「心おどるあの人の本棚 (4)クリス智子(ラジオパーソナリティー)」2025-05-14

2025年5月14日 當山日出夫

心おどるあの人の本棚 (4)クリス智子(ラジオパーソナリティー)

テレビの番組表で目にとまったので録画しておいた。

本というのは、私にとっては商売道具(?)であり、あるいは、資料であり、研究対象でもある……というものなので、逆に、本それ自体にあまりこだわることはない。かなり持ってはいる方だが、大部分は書庫にしまったままである。

今では、たいていの本は、Kindleで読む。新しい本で、Kindle版があればそれを買う。以前に読んだ本で、読みかえしたい本があれば、Kindle版で買いなおす。要するに、年をとって小さい文字を読むのが辛くなってきたということがある。

それよりも、純然とことばの世界として小説や評論を読むとすると、本という物理的制約があることの意味を、考えるようになった。ことばは本のなかにあるのだが、同時に、本からはなれてもことばはことばである。

前にも書いたことだが……今、『万葉集』を読むとき、一般の人なら、漢字仮名交じり表記に改めたものを読むことになる。古代語、古代文学の専門家なら、漢字だけの本文に読み方がルビでついたテキストを使う。多く使われるのが、塙書房の出しているものである。ただ、これは、一般にはあまり知られていない本になるかもしれない。はるか昔、万葉集の歌人たちが、その歌を詠んだときは、口承によるものだったと考えることができる。おそらく、柿本人麻呂などの作品はそうだろう。それが、奈良時代になれば、木簡に書かれることもあったかもしれない。大伴家持ぐらいになると、その可能性が高い。しかし、いずれにせよ、万葉の時代の歌人たちにとって、現代の我々が読んでいるような、冊子体の紙の本っとしての『万葉集』などは、想像することすらできなかったはずである。そもそも、歌が集められて編集されて、『万葉集』という書物になることさえも、あずかり知らぬことだったにちがいない。

しかし、その歌は、現代の日本語において読んでも、なにがしか伝わるものがある。(ただ、それが、その歌が詠まれたときの状況を正しくふまえた理解であるかどうかは、また別の問題ではあるが。)

こういうことを思うと、あまり、書物という形にとらわれるべきではない、といえるかもしれない。

だが、ことばは、多くは書物であり(つまり、文字であり)、あるいは、口承という具体的な音声であり、という形で、伝えられてきたことはたしかである。

近代になってからの書物の多くは、書物という形をとることを前提に、書かれて本になってきたということも、また、確かなことである。(現代では、ことばの多くは、デジタル表示の文字であり、その背後には文字コードの世界がある。)

以上のようなことを考えるのだが、それでも、人の本棚を見るのは、面白いものである。

気になったのは、三島由紀夫の「豊饒の海」が並んでいたが、三冊しかなかったようである。全部で四冊なのだがと思ってちょっと気になる。中原中也の詩集があったが、おそらくは復刻版だろう。初版本を、あんなに無造作にあつかうことは考えられない。全集の類が無いというのは、そういう方針なのだろう。

2025年5月13日記

サイエンスZERO「色彩の科学へようこそ!“赤”は変幻自在!」2025-05-14

2025年5月14日 當山日出夫

サイエンスZERO 色彩の科学へようこそ!“赤”は変幻自在!

別に番組にケチをつける気はないのだが、光には色という属性はない、というのが色彩を科学的に考えるときの基本だと思うのだが。ある波長の光について、人間の目がどう反応して(人間の目の場合、RGBに反応するようになっている)、それが、脳のなかで、どのような色として意識されるのか、その結果として、その中身(色)が決まることになる。そして、どの波長の範囲に反応するかは、たまたま人間の目がそうなっているというだけのことにすぎず、もっと広い範囲の光に反応する生きものもあれば、人間のようなRGBで色を認識しない場合もある。

ざっと以上のようなことは、色彩学について常識的なことだと思うが、番組を作るうえでは、赤い光、というような言い方をした方が、一般には分かりやすいことになる。(厳密にいえば、人間が脳で赤と認識する波長の光ということになる。)

現在の色彩学でこういう言い方をするかどうかは知らないのだが、いうなれば、生物にとっての色彩の還世界は、それぞれにことなる。そして、どの色(どの波長の光)にどう反応するか、違いがある。

昆虫や植物にとっての色彩の世界は、人間の見ている色の世界とは異なることになる。これを、応用すれば、光によって反応するスイッチを体内に作ることも可能になる、これはとても面白いことだと思う。

また、人間が見る色の世界は、RGBで考えるよりも、Labで考えた方が、より立体的で分かりやすいということはあると思うのだが、これはかなりややこしい議論が必要になるかと思う。

2025年5月12日記

「Sound Trip モロッコ ジャジューカへの旅」2025-05-14

2025年5月14日 當山日出夫

Sound Trip モロッコ ジャジューカへの旅

テレビの番組表を見ていてたまたま目にとまったので録画しておいて見た。

ヘッドフォンで聴くとより臨場感があるそうなのだが、面倒なので(テレビのどこにヘッドフォンをつなげばいいのか、探すのが面倒なので)、そのまま見て聴いていた。

モロッコという国は、現在では、取材とかいろいろとむずかしいところがある地域かなと思っている。だが、この番組では、特に政情などにふれることなく、モロッコで奏でられている音楽と、それを演奏する人びとを映していただけだった。こういう番組もあっていいと思う。

音楽というのが、それを聴く人に、ある種の興奮であったり、逆に、精神の安定であったりをもたらす、ということは確かなことであり、だからこそ、音楽を人びとは、古くから奏でて、あるいは、歌ってきたのである。

音楽に専門的な知識のある人だったら、使っている音階とか、リズムとかについて、いろいろと語ることが出来るのだろうが、私は、まったく分からない。ただ、画面を見ながら聴いていることになる。しかし、それなりに、この地方ではこういう音楽を人びとは演奏しているのかと、感じる。

モロッコの地方の村でも、若者は都会に出て行ってしまうようである。また、コロナ禍にあって、毎年の村の祭りも中止せざるをえなかった。

村の儀式の音楽を聴いていると、たぶん、現地で実際に聴くならば、聴いているうちに精神が高揚し、また、浄化されるということはあるのだろう。

おそらく、世界のどんな宗教であっても、必要なのは、沈黙と同時に音楽である。

ところで、モロッコというとイスラムの国だと思うのだが、番組に出ていた村はどういう宗教の地域になるのだろうか。イスラムのなかでの、地域ごとの習俗の違いとか、古くからの伝承とか、あるいは、民族の違いなど、調べればいろいろと興味深いことがあるのだろう。

2025年5月12日記

『國語元年』(2)2025-05-13

2025年5月13日 當山日出夫

『國語元年』(2)

オープニングの背景画は、山藤章二である。今では、もう忘れられたという人かもしれない。「週刊朝日」の連載があり、それから、いくつかのエッセイの挿絵を描いている。これは、新潮文庫などで、かなり刊行されて、よく読んだものである。場合によっては、エッセイの内容よりも、その挿絵の方が強く印象に残っている場合もある。

日本語の研究で、方言について近代的な記述的な研究がいつごろから、どのようにしてはじまったのか、この分野のことについては不案内である。だが、日本の方言学研究史としては、とても興味深いことになる。

ドラマの第二回では、方言でも、音韻、音声、に焦点をあてた内容になっていた。世界の言語について、その音韻、音声、それから、語彙、文法を記述的に研究しようという時代になる。立場を代えれば、大英帝国の時代であり、『マイ・フェア・レディ』の時代である、ということになる。

若林虎三郎が登場してきて、ますます、南郷の家の中の言語の状況はややこしくなってきた。まあ、それだけ、面白くなってきたということであるが。明治維新のときとしては、薩摩と長州、それから、戊辰戦争で敗れた会津、それから、瓦解した江戸幕府のあった江戸のことば、これらに、その他の地方の方言がいりまじることになる。

前にも書いたことだと憶えているのだが、このドラマを見ていて、耳で聴いて分かることばを話しているのは、まず、加津である。もとは、この屋敷の奥様だったという。それが、今では、雇われの身で女中頭をしている。これは、江戸の山の手のことばだから、説明なしに理解できる。それから、江戸の下町のことば。ところどころ、分かりづらいところもある、分かる。次に、南郷清之輔の長州のことば。だいたいのことは分かる。このようなことを考えてみると、まさに、現代の日本語の普通の話しことばが、どのようなことばを基盤として成立したものなのか、おおよその見当がつくことになる。

若林虎三郎が忘れていった書簡があった。昔の候文であるが、これを読み上げることになるのだが、この書簡の文章には方言が出てこない。ざっくりいって、はなしことばの方言は問題になるが、書きことばには方言の違いがなかった、このようなことになる。

吉原のことばのことが出てきていた。いわゆる「ありんすことば」である。ちょうど今、『べらぼう』をやっているので、その中で花魁たちが使っていることばである。これが、花魁たちの出自を隠すための人工的なことばであったことは、一般に知られていることであろう。

部分的に見ていけば、日本語研究の立場から、いろいろと言いたいことはある。しかし、そのようなことを抜きにして、ドラマとして見ていて面白い。

この回で、キセルの煙草の火を、隣同士で雁首をくっつけて、火を貸す、という場面があった。もう世の中で煙草をすう人も少なくなったし、キセルも使わなくなったので、こういう仕草が演出できる人材がなくなってきていると感じるところである。

2025年5月12日記

BS世界のドキュメンタリー「うちの敷地には強制収容所があった 〜ドイツ人家族のその後〜」2025-05-13

2025年5月13日 當山日出夫

BS世界のドキュメンタリー 「うちの敷地には強制収容所があった 〜ドイツ人家族のその後〜」

2024年、カナダ、ドイツ、イスラエルの制作。

Copilotで、ナチスのときの外務大臣は、と聞いてみて、たぶん、コンスタンティン・フォン・ノイラート男爵、のことかなと思う。番組の最後のところに、イルムガルト・フォン・ノイラートにささげるとあった。

Wikipediaで、この人物のことを見ると、ナチスに加わったと書いてあるのだが、番組のなかでは、ナチスではなかったと言っていた。さて、本当はどうなのだろうか。外務大臣を辞めて後は、ヒトラーとは距離を置いていたようではあるのだが。

たまたま、このような人物の家族であった、ということで、今にいたるまで背負わなければならない、いろんなものがある……ということは感じとることができる。ドイツにおいて、ナチスの犯罪については、時効ということを設定しないはずだし、仮に、時効と考えても、今のドイツで生きていくためには、いやでも、ナチスの時代のことを、思い出すことにはなるにちがいない。

この家族のことについて、ドイツの一般の人びとは、いったいどう思っているのだろうか、このあたりのことが気になる。

日本では、太平洋戦争、それに先立つ、日中戦争について、国家の指導的立場にあって、その責任を取る、ということは基本的になかった。東京裁判については、その正当性を疑問視する声が、いまだにつづいている。このこともあるが、近年の歴史のとらえ方として、戦前の日本と、戦後の日本を、連続的なものとして考えよう……国家の統治システムや、社会の基本的なあり方について……という方向に変わってきていることもある。このあたりのことを、総合的にどう考えるべきかというのは、かなりむずかしい問題かと思うが。

番組の内容とは関係ないことだが、ドイツの貴族は、その所有する領地のなかに、強制収容所を作ることができるぐらいの広大な土地を持っていて、おそらく、それが今にいたるまで、その子孫に相続されてきているのだろうと思うことになるが、昔のドイツの貴族であった人たちというのは、他には、どんなふうに暮らしているのだろうか。(日本だと、農地解放ということで、大地主というものは無くなってしまったということになっているし、華族制度も廃止された。)

その時代に、たまたまにせよ、国家の要職にあった人間として、その国家のゆくすえがどうなったかについては、なにがしかの責任がある……とは思うのではあるが、その子孫まで、それをひきずることはないだろう。

このような視点からの番組で日本でもし取りあげるとすると、岸信介などがまず思いうかぶところであるが、あるいは、まだ歴史的評価の定まっていない政治家ということになるのかもしれない。(その係累、子孫というような人たちは、戦時中の責任を受け継ぐなどということは、微塵も感じているふうには見えない。)

2025年5月9日記

ブラタモリ「伊勢神宮への旅・第五夜▼ついにゴールの神宮へ!斎宮・二見浦」2025-05-13

2025年5月13日 當山日出夫

ブラタモリ 伊勢神宮への旅・第五夜▼ついにゴールの神宮へ!斎宮・二見浦

斎宮歴史博物館には行ったことがある。伊勢神宮に行ったときに、他に寄っておきたいところというので、本居宣長記念館に行ったこともあるし、また、斎宮歴史博物館に行ったこともある。行ったときは、ほんとに誰も他の人がいなくて、ガラガラだった。ただ、斎宮の遺跡には行ったことがない。

斎宮ということばは、賀茂の斎院とならんで、平安時代の文学作品など読めばおぼえることである。『源氏物語』を読めば出てくる。ことばとしては知っていたことなのだが、その斎宮の施設がどんなもので、どれほどの規模だったのか、これは興味深い。(『源氏物語』に関心のある学生なら、一度は行ってみたほうがいいところだと思う。)

二見浦は、自動車で行くと、伊勢道が終わって、海岸沿いの道を選ぶと途中にある。夫婦岩で古くから知られている。ここが、中央構造線にあたっているということは、この番組で知った。番組では出てこなかったが、ここにある水族館は、面白い。

外宮は、今では、あまり人の行かないところになってしまっている。本来は、外宮から参拝して、次に内宮という順序であった。昔の鉄道の駅も、このことを考えて作ってあったはずである。

だが、今では、自動車で行く人がほとんどになってしまっている。内宮の方には、かなり広い駐車場がいくつかあるのだが、外宮の方には、さほど広い駐車場がない。それでも、私が行ったときは、かなり空いていた。

外宮と内宮との間は、バスもあるが、自動車で移動すればさほどの距離ではない。無論、昔の人は歩いて移動したことになる。

外宮のなかにある資料館(だと思うが、正式な名称は忘れた)に行くと、式年遷宮のときの資料などが展示してあって、これは面白い。

お土産物屋さんとか、食事をするようなお店は、どうしても内宮の周辺に固まっている。夏に行くと、五十鈴川の伊勢神宮から下流のところで、子どもたちが水遊びをしている。地元の人たちにとって、夏の遊び場になっている。

2025年5月12日記

『べらぼう』「歌麿よ、見徳は一炊夢」2025-05-12

2025年5月12日 當山日出夫

『べらぼう』「歌麿よ、見徳は一炊夢」

腎虚ということばを憶えたのは学生のときだった。たしか仮名草子のなにかの作品を読んでいるなかに出てきたはずである。このことばが、NHKの大河ドラマのなかで堂々と使われることばになるとは、あまり考えたこともなかった。

江戸時代には、かなり広く知られていて、一般につかわれていたことばだったはずである。

朋誠堂喜三二については、プラセボであっても効果はある……ということになるだろうか。

吉原のことを描くとなると、どうしても性のことを避けてとおるわけにはいかないのだが、このドラマでは、吉原それ自体については、あまり性のイメージを強く出すことをしていない。それ以外の芸能とか文芸とかにかかわる部分を、より強調する作り方になっている。これはこれとして、一つの方針ではある。

江戸時代、あるいは、近代になってからでも、さまざまな性のかたちがあり、強いていえば、その需給関係のなかで、いろんなことがあったことはたしかである。これは、現代でも、いろいろと形を変えて、続いていることであり、私としては、それをことさらに問題視してとがめるばかりが、正しいことではないと思っている。

何度も書いていることであるが、人間の性的指向というのは、自分自身で責任を負えない部分がある。生得的なものもあるだろうし、また、生まれ育った文化的環境のなかで、そうなってしまった部分もあるだろう。これらが、現在の、ある種の潔癖主義からすれば嫌悪すべきことではあるかもしれないが、自分の自由意志によるものではないことについて、犯罪と見なすのは、はたして妥当だろうかと思うところがある。

肌の色を選んで生まれてくることはできないので、それを理由に、不当な差別があってはならない。これと同じで、特定の性的指向があるからといって、それが、自由意志で選ぶことのできないものであるならば、そのこと自体をとがめられるべきではない。

性的指向として同性愛が認められるならば、小児性愛も認められるべきである。少なくとも、そのような指向性については、そう感じること、思うことだけであれば、批難されるべきではない。ただ、その対象となる人が、自由意志で、それを受け入れることになるかどうか、という点において、未成年には、まだ十分にその判断力がないので、例外的にあつかう……大きな論理の流れとしては、こうだろうと思っている。

だいたいこのようなことであれば、多くの人が納得するところかと思う。

しかし、近年の流れとしては、性的指向は自分の自由意志で選択できるものである、自由意志こそ何よりも尊重されなければならない……という考え方があるかと思っている。(無論、人間にとっての自由意志とは何であるかということは、哲学的に古くから重要な問題である論点ではあるのだが。)

性にまつわる価値観は、歴史的に文化的に大きく変わっていくという面がある。江戸時代の人びとの、性についての価値観を、現代の価値観で、一方的に語ることはかなりむずかしいだろうとは思うところである。

蔦重が、朋誠堂喜三二におこなっていたことは、現代の価値観でいえば、性接待になるのだけれども、この時代の吉原を舞台にしたドラマで、これをとがめることはないだろう。

歌麿が、この回で描かれたような過去を持っているということで、その浮世絵における人物の表現につながることになる、物語の筋としては、こういう方向になるのだろう。

鳥山石燕は、これからも出てくることがあるだろうか。

自分の存在を否定的に考えて、死んでしまっていいのだ、生まれてきたことが間違いだった、ということは哲学的な思弁としてはありうる考え方ではあるが、一方、実際の世の中で、このように思う人がいることは、否定できないことではあるだろう。

2025年5月11日記

ドキュメント20min.「「絶望名言」を探して」2025-05-12

2025年5月12日 當山日出夫

ドキュメント20min. 「絶望名言」を探して

私は、今の生活では、ラジオをほとんど聞くことがない。「ラジオ深夜便」をやっている時間は、寝ている。

絶望名言という発想、それから、これを本にしようと思ったことは、貴重なことだと感じる。「明けない夜もある」ということばの方が、はるかに人間のこころにしみいることもある。たおれたら、たおれたままでいていい、そう言ってもらえる方が、よほど楽である。

絶望している人に対しては、それを遠くからでも見ている人がいる……このことが感じられるだけでいい。

中島みゆきが歌ったように、肩に降る雨の冷たさに気づければ、それでいいのである。

2025年5月6日記

『八重の桜』「会津の決意」2025-05-12

2025年5月12日 當山日出夫

『八重の桜』「会津の決意」

歴史のもしも、ということになるが、ここで京都守護職を会津藩が引き受けていなければ、明治維新の歴史は変わっていたかもしれない。幕府の瓦解ということはあっただろうが、その後の戊辰戦争の行方がどうなっただろうか。もっとちがう結末を見ることになったかもしれない。

たまたま、山崎正和の『やわらかい個人主義の誕生』(中公文庫、Kindle版)を読んでいたのだが、なかで、「文明としてのイエ社会」について論じたところがある。いまでは、『文明としてのイエ社会』という本も、新しい版では手にはいらなくなっている。もう、忘れられてしまった著作といってもいいかもしれない。

しかし、江戸時代から戦後のしばらくのころまでの、日本のことを説明する考え方として、十分に魅力的な考え方であるように思える。まあ、もはや衰退期というべき日本の状況では、かつてのように、なぜ高度経済成長できたのか、という議論自体が、古めかしいものになってしまていることはたしかであるが。

会津藩というイエのこととして見ると、たまたまこの時代の藩主であった松平容保が、京都守護職になり、その判断に、藩が全体として巻きこまれていく……なかには反対論もあったけれど、最終的には、藩をあげてその仕事に傾倒していき、最後には幕府と運命をともにする、いや、幕府以上に悲惨な目にあう。江戸城は無血開城だったが、会津は籠城戦を戦い敗れることになった。

幕末に、藩という組織が、どのように情勢判断をして、行動することになったのか、そして藩士たちは、どう思って行動したのか……このドラマの作られた時代の雰囲気ということを感じる。

2025年5月11日記

『あんぱん』「くるしむのか愛するのか」2025-05-11

2025年5月11日 當山日出夫

『あんぱん』「くるしむのか愛するのか」

逆転しない正義、これがこのドラマ、あるいは、モデルとなったやなせたかしの言いたいことなのだろうと思っている。その意味で、歴史の流れの中で逆転してしまうことになる正義もある……かつてあったし、今の時代にもあるはずである……これを描くことが必要になる。それを端的にいえば、昭和の戦前の価値観……軍国主義といってもいいかと思うが……ということになる。それをドラマでどう描くかということは、この『あんぱん』の重要なポイントであるにちがいない。

このように思って見ているのだが、どうにも描き方が雑としか思えない。以下、私の思うところを、いくぶん批判的な立場から書いてみる。

金曜日になって、のぶが、突然、忠君愛国の軍国少女になった。その理由としては、石材店で働いていた豪が出征したことがある。妹の蘭子と豪は、お互いに思い合っていて、その二人の仲をひきさくものとして、豪の出征があった。

これだけの理由で、戦地にいる兵隊さんたちのために慰問袋を作ろうと思いたち、学校の同級生たちに呼びかけて、街角で募金活動をする。それが、地元の新聞に大きく取りあげられる。よろこんだ女子師範学校の校長が、授業中であるにもかかわらず、受業を中断してまで、教室にやってきて絶賛する。(女子師範学校で、このような校長の行為はないだろうと思うけれど。)

はっきりいって、いかにも不自然である。

脚本がこのように書いてあるということは、のぶの感じた正義が、学校教育(師範学校での)によるものでもなく、新聞やラジオによるものでもなく、身近な人の出征という、日常の中でおこった出来事による、人間としての自然な感情としてであった、ということで描きたかったのだろうと思うことになる。(ねっからの軍国少女ではなかった、ということにもなる。)

この時代の人びとが、その時代の雰囲気のなかでどのような気持ちをいだいていたか、ここは、もっと多面的に描いておくべきところだったと思う。

中でも大きな役割をはたしたのがラジオであった。今年、まさに、放送100年ということで、NHKは、いろんな特集番組を作っている。この流れとしては、戦前の日本の世論(輿論)の形成に、ラジオがはたした役割の検証ということもあるはずである。このことについては、NHKはさんざん反省の番組も作ってきたはずである。

これは、スルーしていいことではないだろう。では、なぜ、パンくい競走の景品がラジオであったのか(朝田のそう裕福でもない家にラジオがあるのか)、というこの週の以前に描いてきたことが、無駄になってしまう。ラジオの放送で、多くのニュースを聞き、新聞を読み……これは、今の時代のことばでいえば、政府のプロパガンダであり、言論の統制であったことになるだろうが……というなかで、作りあげられてきたものである。少なくとも、常識的な歴史、特にメディアの歴史という観点からは、こう言っていいだろう。

世論の形成と放送(ラジオ)や新聞ということに、無頓着であっていいとは思えない。ただ、盧溝橋事件のことを伝えるためだけにラジオがあるのは、演出としてもったいないと思える。

慰問袋が実際に作られて戦地に送られていたことは確かであるが、それは、女子師範学校の生徒が、このドラマで描いたような形でおこなわれたのだろうか。あったとしても、おそらくは、学校側からの強制的な指導のもとに組織的におこなわれた、と普通は考えると思うのだが、はたしてどうだったのだろうか。このあたりの描き方については、実際はどうだったのか、もう少し説得力のある描き方であった方がよかったと思う。(私などの見方では、どうしても疑問の方を強く感じてしまう。)

生徒たちが、慰問袋の募金を街頭でおこなっていたとき、「八紘一宇」の文字の書いたのぼりがあったが、これは、どうなのだろうか。ちょっとWikipediaを見ただけなのだが、「八紘一宇」のことばを政府が一般に使いはじめたのは、昭和15年の第二次近衛内閣から、ということなので、ドラマの時点(昭和12年)で、一般に認知されることばであったかどうか、疑わしい。ことばとしては、それより以前からあったことはたしかである。それが、広く使われるようになるのは、太平洋戦争となり、大東亜共栄圏という概念が出てきて、それをささえる理論的支柱として使われた、というのが普通の理解であると思っている。

なぜ、このようなことが気になるのか。ただ時代考証のミスを言いたいだけではない。別にドラマを面白くするためなら、多少の史実の改変はあってもいいとは思う。だが、このドラマの場合、人びとが信じる正義が、どのように世の中で形成され、意識されるようになっていったか、ということは、きちんと描いておくべきところだと思っている。のぶが、八紘一宇ということばを知ったのは、どういう経緯であったのか、これはおろそかにしていいことではない。

ともあれ、のぶがなぜ軍国主義に傾倒していったのかが、豪の出征ということを理由にしているのは、ドラマとして説得力にかける。逆転してしまう正義とは、その時代の多くの人びとが信じていたことであり、日常生活のなかで、自然と身につけてしまっていたものである、そのようなものであっても、時代の流れとともに逆転してしまうことがある、そうでなければ、逆転しない正義、をより強く描くことができないと思う。逆転してしまう正義とは、放送(ラジオ)であり、新聞であり、学校の先生であり……の語ったことであったはずである。国家が言ったことに限らない。

のぶの場合、出征した豪のことを案じるという、ヒューマニズムのある気持ちからであったということにしたいのかもしれない。だが、そういう動機の純粋さによって許されることにはならないのが、世の中の正義(と信じていたもの)というものであるはずである。この理屈がとおるなら、この時代の軍国主義者は、ほとんど免責されてしまうことになる。あえていえば、テロリストこそ、もっとも純粋な動機のもちぬしである。この、動機が純粋なら許される、ということを、さらに超えたところにあるのが、アンパンマンの正義である、と私は理解している。

その他、気になっていることとしては、嵩のはいった美術の学校の制服。美術の学校なら、制服なんかなしにして、自由なファッションでいればいいと思うのだが、はたしてこの時代は、実際にどうだったのだろうか。嵩自身は、制服であることに、何の疑問も感じていないようである。

昭和12年、日中戦争がはじまったころ、東京にいる嵩は、自由を楽しんでいる。これは、たしかにそうだったのだろう。すでに満州事変があり、戦争の時代ということなのだが、東京の生活は、まだ自由を満喫できる状況にあったことは、そうだろうと思う。

だが、これを描くならば、その時代の高知の田舎町(と言ってしまうことになるが)の御免与の町が、どれほど封建的で前近代的な生活であったか、ということをきちんと描いておくべきであった。これまで、このドラマで描いてきた、御免与の町は、地方の町という感じはするが、人びとの自由を圧迫する抑圧的ななにかがただよっている、そんな感じはしていない。せいぜい、朝田の家の祖父(釜次)が頑固じじいであるぐらいである。のぶの父も母も、嵩の家のおじさんもおばさんも、この時代にしては、非常に開明的で進歩的な考えのもちぬしとして描かれている。

あえてステレオタイプな言い方をすれば、前近代的な封建的家父長制を象徴する「父」というものが、御免与の町の描写には出てこない。この「父」が不在でありながら、そこには自由がない、と言うのは、物語の枠組みとして少し無理を感じる。(あるいは、あえて「父」の出てこない脚本ということになっているのだろうか。わざとステレオタイプから外れた作り方をしたかとも理解できる。あるいは、現代ではもう「父」など描くことができない時代になっているのかもしれない。以前の『虎に翼』では、この「父」の役割を、強引に穂高先生に割り振って、結果的にはそれが失敗につながったと、私は見ている。まあ、強いて「父」を探せば、女子師範学校の黒雪先生ということになるかもしれない。)

東京に行った嵩が感じたのは、自由もあっただろうが、それ以上に、東京と御免与の町の間の、人びとの文化資本の落差、ということだっただろうと思う。これは、絵の才能があるなしでは、どうしようもないものであったはずである。(これは、同時に放送することになった『チョッちゃん』を見ていると強く感じることである。)

さらに思うこととしては、蘭子と豪のことである。二人が一緒になることを、母親(羽多子)は後押しする。今の時代の感覚からすれば、こういう描き方もあるかとは思う。しかし、この時代だったら、結婚は当人の了解など関係なく家同士で決まるものだったかと思われるし(地域や社会階層によっても異なるだろうが)、それよりなにより、出征することになっている豪と一緒になっても、それは、離別の悲しさを増幅させるだけのことになる。ここは、余計につらくなるから、自分の感情を押し殺して、笑顔で出征を見送るというのが、これまでのドラマで描いてきたことかと思う。こういう描き方になっているというのも、時代の流れの変化ということではあるのだろう。

この週の最後で、嵩は東京のカフェの店内の電話から、高知に電話をかけていた。この時代に、東京~高知の長距離通話が、そう簡単につながって手軽に電話がかけられたとは思えない。このドラマ、時代考証の感覚が、もう麻痺してしまっているとしか思えない。電話がそう簡単につながるものではないということは、すなわち、東京と高知の距離感でもある。時代考証というのは、その時代の人びとの生活の感覚を、より説得力あるものとして描くために必要なのである。

やむおじさんの言っていることは、今でいえば、絶対平和主義の非戦論である。この時代としては、かなり過激な考え方であったかもしれない。それはいいとしても、今の世界で、このような非戦論は、あまり意味を持たないものになってきてしまっている。言うまでもなく、ウクライナのこともあり、イスラエルのこともある。それでもなお、このような非戦論を語らせることの意義を、これからどうドラマのなかで描くことになるのか、これは気になるところである。

2025年5月9日記