日曜美術館「長崎 祈りのかたち 被爆の記憶を刻む美」2026-08-22

2026年8月22日 當山日出夫

日曜美術館「長崎 祈りのかたち 被爆の記憶を刻む美」

長崎の原爆の悲惨な状況を、美術として、どう描くか、表現することができるか、ということでは、いい内容だったとは思う。

印象に残るのは、飛永頼節、池野清。それと説明されなければ、普通の美術作品として見る。これが原爆にかかわる作品と説明があっても、だから、そう印象が変わるということはない。(私がテレビを見たかぎりの感覚では、ということになるが。)

浦上天主堂のことが大きく取りあげられていた。ここが、なぜ、広島の原爆ドームのように、原爆の遺跡(?)として残されることがなかったのか、ということについては、いろんないきさつがあってのことなのだろう。残すことよりも、とりあえず、長崎のカトリックの信者の人たちにとって祈りの場であったので、それを再建することが優先した、ということならば、これはこれで、非常にもっともなことだったと、私は思う。

それにしても、長崎の原爆の話しになると、どうして、カトリックのことが大きくとりあつかわれることになるのだろうか。長崎の街には、カトリックの他に、もっといっぱい人がいた……今風のことばでいえば、宗教的な多様性があった……ことになるはずだが、あまり、その他の人たちのことが語られることはない。長崎の伝統行事とかということでは、出てくるのだが、カトリックだけが別格のあつかいという印象がどうしてもある。

子どものときに長崎にいて、被災した浦上天主堂の姿を明瞭に記憶しているということになるが、これは、人間とは、こういう記憶は鮮明に覚えているということなのか、特殊な才能があったのか、あるいは、その後に作られた記憶(記憶はいくらでもウソをつく)なのか、はたしてどうなのだろうか。

描かれた絵の美術としての評価とは、まったく別のことにはなるが、あまりにリアリティのある絵画を見ると、どうしても思ってしまうことになる。

2026年8月20日記

100分de名著「アンドレ・ブルトン“シュルレアリスム宣言” (3)異質なものを並置せよ」2026-08-22

2026年8月22日 當山日出夫

100分de名著「アンドレ・ブルトン“シュルレアリスム宣言” (3)異質なものを並置せよ」

この回でも、リンゴが登場していた。おそらく、番組を作っている人たちは、それこそ無意識のうちにそうなってしまっているのかと思うが、どうして、こういう場合に、リンゴなのだろうか。別にバナナでも柿でもメロンでもいいはずだが、たいていの場合、リンゴになっている。

シュルレアリスムといいながら、どこかで、かなり既成の概念というか、ルールというか、慣習というか、そういうものに、引きずられていることを感じるのだが、こういうことについては、どう考えることになるだろうか。

デペイズマン……というが、ちょっと考えてみると、ことばの語の意味とか、文法とかは、既存の言語の体系を壊すことはしていない。語のくみあわせや対比によって生まれる何かを言いたいことは分かるとしても、その材料となる語そのものの意味ということについては、逆に、既成のものの上に乗っている。

文法についてはどうなのだろうか。フランス語やドイツ語だと、女性名詞とか男性名詞とかあるのだが……もともとは、こういう文法的な性のことをジェンダーといった、言語学の用語だったのだが……こういうことを破壊するとか、格変化を変なふうに使うとか、このようなことはあったのだろうか。

これまでの回の話しを聞いていると、シュルレアリスムは、破壊的であるいいながら、一方で、既存の価値観や制度の中に、どっぷりとつかっているという気がしてならない。

2026年8月19日記

昔話法廷「さるかに合戦」2026-08-22

2026年8月22日 當山日出夫

再放送である。2017年。

母親と子どもを含めて三人殺したということだけをみれば、現代の通常の感覚としては、死刑が相当だろうなあ、とは思う。

無論、殺人、というためには、十分な判断能力があって、殺意があって、ということが必要になる。(こういうところまでは、ふくんでいなかったのは、話しをシンプルにするためだろう。つまりは、人間の自由意志を尊重する。犯罪も、その結果の一つである。)

見て思うことは、(これは、これまでに何度か書いてきたことだが)、近代の司法においては、被害者から復讐する権利を奪うところか出発しているということが、もっとも重要なことだろう。気にくわない、やられたらやりかえす、ということで、私的制裁(リンチ)をくわえてはならない、これが大原則である。そういうことをしたら、それもまた、犯罪になる。

これが、現代の流れだと、遺族の感情を尊重する、という方向に変わってきている。昔だったら、法廷に、犠牲者の遺影を持ち込むことの是非も争われた時代があったのだが、これが、今では、普通のことになっている。犯罪被害者、その遺族などが、法廷で発言することもできるようになっている。

大きな流れとしては、近代的な刑法に逆行して、遺族の復讐心を満足させるために、刑法があり、刑事罰がある、というようになってしまってきている、と感じられる。こういう流れにあることを、法律の専門家は、いったいどう思っているのだろうか。

被害者がどんなに可哀想でも、また、加害者がどんな悪いやつであっても、(この事件の場合は、サルには、犯行にいたる事情があり、また、十分に悔悟の念を持っているようだが)、法律のルールにのっとって裁く、これが、大きな原則であるべきである。逆にいえば、どんな人間でも、被告人になった場合には、ルールによって裁かれる。こういうことが、基本的人権という概念の根底にあることだと思っている。それが、殺人であっても、性犯罪であっても、同様である。

このごろ、この基本的人権にかかわる原則的な考え方が、どうも軽んじられる傾向に世の中が動いていると感じる。基本的人権については、加害者であっても被害者であっても、等しく尊重されなければならない。これが、近代社会である。

2026年8月21日記

決戦!シズガタケ「秀吉VS.勝家 天下人誕生の瞬間」2026-08-22

2026年8月22日 當山日出夫

決戦!シズガタケ「秀吉VS.勝家 天下人誕生の瞬間」

これは、わりと面白かった。(NHKの『豊臣兄弟!』関係の番組の中でも、よくできた方といっていいだろう。とにかく、秀長をヨイショするだけの番組が多すぎる。)

戦国時代の合戦を、兵站・工兵・インテリジェンス、ということで見ている。武将のひととなりとかは、あまり出てきていない。かなり、軍事的にリアルな観点だったというべきである。

柴田勝家が北陸地方を領有していた。雪国である。雪がふると身動きがとれなくなる。これは、時として有利であるが、不利でもある。この場合は、秀吉との決戦にうってでることをはばむものとして、雪が勝家にとっては不利になったということである。

日本の気象・天候の歴史は、京都あたりに限定してみれば、平安時代ぐらいから、ほぼ一日単位で分かる。たくさんの日記があり、それには、おおむね、その日の天気が書いてある。

(私は、学生のとき、『明月記』『中右記』『小右記』などについて、天気の記述だけを見ていったことがある。その後、この方向で、論文など書くことはなく終わってしまったのだが、古い日記の記述から天気や天候のことが、かなり正確に分かるということは、史料からいえることである。)

北陸地方のことなら、三方五湖の水月湖の年縞の研究からかなりのことが分かるはずである。年単位で、7万年前までさかのぼることができる、世界で唯一の資料である。また、年輪年代学の研究をつかえば、賤ヶ岳の合戦の当時の、天候や降雪量などを、かなり正確に割り出せる可能性がある。この地域の気候について、年輪年代学で考えるということは、そんなに昔にさかのぼるとではないので、技術的には可能だろう。

こういう基本的な、日本の歴史の天候データベースというべきものは、歴史民俗博物館などで作って広く公開してくれるのがいいと思うのだが。

雪かきをする昔のスコップについて、越前の朝倉遺跡から見つかったものがあった。この説明としては、木製で作るから、平らにしか作れない、というべきだっただろう。今の金属製のスコップのように湾曲した面は、木製では無理である。それから、雪国の資料として、『北越雪譜』を映すのは、どうだろうか。

合戦の場所の赤色立体地図を作成して、それをもとに考え、また、現地に行って歩いてみる(ここは、千田嘉博さんだった)……これは、意味のあることである。

柴田勝家も、羽柴秀吉も、本格的な山城を作っていたことが、分かる。

ちょっと気になったこととしては、この時代の山城は、土木としてはどういう技術なのだろうか。土塁が残っているが、それは単に土を盛っただけのものなのだろうか。番組の中で、戦国武将は、河川の堤防工事などで、土木の技術が必要であり、その技術者集団をかかえていた、と言っていた。河川の堤防などは、単に土を盛っただけでは、用をなさない。土の積み重ね方の技術がある。(防災科学技術研究所などで、研究のあるところだと思うが。)

では、勝家や秀吉の作った山城は、どういう土木の技術によっているのだろうか。からぼりも単に地面を掘っただけのものなのか、土塁も単に土を盛っただけのものなのか。それだと、その後の年月の間の雨風などで、残らなくなってしまうかとも思えるが、はたしてどうなのだろうか。

秀吉が、まず長浜を取り返したということは、昔の領地であったこともあるのだろうが、琵琶湖の水運と敦賀へのルートを確保するという目的もあったかと思うが、どうだったか。

気になっていることは、山城では、飲料水はどうしていたのだろうか。山の上だから、井戸を掘って水が出るということはない。地下水脈が地面のそう深くないところにないとダメである。貯蔵できる飲料水には限界がある。となると、山城の籠城戦は、飲料水という点から見ると、圧倒的に不利であると思える。兵糧攻めということではなく、飲料水を断たれたら、ギブアップするしかない。

大垣から秀吉がとってかえしたということも、軍事でいえば、兵站の問題である。中国大返しも、まさに兵站の問題として考えなければならない。

前田利家など、勝家がたの武将が裏切ったというのは、インテリジェンスの問題というべきだろう。インテリジェンスをふくめて、軍事を考えなければならない。近代の国民国家の軍隊は、司令部の命令は絶対である(原則)。そして、国家と国民に対して忠誠をつくす。しかし、戦国時代の武将はそうではない。生き残りのために裏切るのは当たり前。こういう時代のインテリジェンスは、どんなものだったのだろうか。もっとも史料が残りにくい部分かと思うが、だからこそ、もっとも重要なことだともいえよう。

昔の道は、山岳地帯だったら、尾根伝いに道がある。また、それ以外にも、かすかな人の通る道がある。こういうことは、近年まで残っていたことである。宮本常一の書いたものなど読むと、生活の実態として書いてある。

2026年8月21日記