ドキュメント72時間「新橋 明日に向かってひとり焼き肉」2025-11-01

2025年11月1日 當山日出夫

ドキュメント72時間 新橋 明日に向かってひとり焼き肉

一人で黙って食事をするというのは、これはあっていいことだと思っている。

番組の趣旨とは関係ないことかと思うのだが、COVID-19パンデミックのとき、学校の給食の時間に、生徒が一人で黙って食べることになったことを、ニュースなどでは、非常に否定的なイメージで報じていたのが、私にとっては、印象に残っていることである。(私が小学生のころの給食の時間は、それぞれに個別に黙って食べるということが基本だった。)

日本の昔からの食事の習慣として、大勢で話しながら一緒に食事をする、飲食をともにする、というのは、一つの儀礼としてはあったことだとは思うが、日常的にはどうだったのだろうか。特に、寺院などの修行の場では、食事のときは、黙って食べるのが普通である。いや、絶対に物音を立ててはいけないのが、ルールである。こういうのは、特殊なことだともいえるかとも思うが、一般の人びとの生活として、一人で食事をするということ、黙って食べるということ、こういうことを総合的に考えるといろいろと思うところはある。

一人で食べるということは、民俗的には、別火、ということでもある。一方で、祭礼のときなどは、みんなで一緒に飲食をともにすることに意味があった、ということもある。

ところで、この番組についていえば、都市において、このような一人焼き肉の店というのは、それなりに需要があることだとは思う。そして、一人で食事をすることが、必ずしもネガティブなイメージで考えるべきではないともいえるだろう。

一緒に食事をする相手がいない孤独な生活、ということもあるだろうけれど。

銀座で働く接客業の女性……たぶんホステスで夜はどうだったのだろうかと思うことになるが……など、銀座から少し離れて新橋で、一人で焼き肉を食べるというのは、今の東京の街ならではのことだろう。

トラック運転手の男性が、ドライバーの働き方改革で、かえって仕事が増えたことになった、と言っていたが、こういうことは、事前に予見できたことなのだろうか。過労を防ぐ意味では効果があったことだが、その結果として、走った分だけかせげるという状況ではなくなったことになる。

弁理士になるのは、かなり難しいとは思うが、損な時代に巡り合わせたということである。いわゆる就職氷河期世代のこれからの人生をどうすればいいのか、社会的には大きな課題である。これは、指摘されていることではあるが、具体的には動き始めてはいないかと思っている。

他にも、登場していた人たちの生活は、まさに今の時代の東京だなあ、と感じるところが多くあった。いろいろな人がいて、いろいろな生活があるものである。

2025年10月25日記

コメント

コメントをどうぞ

※メールアドレスとURLの入力は必須ではありません。 入力されたメールアドレスは記事に反映されず、ブログの管理者のみが参照できます。

※なお、送られたコメントはブログの管理者が確認するまで公開されません。

※投稿には管理者が設定した質問に答える必要があります。

名前:
メールアドレス:
URL:
次の質問に答えてください:
このブログの名称の平仮名4文字を記入してください。

コメント:

トラックバック

このエントリのトラックバックURL: http://yamamomo.asablo.jp/blog/2025/11/01/9813955/tb

※なお、送られたトラックバックはブログの管理者が確認するまで公開されません。