NHKスペシャル「臨界世界-ON THE EDGE-走線者 亡命か送還か」2025-10-08

2025年10月8日 當山日出夫

NHKスペシャル 臨界世界-ON THE EDGE- 走線者 亡命か送還か

これは、今年の5月に放送の、BSスペシャル 「死に向かって生きる〜アメリカを目指す中国人“走線者”〜」の再編集版である。これを見たときに書いたものを、再掲載しておく。

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2025年5月7日 當山日出夫

BSスペシャル 死に向かって生きる〜アメリカを目指す中国人“走線者”〜

自分が死ねば、残った子どもたちは孤児として、アメリカ社会で受け入れてもらえる、そう遺書を残して自ら死を選んだ父親のことは、悲劇というには、あまりにもむごい話しである。(ドキュメンタリー番組を見て、そう心を動かされるということのない私であるが、このエピソードだけは、きわめて深く心に響くものがある。正直に言って、涙を禁じ得ない。なお、これはバイデン政権のときに起こったできごとであった。)

走線、ということは、この番組で知った。中米からメキシコを通ってアメリカに入国するルートがある。パナマを通過するとき、地元のマフィアに多額のお金を払わないと、通行できない。そのかわり、一種の保護もあり、食糧も売ってくれる(?)のだが。このルートのことは、少し前に、BS世界のドキュメンタリーであつかっていた。「中米パナマの憂うつ “船と不法移民の交差点”で何が」。このときは、パナマを通過していく移民の人びとは、ニカラグアなどのほとんど崩壊した国家から逃げてきた人たちということだったが、そのなかに多くの中国人もいたことになる。

中国共産党を批判したというだけで、警察に出頭を命じられ、命の危険がある。このまま中国にとどまるよりは、アメリカに行って死んだ方がマシである。このように思う中国人が、アメリカに入国している。数万人以上にのぼる。

中国共産党と不動産業者が癒着している。このようなことは、あまり日本のマスコミで大きく報じられることはないと思うのだが、共産党の腐敗と、不動産不況ということは、中国にとって、大きく国家の屋台骨をゆるがすことにつながる。これが分かっているから、習近平政権は、より一層、批判への弾圧を強めることになると理解していいだろうか。(中国共産党の経済的基盤、というようなテーマで論じることになるだろう。)

アメリカ国内にすでに居住している移民である人びと……中国系もいれば、韓国系もいる……が、かならずしも、新たに中国から中米経由の走線ルートでやってくる移民を歓迎していない。不法移民として退去を求める。これは、彼らなりの既得権益の主張にはちがいない。

だが、そのように主張する人がアメリカに存在することを、アメリカに入国した中国人(まだ、正式に難民として受け入れてもらえるかどうかわからない)は、言論の自由として認めている。中国では、そのような言論の自由がまったくない。

たぶんNHKが取材し、それに応じてくれた、アメリカの中国人の人びとは、それなりの覚悟があってのことだということだろう。あるいは、習近平、中国共産党を批判はするが、過激な反政府活動には与しない、だから、(はっきりいえば)暗殺されるような心配はない、ということかとも思う。たぶん、中国政府としては、この番組に登場したような人びとのことは、把握しているはずだと思うが、まあ、この程度のことなら許容できると思っているのだろうか。邪魔な存在で、いなくなればいいと思っているのだろうか。

近代的な国家の枠組みとして、国境の管理、国民であることの管理、これはしなければならない。だれでも自由に出入りできるということであってはならない。

しかし、この番組で出てきたような人びとについては、中国以外の国で、身の安全を保証されて生活することができる、そのようであるべきである、と私は思う。

だからといって、中国人のすべてが善良で、民主主義を求めている、というわけでもないとは思う。なかには、どうしようもない悪党だっているにちがない。

また、アメリカにおいて、不法移民、ということがどのような制度のもとで運用されていることなのか、その実態については、詳しく知りたいところである。

2025年5月3日記

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再編集版のNHKスペシャルを見ても、基本的に思うことは、大きく変わらない。

ただ、番組の作り方として、今のトランプ政権の移民政策を批判する方向によりかたむいていることはいえる。また、最初の放送で出てきたことだが、アメリカの人(たしかいわゆる白人であったとおぼえているが)がこのようなことを言っていた……日本の撮影クルーに向かって……日本も違法移民の管理をきちんとしないと、クルド人ばかりになってしまう……これは、アメリカの人の言ったこととして映っていた。NHKの番組で、よくこんなシーンを放送したなと思ったのを憶えている。だが、今回の新しい編集では、このシーンがカットされていた。

また、新しい編集では、自殺した中国人の父親のことについて、これが起こったのが、以前のバイデン政権のときのことであることが、はっきりと分からないように作ってあったと、感じるところである。見ていると、今のトランプ政権下でおこったことのように思えるように作ってあった。ウソはついていないが、かなり作為的である。

現在のアメリカの移民政策について批判的に見る立場であると同時に、きわめて危険なルート(中米経由)をつかってでも、逃げ出したくなるほど、今の中国共産党政権をきらう人びとがいることを見ることもできる。この両方を見ることが必要だろう。

2025年10月6日記

新日本風土記「三国街道 秋日和」2025-10-08

2025年10月8日 當山日出夫

新日本風土記 「三国街道 秋日和」

再放送である。最初は、2022年12月2日。

国鉄のフルムーンのポスターを憶えているので、もう、私などは古老と言われてもしかたないだろう。

お富さん~~の歌も知っている。こんな歌は、今の若い人は知らないだろう。まったく老人である。

養蚕のことがテレビに映るときは、その多くは、昔からの伝統的な道具で昔の流儀を残してという場面が多いのだが、この番組で放送されていた養蚕の様子は、今の日本でビジネスとしておこなう場合、どんなふうになるのか、ということで出てきていた。これは、珍しいことかもしれない。

かつては、養蚕と絹糸、それから、絹織物は、日本の重要な産業だったのだが、今では、ほぼすたれてしまっている。それでも、一部の高級品については、なんとかなっているということかもしれない。

紬は、クズ繭から作るので、上等の絹織物ではなかったのだが、今では、高級品といっていいだろう。

蚕を数えるには、頭、で数える。これは、今も残っていることになる。昆虫採集の分野だと、専門的には、頭、で数える。

三国街道が、いろんなものの流通ルートであったことは、理解できることである。江戸から日本海へ抜ける道であり、また、中山道ともつながっている。

佐渡へ送られる無宿たちが、途中で通行ができないような場合には、地下牢に入れられていた。とても過酷なあつかいだった。佐渡についても、さらに過酷だっただろうが。

薄荷というのは、味は分かるというか、昔なじみの味という印象なのだが、最近ではあまり見かけないものになってしまったかもしれない。

川を遡上するサケの漁は、今でも、こんな漁法が残っているのかと、思って見ていた。公儀(江戸幕府)に献上するために、夜間でも関所が通過できた、というのは、サケが貴重だったということもあるだろうが、これは、生のサケだったのだろうか。(現代なら、専用のトラックで生きたまま運ぶことができるが。)

彫刻が見事である。その彫刻をささえるためには、道具である刃物を作る鍛冶職人がいて、さらに、ノミの柄を作る職人がいて、研ぎの職人がいて……こういうことが、かろうじて今は残っていることになる。

実際の当時の街道は、そんなに道幅が広くない。中山道で今も残っている区間があるが、それも山の中の道で、幅は狭い。これで、馬に荷物を載せて、双方向から来てすれ違えるのだろうかと思うのだが、どうだったのだろうか。

2025年10月7日記

ブラタモリ「長野・上高地▼山岳リゾート・上高地の絶景はどう生まれた?」2025-10-08

2025年10月8日 當山日出夫

ブラタモリ 長野・上高地▼山岳リゾート・上高地の絶景はどう生まれた?

上高地には行ったことがない。だが、その風景は、あまりにも有名であり、河童橋のあたりの光景は、絵はがきの定番といっていい。

ここのあたりが、昔、火山の噴火でせき止められていた湖であって、そこに土砂が堆積して平らな土地ができた。その後、湖が決壊してなくなっt、平らな土地が残った。この説明は、以前に何かで見たと記憶している。

上高地もそうなのだが、日本の観光地のいくつかは、明治になって、外国人によって発見されたところがいくつかある。別荘地としての軽井沢なども、その一つといっていいだろう。

近代になってからの観光地の歴史、社会史、ということは、いろいろと研究されていることだと思うが、上高地の歴史はどうなのだろうか。おそらくは、近代になってからの登山の歴史と関係するところが多くあるにちがいない。

上高地に行ってみたいとはあまり思わないのだが(おそらく、日本中の観光地がそうであるように、外国人観光客で一杯かもしれない)、梅花藻の花が水中で咲いているのは、一度見てみたいと思っている。

山の風景もいいのだが、川の流れる音が聞こえるといこともいい。今の日本だと、観光地に行くと、たしかに視覚的な風景はよくても、聴覚として、いわゆるサウンドスケープとしての魅力を感じるところが少なくなってきているように思えてならない。

2025年10月5日記