『林達夫 編集の精神』落合勝人 ― 2022-06-17
2022年6月17日 當山日出夫(とうやまひでお)
落合勝人.『林達夫 編集の精神』.岩波書店.2021
https://www.iwanami.co.jp/book/b587779.html
林達夫は若いとき、学生のころに、いくつか手にした。その当時、平凡社の著作集が刊行されていて、全部揃えるということはなかったが、そのうちのいくつかを買って読んだ。文庫本で、『共産主義的人間』が出ていたのも、読んだ。
とにかく、若い私にとって、林達夫という人はかっこいい人であった。
この本は、基本的に林達夫の評伝という形をとっている。が、その記述の主体となっているのは、編集者としての側面。読んで思うこと、感じることは多くあるが、二点ばかり書いておく。
第一には、出版史として。
昭和の戦前から戦後にかけての、出版史のある一面をうかびあがらせている。その中心になるのは、京都学派という存在であり、あるいは、岩波書店ということになる。岩波書店にける、「思想」や、「日本資本主義発達史講座」のことなど、戦前の思想と出版にかかわる、いろいろと興味深い記述がある。これはこれとして、通読して面白い読み物になっている。
名高い「日本資本主義発達史講座」であるが、このシリーズの刊行の実態というのは、どういう出版や販売のシステムによっていたのだろうか。現在の、出版社から取り次ぎがあり小売り書店というのとは、ちがっていたようなのだが、このあたり、戦前の出版流通のシステムの歴史的記述が、もうすこし丁寧にあるとよかったと思う。
第二に、百科事典。
これは、この本で書いていないことである。林達夫は、平凡社の百科事典の編集の仕事をしている。私としては、ここのところに非常に興味があるのだが、この本では、あえてであろうが、まったくといっていいほど省略している。たぶん、このところについて書こうとすると、この本の分量でおさまらない、あるいは、かなり方向性の違ったものになるという判断があってのことと思う。
今、WEBの時代である。百科事典的な知識というものは、大きく変容しようとしている。また、雑誌、講座という出版についても、変革の時代であるといえる。この時代背景を考えて、かつて、林達夫はどんな仕事をした人であったのか、あるいは、林達夫の仕事から、将来にむけてどんな展望を描くことができるのか、いろいろと考えることはあるかと思う。
以上の二点が、この本を読んで思ったことなどである。
さて、林達夫は、もう賞味期限が切れたというべきなのだろうか。あるいは、これからも読むべき人として生き残っていくだろうか。編集者としての林達夫という観点から考えてみた場合、どうだろうか。社会における知のあり方を考えるとき、林達夫は、参照すべき古典として生きのびることになるだろうか。
新しいインターネットの時代にあって、「編集」とはどういう意味をもつのか。この本を起点として、考えるべきことは多くあるだろう。
探せば、昔読んだ著作集が残っているはずである。久しぶりに林達夫の文章を読んでみたいと思う。
2022年5月31日記
https://www.iwanami.co.jp/book/b587779.html
林達夫は若いとき、学生のころに、いくつか手にした。その当時、平凡社の著作集が刊行されていて、全部揃えるということはなかったが、そのうちのいくつかを買って読んだ。文庫本で、『共産主義的人間』が出ていたのも、読んだ。
とにかく、若い私にとって、林達夫という人はかっこいい人であった。
この本は、基本的に林達夫の評伝という形をとっている。が、その記述の主体となっているのは、編集者としての側面。読んで思うこと、感じることは多くあるが、二点ばかり書いておく。
第一には、出版史として。
昭和の戦前から戦後にかけての、出版史のある一面をうかびあがらせている。その中心になるのは、京都学派という存在であり、あるいは、岩波書店ということになる。岩波書店にける、「思想」や、「日本資本主義発達史講座」のことなど、戦前の思想と出版にかかわる、いろいろと興味深い記述がある。これはこれとして、通読して面白い読み物になっている。
名高い「日本資本主義発達史講座」であるが、このシリーズの刊行の実態というのは、どういう出版や販売のシステムによっていたのだろうか。現在の、出版社から取り次ぎがあり小売り書店というのとは、ちがっていたようなのだが、このあたり、戦前の出版流通のシステムの歴史的記述が、もうすこし丁寧にあるとよかったと思う。
第二に、百科事典。
これは、この本で書いていないことである。林達夫は、平凡社の百科事典の編集の仕事をしている。私としては、ここのところに非常に興味があるのだが、この本では、あえてであろうが、まったくといっていいほど省略している。たぶん、このところについて書こうとすると、この本の分量でおさまらない、あるいは、かなり方向性の違ったものになるという判断があってのことと思う。
今、WEBの時代である。百科事典的な知識というものは、大きく変容しようとしている。また、雑誌、講座という出版についても、変革の時代であるといえる。この時代背景を考えて、かつて、林達夫はどんな仕事をした人であったのか、あるいは、林達夫の仕事から、将来にむけてどんな展望を描くことができるのか、いろいろと考えることはあるかと思う。
以上の二点が、この本を読んで思ったことなどである。
さて、林達夫は、もう賞味期限が切れたというべきなのだろうか。あるいは、これからも読むべき人として生き残っていくだろうか。編集者としての林達夫という観点から考えてみた場合、どうだろうか。社会における知のあり方を考えるとき、林達夫は、参照すべき古典として生きのびることになるだろうか。
新しいインターネットの時代にあって、「編集」とはどういう意味をもつのか。この本を起点として、考えるべきことは多くあるだろう。
探せば、昔読んだ著作集が残っているはずである。久しぶりに林達夫の文章を読んでみたいと思う。
2022年5月31日記
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