BS世界のドキュメンタリー「ゴースト・チルドレン 過激派組織ISの遺児たち」2025-10-21

2025年10月21日 當山日出夫

BS世界のドキュメンタリー 「ゴースト・チルドレン 過激派組織ISの遺児たち」

2023年、フランスの制作。

もう日本ではISのことはニュースで見なくなってしまった。それがどういう組織で、何をしたのか、ということの断片的なことは、報道で出てきたことはあったが、中東のイスラムの問題は、直接は日本とそう大きく関係することではないということもあってか、いつまにか過去のことと思うようになってきている。

ISにヨーロッパの多くの国から参加した人たちがいた。その中には、子どもを連れて行った人も多くいた。小さい子どもを連れて行くということだから、若い人たちが行ったことになる。ISが消えて(といっていいのかどうかとは思うが)残された人びとを、それからどうするかということが、国際的な課題となったことになる。

テロリストは、処罰する、ということでいいのかもしれないが、一緒に連れていかれた子どもたちは、どうなるのだろう。

人道的な立場からしても、人権ということを国際的に考えるにしても、母国への帰国ということが、何よりも優先されるべきだろう。このとき、親の判断がどうであるか、ということもある。親が、ISに傾倒していて、かたくなに帰国を拒むということならいたしかたないかとも思うが、孤児になってしまった子どもたちについては、母国で受け入れるべきだろう。

フランスは、孤児となったISの子どもたちの帰国に消極的である、ということらしい。これはこれとして、フランスの人びとにとっては、深刻な問題であるにちがいない。

これを、日本から見ると、やはり中東で起こっていることへの、認識の不足という印象を持つことになる。ISという言い方自体、マスコミによって表現が違う場合があった。イスラム国と、最初のころは言っていたが、国ではない、ということで、ISという言い方に変わっていった。

世界の人びとが、基本的に、どこかの国家(国民国家)の国民である、国籍がある、というのは、幻想にすぎない。実際には、国家の統治の及ばない地域に、かなりの人びとが生活している、あるいは、そこから離れることができないでいる。

国家など無用であるというアナーキストにしてみれば、ある意味でこれはたいした問題ではないのかもしれない。しかし、一般的な見地からは、人道的な意味でも、なにがしかの国家、あるいは、国際機関からの、援助ということがあってしかるべきだろうと思うことになる。視点を変えてみれば、国家による監視という面もあることになる。

世界の目が、ガザとウクライナに向いている状況かとも思うが、中東のみならず、アフリカや中南米においても、国際社会から忘れられてしまった人びとが、すくなからずいることを、考えるべきだろう。忘れられてしまった人びとは、ただ悲惨であるだけではなく、その怒りの矛先が国際社会に向けられたときのことを、想像してみるべきである。

また、ISに共感した欧米の若者たち、というのはどういう人びとなのだろうか。その後どうなって、今はどうしているのだろうか。このあたりのことも、掘り下げて調査し、報道してほしいところである。

残された孤児たちが、未来のテロリストの卵とならないためにどうすべきか、こういう観点から総合的に考えるべきことかとも思う。

2025年10月17日記

未解決事件「File.02 北朝鮮 拉致事件」2025-10-21

2025年10月21日 當山日出夫

未解決事件 File.02 北朝鮮 拉致事件

録画しておいて、二日に分けて見た。

ドラマの部分とドキュメンタリーの部分と、重なるところがあるが、北朝鮮の拉致の実態、特に、北朝鮮ではどうであったかということを語るとなると、このような作り方になるだろう。メインであつかっているのは、蓮池薫さんのことであるが、北朝鮮拉致事件について、多くを証言している人物なので、中心としてあつかうことになるのだろうとは思う。

事件の被害者の人たちには、可哀想なことになるのだが、普通の事件としてはあつかえないデリケートな部分があることは、たしかである。さすがに、北朝鮮が、地上の楽園、と賞賛された時代があったことについては触れていなかったが、しかし、日本と北朝鮮の歴史的背景があっての事件であることは、たしかであろう。この問題を、最初に報道したマスコミは、産経新聞であったが、他の新聞などは黙殺した。その後も、北朝鮮による拉致などあるはずがないと、言い続けてきたのは、主として左翼的な陣営だったことは、記憶にあることである。

冷酷なことかもしれないが、東アジアにおける日本の安全保障ということを考えたとき、ムカゴ作戦が中止においこまれたのは、いたしかたのないことかもしれない。だが、金丸信の北朝鮮訪問が、どのような成果があって、その後の日本と北朝鮮の関係にどう寄与したのか、ここは、もうすこし踏み込んで語るところがあってもいい。

もし、将来、北朝鮮と国交をむすぶことがあったとしても、北朝鮮がかつての殖民地時代のことについて、補賞を求めるということがあるとして、おそらく日本国内の世論は、絶対に受け入れないだろう。北朝鮮の核武装以上に、拉致問題は、北朝鮮との関係で、大きな問題になってしまっていると、私は思っている。

番組の中で、出てきていなかったのが、朝鮮総連のこと。拉致問題は、北朝鮮のトップのごく一部の独断であったことが、今では、一般に言われていることである。今、日本に居住している人びとで、北朝鮮にかかわる人たちが関係していることではない、こういう配慮があってのことかと思う。

日本に潜入した北朝鮮の工作員は、具体的にどんなことをしていたのか、これは、今の時点では、外事警察としても明かすことができない部分だろう。

なお、番組内では、朝鮮語と言っていた。私は、言語の名称としては、朝鮮語ということにしている。言語の名称と国家の名称というのは、ややこしい。

太平洋戦争について、国家の指導者が冷静で理性的な判断ができていれば、戦争は起こらなかったはずだ、ということがよくいわれるが、現実には、その時の為政者の、ある種の合理的な判断の結果として、戦争になると考えておくべきだろう。北朝鮮の拉致、核武装も、日本の視点からは、とても理解できることではないのだが、北朝鮮の為政者としては、なんらかのそれなりの判断があってのことだとは思う。(だから正当化できるということでは、絶対にないが。)

2025年10月20日記

3か月でマスターする古代文明「(3)ヒッタイト “鉄の帝国”のヒミツ」2025-10-21

2025年10月21日 當山日出夫

3か月でマスターする古代文明 (3)ヒッタイト “鉄の帝国”のヒミツ

古代のヒッタイトの文明を、鉄の文明として意識するのは、ヨーロッパの近代の考え方を反映したものであった。すぐれた武器をもつ文明がさかえるのは当然であるという発想になる。

これは、19世紀から20世紀の前半にかけては、世界的な潮流であった考え方で、番組の作り方として、暗にナチスのドイツが悪い、ということを言いたいようなことになっていたが、必ずしも、これに引っ張られて考えることはないだろう。

ヒッタイトは、鉄の武器で周辺地域をしたがえたというよりも、交易をおこなって、ひろい地域とのやりとりがあった。その社会は、多文化、多言語、多宗教、の寛容なものであった。これは、一般にイメージされる古代国家が、武力による権力で支配する帝国であった、ということを否定したいことになる。

文字による記録を残すことを、重視する社会であったことを、高く評価することになっていた。

だが、そのヒッタイトの文字が、何語を書いたものなのか、ということについては、まったく触れることがなかった。今でいうリンガフランカは、どういう言語であったのだろうか。そういう言語があったのだろうか。

多宗教といっていたが、実質的にどうだったのか。西欧の歴史は、キリスト教でも、カトリックとプロテスタントの血みどろの抗争の歴史があったことは、当たり前のことだろう。また、今の世界において、キリスト教とイスラムが、そんなに仲よくできる、ということでもない。

日本の場合、かなり特殊かとも思っている。もともと土着のアニミズム的多神教世界観があるところに、仏教がはいってきて、それが人びとの間にひろまる。その結果、神仏習合ということがあった。

ある人は阿弥陀如来を信仰し、ある人は観音菩薩を信仰し、ある人は弘法大師を信仰し、ある人はお稲荷さんを信仰し、ある人はGODという神様を信仰している(キリスト教)……こんな状態かもしれない。もし、日本で、イスラムが定着するとしたら、日本に住んでいるある人びとはアラーという神様を信仰している、とい関係性を、全体としておたがいになんとなく認め合うような状態を考えるしかないだろう。

日本で、一神教を軸にした宗教対立がおこるとしたらどういう状況においてだろうか。強いていえば、中世の一向宗あたりのことを思うことになるが。

多言語、多文化、多宗教……これは、現代の価値観からすると理想的な状況かもしれないのだが、これを、安易に古代のヒッタイトに投影して語ることは、私は慎重であるべきだと思う。

ヒッタイトが滅んだ理由として気候変動が考えられる。これは、現代では、古気候学という分野の、歴史学や人類学への寄与ということになる。年輪年代学や、年縞研究の成果というべきだろうか。これも、地球規模の気候変動があったとすれば、他の地域の古代文明にも影響があったはずで、ヒッタイトだけのことで語ることはできないはずである。ここは、気候変動と人類の歴史、という観点から改めてきちんと語ってほしいところである。

古代の交易とは何であったか、その文化的な意味……強いていえば、経済と贈与の文化史……とでもいえようか。ただ、いろんな地域の産物が集まっているということを、遺物があるからと説明するだけの時代では、もはやなくなっていると思うのだが、どうだろうか。

武器があれば戦争として否定することになり、交易があったことは平和的であったというのは、あまりに単純な考え方ではないだろうか。せいぜい、人間を奴隷的にあつかうことになるほどの経済と権力や社会のあり方ではなかったということぐらいは、いえるかもしれないが。だが、それも、疑問かもしれないとは思う。

2025年10月17日記