100分de名著「福沢諭吉“福翁自伝” (4)事業の達人に学べ」2025-09-25

2025年9月25日 當山日出夫

100分de名著 福沢諭吉“福翁自伝” (4)事業の達人に学べ

『福翁自伝』の最終回に、永松茂久が出てくるというのは、番組を作る側としては、かなり考えた結果なのだろうと思うが、成功だったかどうかは、疑問に感じるところである。だが、少なくとも、ある意味で、斬新な視点で作った番組になったことは確かである。

結果として、福澤諭吉が出版業にかかわることになって経緯で、いくつかのことが抜けてしまったことになる。だが、そういうことは、福澤諭吉関係のいろんな本で書かれているから、今さら語るほどのことではない、ということなのかもしれない。

そもそも、『福翁自伝』の講師に齋藤孝を起用するということ自体が、かなり苦肉の策という印象がある。といって、塾の関係者ということになっても、また、問題が生じかねないので、慶應義塾とは関係のない人選ということになったと思うことになるのだろう。

江藤淳が書いた文章で、慶應の三田キャンパスのことにふれて、(江藤淳の時代になっても)三田には、福澤諭吉が作った慶應義塾の面影がある、という意味のことを書いていたのを憶えている。これと同じことは、私自身も、どことなく感じるところがある。

私が勉強したころのこととしては、習った先生は、ほとんどが塾員、つまり、慶應義塾大学の卒業生、ということだった。こういうことの、いいことも、わるいことも、ある。だが、いいことの方が大きかったと思う。先生に習う、というよりも、先輩に習う、という関係がどことなくあった。今では、このような雰囲気の師弟関係ができるようではなくなっていると思うが、それはそれでしかたない。

『福翁自伝』や福澤諭吉に関連しては、書いておきたいことはたくさんあるが、書かないでおくことにする。

「時事新報」に掲載の、人による歩き方の違い……これは、身体の動作の、職業的、階級的な違いが、この時代に普通にあったということなので、こういうあたりのことは、齋藤孝が専門のこととして、一家言あってしかるべきところだっただろう。

2025年9月24日記

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