじめてといってもいいかもしれない。
古文書もそうだが、実物を手にとってじっくりと観察することによって分かってくることがある。古典籍(写本、板本)もそうだし、美術品であったり、あるいは、自然科学の標本であったり、考古学の遺跡であったり……学術的な資料(史料)というのは、そういうものである。
デジタル・アーカイブということで、古文書も画像データとして収集する公開するということに、世の中の流れが向かっている。これは、そのとおりだと思うが、しかし、たぶん、私ぐらいの世代が、デジタル技術の以前と以後のことを、両方知っているところに位置するのかと思う。今のデジタル画像についていえば、(技術的な細かな議論ははぶくが)、まだまだ課題が数多くあることは確かである。
史料編纂所の仕事で「大日本古文書」がある。この一揃いを、数十年前になるが、ある中世史の研究者の遺族の方から、もらい受けたことがある。その他の書籍(歴史学の専門書)は、神保町の有名な古本屋が引き受けてくれたが、「大日本古文書」はいらないと言われた。理由は、史料編纂所のデータベースで利用できるようになっているので、古本としても価値がない、ということだったらしい。
たしかに、史料編纂所の古文書や古記録のデータベースは便利だし、これがないと、歴史学研究はできないようになっている。同時に、もはや、紙の本の「大日本古文書」でさえも、手に取って読むということが、必要とされない時代になってきてしまっている。
時代の流れといえばそれまでなのだが、史料・資料の実物を残し、それにもとづいて考えるということは、忘れてはならない。また、史料の翻刻(その結果としての「大日本古文書」)ということの意味、強いていえば、もとの文書の情報をどう残すかをふくめたデータのフォーマットの変換、これが、デジタルの文字列だけになってしまうことの意味、こういうことを総合的に考えること、あるいは、教育することが、必要になってきているのだと思うことになる。
東京大学総合研究博物館には、いろんなものがある。番組のなかで出てきていた、昔、集めて沙漠のオアシスの水のサンプル。もう今では無くなってしまったところもあるだろうし、また、これは、いわゆる人新世になる以前に採取したものということでも価値があることになるだろう。
資料をしかるべく残すことの価値が、広く認識されることが必要である。
2025年8月31日記
時をかけるテレビ「隣人たちの戦争〜コソボ・ハイダルドゥシィ通りの人々〜」 ― 2025-09-03
2025年9月3日 當山日出夫
時をかけるテレビ 隣人たちの戦争〜コソボ・ハイダルドゥシィ通りの人々〜
オリジナルは、1999年の放送。
コソボのこのエリアの人びとについては、NHKのBSスペシャルで、その後のことを、今年になってから放送している。それを見たときに思ったことを書いた。再掲載しておく。
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BSスペシャル「隣人たちの戦争 〜憎しみの通り “敗者”の25年〜」
2025年5月1日 當山日出夫
BSスペシャル 隣人たちの戦争 〜憎しみの通り “敗者”の25年〜
録画してHDに残っていたのをようやく見た。
コソボ紛争については、あまりはっきりとした記憶がない。NATOによる空爆の是非をめぐって、いろいろと議論のあったことは憶えている。だが、そもそもの旧ユーゴスラビアの崩壊と、その後のさまざまな紛争については、はっきりいってややこしすぎて、よく分からないというのが実際である。
しかし、私の年代として、はっきりと記憶していることは、昔のユーゴスラビアという国は、日本の一部の知識人(左翼といってもいいと思うが)からは、絶賛されていた国であったことである。特に、チトー大統領は、すぐれた政治指導者として、ユーゴスラビアの政治が、多民族共生(今のことばでいえば)の見本のように語られていたことである。それが、幻想であったことが、冷戦終結後の特にユーゴスラビアの崩壊をめぐって起こったことである、というのが、まず私が思うことになる。
コソボ紛争までは、隣人同士が異なる民族であっても仲よく生活していた……ということで番組は作ってあったのだが、まず、このあたりの前提からすこしひっかかるところがある。仲よく暮らせたのは、仲がよかったからである……というような同語反復的な説明でしかないように思える。
ここは、異なる民族どうしが、なぜそれまで仲よく生活できていたのか、歴史的経緯の説明がほしいところなのだが、おそらく番組の作り手としては、ここの部分は意図的にカットしているのだろうと思う。
私として思うことは、普通に生活している普通の人びとが、状況によっては、どれほど残虐になりうるのかという、これ自体としては、世界の歴史のなかでいくらでもおこってきた、ありふれたことの一つということで理解することになる。(だから、残虐行為が正当化されるということはないのだけれど。)
NHKの番組の作り方として、憎悪の連鎖、という部分をできるかぎり描かない、ということがあるのだろうとは思う。どうしても、こういう部分のバイアスのかかった番組として見ることになる。(これはこれで、一つの偏見だろうとは思うのだけれども。)
映像を見ていれば、アルバニア系の人びとがイスラムの信仰をもつ人びとであることは分かる。だが、番組のなかで、イスラムということばはまったく使っていなかった。登場していた人が、神、ということばをつかってはいたが、それが、どういう神なのか(どういう信仰にもとづくものなのか)、説明はなかった。そういう方針で作ったことは理解できるつもりではいるが……民族対立、宗教対立ということを言いたくない…、しかし、これはフェアではないという印象がどうしてもある。
民族の対立、宗教の対立を、(強いて言えば)押さえ込んでいた、隠していたのが、かつての旧ユーゴスラビアの国家ということになるのかもしれないが、だからといって、社会主義国家の方がすばらしいとはいえない……だが、こういうことにまったくふれないでいるというのも、どうかなと思わざるをえない。
2025年4月25日記
=====================================
過去の放送を見て思うことがいつつかある。
1999年の放送では、イスラム、ということをはっきり言っていた。しかし、現在になると、イスラムということばを避けている。おそらく意図的に使わなかったのだろう。また、民族、ということばも、昔はつかっていたが、現在では避けている。このあたりが、この問題をあつかうややこしさの一つだろうと思う。
民族や宗教による対立、ということを避ける立場で描くならば、世界における紛争のかずかずをどう考えるか、枠組みを失ってしまうと思えるのだが、逆に、単純に民族や宗教の対立に還元できない、その他のいろんな要因がある、ということになる。
コソボの紛争の特徴(?)は、組織的な指導者がいないこともある。現在の、ロシアのプーチン大統領とか、イスラエルのネタニヤフ首相とか、リーダーであると同時に、批判する側からすれば、ヒトラーに擬することができるような存在がいない。
つまり、異なる民族や宗教が隣接して居住するとき、そこに軋轢が生まれるのは、自然なこととも理解することもできる。逆に、隣人として、仲よくすることもできる。この人間というものの複雑さに直面せざるをえなくなる。ただ、あいつが悪いからだ、と特定の人物を否定的に語ればいいということではない。
昔なら、せいぜい、棍棒でなぐりあうぐらいのことしかできなかったものが、現在では、機関銃でなぎはらうことができるようになった……ということはあるだろう。
今の番組で、サヘル・ローズが登場して語るのは、適役かと思う。その言っていたこととして、自分自身のなかにも、憎悪の感情があることを否定できない、と言っていた。こういう言い方は希である。これは、普通の日本の(というしかないが)コメンテーターだったら、一般的なヒューマニズムで論じて、憎悪はいけないことだと言うしかない場面である。
素朴なヒューマニズムの感情と、憎悪の感情が、一人の人間のなかに同居することがある、これが人間というものなのである。理想的に、憎悪の連鎖を断ち切れば、というだけではすまないのが、人間が生きてきた歴史であり、現在の世界の有様である、と考えるべきである。こういう問題を語るときに問われるのは、理想だけを語ることではなく、現実を見つめて人間とはどういうものなのかということへの洞察でなければならない。人間のうちにある憎悪の感情をみとめるところからしか(同時に博愛の精神もあるのだが)、現実的に意味のあることは何であるのか、想像し構想することはできない。
人間は、ときとして運命を甘受しなければならないときもある……こう思うことは、残酷なことかもしれないが、この人間の世界とはこういうものだと、私は思うことになる。
やはり思うことは、旧ユーゴスラビアを、多民族共生の理想国家として賞賛していた人たち(日本における、いわゆる革新、リベラルという人たち)の欺瞞である。いや、それを欺瞞と思うことさえなかったかもしれないと、今になると思うことになる。池上彰も、こういうことは十分に分かっているはずだが、この番組としては、そこを語ることはできないであろう。
2025年8月30日記
時をかけるテレビ 隣人たちの戦争〜コソボ・ハイダルドゥシィ通りの人々〜
オリジナルは、1999年の放送。
コソボのこのエリアの人びとについては、NHKのBSスペシャルで、その後のことを、今年になってから放送している。それを見たときに思ったことを書いた。再掲載しておく。
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BSスペシャル「隣人たちの戦争 〜憎しみの通り “敗者”の25年〜」
2025年5月1日 當山日出夫
BSスペシャル 隣人たちの戦争 〜憎しみの通り “敗者”の25年〜
録画してHDに残っていたのをようやく見た。
コソボ紛争については、あまりはっきりとした記憶がない。NATOによる空爆の是非をめぐって、いろいろと議論のあったことは憶えている。だが、そもそもの旧ユーゴスラビアの崩壊と、その後のさまざまな紛争については、はっきりいってややこしすぎて、よく分からないというのが実際である。
しかし、私の年代として、はっきりと記憶していることは、昔のユーゴスラビアという国は、日本の一部の知識人(左翼といってもいいと思うが)からは、絶賛されていた国であったことである。特に、チトー大統領は、すぐれた政治指導者として、ユーゴスラビアの政治が、多民族共生(今のことばでいえば)の見本のように語られていたことである。それが、幻想であったことが、冷戦終結後の特にユーゴスラビアの崩壊をめぐって起こったことである、というのが、まず私が思うことになる。
コソボ紛争までは、隣人同士が異なる民族であっても仲よく生活していた……ということで番組は作ってあったのだが、まず、このあたりの前提からすこしひっかかるところがある。仲よく暮らせたのは、仲がよかったからである……というような同語反復的な説明でしかないように思える。
ここは、異なる民族どうしが、なぜそれまで仲よく生活できていたのか、歴史的経緯の説明がほしいところなのだが、おそらく番組の作り手としては、ここの部分は意図的にカットしているのだろうと思う。
私として思うことは、普通に生活している普通の人びとが、状況によっては、どれほど残虐になりうるのかという、これ自体としては、世界の歴史のなかでいくらでもおこってきた、ありふれたことの一つということで理解することになる。(だから、残虐行為が正当化されるということはないのだけれど。)
NHKの番組の作り方として、憎悪の連鎖、という部分をできるかぎり描かない、ということがあるのだろうとは思う。どうしても、こういう部分のバイアスのかかった番組として見ることになる。(これはこれで、一つの偏見だろうとは思うのだけれども。)
映像を見ていれば、アルバニア系の人びとがイスラムの信仰をもつ人びとであることは分かる。だが、番組のなかで、イスラムということばはまったく使っていなかった。登場していた人が、神、ということばをつかってはいたが、それが、どういう神なのか(どういう信仰にもとづくものなのか)、説明はなかった。そういう方針で作ったことは理解できるつもりではいるが……民族対立、宗教対立ということを言いたくない…、しかし、これはフェアではないという印象がどうしてもある。
民族の対立、宗教の対立を、(強いて言えば)押さえ込んでいた、隠していたのが、かつての旧ユーゴスラビアの国家ということになるのかもしれないが、だからといって、社会主義国家の方がすばらしいとはいえない……だが、こういうことにまったくふれないでいるというのも、どうかなと思わざるをえない。
2025年4月25日記
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過去の放送を見て思うことがいつつかある。
1999年の放送では、イスラム、ということをはっきり言っていた。しかし、現在になると、イスラムということばを避けている。おそらく意図的に使わなかったのだろう。また、民族、ということばも、昔はつかっていたが、現在では避けている。このあたりが、この問題をあつかうややこしさの一つだろうと思う。
民族や宗教による対立、ということを避ける立場で描くならば、世界における紛争のかずかずをどう考えるか、枠組みを失ってしまうと思えるのだが、逆に、単純に民族や宗教の対立に還元できない、その他のいろんな要因がある、ということになる。
コソボの紛争の特徴(?)は、組織的な指導者がいないこともある。現在の、ロシアのプーチン大統領とか、イスラエルのネタニヤフ首相とか、リーダーであると同時に、批判する側からすれば、ヒトラーに擬することができるような存在がいない。
つまり、異なる民族や宗教が隣接して居住するとき、そこに軋轢が生まれるのは、自然なこととも理解することもできる。逆に、隣人として、仲よくすることもできる。この人間というものの複雑さに直面せざるをえなくなる。ただ、あいつが悪いからだ、と特定の人物を否定的に語ればいいということではない。
昔なら、せいぜい、棍棒でなぐりあうぐらいのことしかできなかったものが、現在では、機関銃でなぎはらうことができるようになった……ということはあるだろう。
今の番組で、サヘル・ローズが登場して語るのは、適役かと思う。その言っていたこととして、自分自身のなかにも、憎悪の感情があることを否定できない、と言っていた。こういう言い方は希である。これは、普通の日本の(というしかないが)コメンテーターだったら、一般的なヒューマニズムで論じて、憎悪はいけないことだと言うしかない場面である。
素朴なヒューマニズムの感情と、憎悪の感情が、一人の人間のなかに同居することがある、これが人間というものなのである。理想的に、憎悪の連鎖を断ち切れば、というだけではすまないのが、人間が生きてきた歴史であり、現在の世界の有様である、と考えるべきである。こういう問題を語るときに問われるのは、理想だけを語ることではなく、現実を見つめて人間とはどういうものなのかということへの洞察でなければならない。人間のうちにある憎悪の感情をみとめるところからしか(同時に博愛の精神もあるのだが)、現実的に意味のあることは何であるのか、想像し構想することはできない。
人間は、ときとして運命を甘受しなければならないときもある……こう思うことは、残酷なことかもしれないが、この人間の世界とはこういうものだと、私は思うことになる。
やはり思うことは、旧ユーゴスラビアを、多民族共生の理想国家として賞賛していた人たち(日本における、いわゆる革新、リベラルという人たち)の欺瞞である。いや、それを欺瞞と思うことさえなかったかもしれないと、今になると思うことになる。池上彰も、こういうことは十分に分かっているはずだが、この番組としては、そこを語ることはできないであろう。
2025年8月30日記
100年後も、旅に出る。「大阪編1」 ― 2025-09-03
2025年9月3日 當山日出夫
100年後も、旅に出る。「大阪編1」
テレビの番組表を見ていて、たまたま目にとまったので録画しておいた。かなり面白かったのだが、こういう内容なら、「小さな旅」でやってもいいだろうし、新世界とか通天閣あたりのことなら、「ドキュメント72時間」でも面白いものがつくれるかもしれない(もう、とりあげたのかとも思うが。)
大阪の新世界、それから、天王寺公園のあたりが、昔の博覧会の跡地利用であった。(さて、日本で近代になってから、いっぱい博覧会が開かれてきたのだが、それがその後の跡地利用としては、どうなったかという研究とか調査はあるのだろうか。これは、たぶん、とても面白いと思う。1970年の大阪万博の跡地には、公園と国立民族学博物館ができているし、愛地球博の跡地には公園とジブリパークがある。明治の京都の博覧会の跡地は、平安神宮になったはずである。)
健全な娯楽とか、庶民の歓楽街、ということで作ったことになるが、しかし、時代のことを考えると、その一歩裏には、かなりいかがわしい商売があったとしてもおかしくはない。いや、昔は、娯楽とか遊びの範囲が、現代とは違っていたということで考えなければならないだろう。
新世界の商店街に、100年以上つづく店が数軒残っているのは、たくさん残っているというべきか、これだけしか残らないというべきか。だが、残っている店は、それなりに面白い。
店の天井からザルがさげてあって、中にお金がいれてあって、それで会計をしていた。こんなのは、私の子どものころであれば、普通のことだったが、いつのまにか姿を消した。今では、多くの店が、商品のバーコードを読みとっての決済になっている。この方が、商品の管理がやりやすいことはたしかである。それにキャッシュレス決済になれば、面倒なことははぶける。合理的になるとはいえるだろうが、昔ながらのザル方式も、ある意味では、便利である。ごまかしやミスさえなければ、ザルの中の現金がすべてということになる。
コロッケを買って、店頭で立ちながら食べる、このような光景は、今では珍しいものではなくなっているが、これも、新しい日本の生活のスタイルの一つかもしれない。(私の記憶としては、立ちながら、歩きながら、ものを食べるというのは、お行儀の悪いことの一つだった。)
下駄を買っていくのが、外国人が多いというのは、今の時代である。
澤野工房JAZZのCDは、今では、(当然ながら)オンラインで買うことができる。店内の机の上にあったのは、Bang & Olufsen かなと思って見ていたのだが、とっても音に凝っていることは分かる。
ヨーロッパの洗練されたジャズと、大坂の新世界の下駄屋さんが、同居しているというのは、なんとも奇妙な感じがしなくはないが、しかし、世の中とはこんなものだという気もする。
柏原が葡萄の産地(デラウェア)であり、それを使ってのワイン造りというのは、面白い。地場産業として、やっていけるのだろう。ただ、葡萄の栽培のコストが問題かもしれないが。
それよりも、番組のなかで少しだけ言っていたこととして、この柏原のあたりが、江戸時代には、木綿産地として栄えた地域であった。河内木綿ということばで残っている。明治になって輸入品におされて姿を消したということだが、これは、おそらくは英国製品なのだろうか。大英帝国の世界貿易の支配が、大坂のこの地域の人びとのくらしに影響していたことになる。
2025年8月29日記
100年後も、旅に出る。「大阪編1」
テレビの番組表を見ていて、たまたま目にとまったので録画しておいた。かなり面白かったのだが、こういう内容なら、「小さな旅」でやってもいいだろうし、新世界とか通天閣あたりのことなら、「ドキュメント72時間」でも面白いものがつくれるかもしれない(もう、とりあげたのかとも思うが。)
大阪の新世界、それから、天王寺公園のあたりが、昔の博覧会の跡地利用であった。(さて、日本で近代になってから、いっぱい博覧会が開かれてきたのだが、それがその後の跡地利用としては、どうなったかという研究とか調査はあるのだろうか。これは、たぶん、とても面白いと思う。1970年の大阪万博の跡地には、公園と国立民族学博物館ができているし、愛地球博の跡地には公園とジブリパークがある。明治の京都の博覧会の跡地は、平安神宮になったはずである。)
健全な娯楽とか、庶民の歓楽街、ということで作ったことになるが、しかし、時代のことを考えると、その一歩裏には、かなりいかがわしい商売があったとしてもおかしくはない。いや、昔は、娯楽とか遊びの範囲が、現代とは違っていたということで考えなければならないだろう。
新世界の商店街に、100年以上つづく店が数軒残っているのは、たくさん残っているというべきか、これだけしか残らないというべきか。だが、残っている店は、それなりに面白い。
店の天井からザルがさげてあって、中にお金がいれてあって、それで会計をしていた。こんなのは、私の子どものころであれば、普通のことだったが、いつのまにか姿を消した。今では、多くの店が、商品のバーコードを読みとっての決済になっている。この方が、商品の管理がやりやすいことはたしかである。それにキャッシュレス決済になれば、面倒なことははぶける。合理的になるとはいえるだろうが、昔ながらのザル方式も、ある意味では、便利である。ごまかしやミスさえなければ、ザルの中の現金がすべてということになる。
コロッケを買って、店頭で立ちながら食べる、このような光景は、今では珍しいものではなくなっているが、これも、新しい日本の生活のスタイルの一つかもしれない。(私の記憶としては、立ちながら、歩きながら、ものを食べるというのは、お行儀の悪いことの一つだった。)
下駄を買っていくのが、外国人が多いというのは、今の時代である。
澤野工房JAZZのCDは、今では、(当然ながら)オンラインで買うことができる。店内の机の上にあったのは、Bang & Olufsen かなと思って見ていたのだが、とっても音に凝っていることは分かる。
ヨーロッパの洗練されたジャズと、大坂の新世界の下駄屋さんが、同居しているというのは、なんとも奇妙な感じがしなくはないが、しかし、世の中とはこんなものだという気もする。
柏原が葡萄の産地(デラウェア)であり、それを使ってのワイン造りというのは、面白い。地場産業として、やっていけるのだろう。ただ、葡萄の栽培のコストが問題かもしれないが。
それよりも、番組のなかで少しだけ言っていたこととして、この柏原のあたりが、江戸時代には、木綿産地として栄えた地域であった。河内木綿ということばで残っている。明治になって輸入品におされて姿を消したということだが、これは、おそらくは英国製品なのだろうか。大英帝国の世界貿易の支配が、大坂のこの地域の人びとのくらしに影響していたことになる。
2025年8月29日記
ワールド・トラックロード 〜俺の助手席に乗らないか〜「オーストラリア編」 ― 2025-09-03
2025年9月3日 當山日出夫
ワールド・トラックロード 〜俺の助手席に乗らないか〜 オーストラリア編
再放送である。最初は、2023年1月2日。
録画しておいて、朝の早い時間に、ゆっくりと見た。
こういう番組を見るときは、あまりものを考えないようにしているのだが、それでも、見ながらいろいろと思うことがある。
まず、当たり前のことなのだが、オーストラリアでは、自動車が道の左側を走る。(テレビなど見ていて、自動車が走る場面があると、道の左右のどちらを走っているか、気になる。オーストラリアで、道の左を走るというのは、大英帝国の名残、ということなのだろう。)
それにしてもトラックが大きい。移動のルートを見ると、内陸をトラックで運ぶよりも、船で運んだ方がいいようにも思えるのだが、陸上輸送をするには、それなりの理由があるのだろう。
道は二車線。四車線の道は映っていなかった。しかし、ほとんどまっすぐの道が多いし、交通量も少ない。対向車など、ほとんどいない。
トラックは、ゆっくりと走るので、追い越したい自動車(これもトラック)とは、無線で交信するらしい。いったいどういうシステムになっているのだろうか。
ゆっくり走っているとはいっても、一日の走行距離が1000キロ近くになる、というのは、とてつもない距離だという印象である。いくら信号で止まることがないような道ばかりとはいえ、一日にいったい何時間運転しているのだろうか。(今の日本だったら、法令違反になりそうである。)
道の途中でカメを見つけるシーンは、面白かったが……このとき、画面を見ていると、鉄道の線路があって、それを横切っている。日本のルールだと、絶対に一旦停止となるところだが、だだっぴろい見通しのいいオーストラリアでは、こういうことは気にしなくていいということなのだろうか。
距離の表示や表現が、「キロ」と「マイル」が混在している。英米圏だと、マイル、が一般的なのかなと思うが、メートル法も使っている。自動車のメーター類は、どちらの表示なのだろうか。
軽油の値段が高い。2023年の放送だから、ちょっと前のことになるが、日本での価格にくらべると、かなり高い。1リットル、220円、であった。
空の風景がとてもいい。青い空に白い雲があるだけなのだが、それがどこまでもつづく道の向こうに見える。
運転手の男性は、高校を卒業して、運転手の仕事についたらしい。結婚して、子どもが二人いて、自分の家がある。こういうのは、今の先端的な価値観からすると、個人の自由を束縛するものとしての、結婚制度であり家族であると否定的に見なされることが多いのだが、しかし、こういう番組のなかで、こういう人たちのくらしを見るということになると、昔ながらの(厳密にはこれも問題はあるのだが)こういう人びとの生活は、とても貴重なことに思える。このような働く人たち……ブルーカラーということになるが……が、充足して生活をおくれる世の中が、できれば残して継承していきたいもの、と思うことになる。
2025年8月31日記
ワールド・トラックロード 〜俺の助手席に乗らないか〜 オーストラリア編
再放送である。最初は、2023年1月2日。
録画しておいて、朝の早い時間に、ゆっくりと見た。
こういう番組を見るときは、あまりものを考えないようにしているのだが、それでも、見ながらいろいろと思うことがある。
まず、当たり前のことなのだが、オーストラリアでは、自動車が道の左側を走る。(テレビなど見ていて、自動車が走る場面があると、道の左右のどちらを走っているか、気になる。オーストラリアで、道の左を走るというのは、大英帝国の名残、ということなのだろう。)
それにしてもトラックが大きい。移動のルートを見ると、内陸をトラックで運ぶよりも、船で運んだ方がいいようにも思えるのだが、陸上輸送をするには、それなりの理由があるのだろう。
道は二車線。四車線の道は映っていなかった。しかし、ほとんどまっすぐの道が多いし、交通量も少ない。対向車など、ほとんどいない。
トラックは、ゆっくりと走るので、追い越したい自動車(これもトラック)とは、無線で交信するらしい。いったいどういうシステムになっているのだろうか。
ゆっくり走っているとはいっても、一日の走行距離が1000キロ近くになる、というのは、とてつもない距離だという印象である。いくら信号で止まることがないような道ばかりとはいえ、一日にいったい何時間運転しているのだろうか。(今の日本だったら、法令違反になりそうである。)
道の途中でカメを見つけるシーンは、面白かったが……このとき、画面を見ていると、鉄道の線路があって、それを横切っている。日本のルールだと、絶対に一旦停止となるところだが、だだっぴろい見通しのいいオーストラリアでは、こういうことは気にしなくていいということなのだろうか。
距離の表示や表現が、「キロ」と「マイル」が混在している。英米圏だと、マイル、が一般的なのかなと思うが、メートル法も使っている。自動車のメーター類は、どちらの表示なのだろうか。
軽油の値段が高い。2023年の放送だから、ちょっと前のことになるが、日本での価格にくらべると、かなり高い。1リットル、220円、であった。
空の風景がとてもいい。青い空に白い雲があるだけなのだが、それがどこまでもつづく道の向こうに見える。
運転手の男性は、高校を卒業して、運転手の仕事についたらしい。結婚して、子どもが二人いて、自分の家がある。こういうのは、今の先端的な価値観からすると、個人の自由を束縛するものとしての、結婚制度であり家族であると否定的に見なされることが多いのだが、しかし、こういう番組のなかで、こういう人たちのくらしを見るということになると、昔ながらの(厳密にはこれも問題はあるのだが)こういう人びとの生活は、とても貴重なことに思える。このような働く人たち……ブルーカラーということになるが……が、充足して生活をおくれる世の中が、できれば残して継承していきたいもの、と思うことになる。
2025年8月31日記
謎解きドキュメント ツイセキ「“消えた”西郷写真」 ― 2025-09-04
2025年9月4日 當山日出夫
たまたまテレビの番組表で見つけたので録画しておいた。
歴史番組として見れば、穴だらけで粗雑なつくりとしかいいようがないが、いくつか面白いとこともあった。
まず、なぜ、西郷隆盛の写真が残っていないのか、この謎を提示したことである。たまたまそうなっているだけなのか、意図的ななにかがあったのか、かなり想像をふくむことにはなるが、考える価値はあるかもしれない。
鹿児島の小学校に残っていた、明治時代の記録文書。これは貴重である。はっきりいって、西郷隆盛の写真のことなんかよりも、この文書をきちんと分析して紹介してくれた方が、よっぽど歴史の番組としてはいいものになっただろう。(あるいは、すでに、この史料は、研究されているということなのだろうか。)
山形の庄内のある村落では、かなりの家に、西郷隆盛の肖像画が飾ってある。これは、日本の近代における、「西郷隆盛」の受容、という視点から、とても興味深い。
また、村の倉庫にあった明治のころの写真。これは、古写真の専門家には、知られている史料なのだろうか。そうであるならば、もうちょっときちんとした保存の手立てを考える必用のある史料だと思う。
2025年8月13日記
たまたまテレビの番組表で見つけたので録画しておいた。
歴史番組として見れば、穴だらけで粗雑なつくりとしかいいようがないが、いくつか面白いとこともあった。
まず、なぜ、西郷隆盛の写真が残っていないのか、この謎を提示したことである。たまたまそうなっているだけなのか、意図的ななにかがあったのか、かなり想像をふくむことにはなるが、考える価値はあるかもしれない。
鹿児島の小学校に残っていた、明治時代の記録文書。これは貴重である。はっきりいって、西郷隆盛の写真のことなんかよりも、この文書をきちんと分析して紹介してくれた方が、よっぽど歴史の番組としてはいいものになっただろう。(あるいは、すでに、この史料は、研究されているということなのだろうか。)
山形の庄内のある村落では、かなりの家に、西郷隆盛の肖像画が飾ってある。これは、日本の近代における、「西郷隆盛」の受容、という視点から、とても興味深い。
また、村の倉庫にあった明治のころの写真。これは、古写真の専門家には、知られている史料なのだろうか。そうであるならば、もうちょっときちんとした保存の手立てを考える必用のある史料だと思う。
2025年8月13日記
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