『あんぱん』「ぼくらは無力だけれど」2025-09-07

2025年9月7日 當山日出夫

『あんぱん』「ぼくらは無力だけれど」

このドラマは、面白くないというレベルをこえて、有害である、と言ってもいい。

金曜日に屋村(やむおんちゃん)が言った科白は、どうしても気になる。屋村は、たまたまカナダにパン職人の修行にいって、たまたま戦争に行って、ひどいめにあった、国とか戦争とかにふりまわされるのは御免である、それからは、根無し草である……という意味のことを言っていた。

第一次世界大戦のときに、カナダが軍をおくり、それに、カナダ移民の日系人も加わったことは史実である。大英帝国の一員であるカナダとしては、そうすることになっただろう。だが、この戦争に、日系人が加わったのは、また別の理由がある。移民したカナダで、偏見と差別に苦しめられる生活のなかで、自分たちがカナダの市民(あるいは国民といっていいだろうか)であるということを証明するために、従軍することになった、と理解している。ただ、ふらりと好奇心で外人部隊に参加したというようなことではないはずである。(同様のことは、太平洋戦争のときの、アメリカ軍に志願した日系人部隊の活躍として、今も記憶されていることである。)

このドラマにおける屋村の科白は、カナダ移民であった日系人の気持ちについて、冒瀆であると、私は感じる。カナダにわたり、そこで生活し、その国で国民としてみとめられたいと思うことは、それがたとえ戦争に行くことであっても、つまらない、くだらないとして、簡単に否定していいことなのだろうか。少なくとも、カナダにわたった先人たちへのなんらかのリスペクトは必要であると、私は考える。

このあたりは、屋村の年代で戦争に行った経験があるとすると、シベリア出兵ぐらいが妥当かもしれないが、これは出したくないというNHKの考えがあってのことかもしれない。日本の近代史にとっては、あまり表向きに語りたくない部分であるかとも思うし、また、これにふれると、現在のロシアとの関係で問題ともなりかねない。さらには、尼港事件ということもどうしても出てくるだろう。

なぜ、これほどの無理な設定をして、屋村を戦場に行かせたかったのか、その必然性が納得できない。屋村が乾パンが嫌いだということを言わせるためだけだったとしたら、あまりにも脚本として、歴史への想像力が無さすぎる。

そもそも、(第二次世界大戦、太平洋戦争ではなく)大正時代の第一次世界大戦に従軍した経験のある人物が、昭和40年代まで生きていて、現役で働いているという設定も、かなり無理があるだろう。

嵩は、週刊誌の漫画の懸賞に応募する。そして、一位になる。これは、史実をなぞったものなのだが、その背景の描き方が雑である。嵩の描いた「ボウ氏」は、どうみても、手塚治虫(ドラマの中では手嶌治虫)とは方向性がまったく異なっている。この時代(昭和40年代のはじめごろ)の漫画の世界がどんなであったか、まったく説明のないままに、懸賞漫画のことになっても、意味が分からない。

漫画が子どもむけの読み物としてあった一方で、大人向けの、はっきりいえば性的な描写を多くふくむ漫画もあった。この時代、いろんな漫画があったと思うが、嵩は、どのようなものを目指して、自分は漫画家であり、代表作がほしいと、思っていたのだろうか。

漫画の歴史を語るとき、『ガロ』は避けることはできないはずである。この創刊は、1964年(昭和39年)である。ドラマの中で、嵩が仲間の漫画家たちから仲間はずれにされていたとあったが、ここは、もうすこし踏み込んで、この時代は、漫画は、どんな読者がいて、どんな漫画家がいて、どんなメディアがあって、そして、世間からの評価はどうだったのか、ということを描いておくべきことだと思えてならない。

今でこそ、日本のマンガは、世界に誇る日本のカルチャーであるが、この時代は、そんなことはなかった。世の中の良識ある人たちからは、軽蔑され、悪書あつかいされていた。せいぜい、子どもが読むものとしてならかろうじて認める、ぐらいであった。だからこそ『ガロ』の存在意義が歴史的にあることになる。

手塚治虫の「鉄腕アトム」はアニメ化されて、子どもたちに人気であったことはたしかである。しかし、その手塚治虫の『千夜一夜物語』は、きわめて世評が悪かった。その性的描写がきびしく批判された。

しかし、その『千夜一夜物語』に、やなせたかしがかかわっていたのは史実であり、ドラマで嵩が手嶌と協力するのは、そのとおりだということになる。であるならば、その時代的背景として、この時代の漫画が世の中でどんなふうに見られていたのか、その時代の中で、漫画家であろうとした嵩は、自身はどんな漫画を描きたいと思っていたのか、説明的な部分があってもいいところである。また、週刊誌の懸賞は、漫画とはどうあるべきだという理念のもとに企画されたのか、これも説明がほしいところである。(手塚治虫でもない、また、貸本漫画でもない、新しいものを探っていたということだろうか。)

嵩にとって、のぶはどういう存在なのだろうか。柳井の家の専業主婦ということなら、嵩の仕事場には基本的に行かないだろう。そうではなく、事務的な仕事、仕事のマネージャー的なことをしているということなら、そのように描いてあるべきである。いったいどういう立場で、嵩と一緒にいるのか、よく分からない。

もちろん、これをかねそなえている存在であってもいいのだが、それならそれで、主婦であると同時に嵩のマネージャーとして仕事もするという覚悟が見られない。これまで、学校の教師としても、議員の秘書としても、会社勤め(社長の秘書だったと思うので、普通の女性社員とは立場が異なっていたはずだが)も、なんにもなれなかったと、嘆いていて、その結果、なにになろうとしたのか。嵩の家の主婦ということでいいのか、仕事の手伝いをするのか、その判断が見えていない。

手嶌治虫の仕事場に、男女禁制、と書いた紙が貼ってあって、仕事場には誰も入れたことがないと言っていた。そして、これは、同じ漫画家である嵩なら分かるでしょ、とも言っていた。手嶌治虫にこう言わせるのいいのだが、それなら、中目黒の長屋住まいのときに、嵩の仕事場をどうするのがいいか、今のままでいいのか、隣のアパートの一室でも使うことはできないのか、というような話しがあってもいいはずだが、それはまったく無かった。漫画家であるだけでなく、その他の仕事もこなしていた嵩ならば、自分の仕事場は、絶対に確保しないといけないと思える。

漫画家のような仕事をする人間にとって、仕事場を確保するコストは、収入とのバランスで、最優先に考えるべきことだろう。少なくとも、一般にそうであろうと、私は思う。

そうでないとするならば、のぶと話し合って、いや今のままでいい、という科白ぐらいあってしかるべきである。

自分の仕事場があるかないか、そこがどんな部屋なのか、漫画家、絵を描く仕事にとって、照明や採光は、重要な部分である。こういうことまで、嵩はすっかりのぶにまかせっきりだったということなのだろうか。それならそれでいいのだが、これまでに、嵩をそのような漫画家として、のぶとの関係を、描いてあるべきだったと思える。

言うまでもないと思うのだが、のぶが実際のモデルのとおりだとすれば、大正時代の生まれである。昭和40年代になれば、年齢として40~50才ぐらいである。しかし、ドラマを見ていても、とてもその年齢を感じさせない。元気に石段を駆け上がっている。元気なのはいいことなのだが、その年齢の女性としての動きが(それらしさ)がまったく感じられない。女学生のころと同じように階段を駆け上がっている。年齢を体のうごきで表現する演技というのは、今の役者には無理なことなのだろうか。

2025年9月5日記

『チョッちゃん』(2025年9月1日の週)2025-09-07

2025年9月7日 當山日出夫

『チョッちゃん』(2025年9月1日の週)

この週もいろんなことがあり、印象的な場面があった。

雅紀が敗血症になる。病院に入院する。結局、雅紀は助からないのであるが、こういうときに、この時代の人としては、このように感じただろうということが、しっかりと伝わってくる。担当医の判断としては、もう無理だとは言えないし、治療の可能性がある以上、病院にとどまることをすすめる。それに対して、蝶子は、雅紀を家に連れて帰りたいという。

現代であれば、終末期医療についてのいろんな議論の蓄積があり、戦時中のこの時代とは、また、別の考え方や治療法があるだろう。しかし、この時代において、雅紀を家に連れて帰るという蝶子の判断は、最大限の母親としての思いであったことになる。

雅紀が死んだ後のこととして、蝶子と要が、ボールを居間の食卓の上でころがして、お互いの間を行き来させる場面が印象的だった。このとき、蝶子も要も無言だった。余計な科白はいらない場面である。

要に召集令状が来る。先週の放送では、頼介が戦地に赴いていた。また、すでに夢助も応召し、さらに、連平も召集される。このドラマのいいところは、これらの人物の気持ちを、それぞれに個別に、この人物としてはこう思うのだろう、ということを感じさせる描き方になっているということである。ことさら、徴兵を悲劇的な色で一色に描くということをしていない。それぞれの人物に、それぞれの思いがあったという、ごく当たり前のことを、分かりやすく描いている。その背景には、これまでの放送で、それぞれの人物が、どんな人生をあゆんできたかがしっかりと描写されているからこそのことでもある。

入営の前の日、蝶子は要に、洗濯の仕方とボタンの付け方を教える。この回は、ほとんどこれだけの内容であったが、見ていると実にしみじみと、二人の人生のこれまでが思い出される描き方であった。

洗濯板を使って洗濯する(昭和の戦後になって、電気洗濯機が普及するまで、日本中どこでもみんなそうだった)のだが、この動作を教えるとき、要が、冬は冷たいだろうね、と言っていた。これまで、バイオリンを演奏するしかやったことのない要である。家事は蝶子にまかせっきりであったので、洗濯などしたことがない。だから冬の水の冷たさ、洗濯の苦労を知らない。それにようやく気づいたことになる。蝶子は、それに対して、南方ならね、と言う。今のドラマなら大げさに表現するところかもしれないが、さらりとした科白で言っていただけだった。とても深刻な内容になるところだが、日常的な普通のさりげない会話で表現している、それだけである、というのが、このドラマのいいところである。

それを実際に洗濯板での洗濯の練習をしながら、ボタンを付ける仕事をしながら、普通に会話している。

こういうさりげなさとして気づいたこととして、雅紀の病室を見舞いに、泰輔おじさんと神谷先生が一緒に訪れるのだが、このとき、泰輔おじさんが、ちょうどそこで一緒になってね、と言っていた。雅紀の見舞いに、泰輔おじさんや神谷先生が来るのは当然だと思うが、それでも、同時に病室に登場するときに、その偶然であったことを、一言の科白で、必然的なものしている。二人とも、雅紀の病状が気になっているからこそ起こった偶然を、うまく説明して、ドラマの中でそこにその登場人物がいることに無理を感じさせない。こういう巧さが、このドラマの随所にある。

要の入営の場面、家を出る場面は、多くのドラマに描かれてきたことなのだが、要ならこういうときにこう思うだろう、蝶子ならこう思うだろう、ということが丁寧に描かれていたと感じる。ワンパターンでステレオタイプになりがちな場面ではあるが、そこに登場人物の個性と人生が見てとれる。

入営して後の面会のとき、品川駅に行って見送りのとき、この時代、こういうこともあったろうと感じられる。(ただ、駅のホームで兵隊が小銃(三八式歩兵銃)を持っているだろうかということは、ちょっと気になったが。)

要がいなくなって、蝶子は、次男の俊継にバイオリンの練習をさせる。どういう思いで、俊継にバイオリンを練習させるのか、いろんな感情があってのことかと思う。雅紀が死んで、要の音楽を継承できるのは俊継しかいない、ということもあるだろう。あるいは、バイオリンの音を聞くと要を思い出すから、聞きたくないという思いもあるかもしれない。こういう錯綜した思いがあったかと感じられる。

これも蝶子は、手で裁縫をしながら、俊継の横に座って、話しをしている。こういう、ある動作(家事など)をしながら科白を言うという演出が、ドラマの画面の中で、ごく自然な日常の動作としてある。

千駄木の野々村の家で、神谷先生が、自分にもいつ召集令状が来てもおかしくない、と言うのだが、このことを、加津子とあやとりをしながら話している。とても深刻な話題であるにちがいないが、人間というものは、こういうときに、何か手を動かしながら、体を動かして何かしながら、話したくなる、いや、そうでなければうかうかと口にだせない……こういうところがある。こういう人間の日常的な心のあり方を、このドラマはうまく画いている。

滝川の父(俊道)危篤だと連絡がある。この週の初め、雅紀が敗血症と診断されたとき、蝶子は滝川に電話で知らせている。そのとき、父親の俊道は、家の中にあった医学の本を開いて、敗血症のところを読んでいた。これは、田舎の年老いた医者の姿として、非常に納得のいく場面だった。このとき、俊道は自分の体調のすぐれないことを言っていたが、おそらくは、自分が病気であることを分かっていたかと思わせるようになっていた。

戦地に行った要から葉書が来る。それは、検閲済みの軍事郵便であることが、はっきりと映してあった。これは、この時代として当たり前のことなのだが、それをしっかりと映すことによって、兵隊として戦地に行ってしまった要ということを、感じることになっている。

邦子が小麦粉や砂糖を持ってくる。蝶子と何か作ろうとして、そこにはるが加わる。ちょうどニワトリが卵を産んだので、それが一個あった。この一個の卵で、蝶子と邦子とはるが、にぎやかにお菓子を作ろうとする。たった卵の一個で、幸せそうに話す女性たちの姿に、この時代を感じることになる。だが、同時に、蝶子と邦子は女学校を出ているのに、はるは女学校に行っていないという、この時代にあって、どうしようもなかった社会階級の現実も描いている。

北海道の滝川とはいえ、蝶子は医者の娘であったし、邦子は呉服屋の娘だった。はるは、おそらく東京生まれなのだろうが、建具職人の音吉の女房としては、女学校出ではない。こういう時代の現実を、ごまかすことなく描いている。これは、安乃のことや、その兄の頼介についてもいえることである。

俊継がバイオリンの練習をするのを見て、音吉が、バイオリンに触らせてくれという。ここも、建具職人の音吉にしてみれば、たまたま家の向かいに岩崎一家がひっこしてきて、要がバイオリンを弾く人であったから、バイオリンを耳にすることになったが、そうでなければ、まったくバイオリンなど縁もゆかりもない人生だったかもしれない。今の概念でいえば、文化資本の違い、ということを、冷酷な現実ではあるのだが、ごまかすことなくドラマの中で描いているということになる。

そこに連平が現れて、バイオリンを弾きながら、自分にも赤紙が来たという。これは、いかにも、連平らしい。

週の最後で、北海道に向かう列車の蝶子は、疲れた顔であるし、不安な顔でもあった。夫が出征し子どもたちと銃後に残された30代の女性という雰囲気があった。

2025年9月6日記

『とと姉ちゃん』「常子、出版社を起こす」「常子、花山の過去を知る」2025-09-07

2025年9月7日 當山日出夫

『とと姉ちゃん』「常子、出版社を起こす」「常子、花山の過去を知る」

この週の放送を見て、印象に残るのは、金曜日の回。バラックのコーヒー店で、花山が常子に話しをするシーン。このとき、花山はコーヒーをいれる一連の動きをしながら、話しをしている。このような場面は、このごろあまり見ないと思って見た。昼に『あんぱん』の昼の再放送と続けて見ることが多いのだが、見比べると、なにか仕事をしながら、動作をしながら、科白を言うという場面がない。演出や演技としては、リハーサルに時間はかかるかもしれないが、それほど難しいことなのだろうか。人間は、何か話しをするとき、体を動かしながら話しをする、ということは自然なことだと思うのであるが。例えば、歩きながら話しをする、現代なら自動車を運転しながら話しをする、など。

金曜日の『チョッちゃん』では、神谷先生が、自分も徴兵されるかもしれないという、かなり深刻な話題を、加津子とあやとりをしながら話している。人間とは、こういうものだと思う。深刻な話しほど、何か体を動かしながらしたくなる。

常子がコーヒー店に忘れた財布に住所が書いてあって、花山はそれをたよりに家をたずねる。どうやら、常子たち一家は、目黒区目黒のあたりに住んでいたらしい。だいたい、今もある大鳥神社の近くと考えていいだろう。

『戦中派不戦日記』(山田風太郎)を読むと、戦争中、目黒で住んでいた山田風太郎の体験として、昭和20年3月10日の東京の空襲のときのことが書いてある。目黒でも、空が明るくなって、夜にもかかわらず新聞が読めた、とある。たしか、常子たちは、東京大空襲で下町エリアが壊滅的な被害を受ける前に、目黒の方に引っ越してきた。それで、難を逃れたという設定だったと思う。だが、深川の青柳の家や森田の家は、無くなってしまった。3月10日、東京の空が明るかったというような描写でもあると、ドラマとして説得力が増すと、私は思う。そして、このことは、焼夷弾のもとで逃げ惑った人たちのことに繋がり、花山のことばと繋がることになる。

ただ、戦時中の人びとが、全員、焼夷弾を消そうとしたばかりではなかったということ、逃げた方がいいという判断をしたことは、最近出た本であるが、『荷風と昭和』(川本三郎)を読むと書いてある。

また、目黒のあたりも空襲の被害があった。向田邦子は、祐天寺のあたりに家があって、空襲のときのことを、書き残している。幸い、向田邦子の家だけは助かった。目黒区の目黒から祐天寺なら、歩いていける距離である。(学生のとき、目黒区目黒に下宿していたので、このあたりは知っている。)

花山は、8月15日に、自分がまちがったことをやってきたことに気づいたと語っていた。この主張に賛成できるかどうかは、人によって別れることだろうと思うが、花山のような経験をしてきた人間なら、そう思うであろうということが、ドラマとしては、説得力のある描き方になっていた。(はっきりいって、このあたりの描写とくらべると、『あんぱん』の描き方がいかにも軽薄に思えることになる。)

このドラマで、気になることとしては、戦時中、兵隊は一銭五厘でいくらでも集められると言っていた。たしかに、太平洋戦争の終わりごろになれば、無謀な作戦はあったとしても、軍として兵士の命を軽視していたということはないはずである。(しかし、現在の価値観からすれば、かなりの戦死者が、実際には戦病死、餓死であったことは、無謀な戦争であったと思うことになる。)また、徴兵は、一銭五厘で出来ることではない。一銭五厘は、当時の葉書の値段で、手軽に集められるということの比喩としては、よく言われることである。しかし、具体的にどのような手順で、徴兵が行われていたかは、そんなに軽々な判断でできることではなかった。

戦後の闇市にしても、バラックのコーヒー店にしても、ドラマのセットしてはよく作ってあると感じる。どうしても見比べて、『あんぱん』のセットが手抜きで作ったとしか思えないことになる。

2025年9月5日記