ザ・バックヤード「伊丹市昆虫館」 ― 2026-08-15
2026年8月15日 當山日出夫
ザ・バックヤード「伊丹市昆虫館」
はっきり言って、虫は苦手なのである。だが、昆虫館には興味がある。
昆虫……この回の場合は、チョウがメインになっていたが……を育てるのに、そのエサとなる植物から育てる。当たり前のことだが、こういう苦労というか、工夫があっての、昆虫館になる。
チョウを一頭づつ(正式には、昆虫は、頭、で数えるはずだと思っているのだが)、個別にエサをあげて、掃除して、状態を記録して……これは、大変である。だが、こういう経験とデータの蓄積があるからこそ、安定して、チョウの飼育が続けられるということになる。
絶滅危惧種ⅠAを飼育しているというのも、すごい。
虫めずる姫君は、いつの時代もいるものである。使っていたカメラは、オリンパス(昔の名称で言ったほうが、今でも分かりやすい)。これは、昆虫などの小さいものを撮影するには、確かな選択だと思う。
2026年8月6日記
100分de名著「アンドレ・ブルトン“シュルレアリスム宣言” (2)超現実とはなにか」 ― 2026-08-15
2026年8月15日 當山日出夫
100分de名著「アンドレ・ブルトン“シュルレアリスム宣言” (2)超現実とはなにか」
言語研究の視点から見て面白いのは、自動記述のテストとして、生成AIを使ってみる。その結果、なんとなくそれらしい「シュール」な答えが返ってくる。
何を言っているのか、常識的にはメチャメチャな文なのであるが、しかし、文法としては規則にのっとっている。これは、自動記述のことというよりも、生成AIによる文の生成とは、いったいどういうことになっているのか、ということを考えることになるだろう。(ただ、もう、私としては、このことについて考えようとは思わない。だが、こういうことは、言語について勉強しようとしている大学院生ぐらいを相手に、君はどう考えますか、と教室で話しをしてみたいことである。)
この回を見ても、フロイトの言った無意識ということの存在が、この時代の人たちにどれほど大きな影響を与えたものであるのか、という気がする。
おそらく、現代の人間の脳や心理についての研究は、この無意識を、サイエンスの方法論で、どこまで説明できるか、解明できるか、という方向になっているのかと思っているのだが、どうなのだろうか。
2026年8月11日記
芸能きわみ堂「市川團子が挑む!スーパー歌舞伎「もののけ姫」」 ― 2026-08-15
2026年8月15日 當山日出夫
芸能きわみ堂「市川團子が挑む!スーパー歌舞伎「もののけ姫」」
スーパー歌舞伎というと、「ヤマトタケル」になる。これが、梅原猛の作であるということは知っていることになる。昔、「ヤマトタケル」の公演があったとき……私は、見ていないが、というよりも、見る気もしなかったが……梅原猛も、耄碌して余計なことをはじめて、と思ったものである。高校生のころに、『水底の歌』とかは読んだ本である。だが、その後、国文学を専門的に勉強するようになって、う~ん、なんだかなあ、という気になってきた。
梅原猛が、日本の古代の文化に、新たな視点からいどもうとしていたということは、今になってみれば、日本文化論、特に古代文化論の、近代になってからの歴史の中の一コマとして、位置づけて評価することになる。最近の本では、中島岳志の『縄文』が面白い。
「ヤマトタケル」についていえば、ひょっとすると、現代だったら、日本武尊が本当に実在したと思っている人がいるかもしれない。まあ、完全に否定する根拠というのも無いのであるが、常識的な、古代史、古代文学の知識としては、虚構ということになる。しかし、最近のことになるが、皇室典範の改正をめぐって、神武天皇実在論を本気で信じているとしか思えない言説を目にするようになってきている。中には、2600年ということを、大真面目に言っている人もいる。いったい、日本はどうなってしまったのだろうと思うのだけれど。
「もののけ姫」は、正直言ってよく分からない。なんとなく、網野善彦と水木しげると白土三平などを、ごっちゃに混ぜて作ったような印象を持っているのだが、いったい何をいいたい映画なのか、宮崎駿は何を表現しようとしたのか、分からないままでいる。
だから、これが歌舞伎になるといっても、ふ~ん、そういうこともあるのか、というぐらいである。
とはいえ、歌舞伎という芸能が、常に新しいものを取り入れてチャレンジしてきたからこそ、今に残っているということは確かなことなので、こういうことはあっていいことだと思うだけである。
番組の中で、澤瀉屋に言及するなかで、市川中車について、ほとんど触れることが無かったのは、いたしかたないことかと思うが、ちょっと残念である。
それから、やっぱり、バックヤードは見ていて面白い。
2026年8月8日記
特集ドラマ「手塚治虫の戦争」 ― 2026-08-15
2026年8月15日 當山日出夫
特集ドラマ「手塚治虫の戦争」
いったいいつごろから、手塚治虫は、漫画の神様、ということになったのだろうか。手塚治虫をめぐる言説史、戦後の漫画の歴史という観点から考えるべきことがあるだろう。
私の世代だと、「鉄腕アトム」は、リアルタイムで、漫画も読んだし、テレビのアニメも見ている。だが、同時に、漫画は俗悪、低劣な読み物で、良識的な子どもの教育からは忌避されてきたということがある。有害図書であった。実際に、街には、白ポストがあり、今の価値観からするなら、表現規制、言論の自由の弾圧、焚書、禁書、といわれるようなことが、公然と行われてきた。「鉄腕アトム」も残虐だと批難されたことがある。こういう歴史の経緯を無視して、漫画の神様が戦争を描いた、ということで、ことさら手塚治虫を持ち上げてドラマを作るのは、どうなのだろうか、と思うのが、私のまず思うところである。
戦後における、戦争漫画の歴史という背景を無視するのもどうかと思う。私の家の本棚には、文庫本だが、『紫電改のタカ』(ちばてつや)、『二世部隊物語』(望月三起也)などが置いてある。Kindle版になるが、『サブマリン707』もある。私が小学生のころ、少年漫画雑誌は、戦争漫画がたくさんあったし、軍事情報も多く掲載されていた。戦艦大和のイラスト解説など、ごく普通にあったことである。その多くは、今の価値観からは、否定的に見ることになるかもしれないが、しかし、こういう時代の背景があったということは、少なくとも記録には残すべきことである。
そして、こういう背景があって、手塚治虫が戦争をどう描くことになったのかが、理解されることになる。
それから、戦争と漫画ということでは、田河水泡のことを忘れることはできないはずである。だが、これも、今ではきちんと描こうとすると、かなりややこしいことになるかなとは思うが。
だが、ドラマとしては、よく出来ている。
特に、戦時中の勤労動員の学生の描写。学校でのタテマエ、これは、いかにも軍国主義なのだが、実際には、教師などの目を盗んで、学生どうしで楽しむところもあり、息抜きをすることもあり、(鉄郎のように)昆虫に興味を持つこともあり……戦争の時代だからといって、誰もが、四六時中、戦争のことばかり思っていたわけではない。実際の生活としては、(このドラマでは描かなかったが)食料のこともあったはずだし、残っている証言などでは、飛来するB29を見て美しいと感じるところもあった。人の生活の中での感じ方は、さまざまである。
男子学生どうしが仲よくするというあたりのことは、仲間意識、友情として、描く範囲になっているが、これも、描きようによっては、特に性的なことがらについては、現代ではかなり難しい部分もあることになるかもしれない。
女学生の京子(野内まる)がとても良かった。
現代(その当時の)の部分で、手塚治虫と編集者が話をするシーン。実際のキャバレーを使ったものだろう。どの店か、分かる人にはすぐ分かることだと思うが。
私は、手塚治虫の本人を一度だけ目にしたことがある。1980年ごろになるだろうか。東京で日本橋の丸善に行ったとき、イベントとして、手塚治虫のサイン会があった。たしか、アメリカ人だったと思うが、外国の人の書いた手塚治虫の研究書の発売に合わせてである。もちろん、英語の本である。その本を買うと(たしか、5000円ぐらいだったと記憶する、買って買えない値段ではなかったが)、手塚治虫が何か絵を描いてくれてサインしてくれる。よっぽどどうしようかと迷ったのだが、結局、本を買わず、サインももらわずに、店を後にした。もし、絵を描いてもらえるのだったら、私だったら、サファイアをお願いしたいと思ったのを憶えている。見ていると、アトムの絵を希望する人が多かったのだが。
そのころは、「ブラックジャック」のころだっただろうか。私の印象としては、手塚治虫の評価は、日本でよりも、海外の方が先行していたのではないかと思える。このあたりのことは、現代では、専門の漫画史研究の分野のことになる。
2026年8月13日記
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