『流人道中記』(上)浅田次郎/中公文庫2023-06-16

2023年6月16日 當山日出夫

流人道中記(上)

浅田次郎.『流人道中記』(上)(中公文庫).中央公論新社.2023(中央公論新社.2020)
https://www.chuko.co.jp/bunko/2023/02/207315.html

浅田次郎は、その作品の多くを読んで来ていると思う。私の見るところ、その代表作と言っていいのは、『きんぴか』であると思っている。最初期の作品だが、その後の浅田次郎のエッセンスがすべてつまっている。他には「プリンズンホテル」シリーズ、「天切り松」シリーズもいい。「蒼穹の昴」シリーズは、これは全部読んできている。

浅田次郎は、時代小説の書き手でもある。だが、ここに、時代考証というようなものを持ち込むのは野暮である。作者の設定した時代小説のなかで十分に楽しんで読めばよいと思っている。

それにしても、なぜ浅田次郎は、その時代小説において、幕末という時代設定を好むのであろうか。もうじき江戸時代が終わるというときを、ことさらに選んで時代設定にしているようである。

これは、「武士」というものの生き方を描こうとするからなのだろう。江戸時代、二〇〇年以上にわたって続いてきた武士の時代。その時代がまさに終わろうとするころ、まさしく武士としかいいようのない生き方をする人間が登場する。悲劇的でもあり、喜劇的でもある。

この小説の時代は、万延元年ということになっている。黒船もやってきている。しかし、登場する武士たちは、もうじき歴史の流れとして武士の時代が終わることを、まったく意識していない。いや、これからもずっと武士の時代がつづくことを信じている。そして、武士らしくあろうとしている。

この愚直さが、浅田次郎の時代小説の醍醐味と言っていいのだろうと思っている。

私は、浅田次郎の小説を特徴付けるのは、登場人物の愚直さと、作品全体にただよう幻想性にあると考える。この『流人道中記』においても、登場人物たちのなんと愚直なことかと思う。いくらなんでも、こんな人間がこの時代にいたはずはないと思ってしまう。だが、読み進めていくうちに、その愚直な登場人物に共感してしまうことになる。

エンタテイメントとしての時代小説の面白さ、そして、そこにあるある種のヒューマニズム。もう隠居、居職と思っている身の上としては、まさに楽しみの読書である。つづけて、下巻を読むことにしよう。

2023年6月9日記

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