偉人の年収「裁判官 三淵嘉子」 ― 2024-09-26
2024年9月26日 當山日出夫
偉人の年収 How much ? 裁判官 三淵嘉子
『虎に翼』に関連して、他のNHKの番組は、あまり表だって関連番組を作らないように思っている。「偉人の年収」でとりあげたので見た。
基本的に三淵嘉子の人生をなぞっていることは確かなので、特に異論を言うことはない。それよりも、むしろ、三淵嘉子の実際の人生をたどることによって、『虎に翼』では、何を描いていないか、ということが見えてくるようになっていた。この意味では、『虎に翼』に対する批判にもなっている、と理解することもできようか。
三淵嘉子が、家庭裁判所を「愛の裁判所」としてどのようなものにしたかったか、また、そこで実際に犯罪をおかした少年少女にどう対応していたのか……これは『虎に翼』ではカットしてしまった部分ということになるが……について、時間の範囲内で、語っていた。
また、『虎に翼』で寅子が法律を学ぶきっかけになった、旧民法の規定……結婚した女性は無能力者……についても、法律用語としてきちんとして説明しよようとしていたと思える。(厳密に法律の歴史の議論としては、かなりややこしい議論になるにちがいないが。)
この番組で言っていたこととしては、三淵嘉子は、家庭というものの価値を重んずる人だったということのように思う。家庭というものが、現代社会で個人として生きるうえでの束縛のように意識されるようになるのは、近年になってからである。少なくとも三淵嘉子の時代までは、家庭に価値があり、核家族化がすすむなかで、家庭崩壊という現象にどう対処するか、ということに苦労したということかと、見ながら思ったことである。(この家庭の価値ということは、『虎に翼』では、おそらく意図的に描かないでいることだと感じるところでもある。)
三淵嘉子は、明治大学法学部を首席で卒業したと、言っていた。東京女子高等師範学校附属の女学校の卒業でもある。その当時としては、ぬきんでた才媛(もう今ではこのことばはふるめかしいが)であった。
家庭裁判所で担当した事件のなかには、親を殺したという事例もあったという。そうなら、『虎と翼』では、尊属殺違憲判決よりも、こういうことをこそ描くべきだったのではないかと思う。ただ、少年事件なので、とりあつかいは難しいところがあるにはちがいないが。
余計なことかもしれないが……三淵嘉子について語るならば、まず考えてみるべきは、その「愛の裁判所」としての家庭裁判所のおかげで、非行から更生することのできた人たちのことではないかと、私は思う。その多くは、まだ存命のはずである。その人たちへの想像力……テレビを見て何を思うだろうか……がまったく欠如していたのが『虎に翼』であると思わざるをえない。
2024年9月25日記
偉人の年収 How much ? 裁判官 三淵嘉子
『虎に翼』に関連して、他のNHKの番組は、あまり表だって関連番組を作らないように思っている。「偉人の年収」でとりあげたので見た。
基本的に三淵嘉子の人生をなぞっていることは確かなので、特に異論を言うことはない。それよりも、むしろ、三淵嘉子の実際の人生をたどることによって、『虎に翼』では、何を描いていないか、ということが見えてくるようになっていた。この意味では、『虎に翼』に対する批判にもなっている、と理解することもできようか。
三淵嘉子が、家庭裁判所を「愛の裁判所」としてどのようなものにしたかったか、また、そこで実際に犯罪をおかした少年少女にどう対応していたのか……これは『虎に翼』ではカットしてしまった部分ということになるが……について、時間の範囲内で、語っていた。
また、『虎に翼』で寅子が法律を学ぶきっかけになった、旧民法の規定……結婚した女性は無能力者……についても、法律用語としてきちんとして説明しよようとしていたと思える。(厳密に法律の歴史の議論としては、かなりややこしい議論になるにちがいないが。)
この番組で言っていたこととしては、三淵嘉子は、家庭というものの価値を重んずる人だったということのように思う。家庭というものが、現代社会で個人として生きるうえでの束縛のように意識されるようになるのは、近年になってからである。少なくとも三淵嘉子の時代までは、家庭に価値があり、核家族化がすすむなかで、家庭崩壊という現象にどう対処するか、ということに苦労したということかと、見ながら思ったことである。(この家庭の価値ということは、『虎に翼』では、おそらく意図的に描かないでいることだと感じるところでもある。)
三淵嘉子は、明治大学法学部を首席で卒業したと、言っていた。東京女子高等師範学校附属の女学校の卒業でもある。その当時としては、ぬきんでた才媛(もう今ではこのことばはふるめかしいが)であった。
家庭裁判所で担当した事件のなかには、親を殺したという事例もあったという。そうなら、『虎と翼』では、尊属殺違憲判決よりも、こういうことをこそ描くべきだったのではないかと思う。ただ、少年事件なので、とりあつかいは難しいところがあるにはちがいないが。
余計なことかもしれないが……三淵嘉子について語るならば、まず考えてみるべきは、その「愛の裁判所」としての家庭裁判所のおかげで、非行から更生することのできた人たちのことではないかと、私は思う。その多くは、まだ存命のはずである。その人たちへの想像力……テレビを見て何を思うだろうか……がまったく欠如していたのが『虎に翼』であると思わざるをえない。
2024年9月25日記
コメント
_ 妖怪人間M ― 2024-09-26 07時28分07秒
※メールアドレスとURLの入力は必須ではありません。 入力されたメールアドレスは記事に反映されず、ブログの管理者のみが参照できます。
※なお、送られたコメントはブログの管理者が確認するまで公開されません。
※投稿には管理者が設定した質問に答える必要があります。
トラックバック
このエントリのトラックバックURL: http://yamamomo.asablo.jp/blog/2024/09/26/9719470/tb
※なお、送られたトラックバックはブログの管理者が確認するまで公開されません。
私は「無能力者」の説明を聞いて「このドラマは職業人としての三淵嘉子さんを描くつもりはないんだなぁ」と思いました。
文学部出身なもので大学における実際の法学教育は存じませんが、あの説明ではおそらく一回生で落第でしょう。