芸能きわみ堂「日本の“コワイ”の原点!東海道四谷怪談」 ― 2025-07-21
2025年7月21日 當山日出夫
芸能きわみ堂 日本の“コワイ”の原点!東海道四谷怪談
この番組はあまり見ることはないのだが、たまたま、東海道四谷怪談ということなので録画しておいた。
東海道四谷怪談が仮名手本忠臣蔵に組み込まれたストーリーである、ということは、あまり知られていないことかもしれない。日本文学史の常識的知識であるとは思うのだが。
仮名手本忠臣蔵も全部を通しで上演するとなると、一日かかる。それに、東海道四谷怪談を入れ込んで上演するとなると、二日がかりである。これは、見る方もたいへんだが、演ずる方はもっとたいへんだろう。
その後の演劇史としてはどうなのだろうか。忠臣蔵から離れて独立して上演されるということになったかと思うのだが、その経緯はどうなのだろうか。(近世から近代の演劇史に詳しい人なら知っていることだろうと思うが。)
お化けの出てくる演劇としては、能楽ならいっぱい出てくると思う。お化けというよりも、亡者、亡霊、というべきであり、恐怖を感じるものとしてではないのだが。
日本の演劇史での恐怖の表現と受容……という観点から考えると、おそらく東海道四谷怪談が、画期的なものということになるのかと思う。
日本の文学や演劇の歴史において、怖い、ということはどう表現されてきたのか、あまり考えたことがない。近世になって、妖怪を描いたものが多くあり、中世からつづくものだろうと思ってみるぐらいである。『太平記』を読むと、お化けというか怪異というべきか、出てくるのだが、これを、中世から近世の人びとは、どう感じて読んだのだろうか。『源氏物語』にもののけや生き霊は出てくるが、現代では、あまり、怖い、という感情で読むことはないかもしれない。だが、『今昔物語集』の巻27の怪異の巻は、一人で静かに読むと、怖い思いをする。このことは、岩波の古い体系本の校注で、山田忠雄先生が書いておられることでもある。
現代では、怪談、がブームらしい。怪談を語ることが、現代の芸能として定着しているようだし、YouTubeにもたくさんの怪談がある。おそらく、文学と演劇、それから、話芸にまたがるところで、怪談の歴史ということを考えることになるのだろう。
怖い話というと、私の場合、『遠野物語』になる。これは、前近代的な感性の問題でもあると思っているが、怪談をふくんだ日本の文化史、精神史、民俗史、という大きな構想が必要になってくるかと思う。それよりも、それを、怖い、と感じる人間の感性の歴史といういことかだろうか。
2025年7月17日記
芸能きわみ堂 日本の“コワイ”の原点!東海道四谷怪談
この番組はあまり見ることはないのだが、たまたま、東海道四谷怪談ということなので録画しておいた。
東海道四谷怪談が仮名手本忠臣蔵に組み込まれたストーリーである、ということは、あまり知られていないことかもしれない。日本文学史の常識的知識であるとは思うのだが。
仮名手本忠臣蔵も全部を通しで上演するとなると、一日かかる。それに、東海道四谷怪談を入れ込んで上演するとなると、二日がかりである。これは、見る方もたいへんだが、演ずる方はもっとたいへんだろう。
その後の演劇史としてはどうなのだろうか。忠臣蔵から離れて独立して上演されるということになったかと思うのだが、その経緯はどうなのだろうか。(近世から近代の演劇史に詳しい人なら知っていることだろうと思うが。)
お化けの出てくる演劇としては、能楽ならいっぱい出てくると思う。お化けというよりも、亡者、亡霊、というべきであり、恐怖を感じるものとしてではないのだが。
日本の演劇史での恐怖の表現と受容……という観点から考えると、おそらく東海道四谷怪談が、画期的なものということになるのかと思う。
日本の文学や演劇の歴史において、怖い、ということはどう表現されてきたのか、あまり考えたことがない。近世になって、妖怪を描いたものが多くあり、中世からつづくものだろうと思ってみるぐらいである。『太平記』を読むと、お化けというか怪異というべきか、出てくるのだが、これを、中世から近世の人びとは、どう感じて読んだのだろうか。『源氏物語』にもののけや生き霊は出てくるが、現代では、あまり、怖い、という感情で読むことはないかもしれない。だが、『今昔物語集』の巻27の怪異の巻は、一人で静かに読むと、怖い思いをする。このことは、岩波の古い体系本の校注で、山田忠雄先生が書いておられることでもある。
現代では、怪談、がブームらしい。怪談を語ることが、現代の芸能として定着しているようだし、YouTubeにもたくさんの怪談がある。おそらく、文学と演劇、それから、話芸にまたがるところで、怪談の歴史ということを考えることになるのだろう。
怖い話というと、私の場合、『遠野物語』になる。これは、前近代的な感性の問題でもあると思っているが、怪談をふくんだ日本の文化史、精神史、民俗史、という大きな構想が必要になってくるかと思う。それよりも、それを、怖い、と感じる人間の感性の歴史といういことかだろうか。
2025年7月17日記
BS世界のドキュメンタリー「生と死の境界線 死刑囚 最期の7日間」 ― 2025-07-21
2025年7月21日 當山日出夫
BS世界のドキュメンタリー 「生と死の境界線 死刑囚 最期の7日間」
2024年、イギリスの制作。
死生観というのは、歴史や文化によって大きく異なるものなので、一律に、死刑反対とは思わない。それを制度としてもっている国があってもいい。
個人的には、日本においては、死刑の制度はあってもいいと思っている。だが、そのあつかい、特に冤罪の可能性がある場合には、きわめて慎重であるべきである。(ただ、ここで、死刑廃止となると、これまでの判例との整合性という問題があることにはなるのだが。)
これは、アメリカのテキサス州のことである。死刑に決まった囚人に、その執行日があらかじめ知らされ、また、その直前まで、外部の人間と面会したりできる、死刑の執行に、事件の被害者がたちあうことができる……このようなことは、日本の死刑のあり方とくらべて、非常に変わったことに思える。ほとんど公開処刑に近い。フランス革命のときのギロチンとか、アメリカの西部劇のシーンなど思うことになる。
これは、死刑ということ、あるいは、刑事罰ということのもっている、社会的な意味、暗黙知というべきものかもしれないが、これが日本とは大きく異なるということであろう。
死刑につてどうこう思うというよりも、むしろ、歴史や文化の違いによって、死刑というのは、社会のなかで、これほど違っているのか、という驚きの方が大きい。だから、この番組を見て、だから死刑には反対であるとか、やはり死刑は必要であるとか、そのように感じるところはない。(私の場合はということであるが。)
事件については、犯行に使われた拳銃から指紋が検出されているといことは、かなり重要な証拠になるかと思う。
それにしても、無実と思って、その情報発信にポッドキャストが使われるというのは、今のアメリカならではのことなのであろう。また、出てきた人たちの多くが、プロテスタントの信仰を強く持っている、死刑の是非をめぐっては宗教的な対立がない(ように見える)ということも、アメリカのこの地域ならではのことかとも思う。
近代的な刑法の基本にあるのが、被害者の側から復讐する権利をうばうことである、ということを考えてみるべきだろう。その刑が死刑であるかいなかにかかわらず。
2025年7月13日記
BS世界のドキュメンタリー 「生と死の境界線 死刑囚 最期の7日間」
2024年、イギリスの制作。
死生観というのは、歴史や文化によって大きく異なるものなので、一律に、死刑反対とは思わない。それを制度としてもっている国があってもいい。
個人的には、日本においては、死刑の制度はあってもいいと思っている。だが、そのあつかい、特に冤罪の可能性がある場合には、きわめて慎重であるべきである。(ただ、ここで、死刑廃止となると、これまでの判例との整合性という問題があることにはなるのだが。)
これは、アメリカのテキサス州のことである。死刑に決まった囚人に、その執行日があらかじめ知らされ、また、その直前まで、外部の人間と面会したりできる、死刑の執行に、事件の被害者がたちあうことができる……このようなことは、日本の死刑のあり方とくらべて、非常に変わったことに思える。ほとんど公開処刑に近い。フランス革命のときのギロチンとか、アメリカの西部劇のシーンなど思うことになる。
これは、死刑ということ、あるいは、刑事罰ということのもっている、社会的な意味、暗黙知というべきものかもしれないが、これが日本とは大きく異なるということであろう。
死刑につてどうこう思うというよりも、むしろ、歴史や文化の違いによって、死刑というのは、社会のなかで、これほど違っているのか、という驚きの方が大きい。だから、この番組を見て、だから死刑には反対であるとか、やはり死刑は必要であるとか、そのように感じるところはない。(私の場合はということであるが。)
事件については、犯行に使われた拳銃から指紋が検出されているといことは、かなり重要な証拠になるかと思う。
それにしても、無実と思って、その情報発信にポッドキャストが使われるというのは、今のアメリカならではのことなのであろう。また、出てきた人たちの多くが、プロテスタントの信仰を強く持っている、死刑の是非をめぐっては宗教的な対立がない(ように見える)ということも、アメリカのこの地域ならではのことかとも思う。
近代的な刑法の基本にあるのが、被害者の側から復讐する権利をうばうことである、ということを考えてみるべきだろう。その刑が死刑であるかいなかにかかわらず。
2025年7月13日記
『八重の桜』「遠ざかる背中」 ― 2025-07-21
2025年7月21日 當山日出夫
『八重の桜』 「遠ざかる背中」
貧乏くじをひくことになったのは会津の殿様であり、たくみにたちまわったのは徳川慶喜、ということになるだろうか。
歴史のもしもであるが、徳川慶喜が最後の将軍であったけれども、幕府の立て直し……政治制度や軍事をふくめて……に成功していたとしたら、世の中の歴史は変わっていたかもしれない、このような感想をいだかせる回であった。
実際の孝明天皇が、自分のことを「わし」などと親しく話したとは思えないのだけれども、このドラマにおける孝明天皇は、英明である。この孝明天皇が、もうちょっと長生きしていたら、これもまた歴史が変わっていたかもしれない。
慶喜、孝明天皇、勝海舟、西郷隆盛……これらの登場人物が、それぞれに、日本という国のゆくすえを、世界のなかで考えている、ということになるだろうか。このなかにあって、おいてけぼりをくらった感じなのが、松平容保の殿様、こう思えてくる。譜代の大名としての幕府への忠誠心、孝明天皇への忠誠心、これが、これまではかろうじて、容保のなかでバランスをたもってきたのであるが、孝明天皇が崩御してしまうと、その気持ちをささえるものが無くなってしまうことになる。この後、慶喜は、徳川幕府を放り出すことになるが、結局、戊辰戦争でひどいめにあうことになるのは、どうしようもなかったか、という印象である。
このドラマでは、刀を持っての戦いは描くことを少なくしている方針であると思える。そのかわり、槍となぎなたがよく登場する。竹子が言っていたように、刀は、武士にとって象徴的な意味を持つものであったが、鉄砲はそうではない。(どうでもいいことだが、後の明治以降の近代的軍隊になってからも、軍刀というのがあったことになるが、単に時代錯誤であったと言っていいものだろうか。)
2025年7月20日記
『八重の桜』 「遠ざかる背中」
貧乏くじをひくことになったのは会津の殿様であり、たくみにたちまわったのは徳川慶喜、ということになるだろうか。
歴史のもしもであるが、徳川慶喜が最後の将軍であったけれども、幕府の立て直し……政治制度や軍事をふくめて……に成功していたとしたら、世の中の歴史は変わっていたかもしれない、このような感想をいだかせる回であった。
実際の孝明天皇が、自分のことを「わし」などと親しく話したとは思えないのだけれども、このドラマにおける孝明天皇は、英明である。この孝明天皇が、もうちょっと長生きしていたら、これもまた歴史が変わっていたかもしれない。
慶喜、孝明天皇、勝海舟、西郷隆盛……これらの登場人物が、それぞれに、日本という国のゆくすえを、世界のなかで考えている、ということになるだろうか。このなかにあって、おいてけぼりをくらった感じなのが、松平容保の殿様、こう思えてくる。譜代の大名としての幕府への忠誠心、孝明天皇への忠誠心、これが、これまではかろうじて、容保のなかでバランスをたもってきたのであるが、孝明天皇が崩御してしまうと、その気持ちをささえるものが無くなってしまうことになる。この後、慶喜は、徳川幕府を放り出すことになるが、結局、戊辰戦争でひどいめにあうことになるのは、どうしようもなかったか、という印象である。
このドラマでは、刀を持っての戦いは描くことを少なくしている方針であると思える。そのかわり、槍となぎなたがよく登場する。竹子が言っていたように、刀は、武士にとって象徴的な意味を持つものであったが、鉄砲はそうではない。(どうでもいいことだが、後の明治以降の近代的軍隊になってからも、軍刀というのがあったことになるが、単に時代錯誤であったと言っていいものだろうか。)
2025年7月20日記
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