映像の世紀バタフライエフェクト「特攻 若者たちの絶望と祈り」 ― 2026-08-28
2026年8月28日 當山日出夫
映像の世紀バタフライエフェクト「特攻 若者たちの絶望と祈り」
最後まで見て、名前が出ていたのは、一ノ瀬俊也、菊月俊之、柴田武彦。
特攻については、これまでに多くのことが語られてきている。その中で、この番組で目新しかったことは、いくつかある。
アメリカ軍のVT信管の開発の映像。これは、マリアナ沖海戦で、マリアナの七面鳥撃ちといわれたことになるが、その後、沖縄戦で威力を発揮することになる。アメリカ軍の技術としては、まず、レーダーでまさり、MT信管、そして、VT信管を実用化した。こういうことの技術力の差、というべきだろう。
それから、安藤昇のこと。特攻くずれ、ということは、かつてはいろいろと目にするこがあったが、このごろは、ほとんど使われなくなった。生き残った特攻隊員たちが、戦後の日本で、どのように生きてきたか、その総合的な調査、研究ということが、必要だろう。
ただ、いくつかの事例をとりあげて……関行男であったり、上原良司であったり、千玄室であったり……その心情をおもんぱかるのはいいのだが、その一方で、特攻くずれといわれた人たちがいたことも、重要なことである。
出てきていたのは、飛行機による特攻の他には、震洋、伏龍、だった。回天は出てきていなかった。また、マルレも、生還を期しがたい特攻兵器である。他にも、桜花のこともある。これは、搭乗した時に、すでに生還することは不可能である。(かなり以前、靖国神社の遊就館ではいったすぐのところに、桜花が展示されていたのを憶えている。これを展示していた意図はいった何だったのだろうと、今になっても思う。どう考えても、日本軍の勇猛果敢ということにはつながらない。太平洋戦争末期の無謀としか思えないことになるのだが。)
特攻隊員であった人たちのその後にも、いろいろとある。私が実際に会ったことのある人物としては、回天の搭乗員だった人がいる。戦後は、国文学の分野、いくつかの仕事を残した人であるが。また、回天の整備員をしていて、戦後は、その技術で、自動車の整備工場を作って経営したという老人にあったこともある。
吉田満のことばを出さなかったのは意図的にそう作ったのだろう。そのかわりに、伊藤整一が出てきていた。戦艦大和の艦長であったこの軍人のことは、吉田満の『提督 伊藤整一』を読んで憶えた。
今の時代に必要なことは、特攻の言説史である。それは、特攻くずれがどう思われていたかということをふくみ、また、例えば、『紫電改のタカ』(ちばてつや)などをふくむものとして、総合的に資料をあたり、考えるべきだろう。
2026年8月25日記
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