山内昌之『歴史という武器』2016-07-05

2016-07-05 當山日出夫

山内昌之.『歴史という武器』(文春文庫).文藝春秋.2016(原著、文藝春秋.2013 文庫化にあたって加筆・追加などあり)
http://books.bunshun.jp/ud/book/num/9784167906429

筆者はいうまでもなく、現代イスラーム政治・歴史の専門家。この本は、主に産経新聞などに書いた、短い論説文を編集したもの。産経新聞に書いているということは、多少なりとも配慮して読む必要はあるかと思うが、いろいろ考えるところの多い本である。

「はじめに」として、「ビジネスパーソンが歴史を学ぶ意味-「思考の軸」となる歴史観を持て-」には、次のようにある、

「歴史を学ぶ意味を英語で表すとすれば、”Back to the Future”に尽きます。(中略)われわれは過去を歴史として学ぶわけですが、過去を振り返ったときそこに見えてくる知恵や様々な教訓とは、まさに現代に活かされ、未来につながっていく手がかりとしてあるのです。/そして、歴史を学ぶことで、知的活動領域が無限に拡大していきます。」(p.11)

ここまでは、歴史の重要性として特に目新しいことではない。本書の面目は次のようなところにあると、私は読む。「ビジネスパーソン」に読むべきとして、具体的に筆者があげている「歴史書」は、次のようなものである。

『史記』(司馬遷)
『大勢三転考』(伊達千広=陸奥宗光の父親)
『読史余論』(新井白石)
『神皇正統記』(北畠親房)
『平家物語』
『春秋左氏伝』
『貞観政要』
『吾妻鏡』

そして、こう付け加える……「歴史書と歴史小説は違うのです」(p.21)

「歴史小説」、たぶん言わんとするところは、司馬遼太郎を読んで、歴史をわかったような気になってはダメですよということであると理解する。

ところで、一般の日本史・東洋史の専門家でも、これらの本をきちんと読んでいるという「研究者」はたぶんすくないのではないか。

なお、私としては、上記の本に加えて、『文明論之概略』(福澤諭吉)をいれておきたい気持ちがある。

次のような箇所は、なるほどと思って読んだ。

「中国はあまりものごとを考えていないように見えて、実は、非常に長い射程で歴史を捉え戦略的思考をする国なのです。鄧小平は尖閣諸島の問題について「今の世代で解決するのは難しいだろうから、後世にいい知恵が出るまで待とう」と言って、日本側に譲ったとされています。しかし、それは違う。中国は尖閣に関する権利を留保しつつ時間を稼ぎ、将来自分たちに有利な状況になった時に日本を交渉のテーブルに着かせることを狙っていると解釈すべきです。」(pp.23-24)

「歴史認識」については、

「つまり、歴史があって歴史認識が存在するのではなく、歴史認識があって初めて「歴史」が存在するという関係なのだ。」(p.37)

次の指摘は、人によって評価がわかれるかもしれない。

「右傾化やナショナリズムというレッテル貼りは、自分の主張が通らず相手を攻めあぐねてているときに自己主張に自信が持てない国や人びとが言うことである。日本は政府も良識ある市民も、ことさらに中国の”侵略膨張化””夜郎自大”とか韓国の”左傾化””事大主義”などとレッテルを貼らないだけなのだ。」(p.312)

ともあれ、「レッテル貼り」ではない、自覚的な「保守」「リベラル」というものが、いずれの立場にたつにせよ、今は求められていることはたしかだろうと思う。そして、それは、「歴史」に学ぶものでなければならない。

追記 2016-12-23
ここにあげたような歴史学の書物について、さらに解説したものとして、『歴史学の名著30』(ちくま新書)がある。

やまもも書斎記 2016年12月23日
山内昌之『歴史学の名著30』
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2016/12/23/8286305