映像の世紀バタフライエフェクト「ナチを支えた女性たち」2025-10-09

2025年10月9日 當山日出夫

映像の世紀バタフライエフェクト ナチを支えた女性たち

同じような番組を、日本の場合として作ったらどうなるだろうか。これが、見ながら、まず思ったことである。昭和戦前の政治家や軍人、それから、実業家や教育関係、社会運動など、さまざまな局面で女性ということを切り口にして見えてくるものがあるかもしれないが、どうなるだろうか。

もし、日本について、同じような企画があるなら、広田弘毅の妻の静子や娘たちは出てくるだろうか。見方によれば、市川房枝なども戦時体制に協力した女性として出てきてもいいかとも思う。

(どうでもいいことかもしれないが、映画『日本のいちばん長い日』は、ほとんど女性の出てこない映画である。)

ナチスの女性の指導者であった、ショルツ・クリンクが、戦後になってからナチスのことを肯定的に語った本を出したのだが、それに対して、誰も見向きもしなかった……ということで話しを終わらせていたが、ここのところは、ちょっと気になる。ナチスの思想や政策について、肯定的に語ることは、現代では基本的にタブーなのであるが、距離をおいて見ることが許されるならば、そのような考え方が生まれてきた歴史的背景……ドイツの人びとの歴史と文化であり、ワイマール体制の問題点……ということについて、冷静に論じることのできる時代がくるだろうかと思っている。そして、ナチスの時代に、ドイツに生きた女性たちについて、その人生が無意味なものではなかったと言える日がくるかとも思う。

総力戦において、女性が労働者として求められるということは、別にナチスだけのことではない。アメリカでもそうであったし、ソ連でもそうであった。日本についてはいうまでもない。現代でも、まだあまり大きく語られないこととしては、日中戦争のときに、日本と戦った、蒋介石と毛沢東が、それぞれの戦略において、女性をどうあつかっていたか、ということもあるはずである。しかし、こういうことに踏み込んだ議論は、今はまだ難しいだろう。そもそも、日本と戦って勝ったのが、蒋介石であったのか、毛沢東であったのか、このあたりの話しは、まさに現代までつづく認知戦ということになる。(見方によっては、これは、まだ触れることが許されない、日本と中国と台湾との間の、最もデリケートな問題かもしれない。)

ゲッベルスの妻のマグダが、子どもを道連れに自殺した後の死体の映像は、これまでも何度も、この「映像の世紀」シリーズで登場してきているので、この回で、ぼかして表現する必要はなかったと思う。

登場するかなと思って出てこなかったのが、レニ・リーフェンシュタール。

番組の趣旨とはまったく関係ないことだが、私が見て最も興味深かったのは、タイプライタを、キーを見ないで打つ、つまり、今でいうタッチタイピングの練習の場面。タイプライタを見ずに、音楽に合わせてキーを打つ練習をすることだった。こういう方法は、ドイツ以外の他の国では、どうだったのだろうか。

2025年10月1日記

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