『どんど晴れ』「裏の心と表の心」2026-01-11

2026年1月11日 當山日出夫

『どんど晴れ』「裏の心と表の心」

組合のお金を盗んだのは、彩華だった。これは、あっさりと、視聴者には分かるように作ってあった。事情としては、母親が入院してお金に困ってのことだったらしい。もとあった料亭は、今ではつぶれてしまったようだ。

彩華は、加賀美屋で、夏美のライバルということになる。浩司と結婚して、女将の座をねらっている。浩司は彩華に惚れているのだが、彩華の方はどうなのだろうか。どうも、浩司の気持ちを利用しているとしか思えない。

その一方で、夏美は、仲居の仕事で、仲間の仲居たちに手伝ってもらうことになる。

旅館の女将の資質として、どういうことが本当に大事なのか、という方向で、おそらくこのドラマは進んでいくのかと思うが、今のところ、彩華と夏美は、別の方向を向いている。

また、横浜のホテルで、柾樹はいまひとつしっかりとしていない。仕事はできるようなのだが、ホテルの仕事で頑張ろうということでもないし、だからといって、加賀美屋にもどる気もないようである。見ていてなんだかポンコツだなあと見ながら感じてしまう。

2026年1月10日記

『マッサン』「鬼の目にも涙」「災い転じて福となす」2026-01-11

2026年1月11日 當山日出夫

『マッサン』「鬼の目にも涙」「災い転じて福となす」

最初、このドラマが放送されたときは、週に6回の放送であったので、月曜日にその回がくることになった。最初の週で、広島編は終わりということになった。広島のお母さんは、最終的には、マッサンとエリーのことを、どうにか認めるということになった。でも、完全に納得してということではなかったかもしれない。マッサンの気持ちに押し切られたという感じだった。

大阪の会社にマッサンはもどるのだが、また問題が待っていた。社長の娘の優子が、マッサンとの結婚を決意していた。これは、どうやら、社長のことばや、優子の言ったことを、マッサンが誤解していたことが、そもそもの原因のようだ。しかし、はっきりと、スコットランドから戻ったら優子と結婚することになると、明言したということではなかった。なんというか、阿吽の呼吸というか、暗黙の了解というか、なんとなくこれで分かるでしょ、ということのようである。見方によっては、マッサンが鈍かったというべきだろうか。

それにしても、優子さんは、可哀想でもあるし、また、したたかでもある。

エリーは、マッサンについて日本にきたもの、まだ日本の人のものの考え方になじんではいない。分からないことだらけである。

日本で売る商品は、日本人の好みに合わせたものがいい、かならずしも本場のものである必要はない、こういうこともある。これはこれで、一つの考え方であるし、日本の中華料理などは、非常に日本化された料理であるともいえようか。逆に、外国で食べられている日本食が、日本のそのままかというと、これも現地に合わせていろいろと変わっているということもある。ウイスキーやお酒の話しではるが、文化と食べ物の関係として考えると、いろいろと難しい問題がある。

2026年1月10日記

『ばけばけ』「カゾク、ナル、イイデスカ?」2026-01-11

2026年1月11日 當山日出夫

『ばけばけ』「カゾク、ナル、イイデスカ?」

この週で、おトキとヘブン先生は結婚した、ということになる。

ヘブン先生は杵築大社(出雲大社)に参拝するときに、おトキをともなう。錦織と一緒に三人で、杵築大社に参拝する。史実では、ラフカディオ・ハーンは、杵築大社に昇殿して参拝した。これは、外国人としては初めてということであった。

『ばけばけ』では、出雲大社への参拝ということになっていたが、昇殿はさすがにできなかったらしい。(これは、いたしかたないことかと思うが、ちょっと残念な気がする。)

縁結びの神様である出雲大社を、おトキとヘブン先生で、一緒に参拝するというのは、納得できることである。いわゆる神前結婚式というのは、大正天皇のとき(明治33年)からというのが普通に知られていることだと思っている。一般に普及するのは、昭和になって戦後のことである。出雲大社に深い感銘をうけた小泉八雲のことをふまえると、こういうことでいいかと思う。

ヘブン先生と結婚するということを、おトキは、松野の家族につたえる。

松野家の、司之介、フミ、勘右衛門は、最初はまったくとりあおうとしないが、意外なことにというべきか、勘右衛門が、認めると言いだした。お互いに好きになったのならしかたない、という。こういうことの伏線として、勘右衛門は、スキップを教えた子どもたちのおばあさん(タツ)と恋仲になり、一緒になる。別に、これまでの話しとしては、このタツさんは出てきても、ストーリーの本筋とは関係のない存在だったが、ここで、非常に重要な伏線になっていたことになる。

ヘブン先生の家にみんながあつまって、結婚式というか、パーティーになる。集まったのは、ヘブン先生、松野家のおトキ・司之介・フミ・勘右衛門、雨清水家のおタエ様、三之丞、そして、錦織、というメンバーであった。このとき、パーティーをするなら、花田旅館の方がいいのかもしれないと思ったのだが、最終的に家族として一緒になる人たちだけで集まるという意味では、ヘブン先生の家がふさわしかったことになる。また、このときに、錦織がいたことも重要だろう。ヘブン先生は、錦織を、友人として大切にする。

おトキが、実は、雨清水の娘で、おタエ様が産みの母親であること、おトキの女中としての給金で、松野家と雨清水家の生活をささえていたこと、三之丞が実は社長などしてはいないこと……これらのことを、おトキは無論のこと、松野家としても、雨清水家としても、分かったうえで、隠している。タテマエとして、松野家と雨清水家とは親戚ということであり、三之丞は社長である、ということで、済まそうとするのだが、このことを、ヘブン先生は、理解できない。

いわゆる日本的な感情というべきかもしれないが、ウソと知りつつタテマエをまもることも、また、人間の情であるというべきである。古来、タテマエをとおすことで、多くの文学などが書かれてきた。歌舞伎や人形浄瑠璃(文楽)などの演目では、こういうものが多い。日本的美徳、というべきかもしれない。

しかし、ヘブン先生には、これが通用しない。ウソであるとしか思えない。このあたりは、文化の違いということもある。

ヘブン先生がウソを許さないということで、最終的に、松野家と雨清水家のひとたちは、それぞれの自分のおかれた状況を、納得して披瀝することになる。このとき、最後になったのがおトキだった。これまで、おタエ様のことを、実の母親と知りつつ、実際に会っても、おばさま、と言って接してきた。それを今さら、母上ということもできない。ここで、おフミが、それならママさんはどう、と言う。これは、たくみな落とし所ということになる。

これまでの朝ドラだと、自分の本当の気持ちを語ることが、何よりも価値のあることである、ということで作ってあった。これは、現代の価値観では、そうなのだが、しかし、人はときとして、タテマエをまもることで、その心情をあらわすという場面もある。そして、そのジレンマのなかに、人間の情として、共感するところがあったのが、日本の文学などの伝統でもある。

それをふまえつつも、しかし、本心ではどう思っているのか語る……これを、わざとらしくなく、自然な人間の心の変化として描くことに、このドラマは成功しているといっていいだろう。ただ、登場人物が本心はこうなのだと語るだけのシーンを、名場面として評価されることが多かった、これまでの朝ドラの中では、一つ頭抜けてたくみな脚本になっていると感じる。

伏線としてたくみだなと感じたのは、おタエ様のクシである。物乞い(乞食)にまで身を落としたおタエ様だったが、貧乏のどん底でも、髪にクシをさしていた。これは、ちょっと不自然だなと思って見ていた。クシなどは、貧乏になったら真っ先に売り払ってしかるべきものである。だが、このクシを、おタエ様は、自分が雨清水に嫁入りする前から持っていたものであるとして、おトキに贈る。これは、物乞いになっても手放すことのなかったクシを、おトキに贈るということである。(あるいは、このクシは、おタエ様がその母親、つまりおトキからすれば祖母、から、雨清水家との結婚の前に贈られたものだったのかもしれないと、想像することになる。)

次週の予告で、四人で住むらしい。つまり、ここで勘右衛門が抜けるということかと思うが、これも、おタツさんとのことがあってのことであれば、自然な筋書になる。

まだ、明らかになっていないのが、錦織のことである。東京に出て勉強していた理由、島根にもどって中学で教師をしている理由、いろいろとありそうなのだが、これは、これからのことになるのだろう。このまま、松江でのドラマで終わってもいいようにも思う。熊本とか東京とか、少しは出てくるのかもしれないが、最終的にどうなるだろうか。東京のことまで描かないと、『怪談』という本にはならないとは思うのだけれど。

2026年1月10日記