『とと姉ちゃん』「常子、竹蔵の思いを知る」「常子、ビジネスに挑戦する」 ― 2025-06-29
2025年6月29日 當山日出夫
『とと姉ちゃん』「常子、竹蔵の思いを知る」「常子、ビジネスに挑戦する」
この週で、見ながら思ったことを書いてみる。
放送の順とは逆になるが、金曜日の回は、昭和11年であった。歴史上は、二・二六事件のあった年であり、同時に、阿部定事件のあった年でもある。
二・二六事件のナレーションで、雪の降る東京と言っていたが、これは厳密には正しくないはずである。東京の雪は前日までに止んでいて、この日は地面に積もった雪が残っていた、つまり、雪の降った、あるいは、雪の降り積もった、と言うべきところになる。(日本語学としては、テンス・アスペクトの問題であるが。)
そして、阿部定事件の年でもある。今にして思えば、NHKのドラマでよくこの事件のことを話題にして作ったと感じる。(どうでもいいことだが、大島渚が『愛のコリーダ』を撮ったとき、阿部定はまだ存命であったとおぼしい。私が慶應の学生だったときのことである。さらにどうでもいいこととしては、ナレーションの檀ふみは、時々、三田のキャンパスを歩いているのを見かけたものである。)
平塚らいてうの『青鞜』が、この時代まで、女学生に読まれていたかどうか。東堂先生のようなちょっと変わった(?)先生を介して、知っていた可能性はあるだろう。
『人形の家』が出てきていた。これも、どうでもいいことだが、学部の二年生の英語の受業で、『人形の家』の英訳本がテキストだったのを覚えている。この時代、文学作品を英語の受業に使う先生が少なくなかった。そういう時代だったのである。今では、実用的な英語スキル一辺倒という感じであるが。(ただ、ノラが家を出たあとどうなるのか、ということは気になることである。そのようなことは気にせず、とにかく家を出ることが大事だ、という時代であったと理解することになるだろうが。)
このドラマでは、ヒロインの常子が、水に飛び込む。最近の朝ドラでは、『虎に翼』でも『おむすび』でも、ヒロインが水のなかに入っていたが、これは、まったく意味のないものであった。しかし、『とと姉ちゃん』の場合には、きちんとドラマの展開の中で意味がある。母の君子と、祖母の滝子との、和解ということである。そのきっかけになったのが、父の竹蔵の手紙のことであり、そして、妹の美子を救うために水の中に飛び込む常子の行動ということになる。こういう大きな、場面の転換というときに、生まれ変わりの象徴として、水の中に飛び込むというのは、たしかに古来より多くの物語などで、描かれてきたところである。(強いていえば、『源氏物語』の浮舟のことなど、思うことになるが。)
女学校を卒業すれば結婚するのが当たり前、という時代背景に、常子たちの一家は、どうなるのか、(その結果は知っているのだが)どう描くことになるのかは、楽しみということになる。
2025年6月27日記
『とと姉ちゃん』「常子、竹蔵の思いを知る」「常子、ビジネスに挑戦する」
この週で、見ながら思ったことを書いてみる。
放送の順とは逆になるが、金曜日の回は、昭和11年であった。歴史上は、二・二六事件のあった年であり、同時に、阿部定事件のあった年でもある。
二・二六事件のナレーションで、雪の降る東京と言っていたが、これは厳密には正しくないはずである。東京の雪は前日までに止んでいて、この日は地面に積もった雪が残っていた、つまり、雪の降った、あるいは、雪の降り積もった、と言うべきところになる。(日本語学としては、テンス・アスペクトの問題であるが。)
そして、阿部定事件の年でもある。今にして思えば、NHKのドラマでよくこの事件のことを話題にして作ったと感じる。(どうでもいいことだが、大島渚が『愛のコリーダ』を撮ったとき、阿部定はまだ存命であったとおぼしい。私が慶應の学生だったときのことである。さらにどうでもいいこととしては、ナレーションの檀ふみは、時々、三田のキャンパスを歩いているのを見かけたものである。)
平塚らいてうの『青鞜』が、この時代まで、女学生に読まれていたかどうか。東堂先生のようなちょっと変わった(?)先生を介して、知っていた可能性はあるだろう。
『人形の家』が出てきていた。これも、どうでもいいことだが、学部の二年生の英語の受業で、『人形の家』の英訳本がテキストだったのを覚えている。この時代、文学作品を英語の受業に使う先生が少なくなかった。そういう時代だったのである。今では、実用的な英語スキル一辺倒という感じであるが。(ただ、ノラが家を出たあとどうなるのか、ということは気になることである。そのようなことは気にせず、とにかく家を出ることが大事だ、という時代であったと理解することになるだろうが。)
このドラマでは、ヒロインの常子が、水に飛び込む。最近の朝ドラでは、『虎に翼』でも『おむすび』でも、ヒロインが水のなかに入っていたが、これは、まったく意味のないものであった。しかし、『とと姉ちゃん』の場合には、きちんとドラマの展開の中で意味がある。母の君子と、祖母の滝子との、和解ということである。そのきっかけになったのが、父の竹蔵の手紙のことであり、そして、妹の美子を救うために水の中に飛び込む常子の行動ということになる。こういう大きな、場面の転換というときに、生まれ変わりの象徴として、水の中に飛び込むというのは、たしかに古来より多くの物語などで、描かれてきたところである。(強いていえば、『源氏物語』の浮舟のことなど、思うことになるが。)
女学校を卒業すれば結婚するのが当たり前、という時代背景に、常子たちの一家は、どうなるのか、(その結果は知っているのだが)どう描くことになるのかは、楽しみということになる。
2025年6月27日記
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