新街道をゆく「肥薩のみち」 ― 2023-12-20
2023年12月20日 當山日出夫
2023年12月20日 新街道をゆく 肥薩のみち
鹿児島には行ったことがあるのだが、熊本はとおりすぎるだけだった、と憶えている。
肥薩の道、ということではあるが、あつかっていたのは主に薩摩のこと。その日本の国の中における独立の気風について、司馬遼太郎は熱心に語っている。これは『翔ぶが如く』の著者ならではの思いというのがあるのだろう。
印象に残るシーンがいくつかある。
熊本と鹿児島の県境が印象に残る。ここから先は別の国であったという、その両国の人びとの気概を感じる。
示現流……番組に映っていた文字は、自現流となっていたが……のことは、薩摩を題材にした小説などでよく出てくる。その流派が今にいたるまで伝えられている。
沈壽官のことも印象に残る。今の十五代目が、韓国の芸術大学を受験したときのこと、また、それに対する司馬遼太郎の手紙。「トランス・ネーション」と司馬遼太郎は書いていた。このことばは、NHKの「雑談「昭和」への道」のなかでも出てきたかと憶えている。
日本にやってきて四〇〇年になるのに、日本の垢を洗い落とせ、というのも興味深い。それほど、現代の韓国の人びとにとっては、豊臣秀吉の朝鮮出兵と、それにともなって陶工たちが日本に連れてこられたことは、生々しい歴史的事実として記憶されているのだろう。
戦役の死者の名前を刻んだ石碑があった。戊辰戦争、西南戦争、日露戦争の碑があった。また、西南戦争については、おそらく分かる限りということであろうが、人名を特定して網羅的に刻んであるのが印象に残る。それほど、薩摩の人びとにとって、西南戦争とは、記憶に残る戦いであったということになる。
番組の最後が印象的であった。西南戦争が終わって、その後に成立した明治政府は、強大な中央集権国家であった。そして、現代にいたるまで、在野のちからのある批判勢力を持つことがなかった。これは、まさに今の日本の政治状況を見て納得のいくところでもある。(強いていえば、批判勢力を潰すことで政権を維持してきたのが、ここしばらくの日本であると言っていいだろう。)
2023年12月15日記
2023年12月20日 新街道をゆく 肥薩のみち
鹿児島には行ったことがあるのだが、熊本はとおりすぎるだけだった、と憶えている。
肥薩の道、ということではあるが、あつかっていたのは主に薩摩のこと。その日本の国の中における独立の気風について、司馬遼太郎は熱心に語っている。これは『翔ぶが如く』の著者ならではの思いというのがあるのだろう。
印象に残るシーンがいくつかある。
熊本と鹿児島の県境が印象に残る。ここから先は別の国であったという、その両国の人びとの気概を感じる。
示現流……番組に映っていた文字は、自現流となっていたが……のことは、薩摩を題材にした小説などでよく出てくる。その流派が今にいたるまで伝えられている。
沈壽官のことも印象に残る。今の十五代目が、韓国の芸術大学を受験したときのこと、また、それに対する司馬遼太郎の手紙。「トランス・ネーション」と司馬遼太郎は書いていた。このことばは、NHKの「雑談「昭和」への道」のなかでも出てきたかと憶えている。
日本にやってきて四〇〇年になるのに、日本の垢を洗い落とせ、というのも興味深い。それほど、現代の韓国の人びとにとっては、豊臣秀吉の朝鮮出兵と、それにともなって陶工たちが日本に連れてこられたことは、生々しい歴史的事実として記憶されているのだろう。
戦役の死者の名前を刻んだ石碑があった。戊辰戦争、西南戦争、日露戦争の碑があった。また、西南戦争については、おそらく分かる限りということであろうが、人名を特定して網羅的に刻んであるのが印象に残る。それほど、薩摩の人びとにとって、西南戦争とは、記憶に残る戦いであったということになる。
番組の最後が印象的であった。西南戦争が終わって、その後に成立した明治政府は、強大な中央集権国家であった。そして、現代にいたるまで、在野のちからのある批判勢力を持つことがなかった。これは、まさに今の日本の政治状況を見て納得のいくところでもある。(強いていえば、批判勢力を潰すことで政権を維持してきたのが、ここしばらくの日本であると言っていいだろう。)
2023年12月15日記
ドキュメント20min.「サドンターン」 ― 2023-12-20
2023年12月20日 當山日出夫
ドキュメント20min. サドンターン
諸行無常とはいうが、世の中いったい何が起こるかわからない。ただ普通の人はそれをほとんど意識することはない。
このような人生もあるだろうなあ、というのが率直な感想である。そして、この場合、近所に祖父母がいて手助けしてくれるということが幸いであったろう。これが何の援助もない状況だったら、随分ちがっていたにちがいない。
また、YouTubeで発信することが出来るというのも、今の時代ならではのことであるにちがいない。たぶん、YouTubeで発信するということがなかったら、くじけることになったかもしれないとも感じるところがある。(といって、自分でこのYouTubeを見てみようとはまったく思わない。基本的に見ないことにしている。)
一般論になるが、このような突然死ということもあり得るということを考えて、社会のセーフティネットは構築されるべきだとは思う。番組には出てきていなかったが、このようなとき、行政の側はどのように支援してくれるのだろうか。
余計なナレーションの説明はない。このような番組の作り方も一つの方法だと思う。
2023年12月18日記
ドキュメント20min. サドンターン
諸行無常とはいうが、世の中いったい何が起こるかわからない。ただ普通の人はそれをほとんど意識することはない。
このような人生もあるだろうなあ、というのが率直な感想である。そして、この場合、近所に祖父母がいて手助けしてくれるということが幸いであったろう。これが何の援助もない状況だったら、随分ちがっていたにちがいない。
また、YouTubeで発信することが出来るというのも、今の時代ならではのことであるにちがいない。たぶん、YouTubeで発信するということがなかったら、くじけることになったかもしれないとも感じるところがある。(といって、自分でこのYouTubeを見てみようとはまったく思わない。基本的に見ないことにしている。)
一般論になるが、このような突然死ということもあり得るということを考えて、社会のセーフティネットは構築されるべきだとは思う。番組には出てきていなかったが、このようなとき、行政の側はどのように支援してくれるのだろうか。
余計なナレーションの説明はない。このような番組の作り方も一つの方法だと思う。
2023年12月18日記
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