「奇妙な果実 怒りと悲しみのバトン」2024-05-17

2024年5月17日 當山日出夫

映像の世紀バタフライエフェクト 奇妙な果実 怒りと悲しみのバトン

「奇妙な果実」は、若いころ、ラジオで聞いたかと憶えている。一九七〇年代のことである。そのころ、下宿で一人住まいをしていて、ラジオだけがあった。テレビは持っていなかった。

ジャズという音楽自体が、その時代、抵抗の音楽だった。あるいは、かつてのそのような歴史をまだ残していた、というべきかもしれない。

FM東京の深夜番組で、「アスペクト・イン・ジャズ」を聞いていた。翌日の朝が眠かった。番組で語っていたのは、由井正一。この番組で、ジャズの歴史というようなことを、知識として知ったことになる。おそらく、このような体験を持っている人は多いのではないだろうか。ただ、かなりの年配以上にはなるが。(ジャズについての、この当時の理解と現在とでは異なっているかとも思う。時代の価値観は大きく変化してきている。)

「奇妙な果実」は、差別される黒人の悲哀(といってはいけないのかもしれない、怒りというべきかもしれないが)を歌っている。だが、この歌だけによって黒人の差別が解消に向かったわけではない。現代にいたるまでの、多くの人びとの戦いと努力の結果である。残念ながら、だからといって、完全に差別がなくなったということでもない。このあたりのことは、これまでの「映像の世紀」でもたびたび描かれてきたことである。今回は、ビリー・ホリデイに焦点をあてて描いたということになる。

二〇世紀の最高の音楽、ということについてはいろいろと意見もあるかもしれない。この評価は、音楽としてというよりも、その政治的な意味においてであろうと思われるからである。

ところで、差別ということを考えるとき、アメリカの黒人差別をとりあげることが多い。しかし、日本においても、差別は考えなければならないテーマでもある。日本国内における様々な差別のこともあるし、また、かつて海外に移民として渡った日系人がどのような待遇をうけてきたかということもある。また、世界の各地で差別ということが今なお無くなったということでもない。

キング牧師は「夢」を語ったが、夢を語るだけでは差別はなくならないというのも、現実の姿であるかとも思う。

2024年5月15日記