「一両握りしめて江戸へ行こう!」 ― 2025-10-07
2025年10月7日 當山日出夫
一両握りしめて江戸へ行こう!
まあまあ面白かったというべきか。時代設定として、江戸時代の終わりごろ、19世紀のころを想定して作ってあるということなのだが、史料のことを考えると、この時代あたりが妥当ということになるだろうか。
もう少し後のころ、幕末のころになれば、米の値段の急騰があり、開国にともなって物価が大きく変わってくる。金銀の価値も変動するが、その幅が大きくなったはずである。
シーボルトの史料が参照できる時代、というあたりが、妥当なところかもしれない。(しかし、シーボルトの残した史料が、具体的にどのようなもので、そこから何が分かるのか、ということについては、少しぐらい説明があった方がよかったと思う。)
見ていて面白いなと思ったのは、蚊帳。今の若い人は、もう知らないものになっているが、私ぐらいの世代なら、実際の日常生活の中で使っていた経験がある。
江戸時代の料理は、出てきていた『豆腐百珍』のような書物に記載されたものは、なんとかわかるが、普通の庶民が日常的に何を食べていたかは、かなり、考証が難しいところだと思っている。また、『~~百珍』という類の料理本は、江戸時代にいくつか刊行されているのだが、これに掲載の料理が、実際に食べられていたかどうかは、また、別の問題である。(なお、番組の中で出てきた豆腐を使った蒲焼きもどきは、今でも実際に料理として残っている。)
江戸の街の人口構成が、男性が多かったということは、言われていることだが、これも、社会階層別に見なければならないことでもある。もちろん、男性が多いといということは、それにともなって、いろんなサービスをする女性たちがいたことを意味するはずであるが、ここの具体的なことは出てきていなかった。)
少しだけ言っていたことだが、江戸の街の飲料水はどうなっていたのか、重要なことである。神田上水は、実際には、どのように使われていたのか。また、この水が使えないエリアでは、飲料水は購入するものだったのだが、これは、どのような販売であったのか。価格はいくらだったのか。
2025年10月5日記
一両握りしめて江戸へ行こう!
まあまあ面白かったというべきか。時代設定として、江戸時代の終わりごろ、19世紀のころを想定して作ってあるということなのだが、史料のことを考えると、この時代あたりが妥当ということになるだろうか。
もう少し後のころ、幕末のころになれば、米の値段の急騰があり、開国にともなって物価が大きく変わってくる。金銀の価値も変動するが、その幅が大きくなったはずである。
シーボルトの史料が参照できる時代、というあたりが、妥当なところかもしれない。(しかし、シーボルトの残した史料が、具体的にどのようなもので、そこから何が分かるのか、ということについては、少しぐらい説明があった方がよかったと思う。)
見ていて面白いなと思ったのは、蚊帳。今の若い人は、もう知らないものになっているが、私ぐらいの世代なら、実際の日常生活の中で使っていた経験がある。
江戸時代の料理は、出てきていた『豆腐百珍』のような書物に記載されたものは、なんとかわかるが、普通の庶民が日常的に何を食べていたかは、かなり、考証が難しいところだと思っている。また、『~~百珍』という類の料理本は、江戸時代にいくつか刊行されているのだが、これに掲載の料理が、実際に食べられていたかどうかは、また、別の問題である。(なお、番組の中で出てきた豆腐を使った蒲焼きもどきは、今でも実際に料理として残っている。)
江戸の街の人口構成が、男性が多かったということは、言われていることだが、これも、社会階層別に見なければならないことでもある。もちろん、男性が多いといということは、それにともなって、いろんなサービスをする女性たちがいたことを意味するはずであるが、ここの具体的なことは出てきていなかった。)
少しだけ言っていたことだが、江戸の街の飲料水はどうなっていたのか、重要なことである。神田上水は、実際には、どのように使われていたのか。また、この水が使えないエリアでは、飲料水は購入するものだったのだが、これは、どのような販売であったのか。価格はいくらだったのか。
2025年10月5日記
よみがえる新日本紀行「長崎くんち 傘鉾の舞い」 ― 2025-10-07
2025年10月7日 當山日出夫
よみがえる新日本紀行 長崎くんち 傘鉾の舞い
再放送である。2023年11月4日。オリジナルは、昭和50年。
長崎くんちというのは、お祭りとして名前は知っているだけで、実際に見たということはない。長崎に行ったのは、高校生のときの修学旅行だけである。
くんちが長崎市内の町のお祭りであるが、その傘鉾を実際にかつぐのは、近郊の農家の人たちだった。これが、今から半世紀ほど前の話。これは、今ではどうなっているのだろうか。
大根農家の仕事が映っていた。畑から収穫した大根を、天秤棒でかついで(もうこういうことも見られなくなったことかとも思うが)運んでいた。これも、昔は、100キロの大根をかついで長崎市内まで売りに行ったという。こういうことは、もう途絶えてしまったことだろう。(天秤棒をかつぐという身体感覚は、失われてしまったものといえるだろうか。)
思い傘鉾をかつぐ練習の場面があったが、かなり重そうである。いや、実際は、とても重いのだろう。
長崎の町としても、くんちの祭りは大仕事である。オリジナルの放送のときで、1000万と言っていたが、これは、現在なら、数倍から十倍ぐらいはするだろうか。
町内がきそって、傘鉾などを飾るということは、どこの地方の祭りでもあることかとも思う。京都の祇園祭の山鉾だってそうだろう。
気をつけて見ていたのが、足もと。半世紀前では地下足袋をはいていた。これも、現在の場面で見ると、いろは違うが、地下足袋のようである。地下足袋というのは、近代になってから生まれたものにちがいないが、おそらく日本の近代の人びとの身体感覚にあったものであったということになるだろう。それは、今でも途絶えることなつづいている。
このシリーズを見て思うことの一つとして、瓦屋根の連なった町の風景ということがある。これも、今では見られないものになってしまっているかとも思う。日常的に見慣れた風景が、徐々に変わっていくことの一つといっていいだろう。
2025年10月1日記
よみがえる新日本紀行 長崎くんち 傘鉾の舞い
再放送である。2023年11月4日。オリジナルは、昭和50年。
長崎くんちというのは、お祭りとして名前は知っているだけで、実際に見たということはない。長崎に行ったのは、高校生のときの修学旅行だけである。
くんちが長崎市内の町のお祭りであるが、その傘鉾を実際にかつぐのは、近郊の農家の人たちだった。これが、今から半世紀ほど前の話。これは、今ではどうなっているのだろうか。
大根農家の仕事が映っていた。畑から収穫した大根を、天秤棒でかついで(もうこういうことも見られなくなったことかとも思うが)運んでいた。これも、昔は、100キロの大根をかついで長崎市内まで売りに行ったという。こういうことは、もう途絶えてしまったことだろう。(天秤棒をかつぐという身体感覚は、失われてしまったものといえるだろうか。)
思い傘鉾をかつぐ練習の場面があったが、かなり重そうである。いや、実際は、とても重いのだろう。
長崎の町としても、くんちの祭りは大仕事である。オリジナルの放送のときで、1000万と言っていたが、これは、現在なら、数倍から十倍ぐらいはするだろうか。
町内がきそって、傘鉾などを飾るということは、どこの地方の祭りでもあることかとも思う。京都の祇園祭の山鉾だってそうだろう。
気をつけて見ていたのが、足もと。半世紀前では地下足袋をはいていた。これも、現在の場面で見ると、いろは違うが、地下足袋のようである。地下足袋というのは、近代になってから生まれたものにちがいないが、おそらく日本の近代の人びとの身体感覚にあったものであったということになるだろう。それは、今でも途絶えることなつづいている。
このシリーズを見て思うことの一つとして、瓦屋根の連なった町の風景ということがある。これも、今では見られないものになってしまっているかとも思う。日常的に見慣れた風景が、徐々に変わっていくことの一つといっていいだろう。
2025年10月1日記
サイエンスZERO「色彩の科学へようこそ!“緑”は生命のシンボル!?」 ― 2025-10-07
2025年10月7日 當山日出夫
サイエンスZERO 色彩の科学へようこそ!“緑”は生命のシンボル!?
色は光の属性ではない、というのは色彩学の基本だと思っている。現象としてあるのは、どの波長の光に対して、どのような色として認識するか、ということであり、それを見る側、認識する側、つまり、人間の目と脳の問題だというのが、私の認識である。
素朴な疑問なのだが、光合成をする植物は、なぜ綠なんだろう。綠に見えるということは、その波長の光を反射して、それ以外の波長の光を吸収しているということになる。このことと、光合成の効率とは、どう関係するのだろうか。
太古の地球は綠だった(かもしれない、まだ仮説の段階)、そうだったのだろうか。また、マラカイトから作る顔料で綠を描く、これで、尾形光琳の杜若の絵が描かれたというのは、とても面白い。この顔料は、どうやって日本にもたらされて、絵師たちが使うようになったのだろうか。
天然のマラカイトに変わって、人工的に同じような絵の具を作るというこころみは、とっても興味深い。普通に考えれば、同じ成分で、同じ構造の物質が作れれば、たぶん、同じ色が出せるかもしれない、ということになるのだろうが、さらにそこに、それぞれの画家ならではの、個別の工夫があることかと思う。
笹紅の色の実験は、とても面白かった。紅花から取り出した色素の分子構造によって、どのいろに見えるか、変わってくる(らしい)。
ところで、番組の中で出てきた、分光視感効率、なのだが、これは、人間の目の機能(錐体)によるのだろうか、それとも、その情報を処理する脳の機能によるのだろうか。
色について考えるとき、いつも疑問なのは、人間の可視光領域というのは、どういう必然性、あるいは、そのように進化する意味があったのだろうか、ということである。さらには、人間にとっての可視光だけで、色というものを考えていいのだろうか、ということも気になる。このあたりは、現代の色彩学の最前線では、どのように考えられているのだろうか。
2025年10月6日記
サイエンスZERO 色彩の科学へようこそ!“緑”は生命のシンボル!?
色は光の属性ではない、というのは色彩学の基本だと思っている。現象としてあるのは、どの波長の光に対して、どのような色として認識するか、ということであり、それを見る側、認識する側、つまり、人間の目と脳の問題だというのが、私の認識である。
素朴な疑問なのだが、光合成をする植物は、なぜ綠なんだろう。綠に見えるということは、その波長の光を反射して、それ以外の波長の光を吸収しているということになる。このことと、光合成の効率とは、どう関係するのだろうか。
太古の地球は綠だった(かもしれない、まだ仮説の段階)、そうだったのだろうか。また、マラカイトから作る顔料で綠を描く、これで、尾形光琳の杜若の絵が描かれたというのは、とても面白い。この顔料は、どうやって日本にもたらされて、絵師たちが使うようになったのだろうか。
天然のマラカイトに変わって、人工的に同じような絵の具を作るというこころみは、とっても興味深い。普通に考えれば、同じ成分で、同じ構造の物質が作れれば、たぶん、同じ色が出せるかもしれない、ということになるのだろうが、さらにそこに、それぞれの画家ならではの、個別の工夫があることかと思う。
笹紅の色の実験は、とても面白かった。紅花から取り出した色素の分子構造によって、どのいろに見えるか、変わってくる(らしい)。
ところで、番組の中で出てきた、分光視感効率、なのだが、これは、人間の目の機能(錐体)によるのだろうか、それとも、その情報を処理する脳の機能によるのだろうか。
色について考えるとき、いつも疑問なのは、人間の可視光領域というのは、どういう必然性、あるいは、そのように進化する意味があったのだろうか、ということである。さらには、人間にとっての可視光だけで、色というものを考えていいのだろうか、ということも気になる。このあたりは、現代の色彩学の最前線では、どのように考えられているのだろうか。
2025年10月6日記
BS世界のドキュメンタリー「ウクライナ 戦時下のEU加盟交渉」 ― 2025-10-07
2025年10月7日 當山日出夫
BS世界のドキュメンタリー 「ウクライナ 戦時下のEU加盟交渉」
2025年。スウェーデン、フランス、ベルギー、ウクライナ。
この番組は、おそらく2022年の時点からずっと取材を続けてきて、それを編集したものなのだろう。現在、ウクライナはEUについては、加盟候補という段階で、順調にすすめば、近いうちに加盟が認められる、という段階だと認識している。
EUの加盟が、とても面倒なことだということがよくわかる。何よりも、それにむけての下準備、特に、外交面でのいろんな用意があってのことになる。
この流れのなかで独自の立ち位置を示しているのが、やはりハンガリーということになる。EUの中で、必ずしも反ロシアで固まっているというわけではない。
2014年のマイダン革命のときからの取材の蓄積があって、こういう番組になっているのだろうし、同じような取材は、ウクライナでも他の政治家、また、EUの加盟国についても、さまざまな政治家についての取材を継続的に行ってきていることの結果として、このような番組になっているのだろうと思う。
はたして、このような番組を日本で作れるだろうか。日本国内の政治家だけではなく、韓国や台湾などの政治の状況について、どれぐらい、取材の蓄積を持っているのだろうか。
それから、EUというのが、国民国家という枠組みを基本としていることは、あらためて確認しておく必要がある。(ただ、その内部においては、独仏を中心とした西欧国家が、旧東欧共産圏諸国に対して、どうふるまうのか、という問題をかかえていることになるだろうと思っているのだが、これは、これからどうなるだろうか。)
2025年10月2日記
BS世界のドキュメンタリー 「ウクライナ 戦時下のEU加盟交渉」
2025年。スウェーデン、フランス、ベルギー、ウクライナ。
この番組は、おそらく2022年の時点からずっと取材を続けてきて、それを編集したものなのだろう。現在、ウクライナはEUについては、加盟候補という段階で、順調にすすめば、近いうちに加盟が認められる、という段階だと認識している。
EUの加盟が、とても面倒なことだということがよくわかる。何よりも、それにむけての下準備、特に、外交面でのいろんな用意があってのことになる。
この流れのなかで独自の立ち位置を示しているのが、やはりハンガリーということになる。EUの中で、必ずしも反ロシアで固まっているというわけではない。
2014年のマイダン革命のときからの取材の蓄積があって、こういう番組になっているのだろうし、同じような取材は、ウクライナでも他の政治家、また、EUの加盟国についても、さまざまな政治家についての取材を継続的に行ってきていることの結果として、このような番組になっているのだろうと思う。
はたして、このような番組を日本で作れるだろうか。日本国内の政治家だけではなく、韓国や台湾などの政治の状況について、どれぐらい、取材の蓄積を持っているのだろうか。
それから、EUというのが、国民国家という枠組みを基本としていることは、あらためて確認しておく必要がある。(ただ、その内部においては、独仏を中心とした西欧国家が、旧東欧共産圏諸国に対して、どうふるまうのか、という問題をかかえていることになるだろうと思っているのだが、これは、これからどうなるだろうか。)
2025年10月2日記
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