よみがえる新日本紀行「人形師と山車祭り〜愛知県・尾張地方〜」 ― 2025-09-24
2025年9月24日 當山日出夫
よみがえる新日本紀行 「人形師と山車(だし)祭り〜愛知県・尾張地方〜」
再放送である。2020年10月18日。オリジナルは、1975(昭和50)年10月13日。
祭りの囃子を、口伝えで伝える老人の目の表情がとてもいい。もう、今の時代に、こういう目をした人はいなくなってしまったと、と私などは感じる。
からくり人形をメンテナンスする職人が、昭和50年の段階で一人だけになってしあまっていたが(17代目)、今も受け継がれている(19代目)。こういう仕事をする人が、残ってくれることは、いいことだと思う。
四日市の街に産業道路(もう今ではすたれた言い方になってしまったが)ができて、古くからの街が分断され、祭りができなくなった。これは、高度経済成長の時代としては、このようなことは、日本全国の各地にあったことだろう。(番組の中では言っていなかったが)四日市のコンビナートに働きに来ていた人びとは、おそらくは、地方の農村部からやってきた人たちなのだろうと思う。その人たちにも、故郷があり、そこでの祭りがあったはずである。
尾張では、今でも山車の祭りが生き残っている。からくり人形も生き残っている。祭りは、本来は、その地域に生活する人たちのためのものであり、その人たちがになってきたものである。(決して、観光客のためのものではない。)昔ながらの祭りの風景は、これからも残っていってほしいものである。
2025年9月17日記
よみがえる新日本紀行 「人形師と山車(だし)祭り〜愛知県・尾張地方〜」
再放送である。2020年10月18日。オリジナルは、1975(昭和50)年10月13日。
祭りの囃子を、口伝えで伝える老人の目の表情がとてもいい。もう、今の時代に、こういう目をした人はいなくなってしまったと、と私などは感じる。
からくり人形をメンテナンスする職人が、昭和50年の段階で一人だけになってしあまっていたが(17代目)、今も受け継がれている(19代目)。こういう仕事をする人が、残ってくれることは、いいことだと思う。
四日市の街に産業道路(もう今ではすたれた言い方になってしまったが)ができて、古くからの街が分断され、祭りができなくなった。これは、高度経済成長の時代としては、このようなことは、日本全国の各地にあったことだろう。(番組の中では言っていなかったが)四日市のコンビナートに働きに来ていた人びとは、おそらくは、地方の農村部からやってきた人たちなのだろうと思う。その人たちにも、故郷があり、そこでの祭りがあったはずである。
尾張では、今でも山車の祭りが生き残っている。からくり人形も生き残っている。祭りは、本来は、その地域に生活する人たちのためのものであり、その人たちがになってきたものである。(決して、観光客のためのものではない。)昔ながらの祭りの風景は、これからも残っていってほしいものである。
2025年9月17日記
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