地球ドラマチック「スターダンサーを目指して〜ウィーン国立歌劇場バレエ学校〜」 ― 2025-10-01
2025年10月1日 當山日出夫
地球ドラマチック スターダンサーを目指して〜ウィーン国立歌劇場バレエ学校〜
ドイツ、オーストリア、スイス。2023年。
始めに批判的な視点で見ることになるが、このバレエ学校は、いわゆる人種として白人しか入学できないのだろうか。今どき、そのような規約を堂々とかかげるということはないだろう。だが、実質的に、この学校に入ってくるような子どもたちは、白人に限定されているという理解でいいのだろう。おそらく、イスラムの信仰を持っている人びとにとってみれば、女性がバレリーナとして公共の劇場でダンスをするということは、あまり受け入れられることではないのかもしれない。(あえて意地の悪い表現をするならば、目に見えない文化の壁である。)
このようなことを思って見るところもあるのだが、しかし、一つのことに打ち込む少女や少年たちの、すがたはひたむきで感動的である。こういう苦労があっても、バレエの世界でトップにたてるのは、ほんのわずか……それが、努力なのか、運なのか……であることは、いたしかたないことだろう。
学校に通う男性が映っていたが、レインボーフラッグが部屋の中にあったのは、ただのかざりとしておいてあるのか、その主張に賛成するからなのか、あるいは、それ以上の意味があってのことなのか……ここは、どういうことなのだろうかとは思ったところである。
この番組の趣旨とは関係ないことかと思うが、バレエというのは、立体的なもので上の方から見てもいい、いや、上の方から見て美しくなるように舞台をつくる(踊りははもちろん、演出や、舞台美術など)ということを、強く感じた。舞台の床がきれいである。何の目じるしになるようなものもない。舞台自体が奥行きのある作りになっている。上の方にあるボックス席から見下ろして見て、きれいな舞台になるように、ということかと思ったのだが、どうなのだろうか。ここは、西欧の演劇やバレエの専門家に聞きたいところである。
日本の演劇、芸能は、そんなに上の方からの視線を意識していない。歌舞伎の観劇でも、桟敷席はいくぶん高い位置にあるが、見下ろすということはない。能楽は、基本的には、舞台とほぼ同じ高さの視線で作ってあると思う。これが、近代的な劇場だと、二階席、三階席とあったりするが、新しく設計した劇場ということでいいだろうか。(私は、文楽を二階席から見たいとは思わない。)
演劇、芸能と視線の位置、高さ、という問題になるかと思うが、たぶん考えた人はすでにいるだろう。
学校の生徒の一人が、踊っている自分の姿を、俯瞰できる視点を持たなければならない、と言っていたのが印象的である。また、自分が踊るだけではなく、周りのダンサーたちの動きの気配を察知する……コミュニケーションできる身体感覚ということなるのだろう……ことを語っていたのは、芸術、芸能というものの本質にかかわることばであると思う。
2025年9月23日記
地球ドラマチック スターダンサーを目指して〜ウィーン国立歌劇場バレエ学校〜
ドイツ、オーストリア、スイス。2023年。
始めに批判的な視点で見ることになるが、このバレエ学校は、いわゆる人種として白人しか入学できないのだろうか。今どき、そのような規約を堂々とかかげるということはないだろう。だが、実質的に、この学校に入ってくるような子どもたちは、白人に限定されているという理解でいいのだろう。おそらく、イスラムの信仰を持っている人びとにとってみれば、女性がバレリーナとして公共の劇場でダンスをするということは、あまり受け入れられることではないのかもしれない。(あえて意地の悪い表現をするならば、目に見えない文化の壁である。)
このようなことを思って見るところもあるのだが、しかし、一つのことに打ち込む少女や少年たちの、すがたはひたむきで感動的である。こういう苦労があっても、バレエの世界でトップにたてるのは、ほんのわずか……それが、努力なのか、運なのか……であることは、いたしかたないことだろう。
学校に通う男性が映っていたが、レインボーフラッグが部屋の中にあったのは、ただのかざりとしておいてあるのか、その主張に賛成するからなのか、あるいは、それ以上の意味があってのことなのか……ここは、どういうことなのだろうかとは思ったところである。
この番組の趣旨とは関係ないことかと思うが、バレエというのは、立体的なもので上の方から見てもいい、いや、上の方から見て美しくなるように舞台をつくる(踊りははもちろん、演出や、舞台美術など)ということを、強く感じた。舞台の床がきれいである。何の目じるしになるようなものもない。舞台自体が奥行きのある作りになっている。上の方にあるボックス席から見下ろして見て、きれいな舞台になるように、ということかと思ったのだが、どうなのだろうか。ここは、西欧の演劇やバレエの専門家に聞きたいところである。
日本の演劇、芸能は、そんなに上の方からの視線を意識していない。歌舞伎の観劇でも、桟敷席はいくぶん高い位置にあるが、見下ろすということはない。能楽は、基本的には、舞台とほぼ同じ高さの視線で作ってあると思う。これが、近代的な劇場だと、二階席、三階席とあったりするが、新しく設計した劇場ということでいいだろうか。(私は、文楽を二階席から見たいとは思わない。)
演劇、芸能と視線の位置、高さ、という問題になるかと思うが、たぶん考えた人はすでにいるだろう。
学校の生徒の一人が、踊っている自分の姿を、俯瞰できる視点を持たなければならない、と言っていたのが印象的である。また、自分が踊るだけではなく、周りのダンサーたちの動きの気配を察知する……コミュニケーションできる身体感覚ということなるのだろう……ことを語っていたのは、芸術、芸能というものの本質にかかわることばであると思う。
2025年9月23日記
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